だずブロ

…だず。

【男子禁制】ご了承下さいませ。

レシピブログと同期化中。
なので、レシピ記事がほとんどですが。

9/12夜 ~ピッツァは生地作りから~

2014-09-16 21:30:00 | 料理
4ヶ月ぶりのピッツァ。



相方様が食べたいな~と思てたタイミングと
ドンピシャ一致( ̄▽ ̄)




■マルゲリータ風フレッシュトマト&バジル
■ブロックベーコンとズッキーニ

いやいやいや~
美味しいやんか~

お店より美味しいやんか!
(石窯焼きにはかなわんけど)

グリルの威力抜群!



この美味しさ忘れとった…。





生地の記事はこちら。

関西人はだじゃれ言いまへんて(-.-;)


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中力粉のストック足りんから
薄力粉を足し足し…

膨らみが足りんから、焼きは浅めに。



トマトはミディのフルーツトマトを使用。
甘みとジューシーさが堪らん(* ̄▽ ̄*)





■舞茸と春菊のベーコン巻き
■キャベツの食べるスープ

春菊がハーブのような感じで
舞茸とベーコンにマッチング!

想像の斜め上の美味しさやった。



キャベツのスープは
いつもの芯入り、千切りもモリモリに。




また近いうちにピッツァ焼こっと。



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【もやしのオイスター(豆板醤)炒め】

2014-09-16 14:30:00 | レシピ【中・副菜】

一人暮らしの時の定番メニュー。

超~安くて
超~簡単で
けっこう美味しくて。

久しぶりに作ってみました!
(レシピってほどでもないけど…)



豚さんやお野菜を入れても美味しいけど
もやしのみが一番かも…



■もやし…1/3袋
■豆板醤(お好みの量を)、オイスターソース(小さじ1ほど)、鶏ガラスープの素(少々)、塩コショウ(少々)、酒(少々)、ごま油

☆一人暮らしの時は、もやしを1袋。
オイスターソースは大さじ1ほど

~~~~~~~~~~~

■フライパンにごま油を引き、中強火にしてもやしを投入

■調味料をすべて入れ、水気を出さないように炒める



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べ(・┰・) ~161

2014-09-16 11:00:00 | おべんと
毛布にくるまり
朝日を迎える毎日…



…な、9/13のおべんと。





■ブロックベーコンと小松菜のソテー
■キャベツのチーズ焼き
■ズッキーニとミディトマトのマヨソテー

上手く洋風でまとまった( ̄▽ ̄)

ズッキーニとトマトは
ベーコン炒めたあとフライパン洗わずそのままに…

旨味も移っとるし~



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日本の神社 No.32

2014-09-16 00:49:00 | 神々の間
多賀大社です。



滋賀県、琵琶湖の東側、北部にあります。





この神社の特長はなんといっても
イザナギ、イザナミ神が祭られていること。

そして幽宮(かくりのみや=亡くなって鎮まった地)であること。



実はイザナギ、イザナミ神の幽宮とされる地は
淡路島のイザナギ神社という説もあり、

どちらかというと淡路島の方が有力。



かといって無視できないほどの痕跡が周辺に多数存在するようです。



イザナギ、イザナミ神は神代七代の末子であり
国生みの神として崇められる国家創造神。

アマテラスやスサノオの御親神。
そして実在した可能性は非常に低いと…。





そもそもアマテラスとスサノオが姉弟であるはずはなく
すると親子関係も微妙…となるのがごく普通の考え方。

ところがなぜか
現代の考古学ではここに疑いを持たない。

実在したとは思っていないから。



もし仮に実在していたとしたら…
もし仮にまったく別の部族だとすれば…



このことに関して
興味深い説が存在します。

イザナギ、イザナミ神が銅鐸文化とつながる説。

「鐸」を「さなぎ」と読む。
「イザナギ」は「サナギ」に接頭語の「イ」が付加されたものとする。



銅鐸が紀記に一切登場しないという大きな謎のひとつが
これで解消されます。

「サナギ」は「サヌキ(讃岐)」と通じます。

イザナギ、イザナミ部族が
淡路島~四国東部を支配した部族なのでは?



実は、阿波にはとんでもない古代遺跡(神社)が数多く存在します。

大和などにある数多くの古社と同じ神社名で
しかも古い時代に創始されたものが。



これは何を意味するのか…



そして讃岐や阿波に広がる銅鐸文化は
出雲から大和にまで広がる銅鐸文化に含まれます。

多賀大社のある近江の銅鐸文化とは
様式が異なりますが…






ここからは完全な私説であり
壮大な古代の幻視です。



イザナギ、イザナミ神はやはり淡路島に降臨。
銅鐸など銅を扱う部族として九州~大和までを支配していた。

出雲に
黄泉の国の伝承地(黄泉比良坂=よもつひらさか)があり

日向(ひむか)に
黄泉の国から帰還したイザナギ神が禊(みそぎ)を行った阿波岐原があるため。



そしてそこへ鉄を扱うスサノオが朝鮮半島から出雲に降臨、
イザナギ、イザナミ部族を制圧し北九州~大和までを支配。

イザナギ、イザナミ部族は近江に逃げ延びたのではないか。



スサノオとともに支配を広げる子神の五十猛命はほぼ全国にまで足跡を伸ばし
その後、ニギハヤヒが大和を拠点に大王として君臨する。

ところが、九州の日向からカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が大和東征、
ニギハヤヒの子神の香語山(高倉下)命は政権をあっけなく渡してしまう。

そしてカムヤマトイワレヒコの祖神である小国日向のアマテラス女王が
後の時代に皇祖として据えられることとなる…



とにもかくにもイザナギ 、イザナミ神は
淡路島で滅ぼされイザナミ神は黄泉の国へ

そして逃げ落ちたイザナギ神は近江国で亡くなる…。





この説をでっち上げるには
まだまだ考証が足りないものの

他にも裏付けできるだけのネタはいくつかあります。

ある程度現実味を帯びればご紹介を。