羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2010年02月28日 | 相撲評論、真石博之
○今回は、残念ながら土俵外の話からしなければならないでしょう。まずは理事選挙。候補者を調整するための二所ノ関一門の会議で、貴乃花親方が席を立ち、一門から離脱しての立候補を表明。そして、貴乃花を支持する6人の親方は一門から破門されました。ここに、出羽海一門と並ぶ大勢力だった二所ノ関一門は分裂し、10部屋・関取12人・年寄22人の二所ノ関一門と4部屋・関取4人・年寄7人の「(仮称)貴乃花組」とに分れました。『双葉山が時津風一門を起こして以来の新しい一門の誕生』と報道する向きもありますが、私は、新一門の誕生ではなく、『一門制度の終わりの始まり』と見ます。(別紙『部屋系列図』)





○ここで「一門」について少々。力士を詠んだ「一年を十日で暮らすいい男」という川柳がありましたが、18世紀後半から大正末年まで、本場所は年2回、一場所は10日でした。しかし、この本場所の興行収入だけで一年を暮らせるわけはなく、相撲部屋の台所は、自主的に行う巡業の収入に大きく依存していました。その巡業に欠かせないのが、集客力のある人気関取、そこそこの人数の力士、それに行司、呼出し、床山です。これだけの陣立てを一つの部屋ですることは難しく、いくつかの部屋が連合して巡業を行いました。この巡業の連合体が「一門」でした。一門の年寄と力士、それに裏方は、長い巡業の間、文字通り同じ釜の飯を食い、稽古に励み、四六時中、生活を共にしたのです。経済的にも心情的にも強い絆で結ばれた運命共同体だったわけです。昭和39年までは「同門相戦わず」といって、部屋は別でも一門が同じであれば本場所で対戦しませんでしたが、これも、ごく自然のことだったのです。


 時は流れ、1場所が15日、年に6場所、年間90日となった本場所の興行は、100億円前後の収入を日本相撲協会にもたらしています(その内訳は、1/2強が入場料収入、ほぼ1/3が放送権料収入、他)。この潤沢な収入の中から、相撲部屋に対して「部屋維持費」等が支給されます。その額は、力士一人当たり、幕下以下が年間186万円、横綱で282万円です。それとは別に、関取個人に対しては相撲協会から月給や給金等が支給され、その額は年間で、十両が1500万円以上、幕内が2000万円以上です。


(人数が9割近くを占める「幕下以下」の力士は人間扱いではなく年間100万円未満です)。


このように、今の大相撲は巡業で稼ぐ必要はありませんし、巡業に割ける日数も少ないのです。そして、年間20日前後に減った巡業は、昔の一門ごとではなく、相撲協会の巡業部が取り仕切り、全ての部屋の関取が参加します。もはや、一門の強い絆は遥か昔の話となってしまっているのです。それでも、昇進した新横綱が一門の行司たちに装束を贈ったり、横綱の綱を作る「綱打ち」に一門の力士が集まったり、と一門の名残はあります。しかし、一門の存在理由はまったくなくなっているのです。





○ところが、2年ごとの理事選挙になると、突然、「一門」が顔を出すのです。乱立による共倒れを避けるために、一門内で談合をして、一門が持つ理事の数を確保するためです。しかし、一門の絆が弱まっているのですから、結束力も弱まっています。年寄株問題で大荒れに荒れた平成10年の理事選挙で、一門の意に逆らって強引に立候補して高砂一門から除名された先代高田川(元大関・前の山)が、手持ちの票が2票しかなのに8票を獲得して当選できたのは、二所ノ関一門や出羽海一門から票が流れたためでした。その後は、再び、談合という元の鞘に納まったかに見えました。ところが今回、貴乃花の立候補によって8年ぶりに選挙が行われ、手持ちの票が7票の貴乃花が10票を得て当選しました。立浪一門から2票、二所ノ関一門から1票が流れたのです。その三人が誰なのか、犯人探しをする一門の動きが大きく報じられましたが、本来、誰が誰に投票してもいいのが無記名投票なのですから、犯人探しはおかしな話なのです。








○理事の選び方を今の単記無記名の選挙制に改革したのは大横綱双葉山の時津風理事長で、昭和43年のことでした。その時、時津風は「どんどん若い人の意見を!」と語ったのですが、そうはなりませんでした。一門の談合による年功重視がはびこり、退職金の上乗せを狙って、定年直前の年寄を1期だけ理事に就かせる例までありました(別紙『理事副理事一覧』にある押尾川、秀ノ山など)。民間企業では組織を維持し強化するために次世代の幹部を育てるのが当然のこととして行われますが、相撲協会の中には、その考えがないのです。今回の貴乃花立候補についても、武蔵川理事長は『あってはいけないこと。一門内で話し合って(理事に)ふさわしければ誰かが推薦してくれるはず』と述べたものでした。そして、一門から造反者が出ないように、「立会人に票を見せてから投票箱に入れるように」というとんでもない動きまで出ましたが、この動きを阻止したのは監督官庁である文部科学省でした。「単記無記名投票」を定めた規約の意味を相撲協会に改めて確認したのです。





