羽黒蛇、大相撲について語るブログ

相撲ファンから提供された記事・データも掲載。頂いたコメントは、記事欄に掲載させて頂くことがあります。

サラリーマンなら相撲を取れ 中村淳一

2017年02月01日 | 小説
サラリーマンなら相撲を取れ


中之島販売株式会社衣料事業部営業第二部に所属する岡田は、その日もいつものように出社した。会社の自分の机の前に着席して彼が朝一番に行なう事は決まっている。机の右側手前に張り付けた紙に書き込まれた数字、そこには「9,324」とあったが、彼は一桁目の「4」を消してそこに新たに「3」と書き込んだ。
「定年まであと9,323日か」前途はまだ遼遠たるものがある。しかし、約二年前に「10,000」が「9,999」になった時の感激を彼は思い出した。以前、彼はこの作業を一日の仕事が終わった時に行なっていた。だが、朝の憂鬱を少しでも緩和しようと、去年からは朝一番で実施しているのだ。
「岡田君ちょっと」
部長の田部の彼を呼ぶ声が聞こえた。
「はい」
彼は返事をすると部長の席に着く約5メートルの間にすばやく考えを巡らせた。田部からは何件も仕事を言いつかっている。「あれだろうか。それともあのことだろうか」が、いずれにしても岡田は、そのうちどれも完了してはいなかった。明確な答弁も行えそうになかった。
田部の席の前に着いた。
「いや、仕事の話ではないんだけどね」
ほっとする。しかし、では一体何の話だろう。プライベートでそんなに親しくしてきたつもりはないが。
「今度の部内の相撲コンペだけれど、君また欠席するようだね」
「はあ」
「君はいつも欠席だけど、何故かね」
「相撲は……嫌いなんです」
「嫌いと言ったって、君も去年から管理職になったんだろう」
「はあ」
「サラリーマンにとって、相撲での付き合いがどんなに大事かということは君だってわかっているんだろう」
「はあ、それはまあ」
「君、何かほかにやっているスポーツがあるのかね」
岡田は覚悟を決めた。
「ゴルフをやっております」
「ゴルフだってぇ」
田部は素っ頓狂な声をだした。予想通りの反応だった。
「君はあんな自然を破壊する、反社会的なスポーツをやっているのかね」
「はい」
田部は一瞬、けがらわしいものを見るかのような目つきを岡田の方に向けた。
「とにかく」
田部がきっぱりと決めつけた。
「今度の相撲コンペは出席するように。これは業務命令だと思ってくれ」

その日の仕事は終わった。岡田は帰路についた。雨が降っている。岡田は傘をさして駅に向かった。彼は今朝の田部とのやりとりを思い浮かべていた。
「相撲か」
彼は自分の幼かった頃のことを思い出していた。相撲は……大好きだった。いや、この国に生まれて相撲の嫌いな少年など皆無だろう。小学生時代も、岡田は毎日相撲を取っていた。そして、彼はなかなか強かった。クラスでも一、二を争う強さだった。その彼がなぜ相撲が嫌いになったのか。全ては彼の性格がなせる業だった。岡田の性格を構成する大きな要素に「他人と同じ事をしたくない」ということがあった。長じるにつれて彼は相撲から離れていった。
大学時代、そういう彼の前に現れたのがゴルフだった。友人に初めて誘われた際、その時点では彼はゴルフには何の関心もなかった。友人が余りにも熱心に誘うので断るのに忍びなくなった。
初めてのゴルフコースに出たとき、その広さに岡田は驚嘆した。
「何と贅沢なスポーツなのだろうか」
人口が過密な現在、人々はより小さなスペースで日々の活動を行なおうとする。
「より小さく、より狭く」
それはこの時代に生きる人々の、基本的なモラルだ。所得の多い人ほどこれ以上はどうあっても狭くはできない、という家に住み、その狭い居住空間の中に生活していくためのあらゆる設備が整っていることを誇る。
「スモール イズ グレート」が総意とされる価値観であるこの世界において、遊びのためにこれほど広大な場所が用意されているというのは、空恐ろしいことだった。
世間の人達がゴルフを反社会的なものと評価しているのも当たり前だ。そう思った。しかし、世間の評価とおのれの心中に感じる爽快感、その二つを比較したとき、彼は後者を選択した。その選択をなした一つの理由に、岡田と一緒にコースをまわったメンバーの姿があった。世間に対して公然と反抗しているという印象はなかった。自分たちのやっていることの反社会性を自覚し、そのことで世間に気兼ねしつつも、やりたいことをひっそりと、つつましやかにやる。その態度はそのまま岡田の生きる姿勢でもあった。

駅に着いた。
岡田はホームで電車を待っていた。周りを見渡す。そこにはいつもの見慣れた光景がひろがっていた。サラリーマンたちがそこここで体を動かしている。
ある人は四股をふんでいる。別の人はコンクリートの地面に手をつけて立ち会いの稽古を行なっている。そしてまた別の人はホームの柱に向かって懸命に左右の手を動かしていた。
(鉄砲というそうだ)
いつもの彼なら決してそんなことはしなかった。しかし、今朝のことが彼の頭にひっかかっていた。
「俺だって」
岡田は手に持っていた傘の先をコンクリートにつけた。彼は傘をクラブにみたててパットの型を練習した。

2、30秒も続けただろうか。彼は自分の周囲に異様な雰囲気を感じた。
周りにいる人達がみんな彼の方を見ていた。今朝の田部と同じ目をしていた。岡田にはそれ以上続ける勇気はなかった。彼は目を伏せた。



