映画 「名寄岩 涙の敢斗賞」(羽黒蛇)
映画名 「名寄岩 涙の敢斗賞」
映画館 神保町シアター
鑑賞日 2015年11月8日(11月13日まで上映、但し木曜以外は昼間)
映画封切り日 1956年(昭和31年)6月7日
映画の舞台は、昭和25年1月場所(3勝12敗)と5月場所(9勝6敗、敢闘賞)、断髪式
引退は昭和29年9月場所。
感想:脚本よし。名寄岩の演技よし。俳優ではないので上手くはないが、素人にしてはセリフが棒読みではない。相撲のシーンもしっかり撮影されていた。
時代考証的観察
その1:師匠の立浪親方(緑島)役の男優の背が高すぎる。
その2:昭和25年1月場所千秋楽の支度部屋のシーン。吉葉山・三根山が上位、北ノ洋の顔も映る。昭和25年は吉葉・三根とも上位ではない。映画公開の昭和31年、三根は大関から陥落して下位。吉葉・三根が横綱大関だったのは、昭和29-30年。
その3:支度部屋のシーンは5月場所でも出てくるが、女性を含めファンが出入りしている。今ではマスコミ以外は立ち入り禁止。当時はおおらかな時代だったようだ。しかし、女性が支度部屋にいるのは史実に反するのではないか。回しをつける時に裸になるのだから。
その4:昭和25年1月場所千秋楽、名寄岩が帰宅。贔屓から頂いたカステラを切る。付け人に分ける時に、「信州」「石狩岩」と声をかける。
番付を調べると、
信州は、昭和24年5月に大昇に改名。改名した後でも愛称で呼ばれることはあるが、昭和25年1月の大昇は十両2枚目。大昇は付け人ではなく内弟子としてついてきたと解釈。
石狩岩は昭和33年3月に引退。最高位幕下8枚目。昭和25年1月は小坂岩という四股名。映画を撮影した昭和30-31年には石狩岩なので、時代考証より分かりやすさを優先したようだ。
その5:昭和25年5月場所、9勝5敗の名寄岩は、7勝7敗の備州山と対戦。水が入るも疲れた名寄岩は控えに下がらず土俵中央で待つ(これは史実なのだろうか)、東の備州山が西の控えに下がったのはミス。
その6:土俵に仕切り線がない。観客に西洋人数人。
その7:昭和25年5月場所、千秋楽敗れるも9勝6敗の名寄岩が敢闘賞を受賞。その日に夫人が死亡(これは史実なのだろうか)先妻の妹と再婚(これは史実である)
その8:断髪式。時津風(双葉山)、力士会代表吉葉山、立浪(羽黒山)
名寄岩の初婚相手の女性とは恋愛結婚。その女性は名寄岩のファンだったという。映画には登場しないが、立浪部屋関係者より教えていただいた話。
羽黒蛇
ーー
補足;大達羽佐ェ門さん調査結果
まず先妻の初枝さんの死去は9月(谷中霊園墓石より。相撲の史跡)なので史実に反します。
次に、昭和25年夏場所の手捌きですが、同日のスポーツ報知によれば備州左を覗かせ一気の出足、名寄上手を引き堪える所を備州すくい投げで勝ち、とあり、文面から見る限り水入り相撲とは到底思われません。二日目の神若戦が水入りで名寄がグロッキーだったと記載されており、この相撲をもとにしたと思われます。
仕切り線については、どうもこの場所初めは存在せず、途中から中央に一本引かれたようです。しかしながらいつからどのような目的で仕切り線が無くなったのか、また何日目にどうして復活したのかが不明なので、今後の調査対象とします。
最後に、名寄岩の後妻が読売大相撲で、先妻(姉)と名寄岩の結婚はお見合いだったと答えています。
映画名 「名寄岩 涙の敢斗賞」
映画館 神保町シアター
鑑賞日 2015年11月8日(11月13日まで上映、但し木曜以外は昼間)
映画封切り日 1956年(昭和31年)6月7日
映画の舞台は、昭和25年1月場所(3勝12敗)と5月場所(9勝6敗、敢闘賞)、断髪式
引退は昭和29年9月場所。
感想:脚本よし。名寄岩の演技よし。俳優ではないので上手くはないが、素人にしてはセリフが棒読みではない。相撲のシーンもしっかり撮影されていた。
時代考証的観察
その1:師匠の立浪親方(緑島)役の男優の背が高すぎる。
その2:昭和25年1月場所千秋楽の支度部屋のシーン。吉葉山・三根山が上位、北ノ洋の顔も映る。昭和25年は吉葉・三根とも上位ではない。映画公開の昭和31年、三根は大関から陥落して下位。吉葉・三根が横綱大関だったのは、昭和29-30年。
その3:支度部屋のシーンは5月場所でも出てくるが、女性を含めファンが出入りしている。今ではマスコミ以外は立ち入り禁止。当時はおおらかな時代だったようだ。しかし、女性が支度部屋にいるのは史実に反するのではないか。回しをつける時に裸になるのだから。
その4:昭和25年1月場所千秋楽、名寄岩が帰宅。贔屓から頂いたカステラを切る。付け人に分ける時に、「信州」「石狩岩」と声をかける。
番付を調べると、
信州は、昭和24年5月に大昇に改名。改名した後でも愛称で呼ばれることはあるが、昭和25年1月の大昇は十両2枚目。大昇は付け人ではなく内弟子としてついてきたと解釈。
石狩岩は昭和33年3月に引退。最高位幕下8枚目。昭和25年1月は小坂岩という四股名。映画を撮影した昭和30-31年には石狩岩なので、時代考証より分かりやすさを優先したようだ。
その5:昭和25年5月場所、9勝5敗の名寄岩は、7勝7敗の備州山と対戦。水が入るも疲れた名寄岩は控えに下がらず土俵中央で待つ(これは史実なのだろうか)、東の備州山が西の控えに下がったのはミス。
その6:土俵に仕切り線がない。観客に西洋人数人。
その7:昭和25年5月場所、千秋楽敗れるも9勝6敗の名寄岩が敢闘賞を受賞。その日に夫人が死亡(これは史実なのだろうか)先妻の妹と再婚(これは史実である)
その8:断髪式。時津風(双葉山)、力士会代表吉葉山、立浪(羽黒山)
名寄岩の初婚相手の女性とは恋愛結婚。その女性は名寄岩のファンだったという。映画には登場しないが、立浪部屋関係者より教えていただいた話。
羽黒蛇
ーー
補足;大達羽佐ェ門さん調査結果
まず先妻の初枝さんの死去は9月(谷中霊園墓石より。相撲の史跡)なので史実に反します。
次に、昭和25年夏場所の手捌きですが、同日のスポーツ報知によれば備州左を覗かせ一気の出足、名寄上手を引き堪える所を備州すくい投げで勝ち、とあり、文面から見る限り水入り相撲とは到底思われません。二日目の神若戦が水入りで名寄がグロッキーだったと記載されており、この相撲をもとにしたと思われます。
仕切り線については、どうもこの場所初めは存在せず、途中から中央に一本引かれたようです。しかしながらいつからどのような目的で仕切り線が無くなったのか、また何日目にどうして復活したのかが不明なので、今後の調査対象とします。
最後に、名寄岩の後妻が読売大相撲で、先妻(姉)と名寄岩の結婚はお見合いだったと答えています。