羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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大相撲・平成の25年を振り返る  その2 真石博之

2014年04月30日 | 相撲評論、真石博之
『横綱大関の公式年収』 (別紙「横綱大関の公式年収)」「固定的な収入の内訳」「月給の推移」)



 ここでの公式収入とは、公表されている相撲協会からの支給金と大きな花相撲の賞金の合計額です。



横綱、大関ともなれば、領収書の要らない後援者などからのご祝儀が相当な額になるそうですが、勿論、それは含まれていません。優勝の副賞の賞金・賞品も含みません。



 公的収入は二つに分かれます。正式名称ではなく、私が勝手に名付けただけですが、業績によって金額が決まる「業績給」と、番付の地位によって決まる「固定給」です。「業績給」の中には、場所ごとの優勝に与えられる1000万円の「優勝賞金」のほかに、「給金」「懸賞金」「花相撲の賞金」があります。



「給金」の仕組みは、別紙「力士の固定的な収入の内訳」の脚注をご覧いただきたいのですが、勝ち越すたびにコツコツと積み重ねていくものです。そして、優勝などの特別な業績をあげれば飛躍的に上る一方で、負け越しても下がらない温かさもあり、「スポーツ界で世界に冠たる報酬制度」と評価する人もいます。平成19年には年額495万円にすぎなかった白鵬の給金が、25年には6倍以上の3019万円になったのは、その間に22回の優勝を重ねた結果です。ちなみに、給金額での第2位は日馬富士の898万円で、白鵬の1/3に届きません。



「懸賞金」がつくのは幕内の取組だけで、懸賞1本につきスポンサーが出すのが6万円。力士の取り分は5.5万円ですが、その場で渡されるのは3万円で、残りの2.5万円は将来に備えての本人名義の積立金となり、引退時に精算されるそうです。この金額は平成3年5月場所から変っていません。人気絶頂だった貴乃花が平成6年から9年にかけて獲得した懸賞金が年間で3000万円に満たなかったのに対して、白鵬は平成22年と24年に1億円を越え、懸賞金が公式収入全体のほぼ半分にまでなりました。その理由は、1万人近い観衆が注視する懸賞の広告効果が見直されて、懸賞の本数が大幅に増えたためです。ただ何となく見ているだけのテレビのCMの料金が、大雑把にいって関東エリアの15秒スポットで100万円なのに比べて、大相撲の懸賞は割安と判断されたのです。



一方、「花相撲の賞金」は減っています。若貴人気の頃は、相撲番組が視聴率を稼いだため、民間放送が競って国技館での花相撲を開催しました。賞金も結構な額で、平成8年に貴乃花は3つの花相撲で1330万円を獲得しました。その後、相撲人気が急激に下り、3つの系列が相次いで花相撲から撤退。残っているのは元祖のフジテレビ系「大相撲トーナメント」だけで、しかも、賞金額が減らされています。



ちなみに、本場所の放送はNHKが独占しており、その放送権料は年間30億円強で、相撲協会の収入全体のほぼ1/3を占めています。放送は1日5時間×15日×6場所=年間450時間で、1時間当たりにすると700万円ほどです。ただ、この放送権料はテレビだけではなく、ラジオ、海外向け放送、スポーツニュースも含んでいるため、放送権料としては妥当な額とのことです。



次に、「固定給」には、「給与」「賞与」のほか、「場所手当」「出張費」「力士補助費」があり、それぞれの金額は別紙『横綱大関の公式年収』の脚注のとおりです。このうち、金額が圧倒的に大きいのは「給与」と「賞与」です。私がデータをとりはじめた平成3年の月給は、横綱が115.3万円、大関が95.9万円でした。若貴人気は、その直前から始まっており、666日連続の満員御礼という史上空前の大相撲人気をもたらし、相撲協会は平成元年から10までの9年間で、実質50%の増収となります。関取の「給与」も、別紙「関取の月給の推移」にある通りの鰻登りで、横綱大関は翌4年に56%の大幅昇給、その後も毎年数%の昇給が続き、平成13年に現在の横綱282万円、大関234.7万円となりました。「賞与」は年間で給与2カ月分です。