部内の相撲コンペが行われる日が間近に迫ったある日の就業時間後、岡田は部の同僚たちと飲みに行った。みんなで狭い場所に体をくっつけあってワイワイやる。その日の話題は、相撲一色である。
「今度のコンペの会場は、中央区の区立体育館ですよねえ」
岡田よりも少し後輩にあたる桑住が、嬉しそうに喋っている。
「よく、あんな名門の会場がとれましたねえ.谷井さん」
岡田の記憶によれば、この話題は初めてではない.部の酒席で、これまでに何度も口にされてきた。岡田にはよく分からないことだが、中央区の区立体育館で相撲を取るというのは大変なことらしい。
「まあ、僕はええところのボンボンやからねえ。親戚に中央区立体育館の土俵会員権を持っているのがおるからね。そっちのコネを使ったわけや。でも本当だったら君達みたいな庶民がおいそれと入れるような場所やないからね。失礼のないように身だしなみには気をつけてや」
今度のコンペの幹事であり、五十年輩とはとても見えないツヤツヤの顔色をした谷井が得意そうに鼻をうごめかす。
褌を一本緊めるだけなのに、身だしなみもないだろう。岡田にはそう思えるのだが、相撲の廻しにも、フォーマル、インフォーマルと色々あるらしい。こういうことに特にうるさい谷井などは、廻しを八本も持っていると聞いた覚えがある。
岡田は廻しは一本も持っていない.今回どうしてもコンペに参加せざるをえなくなり、先日、父親に貸してくれるよう頼みに行った。
父親は
「そうか、お前もとうとう相撲を始めるのか」と嬉しそうだった。
「儂ももう随分やっていないからなあ。どこにしまったかな。探しておくよ」
そして、昨日、父親から、「廻しが見つかった」との連絡があった。
岡田の両親は、岡田の家のすぐ近くに住んでいる。時間関係で言えば、岡田が、両親の家のすぐ近くに住むことにした、ということなのだが。
今日は帰りに廻しを借りに実家に寄ることになっていた。
しかし、と岡田は思う.「親父の廻しは、中央区立体育館の土俵に立つのにふさわしいものなのだろうか」おそらくそうではあるまい。会場が中央体育館であることは父親には話していない。でも、そこまでつき合っていられるか。コンペに参加するということ自体、俺には最大限の譲歩だ。それ以上グチャグチャ言われるなら「コンペよさらば」と言って、席を蹴って退場するまでだ。

「いやあ、嬉しいなあ。中央区立体育館で相撲を取るのは、小さいころからの夢だったんですよね」
桑住の声が押こえる。まだその話か。桑住は切れ長の目をしたなかなかの好男子だが、相撲の話をしている時の彼は、まるで無邪気な小学生だ。相撲は、あらゆる人を軽薄にする。
「でも、今度のコンペでは、とうとう岡田さんがデビューですよね」
桑住よりもさらに少し後輩にあたる石尾がニコニコと話しかけてくる。その態度には、相撲に関しては部内で実力ナンバー2であるとの自信にあふれていた。
「そう言えは、岡田君」
岡田のことが話題になったのを耳聡く聞き及んだ谷井が会話に割り込んできた。
「田部部長に聞いたんやけど、あんたゴルフをやってるんやて」
「はあ」
「あんたは、いっつもむっつり黙ってて、何を考えてるかわからん奴やと思うてたけど、あんな恐ろしいもん、やってはったんかいな」
「岡田さん、もう少しサラリーマンらしくしなきゃだめですよ」
今度は岡田より一年後輩の萩本だ。額の秀でたノーブルな顔をしかめ、眼鏡のずれを指でスッと直してから忠告する。
「ちょっと考えたら、我々がやっていいことかどうかわかるでしょ」
「うるせえ、このパソコンおたく」
岡田は思う。
「パソコンにかぶれるのも、ゴルフにかぶれるのも、たいして差はないだろう」
勿論、口に出しては言えない。そんなことを言っても「全然違う」の一言で終わりだ。それに器械オンチである岡田は、パソコンの使い方が分からなくなるとすぐに萩本に尋ねなければならないので、萩本には決して逆らえない。
「でもまあ、ゴルフばっかりやっていた人が、どんだけ相撲ができるもんか、じっくり見せてもらいましょ」
谷井の言葉を最後に岡田に関する話題は打ち止めになった。
岡田以外のメンバーは、また楽しそうに相撲についての話を続ける。
「僕は思うんだけど相撲というのは、本当に奥が深いよね」
部長の田部がしみじみと話し始めた。
「土俵というのは、とても狭い空間だけど、でも時にはとても広い。なんていうかあの狭い空間に全ての世界が凝縮されているんだねえ」
「何を訳の分からないことを言ってやがる」
岡田は思う。勿論、口に出しては何も言わない。
「それに、あの姿」
田部が話し続ける.
「廻し一本で、あれ以上、身につけるものを少なくするわけにはいかないギリギリの格好でしょ。かたちだって基本は決まっている。今、世の中に沢山出ている廻しはその制限されたなかで、色々と工夫しているよねえ。廻しの幅を少し変えてみたり、少しだけラインを曲線にしてみたり。そういうのがたまらないよねえ。やっぱり芸術というのは、拘束があってこそその内容が豊富になると思う。ね、そう思わない」
「そのとおりやと思いますよ、部長」
谷井が田部の言葉を引き取った。
「だけど、廻しの色については、最近は随分、増えましたよねえ。儂が若い頃は、黒か紺がほとんどで、それ以外の色の廻しを締めていると変わり者扱いされたもんやけど。今はなんでもありやもんなあ」
「今年の流行色は黄色ですよ」
去年、田部の所属する支店に転勤してきた、まだ20代の梶村が「待ってました」とばかりに話しに割り込んできた。スマートな容姿の持ち主で、服装もいつもきまっている。
でもその実、とても能天気なお兄さんでもある。
相撲に限らず、部内ではいささか浮いた存在でもある岡田に対しても、彼は転勤早々からちょこちょこと話しかけてくるし、話し終わるとだいたいは岡田の尻をそっとなでてから去っていく。
「薔薇の人なのか」
岡田は最初は当然そのように思ったが、どうもそういう訳ではないらしく、彼の親愛の情の表現らしい。それが分かってからは、岡田も彼についてはそれなりに対処するようになった。すれ違うときには腰をかがめてお尻を相手に差し出し合うようになったし、仕事中も、視線が合って見つめ合うことがしばしばある.何故そんなことをするのかと言えは、当然、周り(特に女子社員)に受けたいからである。
さて、さっきの続き……、
「サルマーニが発表した黄色の地に花柄をちりばめるデザインが、えらく売れ出しているみたいですよ。僕はもう買いましたけどね.かっこええですよ。ね、谷井さん」
「あんたはすぐにゆうてしまうんやなあ。嬉しゅうてしゃあないねんなあ。ベストドレッサー賞かてあるねんから、そういうことは秘密にしとかんとあかんでえ」
「へへへ」
岡田は思う。
「親父の廻しは、ベストドレッサー賞の対象になるようなものであろうか」
そんなことはあるまい。少年時代、岡田の育った家庭はけっして裕福ではなかった。つつましくやりくりするなかで、きっと廻しはずっと同じものを使っていただろう。小学校の低学年の頃までは岡田も父の出場する相撲大会によく応援に行ったものだった.岡田の記憶の中で父親はいつも同じ廻しを締めていた。おそらくはその廻しをずっと使っていたのではないだろうか。
岡田にとってけっして楽しくはなかった飲み会は終わった.



帰途、両親の家に寄り、居間に入った。
父が廻しを持ってきた.案の定、ほとんど無地で紺色の古めかしい廻しだった。
「捜すのに時間がかかったわ。押し入れの奥の方に放りこんどった」
「ああ、どうもありがとう」
「でもこんな古くて汚い廻しでええんか。会社のコンペやろ。恥ずかしいやろう」
「いえいえ。これで充分ですよ」
「ふうん、で、コンペの会場はどこやねん」
「中央区立体育館」
「なんやてえ」
父の声が引っ繰り返った.最近は相手を驚かすことが多い。こちらにはそんなつもりはないのに。
「そりやまたすごいところでやるんやなあ。さすがに上場会社は違うなあ」
「そういう訳やないねん。たまたま幹事をやっている人にコネがあるんや」
谷井の得意そうな顔が頭に浮かぶ。
「それにしてもすごいやないか。でもそれやったらやっぱりあかんでえ」
「何が」
「こんな廻しで相撲取ったらあかんというこっちゃ。なあ、おまえも相撲を始めるんやったら、これを機会にちゃんとした廻しを買いいや」
「始めたわけやない。今回限りの付き合いや」
そうなんだろうか。岡田の胸に不安がよぎる。一度付き合ったが最後、もうけっして逃れることは出来なくなるのではないだろうか。
「ふうん、ほんまにおまえは相撲を取らんようになったなあ。小さいときは大好きやったのになあ。儂かて腰さえ悪うせなんだら今も現役で取っていたいんやで」
おっと、今日は親父の愚痴に付き合ってあげる心の余裕はない。
「ほなこれで。廻し借りますね」
「コンペは応援に行ってもええんか」
「あきまへん」
岡田はきっぱりと言った。本当は構わないし、みんな結構家族の応援が来るようだが、相撲を取る姿など、家族に見られたくはない。

深夜、岡田は自宅で、ゴルフの世界選手権のビデオをデッキに挿入して再生した。
もう数カ月も前に行われたその選手権は、ゴルフがテレビで放映される唯一の試合だ。
岡田は深夜に録画で放映されたその番組を当然ダビングした。岡田はこのビデオを何度繰り返して見たことだろう。もっとも、たかだか三十分に編集されたダイジェスト版だ。
相撲となれば、小学生の地域の大会でさえテレビ放映されるというのに。ビデオの画面を漫然と眺めていた岡田の胸に不意に画面の中でプレーをしているゴルファーへのいとおしさがこみあげた。
ここにゴルフというスポーツにおける世界最高の技量を有する人たちがいる。しかし、称賛のことばも喝采のことばも彼らには無縁だ。むしろ世間からは反感と蔑視の対象となっている。今年の世界選手権の優勝者は史上最年少の記録を更新した。さすがに少しは話題になるのでは、と思って、期待に胸をはずませて翌日のスポーツ新聞を購入した岡田の目に入ったのは、いつもどおりに優勝者の名前のみの一行だけの記事だった。
「がんばれ」
岡田は心の中で叫ぶ。
「ばくは応援し続けるから」

「ああ、またゴルフのビデオ見てる。好きねえ」
子供を寝かしながら自分も一緒に寝入っていた妻が起きてきた。岡田の傍らに座る。
「何かほしい」
「うん」
「何が要る」
「我にコーヒーを与えよ。しからずんば死を与えよ」
妻は「またか」といったいささかうんざりした表情を顔に浮かべたが、それでも
「死を与える」
と言いつつ、手刀を作って、岡田の首の後ろに振りおろした。
「ねえ、もういい加減にやめない。コーヒーを作るたびにやらされたんじゃ疲れる」
「日常生活の中にも色々な決まり切った型というものが必要だ」
「あなたも頑固ねえ」
「何言うてんねん。たしかに言い出したのは俺やけど、「死を与える」と応じたのはあんたのオリジナルやないか」
「へえへえ」
妻が台所に向う

「ねえねえ」
コーヒーを喫みながら妻がまた話し掛けてくる。人が熱心にビデオを見ているというのに五月蝿い奴だ。いつものことだが。
「お父さんが相撲を取るって言ったら真澄も可愛も喜んじゃって.特に真澄はやっぱり男の子ねえ。もうはしゃいじゃって。『絶対応援にいく』って張り切ってるわよ」
またか。まったく、どいつもこいつも。
「だめ。相撲を取ってる姿なんか子供に見せられるか」
「そんなあ。真澄ががっかりするわよ.別に応援したっていいじゃない.ほかのひとのところだって応援に来るんでしょう」
「だめなものはだめ」
「意地っ張り」