ちなみに、平幕の公式年収の最低額は2000万円、十両は1600万円です。これに対して幕下以下は、衣食住は保証されていますが、協会からの支給金は、幕下で年額90万円、序ノ口では42万円。これ以外には、本場所の会場から部屋までの交通費実費だけです。待遇面だけで言えば、十両からが人間、幕下以下は間の世界です。スター俳優と大部屋俳優との差に比べてどうなのかは知りませんが、こういう世界があってもいいと思います。横綱まで上り詰めた力士が「横綱になった時よりも十両に上った時の方が嬉しかった」と口を揃えます。(別紙「力士の固定的な収入の内訳」) 



別紙「横綱大関の公式年収」は平成9年から集計しはじめたものですが、貴乃花については、それ以前から集計していました。平成6年から8年の3年間、貴乃花は年に4回ずつ優勝していますので、公式年収がトップだったのは間違いなく、6年が9879万円、7年に大相撲史上初の1億円突破の1億0814億円、8年は1億1753万円でした。



それを大きく更新したのが、年間6場所を制覇した平成17年の朝青龍の2億0222万円、年5回優勝の22年の白鵬の2億2652万円です。給与が据え置きの中で合計金額が貴乃花時代より大幅にふえたのは、懸る懸賞の本数が3、4倍にも増えたからです。







『五大部屋の変遷』  (別紙「五大部屋の変遷」「勢力上位の部屋の変遷と部屋頭」)



部屋の勢力を比較するには数量化が必要で、諸先輩のご意見を参考に、次のように重みづけたしました。そして、各場所の点数の年間総得点で、年間の部屋の順位付けをしました。



横綱:20点  大関:10点  三役:4点  平幕:3点  十両:1点  幕下以下:0点



平成3年5月場所で千代の富士が引退したのに続いて、翌4年3月場所で北勝海が引退し、長く続いた九重部屋(横綱・北の富士)の時代が幕を下ろし、貴乃花・若乃花・貴ノ浪・安芸乃島・貴闘力の藤島部屋(大関・貴ノ花 平成5年に旧二子山部屋を吸収して新二子山部屋)の時代に入り、平成4年から11年までの8年間、トップの座を守り続けます。この九重時代と藤島・二子山時代に共通するのは、それ以前の大相撲がそうであったように、主役が中学卒のたたきあげの力士ばかりだったことです。



平成12年、かわって首位にたったのが武蔵川部屋(横綱・三重ノ海)ですが、この部屋は外国人(武蔵丸)と学生相撲出身(出島・武双山・雅山)ばかりといってもよく、大相撲界全体の大きな変化を表しています。



出島と雅山が大関から陥落し、15年末で武蔵丸が引退すると、翌16年からの4年間は朝青龍の高砂部屋(大関・朝潮)がトップに立ちます。そして、20年から22年までは琴欧洲・琴光喜両大関の佐渡ヶ嶽部屋(関脇・琴ノ若)がトップ、23年以降は、この佐渡ケ嶽部屋、白鵬の宮城野部屋(平幕・竹葉山)、日馬富士の伊勢ケ濱部屋(横綱・旭富士)の鼎立時代となっていきます。



平成3年からの25年の23年間を俯瞰して、特筆されるのは佐渡ケ嶽部屋です。五大部屋から外れたのは2度だけで、その2年間も、6位と7位なのです。琴欧洲・琴光喜・琴奨菊の大関だけではなく、関取が次から次へと生まれているのです。3大関に加え、この間の関取は、琴錦、琴椿、琴富士、琴ノ若、琴ケ梅、琴稲妻、琴白山、琴別府、琴龍、琴嵐、琴冠佑、琴岩国、琴春日、琴乃峰、琴禮、琴勇輝、琴弥山の20人にのぼります。この隆盛をもたらしたのは先代の佐渡ケ嶽(横綱・琴櫻)の並はずれて熱心な弟子探しです。全国に張り巡らした人脈を活かし、「大きな子がいる」と情報が入るやいなや、どこにでも直ぐに出かけて行って入門を説得するのです。私事ですが、大阪に住んで毎週のように東京に出張していた頃、あの並はずれて大きな頭の佐渡ケ嶽親方と飛行機で隣り合わせの席になり、窮屈な思いをしたことがありました。