 4

コンペ当日の朝になった。「ついていく」と叫んでいた長男の真澄を振り切って、岡田は中央区立体育館に向った。
集合時間は午前十時、岡田は三十分前に到着した。入り口をくぐった。
中は……狭い。ロビーといえるような空間はなく、すぐに受付があった。しかし、内装は実に豪華だ。檜と杉の区別もつかない岡田だが、そこここに自然の木が使われているらしいこと、そして今日においてはそれは大変贅沢なことであるということはわかった。
受付で鍵を受け取り、岡田は「仕度部屋」と書かれたロッカールームに入った。自分としては早めに着いたつもりだったのだが、コンペのメンバーのほとんどが着替えを済ませていた。カラフルな色彩が岡田の目に飛び込む。
「やあ、岡田さん、待っていましたよ」
今日の岡田のパートナーである梶村が岡田に声をかけてきた。相撲の廻しは二人がペアにならなければ締めることが出来ないので、必ずペアが決められる。
「じゃぁ、早速、廻しをお願いします。岡田さんのを先に締めましょうか」
「いや、先に梶村君のを締めましょう」
あの古ぼけた廻しを人目にさらすのは、少しでもあとにしたい。そういう気持ちが岡田の意識のなかに働いた。
「そうですか、ではお願いします」
 梶村が嬉しそうな声を出して、相撲専用バッグ(バッグの中に廻しがスッポリと納まるスペースがある)から、廻しを取り出した。
「これが例のサルマーニの廻しかあ」
「そうなんですよ。いいでしょう」
「ううん、何というか、あざやかなものやねえ」
「へへへ。……あれ、岡田さん」
「なあに」
「廻しを締めるの上手じゃないですか」
「そう。長いことやってないけど、子供の時に覚えたことは、結構身についているもんやねえ」
「はい、締めおわりましたよ」
「どうもありがとうございます」
派手な廻しはともかくとして、廻しを締めた梶村にスーツ姿の時の格好よさは感じなかった。細すぎて貧弱な印象を受けた。
「それじゃあ、岡田さんの廻しを締めましょう。さあ廻しを出してください」
事ここにいたっては仕方がない。
岡田は背負ってきたリュックサック(相撲専用バッグなど買う訳が無い)から、父親に借りた紺色の古ぼけた廻しを出した。
「いやあ、随分と年期の入った廻しですねえ」
梶村が遠慮なく言う。
廻しを締めていた梶村の手がとまった。
「あれ、あれれ」
「どうしたの」
岡田の問いには答えず、梶村が周りにいたコンペの参加者に声をかけた。
「ねえみんな、ちょっとちょっと」
たしかにこの中央区立体育館にこんなにみすぼらしい廻しを持ってきたのは世間様に対して申し訳ないことをしたのかもしれない。でも俺だって少しでも世間に折り合おうと最大限の譲歩はしたのだ。それなのにそうやってみんなの注目をわざわざ集めて恥をかかせなくてもいいじゃないか。普投、好意をもっていた梶村だけに岡田は 
「梶村よ、お前もか」

と裏切られた思いか強かった。
「岡田さんの締めてる廻しを見て下さいよ」
梶村が岡田の廻しを指差す。みんなの目が岡田の腰に集中する。
「やっぱり来るんじゃなかった」
岡田は全身を羞恥の思いで熱くした。
「ぼろっちい廻しゃなあ。そんな廻しでこの名門の土俵にあがるんかいな」
谷井が遠慮の無い声を出した.
「ほらここ。この赤い三本のライン」
「お……おお」
「ね。この廻し、あれでしょ」
「おおそうやそうや。あれやんか。へええ」
「ねえねえどうしたの」
騒ぎを聞き付けて、今まで遠くにいた田部がやってきた.その廻しにはキティーちゃんの顔がプリントされている。
「部長。岡田さんの廻しを見て下さいよ。あの廻しですよ」
「ん、ああ、あれだ。へえ、岡田くんすごいじゃないか」
みんなの話によれば、岡田の締めている廻しは十年以上前に倒産したメーカーのもので、横に赤い三本のラインの入ったものは生産されたものも少なかったことから、もし新品同様のものであれば、マニアの間では百万円は下らない値段のつくものであり、岡田が今締めているような使い込んだものであっても、ニ、三十万円はするだろうとのことだった。
現役で相撲を取っている人の間ではよく知られている話だそうだが、岡田の父もだいぶ前に相撲をやめているから、そのことは知らなかったのだろう。
このことは勿論岡田の気を良くさせた.「恥ずかしい」という思いが「誇らしい」という気持ちに変わったのだから「父よあなたは偉かった」てなものだ。
「岡田君」
田部の声が聞こえる。
「いいよ岡田君いいよ。お腹がポコンと出ているから廻し姿がとても似合っている」

コンペ参加者全員の準備が整った。
「さ、みんな。土俵入りやで.番付順に並んでや」
谷井の呼び掛ける声がする。
これまでの成績を総合して番付は決まっている。地位の下の者から前に並ぶ。初参加である岡田は当然先頭ということになる。
「じゃぁ行司さん.先導をお願いします」
谷井が仕度部屋に行司を呼び入れた.
こういったコンペの会場になるような土俵にはそれぞれ専属の行司、呼出しがついている。プロでは完全な男の世界である相撲も、こういったアマチュアの場合は概ね呼出しは女性が行う。中央区立体育館は名門といわれるだけあって呼出しは美人ぞろいであると評判が高い。
大きな大会であれば土俵入りの時には競技用の廻しとは別に化粧廻しを締めるのだが、

このような定例的なコンペであれば化粧廻しを締めることはまずない。何といっても競技用廻しと化粧廻しの二本を持つということになれば持運びが大変になってくる。もっとも最近では「相撲宅配便」というような商売もあり、前もって申し込んでおけば運送会社が会場まで運んでくれる.今回谷井などは「名門の土俵を使うんやし、ここらでうちの部のコンペでも化粧廻しを締めての土俵入りをやりましょうよ」と事前に相当主張したようだが今回は結局見送られた。何といっても化粧廻しは高い。化粧廻しを所有するということはひとつのステータスであり、部内でも特に若手はまだ持っていない者が何人もいたのだ。

呼出しの析の音が響いた。行司の先導によってコンペ参加者は稽古場に入っていった。
入場した途端、「ウワー」という歓声がこだました.岡田はびっくりした。上がり座敷にびっしりと何十人もの老若男女がひしめきあっていた。
岡田はすぐにそれが参加者のそれぞれの応援にきた家族であることに気付いた。今朝泣き叫んでいた息子の真澄の顔が岡田の頭に浮かんだ。そして、娘の可愛、妻、両親の顔が。
「俺も応援に来させても良かったかな」

そして……相撲コンペが始まる。

(コンペ出場者紹介)

1、田部弘道(たべ ひろみち) 部長 四股名 大資料(だいしりょう)
  四七歳   六八キロ  前頭
理論派である。部下には完璧な資料の作成を要求する。「合理的な営業活動をするために資料を作成するのではない。より完全な資料を作成するために日々の営業活動があるのだ」かつてこのように語った。という説があるが、真偽のほどは不明。
仕事の上ではさらに「そのことについては僕は君にちゃんと言っていたよね。ね、ね。と部下が逃げられないようとことん追いつめるのが得意技である。
相撲は、やはり理論派である。理論の正しささえ証明できれば勝敗にはあまりこだわらない。「相撲をとることの意義。相撲に勝つための戦略と戦術」かつてコンペの前にこのようなテーマでレポートの提出を各人に求めた。という説があるが、真偽のほどはやはり不明。