15位までの部屋をまとめた別紙「勢力上位の部屋の変遷と部屋頭」には、懐かしい四股名もありますので、ご覧ください。



平成26年4月26日



真石 博之



勢力上位の部屋の変遷と部屋頭 (平成3~25年) データ提供 真石博之

2014年04月29日 | 相撲データ、年寄・一門、真石博之
横綱20点 大関10点 三役4点 前頭3点 十両2点(平成8年までは10点、5点、3点、2点、1点)とし、各場所の点数の年間総得点で順位付けした。

 5年以降の二子山は旧藤嶋が旧二子山を合併、14年以降の高砂は旧若松が旧高砂を合併。20年以降の伊勢濱は旧安治川改め。22~23年の北の湖は木瀬を吸収。22年9月末から武蔵川が藤島に。

24年2月に春日野が田子ノ浦を、5月に友綱が大島を吸収。26年から鳴戸が田子ノ浦に。




平成26年・2014年5月場所前(真石博之)

2014年04月24日 | 相撲評論、真石博之
○いきなり私事で恐縮ですが、母校の都立小山台高校が21世紀枠で甲子園に出場しました。最初にして最後のことですから、開会式とその日にあった試合を見に出かけました。準優勝した履正社が相手で大敗を喫しましたが、入場行進には感激。冥土の土産が一つ増えました。その前日は、勿論、大阪場所でした。

12日目です。ビッシリと入った正真正銘の満員御礼を久し振りに見ました。大阪場所担当理事の貴乃花の経営努力と遠藤人気でしょう。さて、この日、稀勢の里戦となると立ち合いが極端に神経質になる白鵬が「待った」を三度も重ね、取組み後に審判部に呼び出されたそうですが、横綱として前例があるのでしょうか。結びは、全勝の日馬富士が1敗の鶴竜に肩を押されていなされ、横向きになったところを簡単に送り出されました。これが、結果的には、鶴竜の横綱昇進への逆転劇の始まりとなった一番でした。



○その鶴竜の初日。場所前の稽古では、右前まわしを取っては、いいようにあしらっていた遠藤に、その前まわしを上から押さえつけられて切られ、押し込まれて棒立ち。土俵際で叩き込んでの薄氷の勝利でした。そして3日目には、2連敗中だった隠岐の海に一方的に攻められて敗れ、前途多難を思わせる序盤でした。

しかし、場所直前の三番稽古で日馬富士を8勝2敗と圧倒した力は嘘ではなかったようです。そのあとは、着実に白星を重ね、上記12日目の翌13日目にも、いなしで稀勢の里を降し、圧巻は14日目の1敗同士の白鵬戦。立って直ぐ、相手のアゴを上げるモロ手からの強烈な突っ張りが効き、白鵬の張り手の反撃も、回り込んでの防戦も腰高気味。鶴竜が両廻しをガッチリ取って相手に上手を許さない体勢で寄り立てると白鵬は後退し、やっと上手に手が届いたときには腰が伸びきっていて反撃ならず、勝負あり。



○鶴竜は連続2場所の14勝。準優勝に続く初優勝で横綱に昇進しました。平成に入ってからの横綱は8人全員が連続優勝での昇進でしたが、ここにきて、稀勢の里のためにハードルを低くしたところ、それを越えたのが鶴竜だったというわけです。今の横綱審議会に異論を唱えろと望むのは無理な注文ですが、去年までの鶴竜は、大関昇進後の10場所で、2桁勝利はわずか3回、平均が9.1勝5.9敗の弱い大関でした。

それが変身したようです。変身できた要因はいくつかあるのでしょうが、体重が増えて前に出る破壊力がついたことでしょう。昨年夏場所の146㌔に対して、昨25日の計測では155㌔と一年で9㌔増えています。ほんの少しながら、闘志を表に出すようにもなりました。