2、谷井啓一(たにい けいいち) 課長 四股名 一応谷(いちおうたに)
  五一歳   五六キロ  前頭
抜群の営業成績を誇る。当然自信満々の人生を送っている.言葉面だけをみれば口うるさく聞こえるが、人はよく面倒見もいいので、部下には慕われている……らしい。
言葉どおりのただのうるさい親父という説もある。 相撲は、喋りながら取るのを特徴とする。相手の動揺を誘おうとしているようである。四股名の由来は、会議で発表するとき、「一応という単語を最大限、いくつ使って話せるか。ということをライフワークにしているところからとられた。

3、岡田元明(おかだ もとあき) 係長 四股名 世拗人(よすねびと) 
  三四歳   七七キロ  前相撲
世間の大多数の人が持つ価値観と違う価値観を持って世を渡ることに意義を求めているらしい。しかし、そのことに徹しているわけでもない。四股名も最初は「世捨人」というのが候補にあがったのだが、四股名確定委員会で「そんな格好のいいもんじゃない。単に世を拗ねて生きているだけだ」との物言いかついて、現在のものに落ち着いた。本人はクールにしているつもりだが、実は目立ちたがりであることはばれている。
どんな相撲を取るのかは謎。昔は強かったようだが二五年のブランクがある。

4、萩本賢二(はぎもと けんじ) 係長 四股名 数管理(かずかんり)
           三三歳   七六キロ  前頭
やんごとなきかたのご落胤では、と思われるほどの貴族的な容貌と、お腹の垂れ下がった下品な肉体の持ち主。仕事もプライベートもあらゆることを自分のパソコンに入力してデータ管理を行っている。飲み会の席では「僕が事業部長になったら……」という未来の話が大好きである。「社長」と言わないところが妙にリアルで、岡田は「今からコビを売っておかないといけないかなあ」などと考えている。
相撲は、当然過去のコンペの記録は全てパソコンに入力済み。しかしだからといって相撲が強いとは限らない。恵まれた頭脳、恵まれた容貌、恵まれた肉体を相撲に生かしきれていないようである。

5、桑住基治(くわずみ もとはる)    四股名 求同意(きゅうどうい)
  三二歳  六九キロ  小結
一見明るい好青年.実際もそうなのだが、仕事にはいたって厳しいらしい。常に自分の置かれている部署の立場を憂いている真面目な人。公私を問わず自分の意見を堂々と弁論して、しかるのちに「だってそう思いませんか」と相手に同意を求める。四股名はそこからきているのだが本人はこの四股名がいやでたまらず再三変更を求めている。(そんな四股名は絶対にいやです。本人がいやがってるのに無理矢理つけるのはおかしいですよ.だってそう思いませんか)却下。

6、竹村裕一(たけむら ゆういち)    四股名 桃乃色(もものいろ)
  三一歳   七六キロ  関脇
部内のファッションリーダー。部内で初めてピンクの廻しを締めた人。コンペのべストドレッサー賞は彼のためにある。しかし、まわりに気を配り、常に部内の平和を心がける人でもある。学生時代は柔道部に所属。有段者。当然相撲も強いはずなのだか、寝業得意のため、相撲では負けになってしまう。

7、猪江成彦(いのえ なるひこ)    四股名 時厳守(ときげんしゅ)
  三○歳   五四キロ   前頭
とにかく時間にうるさい。ギャンブラー。それだけ。

8、石尾逸実(いしお いつみ)     四股名 面影橋(おもかげばし)
 三〇歳   七四キロ   大関
学生時代は野球部。その時のマネージャーだった後輩と交際していたのだが、彼女は今や有名な女優さんである。彼女と一緒に橋の上から川面を見つめていたあの日。
美しい思い出である。美しい四股名である。しかし「先輩という立場を利用して無理矢理一回だけデートさせた」という説もある。
相撲は、無敵大高に勝つ可能性のある唯一の男と言われている。

9、大高紀彦(おおたか のりひこ)   四股名 高扇子(たかせんす)
 三十歳   六九キロ  横綱
強い。コンペにおいても無敵である.その自信がにじみ出てしまうのか、全身から威圧感がただよっている。常に左手に扇子を持ちゆっくりと風を送りながら仕事をする。風格である。四股名はそこからきているのだが、ハイセンスのもじりでもある。
夫人の天光子(あみこ)さんとは大恋愛の末に結ばれた.交際期間が長く、ある人に「結婚するつもりなのか」と問われた時、「僕と天光子との間には厳粛な事実がある。結婚する」と答えたという話。一方、天光子夫人も正式に婚約した際、友人たちの席に大高を連れてきて「私の選んだ人を見て下さい」と紹介した話は、それぞれ語り草となったのである。
しかし時々「イヤーン」という奇声を発する.真意は不明である。

10、関井光彦(せきい みつひこ)   四股名 不思議関(ふしぎせき)
  二九歳  六〇キロ  前頭
美青年。しかし笑うと庶民的な顔になってしまう。黙っていれば良さそうだし、実際無口なのだが、人から話し掛けられるとついつい愛想よく笑ってしまうという悲しい性の持ち主。梶村と並んで最もスマートな体型をしている。学生時代は陸上の選手で百メートルを十一秒で走った記録を持っている。現在恋愛中。相撲の成績はこれまでいまひとつであったが、今回彼女の応援を前にしては負けられないところである。

11、梶村修一郎(かじむら しゅういちろう) 四股名 天命(てんめい)
   二八歳  六二キロ  前頭
能天気なお兄さん。カメラが趣味なのだが、なぜか「天命、天命」と叫びながらポーズをつけて撮影する。

12、家田掌(いえだ はじむ)    四股名 深海艇(しんかいてい)
   二四歳  六五キロ  前頭
部内の最若手。「僕は……さんに一生ついていきます」というセリフを誰に対しても連発する。
相撲は体勢を低くしてのもぐり専門であったが、実力の向上につれ本格的な四つ相撲に変身中。

(コンペのルール)