○10日目までは、付け入る隙のない強さで、星を落すとすれば終盤戦というのが白鵬です。土つかずで臨んだ13日目、その日まで6勝6敗の琴奨菊を甘く見たのでしょう。ガブられて一方的に寄り切られたのには目を疑いました。14日目は鶴竜に敗れ、千秋楽の日馬富士戦の取り直しの相撲では、まったく気力を感じさせなかったのはいただけません。それにしても、一門内に幕内力士が6人もいる中で、横綱土俵入りでの露払いと太刀持ちに、一門が違う豊ノ島、臥牙丸、里山を起用したのは異例ではなく異様です。

理事選挙での一門内の軋轢説、協力した出羽海一門・時津風一門への返礼説などを耳にしました。



○大相撲の人気を支えている遠藤。幕内上位に上って横綱・大関と初めて当る場所での6勝は上出来です。なかでも、あと一歩まで追い込んだ鶴竜戦、低く当ったあと押し返されたものの突き落として勝った稀勢の里戦、全勝だった大砂嵐、上手さでは第一人者の豊ノ島、後半に力を盛り返してきた松鳳山を逆転に破った相撲など、非凡なものを見せてくれました。「横綱の可能性は?」とのお問い合わせを頂きますが、まずは立ち合いでの当りをつけてからの話です。

○九重部屋の快進撃が続きます。5人の関取が全員25歳以下で、全員が2場所連続して勝ち越しました。

夏場所の番付では、幕内4場所目の千代鳳が21歳の幕内最年少で新小結に昇進、千代の国の復帰で幕内が4人、十両が1人となりました。木瀬、佐渡ケ嶽、春日野を抜いて、第5位の部屋に躍進です。 (別紙『部屋別勢力分布』)



○モンゴル一人横綱時代は朝青龍21場所、白鵬15場所の計36場所、モンゴル2横綱時代は朝青龍・白鵬16場所、白鵬・日馬富士9場所の計25場所。合わせて61場所で10年以上に及びます。そして、遂にモンゴル3横綱時代の到来です。相撲の「モンゴル国技時代」はどこまで続くのか。夏場所での年齢は日馬富士30歳、白鵬29歳、鶴竜28歳。これを追う日本勢が若いのかというと、稀勢の里27歳、豪栄道28歳なのです。私見を申し上げれば、18歳で入幕してから足掛け10年、抱える課題もそれを克服するための稽古の中味も変らない稀勢の里、力量が物足りない豪栄道に横綱の目はないでしょう。

では、次の横綱は誰なのか。新小結、21歳の千代鳳の大化けを期待したいところですが、身体の大きさと柔らかさからいえば、192cm、179㌔、22歳の照ノ富士が「モンゴル国技時代」を継承する予感がいたします。ここ15年で生まれた横綱は、武蔵丸、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜と5人続けて外国人。さらに続けば、困ってしまいます。 (別紙『年齢順一覧』)



○1月末の理事選挙で、優勝31回で国民栄誉賞を受賞し、協会No.2の事業部長の地位にいた九重(千代の富士)が落選したことについて、何人もの方からお問い合わせがありましたので、触れておきます。

二つの憶測があるようです。一つは九重の人望のなさ、もう一つは北の湖による九重つぶしです。

九重は、審判として説明をしても、テレビの解説をしても、簡にして要を得ており、頭の良い人であることは間違いないでしょう。ところが、横柄で人望がないそうです。彼が、師匠である北の富士から九重部屋を継承して間もなく、部屋付きの3人の親方が九重部屋を去り、弟弟子である北勝海の八角部屋に移るという事件がありました。そして、今回の理事選挙で、九重が所属する高砂一門は、第一候補を八角とし、九重は第二候補の位置付けでした。これは2年前も同様でした。

その高砂一門は、親方の人数が少なく、票に余裕がある他の一門の助けを借りなければ、二人の当選は無理です。これと同じ事情が伊勢ケ濱一門にもあります。2年前は、高砂一門から二人が当選、伊勢ケ濱一門は一人当選、一人落選でした。そして、今回はその逆の結果になったのです。