長幼の秩序を重んじる相撲の世界において、以前は通常以下のようなルールでコンペは行われていた。
先ず、出場者を年齢順(場合によっては肩書順)に一位から最下位まで順番をつける。
出場者は総当たりでそれぞれ二番ずつ取り組む。
最初の一番は必ず上位の者が勝つ。下位の者は明らかに実力が上回っていても決して勝ってはいけない。一生懸命に演技をして誠実に負ける。この取り組みのことを「公務」(おおやけのつとめ)と称する。
二番目の取り組みは真剣勝負で行う。この取り組みは「実力が上の者が勝つ理屈に合った取り組み」ということで「合上」(あうえ)と称する。
したがってこの取り決めを「こうむアンドあうえ」という。
このやり方では、例えばコンペの参加者が十人だったりすると、順位が一位の人は、最悪でも九勝九敗である。逆に最下位の者はどんなに強くても九勝九敗であり、決して優勝はできない。
が、相撲のもつ伝統と格式からいえばそれが当然であり、目下の者は簡単に優勝などするべきではない、とされてきた。
しかし、近年、民主化の波は相撲コンペの世界にも押し寄せてきた。「こうむアンドあうえ」方式ではあまりにも前近代的であるとの主張が若い世代からわき上がった。また出場者か多人数となれば、二番ずつ取るというのでは時間がかかりすぎるという事情もあった。
そこで最近では以下のやり方が普通に行われている。
各人は年齢を百倍して、体重で割ったものを持ち点とする。
勝ち星にこの持ち点を掛けたものが各人の得点となりこの得点により成績の順位が決められる。
このやり方は相撲にとって最も影響される年齢と体重という二つのハンデが考慮されているためその合理性から現在ではこれが一番よく採用されている。
縁阿之介〈へり あのすけ)という人が考案したためその名前から「へりあ方式」と呼ばれる。
岡田の所属する、中之島販売株式会社衣料事業部営業第二部のコンペもこの「へリア方式」で行われる。
参加者の持ち点は、田部69(小数点以下は四捨五入される)、谷井91、岡田44、萩本43、桑住46、竹村41、猪江56、石尾41、大高43、関井48、梶村45、家田37、である。
土俵入りは終わった。土俵に上がる際、一人一人に家族から大きな声援が送られたが、岡田だけは、その歓声とは無縁であった。岡田の胸を再び軽い後悔の念がよぎった。元々は他人に注目されるのが好きなのだ。しかし、岡田の記憶ではこれまでの人生で真の意味で人から注目されたことはなかった。岡田には他人の賞賛に値するような特別な才能はなかった。そのことが世の中を斜に構えて見る岡田の性格の形成に大きく寄与したのである。
「そこにただいるだけで、人から注目され、歓声を浴びることができる」そういう世界が身近に存在したことに、岡田はうかつにもこれまで気がつかなかったのである。岡田の自意識は、「みんなが知っている、みんながやっている世界」で自己実現をはかるのではなく「ほとんどの人が知らない、やっている人は変わり者と思われる世界」にひたって自己の存在の特異性を確認するという方向に走っていたのである。
土俵入りのあと、各自が土俵の内外で体を動かしている中、岡田は壁の大鏡に自分の全身を映してみた。さっきの田部のセリフを確認したかったのだ。岡田も否応無く他人の廻し姿を見る機会はたくさんある。それらと比較してみても、大鏡に映るおのれの姿は美しかった。田部が指摘したおなかの出具合の品の良さ。出っ尻。短足。素人としては見事なものである。
二十五年ぶりに入る稽古場、土壌。そしてそれらが醸し出す匂い。岡田の心に反感をよぴおこすはずのそれらは、岡田に別の気持ちをもたらした。
「なつかしい」岡田はそう感じたのだ。
「もしかして俺は」岡田は思う。「これまでの人生で何か取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか」
「そんなことはない」別の岡田がそれを否定した。三十歳を超えて、自分のそれまでの人生を否定するということは難しい。
部長の挨拶。応援する家族代表の挨拶。前回の優勝者(当然大高である)の優勝旗の返還。開会のセレモニーの間、岡田の心にはそういった葛藤があった。

取り組みが開始された。
岡田の最初の相手は家田である。前頭とはいえ何と言っても部内の最若手である。ありあまる体力を一気にぶつけてくるのであろう。
「最初から、いやなのにあたったなあ」
岡田は思った。そのように考えること自体、やる気になってしまっている証拠である。
取り組みは進み、いよいよ岡田の番となった。
呼出し(確かに凄い美人だ)の声が響く。
「ヒィガーシ、シンカアーイテ。ニイシー、ヨスネービィートー」
土俵に上がった。塵浄水をきる。塩をまく。四股を踏む。二十五年ぶりにもかかわらず体がそれらの動作を覚えていた。
家田の方を見る。真剣な表情で仕切っている。動作も一つ一つが決まっているように岡田には感じた。目が怖い。
「思い切り投げ飛はされるのだろうか」
岡田の中の弱気の虫が目を覚ました。
「やっぱり、家族を連れて来なくてよかった」
最後の仕切となった。大きくひとつ深呼吸をする。
手をついた。
立ち上がった。
いきなりがっぷり右四つになった。
「そういえば子供の頃は右四つが得意だったよなあ」
そんなことを考えた。
それにしても……軽い。相手を軽く感じる。
家田はじっとしている。ためしにちょっと仕掛けてみるか。
右下手を手前に向けて稔りながら、左上手から投げてみた。
「うわー」という声を発して家田か足元に転がった.
ドッと歓声が上がった。
「ええ!」「おいおい」「強いじゃないか」
 そんな声が岡田の耳朶を快くくすぐった。
この時岡田は心の底から家族の応援を断ったことを後悔した。こんなに格好いい父親の姿を見せられる機会などほかにあるとは思えない。
「お父さん凄い」
「こら、喋っちゃだめでしょ」
今聞こえてきたのは何だ。聞いたことのある声だ。
声のした方を見る。そこには真澄と妻がいた。可愛もいる。両親も。
妻がいたずらを見つけられた子供のような表情をして岡田を見やった。
岡田はしはらくそちらを見ておもむろに頷いた。できるだけ表情を変えないようにして。
「来てたのか」
「よくぞ、よくぞここに来てくれた。ありがとう、ありかとう」
岡田は神に感謝した。
岡田の心にやる気の炎が燃えた。

岡田の快進撃が始まった。
ぶつぶつと何やら喋っている谷井を突き出し、関井を吊り上げ。桑住とは、がっぷり四つに組んでの長い相撲の末、寄り切った。
「投げるのはやめてよ」と事前に予防線を張る田部をそっと寄り切り、立ち会い一発に賭けて右に大きく変わった猪江の奇襲もよく見てつかまえたあと寄り切った。
その都度おこる家族の大歓声が嬉しい。
陰の実力者、竹村には綺麗に投げ飛ばされた。「ついに負けたか」そう思った岡田の耳に「またやっちゃった」という竹村の声がした。竹村はかつてやっていた柔道の癖で、投げる時に大きく体をしずめるのだが、その時膝がついていたのだ。
これで七連勝。あと四番である。
「俺は強いんだ.こんなに強かったんだ」
二十五年以上前のことを岡田は思い出した。確かに岡田は小学校一年、二年の時、クラスで一番相撲が強かった。岡田は相撲が大好きだった。休み時間も放課後も相撲を取り続けた。父親にも暇があれば取ってもらっていた。
テレビの相撲中継も熱心に見ていた。技もいっぱい覚えた。
子供の世界では相漢が強いこと、即ちヒーローだったのだ。
しかし、小学校三年の二学期にクラスに転校生かやって来た。岡田よりひと回り体の小さいその子は相撲が強かった。全身がバネでできていた。最初の対戦で、気楽に立ち上がった岡田は、いっぺんに土俵の外までもっていかれた。
真剣に取った二番目、岡田は目いっぱい土俵に叩きつけられた。何度も何度も岡田は挑戦した。しかし、ただの一番も勝つことができなかった。岡田はヒーローの座から転落したのだ。
二番目に強い、ということは岡田には何のなぐさめにもならなかった。相撲は、相撲だけは、岡田には一番でなければならなかったのだ。
岡田は……相撲からはなれた。もう決して積極的に取ることはしなかった。
それは岡田の心の奥深いところに封印されていた記憶だった。小学校三年生の時の気持ちが、何度挑戦しても負け続け、泣きながら家に向かって走っていった時の気持ちが、岡田の心にくっきりと甦った。
岡田の目に熱いものがあふれた。
岡田は三四歳になった。この年齢になれば本当の意味で世の中で一番になれるものなど常人には何もないということが分かる。世界は広い。とてつもなく広い。どんなに自分が得意だと思っていることでも、必ず上には上がいる。
岡田の人生はそのことを確認していく人生だった。いや、岡田だけではない.誰もがみなそのようにして大人になっていく。
それでも人は生きていく。決して一番になることのない人生を人は生きていく。
人がもし一番になることがあるとしたら、それは自分が所属している狭い世界の中でだけなのだ。
もしも人生の中でそういうことがあれば、それは、その人の人生にとっての光り輝く時なのだ。いつまでも胸にあたため、思い返しては人生の原動力とする。ひとりひとりにたったひとつしかない人生の、その人だけの宝石なのだ。
岡田はタオルを顔にあて、汗といっしょに目のまわりをふいた。岡田は、前を見た。
土俵の向こうに大高が立っていた。岡田と大高の視線が交差した。大高はニャッと笑って廻しに差していた扇子を左手で抜き取り、ゆっくりと顔に風を送った。
七番終わって、全勝は大高(高扇子)、石尾(面影橋)、岡田(世拗人)の三人。
次に岡田は大高と当たる。
現時点での勝ち星は並んでいても、持ち点が三人の中では一番多い岡田が今は例えトップであるとしても大高の強さはやはり圧倒的だった。
年間二回行われるコンペで大高は三年間六回に渡って全勝を続けているのだ。
チョイチョイと電子手帳のキーを押して、萩本が
「大高君。今度勝ったらちょうど七〇連勝だよ」
と話し掛けているのが聞こえた。
「岡田さん、すごいじゃないですか。みんなびっくりしてますよ」
梶村が岡田のところにやってきて話し掛けてきた。
「すごい」「みんなびっくりしている」
なんと心地良いことばだろう。岡田はウットリする。
「そう、たまたまだよ」
岡田は、笑いくずれそうになるのをこらえて、無理矢理眉間にシワを寄せて答えた。喜びが大きければ大きいほど、岡田は表情を変えまいとしてしまうのだ。
「またまたあ。そんな顔してえ。嬉しいくせに」
そう言った後、岡田の尻をそっとなでて、梶村は去っていった。裸の尻へのタッチはなかなかこたえる。
岡田はゾクッとした。
「勝ちたい」岡田は思った。心の底から勝ちたいと願った。応援に来てくれた家族のために。そして自分のために。一生あたため続けることのできる宝石を得るために。
呼出しが土俵に上がった。扇子を開く。
「ニィーシー、ヨスーネービィーイト。ヒィガーシー、タカセエーンスー」
行司の呼び上げが続く。
「カタァヤー、ヨスネエビトー、ヨスネエビトー.コナーター、タカセンスー、タカセンスー」
稽古場は今日最高の歓声につつまれた。この時点で既に岡田は今日最高のヒーローである。
大高は強い。とにかく強い。おそらくこの相撲も大高が圧勝するだろう。しかし、ほかのメンバーと違って岡田は初顔合わせである。「もしかして」という期待感も応援する人たちの心の中になかったわけではない。勝ちつづける大高の負ける姿を見てみたい。
それは誰もが潜在的に持っている願いであった。
岡田は大高を見る。学生時代に相撲を含め色々な格闘技を経験したというその肉体は、三〇歳となった今も、隆々と筋肉がもり上がっていた。
大高の相撲の取り口を分析してみれば、岡田に勝ち目はほとんどないと思われた。
大高は岡田と同じ右四つの相撲だ。がっぷり右四つになってしまっては力で劣る岡田にはどうしようもない。しかしこれまで七番取ってみて岡田には自分もまた右四つに組まないと力が出ないことも実感していた。二五年のブランクを経ても岡田の相撲は子供の頃と少しも変わっていなかった。
身長は数センチ大高が上回る。体重では岡田の方が重い。数字だけ見れば、肉体的条件では大きな差はない。しかし、素材が全然違う。
美しいと感じたおのれの肉体も大高の筋肉の美しさにはかなわない。
もし上回るものがあるとすれば、足の長い大高に対し胴長、短足の自分の体型は相撲を取るには有利なはずというくらいだ。
岡田の思いは千々に乱れた。結局どのような相撲を取るかということは決まらなかった。
「時間です」
行司の声がした。
岡田は呼出しからタオルを受け取り上体に流れる汗をぬぐった。
目をつぶった。
「精神を集中させねば」
心をしずめた。
「よし」心を決めて目を開き、土俵中央に向き直った。
「とにかく、大高は立合いに変わることは決してしない。思い切りぶつかろう。あとは成り行きだ」
蹲踞する。立ち上がる。足の位置を決める。腰をおろす。大きく息を吸い込んで……息を停めた。