別紙『理事選挙結果』にある通り、票に余裕があったのは時津風一門と出羽海一門。そこから流れた票は、伊勢ケ濱一門に4票、高砂一門には1票でした。このうち、北の湖が支配する出羽海一門の2票は伊勢ケ濱一門に流れたとされます。その理由は、No.2の事業部長に就いた九重が次期理事長に向けて自信満々で、北の湖理事長とは別の独自色を出し始めていたからと云われます。両雄並び立たずです。パチンコ機の大相撲ソフトの利権疑惑が云々される北の湖側近の某顧問のことを九重が取り上げたとの報道もあります。

そこで、北の湖は九重潰しのために伊勢ケ濱一門に票を渡したという憶測がいわれています。

これで、北の湖より2歳しか若くない九重には理事長の可能性はなくなったと云えそうです。定年まで残すところ6年、理事立候補の期限まで4年です。ただ、何が起こるか分らないのがこの世界です。



○番付にある身長と体重は昨25日の計測です。幕内の平均体重が史上初めて160㌔を越えたのは一昨年の9月場所で、以来、10場所続いてきましたが、今場所は158.6㌔とわずかながら下回りました。

 190㌔前後の佐田の富士、天鎧鵬、富士東が十両に落ち、130㌔台の荒鷲、佐田の海が新入幕、千代の国、蒼国来が再入幕したためです。小兵力士の活躍に期待する夏場所です。

平成26年4月26日  真石 博之

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2014年04月07日 | 横綱昇進、大関昇進、大関陥落、横綱陥落
鶴竜の横綱昇進に賛成する理由(羽黒蛇)



鶴竜のように強くない大関が二場所だけ好成績で横綱に昇進することに私は反対である。

直前二場所が好成績でなくても、直前六場所が強い成績なら昇進させるべきという基準を採用すべきという意見だから。

しかし、直前2場所が好成績なら、直前六場所の成績が強くなる。



稀勢の里、2013年の6場所は、10・10・13・11・11・13 (6場所68勝)

鶴竜、2013年5月からの6場所は、10・10・9・9・14・14(6場所66勝)



鶴竜を横綱に昇進させるなら、稀勢の里も昇進させてもよかったと考える。しかし、二人には大きな違いがある。



鶴竜   優勝1回

稀勢の里 優勝0回



13勝二回の稀勢の里が優勝できなかったのは、めぐり合わせであるが運がなく、14勝二回の鶴竜が優勝できたのは、白鵬が12勝しか上げられない場所というめぐり合わせがよかった。

6場所の成績がどんなによくても、優勝経験のない大関を横綱に昇進させるのは、双羽黒の反省より反対。

6場所の成績がよければ、11勝の優勝でも、横綱に昇進させることに賛成。



さて、今日書きたかったのは、鶴竜の横綱昇進が、白鵬の力士寿命を延ばすことになる故に、鶴竜の6場所の成績は横綱昇進させるには不十分だけど、横綱昇進には賛成。



日馬富士の今場所の相撲を見ていると、大関として相撲をとる力はまだまだ残っているが、力の出し方が限界に近く、すぐに引退しそうな横綱に見えた。

白鵬は、琴奨菊との一番に代表されるように、強い横綱だけど取りこぼして12勝。

日馬富士は、強さのピークは過ぎ、体力も衰え、怪我もしているのに、気力とスピードで、よく12番も勝ったと思う。奇跡的に12勝したという印象であった。



日馬富士はすぐ引退してしまい、白鵬が一人横綱になると、白鵬の強さは続かないおそれが高いので、

日馬富士が引退しても、二横綱(白鵬・鶴竜)で、白鵬の負担が減ることが、白鵬の相撲寿命を長らえることになる。それ故に、甘い成績だけど、鶴竜の横綱昇進に賛成である。



稀勢の里の6場所より、強くない鶴竜の6場所ではあるが、別の理由で横綱昇進に賛成。



羽黒蛇