立ち上がった。
全力で大高の胸にぶつかった。
コンクリートのような胸板だった。
はね飛ばされた。
大高の左の突きが岡田の体をのけぞらせる。右の突きがはいろうとする間際、岡田は体を開いた。左手が大高の廻しにかかった。廻しをつかむ。
大高が強引に右をねじこんできた。岡田は上手を浅く引き、大高の右をしぼって殺し、下手を引くことを許さない。
岡田は頭を大高のあごの下につけた。右がはいった。岡田はこの右下手を返して、大高に上手も許さない。
岡田は望みうる最高の形に組んだ。
大高は上手を取ろうと左手を伸ばしてくるが、岡田は腕を返し、これを許さない.胴長の体型も幸いした。
さらば、と大高は左で岡田の右を抱え込んだまま、強引に右から岡田の体を起こそうとする。すごい力だ。岡田の体が浮きあがる。が、何とか残した。岡田はさっきの体勢を死守する。
大高がもう一度、岡田の体を抱え上げた。右足を踏み込み、掬い投げを打つ。投げられようとする時、岡田の短い左足が踏み込んだ大高の右足にかかった。
岡田は思い切り引き付け、体を大高に浴びせた。とっとっとっと大高の左足が後ろに下がったかと思うと、二人の体が重ね餅になって倒れた。
岡田が上。大高が下。
「ああ、それはいけない」
大高夫人天光子さんの絶叫が、館内にこだました。

コンペは終わった。
岡田は持ち点計算を加味して、優勝者となった。
しかし、持ち点の計算をいれないグロスでは準優勝だった。
大高との大一番のあと、岡田は先ず萩本に勝った。彼の肉体のたっぷりした感触を充分楽しんでから寄り切った。
「頼む石尾。岡田さんともう一度取らせてくれ」
と大高に送り出されてきた石尾に対しても、彼のスピーディーな動きを土俵際で何とか止めて、投げの打ち合いの結果、辛勝した。
この一番により、岡田の優勝は決定した。
しかしもし、最高の勝ち星をあげた参加者が複数存在すれば、同点決勝を行い、持ち点計算を加味しないグロスの優勝者も決めるという規定が別にあった。
が、残る一事の相手は、梶村。今回のこれまでの成績は三勝七敗。
岡田の勝ちは動かないと思われた。
岡田自身も「梶村なら」と日頃感じている好意もあり、もう全勝優勝は決まったような気持ちになった。最後の取り組みを待つ間、優勝スピーチの内容を考えていた。
梶村との一戦、立ち合いでがっちりと右四つに組み止めた。これでさらに安心した。

「最後は綺麗に決めよう。土俵に思い切り投げ飛ばしてやろう」
そんなことを考えていると、梶村が右の下手から投げてきた。岡田は左足を梶村の右足に掛け、外掛けの体勢に入った。
「大高戦と同じだな。まあ外掛けでもいいか」
と思うやいなや梶村が右足を掛けられたまま、高くはねあげた。足は梶村の方がはるかに長い。岡田の左足は梶村の右足とともにはね上がった。しっかりと地を踏んでいる梶村の左足に対して、岡田の右足は地面から浮き上がった。
岡田は下手投げで敗れた。

結びの相撲で石尾を敗った大田との優勝決定戦(グロス)は岡田の完敗だった。あっという間に土俵の外に飛ばされた。
しかし、岡田に口惜しさはなかった。自分の詰めの甘さを悔やむ気持ちも不思議と起こらなかった。
岡田は満足感でいっぱいだった。
たとえグロスでの優勝は逃したとはいえ、岡田はこのコンペの正真正銘の優勝者なのだ。
コンペが終わって、参加者はそれぞれ応援に来た家族と談笑している。岡田も家族の元へ行った。

「よう頑張ったなあ。お前はもともと強かったものなあ」
父がうなづく。
妻は泣いていた。
岡田は胸がいっぱいになった。
「ありがとう奈々菜」
妻は同じ音が三つ重なる自分の名前を嫌っていた。「人前では名前で呼ばないでね」と言われていた。そのことを忘れて、つい名前を呼んでしまったのだが、妻は気がつかないようだ。岡田は何か気のきいたことを言おうと思った。
「本当にありがとう。今日勝てたのは君のおかげだ。この優勝は君の勝利だ」
「いいえ」
妻は頭を横にふってから答えた。
「これは、あなたの勝利です」
真澄が岡田に抱きついた。
「お父さん格好いい。格好が良かったよ」
真澄が尊敬の思いを全身からあふれさせて岡田を見つめていた。
思えば岡田の父も相撲は強かった。岡田は真澄に二五年以上も前の自分の姿を重ね合わせた。
父から自分へ、そして我が子へ。思いは引き継がれていく。そしてきっとその先へも。
岡田は真澄の頭をなでた。思いをこめて言った。
「息子よ。未来は美しい」

参加者が次々に岡田の元へやって来た。
谷井も、田部も、萩本も。みんなが岡田に祝福の言葉を浴びせた。
大高が来た。にっこり笑って岡田に握手を求めた。
梶村が来た。「やるだろうな」と思ったらやっぱり黙って尻をなでて去って行った。

岡田は思う。「みんなみんな何ていい人なんだ」
今の岡田にとって世界は光り輝いていた。
あらゆるものが美しかった。あらゆるものが素晴らしかった。
岡田はあらためて稽古場を、土俵を見た。
「帰ってきた。僕はやっとここに帰ってきた」
それは何と遠い道のりだっただろう。僕はいったい何をやっていたのだろう。
相撲を取れば、相撲を取りさえすれば世界は一変する。自分か相撲を取るだけでみんながこんなに喜んでくれる。自分の周りにいる人間をしあわせにする。それ以上のことはこの世界には存在しない。
簡単なことだったんだ。本当に簡単なことだったんだ。
「この国に生まれたから、みんなと同じように相撲を取る」
たったそれだけのことだったんだ。
 岡田は誓った。
 「僕はもう二度と相撲からはなれない」
 この時、岡田の脳裏をチラッと先日ゴルフのビデオを見た時に誓ったことばがかすめた。
 しかしそれは一瞬のことだった。


 私は、ある中年男の受容する人生への目覚めと、苦悩する魂の再生を描いた。のであったりするのだ。

 了

(注)作中ところどころ歴史上の有名なセリフを借用させていただいております。出典は特に明記しません。







コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。