○貴乃花の当選は、「一門」の壁を破ったこと、年功序列を突き崩したこと、この二つの大きな意味があり、明らかに前進です。彼の立候補についてのマスコミの筋書は『古い体質に挑む改革の旗手・貴乃花』で、まさに貴乃花への応援一色でした。しかし、私には異論があります。彼が理事になるのは早すぎたと思うのです。年齢が早すぎるのではありません。年寄として一番大事な、関取を育てるという仕事をまだ一つもしていないからです。彼の力士としての業績や相撲への真摯な姿勢には、文句のつけようがありません。今回の彼への支持も現役時代の「力士貴乃花」への評価からきているのです。しかし、年寄としての業績はまったく別物です。関取をせめて一人でも育ててから理事になるべきだったと私は思うのです。


 蛇足として、理事選挙のあり方についていえば、立候補は自由、立候補者は所信表明の場に立つ、それを聴いた上で各人の意志で投票するという当り前の形にすべきです。所信表明というプロセスが、おおよそ世間知らずの年寄を勉強させることになると思うのです。(別紙『藤嶋・二子山・貴乃花部屋の勢力の推移』)





○土俵外でもう一つ起った大事件は朝青龍の強制的な引退でしたが、この件に紙幅を割けません。事件発生から1カ月もたった2月15日に文部科学相に提出された相撲協会の中間報告によれば、『場所中にもかかわらず深夜まで飲食し、騒ぎを起こしたのは横綱にふさわしくない』『過去に不祥事が何度も繰り返され、一向に改まる兆候が見られない』ので『理事会として引退を勧めることを決めたが、最終的に横綱本人が引退を表明し、理事会が受理した』とのこと。暴力行為の有無や、被害の程度すら明かされていません。しかも、理事会を引退勧告の結論に導いたのは、力士出身の年寄ではない外部からの理事、監事の主張でしたし、横綱審議会が初めて出した「引退勧告」でした。この件での役員の処分は、朝青龍の師匠である高砂親方の2階級降格だけで、「部屋まかせ」「協会は頬かむり」の姿勢は相変わらずです。横綱の不始末なのですから、理事長にも咎めがあるべきでしょう。





○曙が酔っぱらって暴力を振るったり、古くは、大鵬と柏戸が海外巡業帰りに拳銃を持ち込んだりといった横綱の不祥事は幾つもありました。しかし、その多くは根の深くない、たわい無いものでした。これに対して、朝青龍の場合は累犯に次ぐ累犯で、最後まで我儘な乱暴者の性癖が抜けませんでした。


しかし、朝青龍の引退を聞かされた白鵬が声を殺して涙した光景ひとつをとってみても、朝青龍は大横綱でした。優勝は史上3位の25回、年間完全制覇を含む7連覇など数々の業績を残しました。私が朝青龍の最大の業績として挙げたいのは、曙が初優勝した平成4年から武蔵丸が最後の優勝をした平成11年まで8年間も続いた退屈な「体重相撲」を放逐し、力と技とスピードの本来の相撲に戻したことです。








○土俵外の大事件の連続で、ずっと昔のことのようになってしまった初場所を振り返ります。


初場所は朝青龍の場所でした。場所前に『今年の目標は優勝4回』と語った時には大ボラに聞こえたので


すが、負けた豪栄道戦での雑な相撲を除いて、相手に有利な体勢を与えない丁寧な相撲が目立ちました。そして、巨漢に対しては、一転して、モンゴル相撲の荒業を決めました。把瑠都には脇の下に首を入れて相手の腰を浮かせ、後立褌を取って幕内最重量の188kgを片手で持ち上げて投げ捨て、琴欧洲には左手首を両手でつかんでの腕捻りで幕内最長身の203cmを放り投げました。千秋楽の夜の「サンデースポーツ」で、他の力士との力の接近を認め、『考える相撲をとる』と語っていたのですが、土俵の外のことも考えるべきでした。





○絶対有利の下馬評だった白鵬は、初日の土俵入りで肝心のせり上がりを抜かしてしまう大失態。これがケチのつきはじめだったのか、11戦して負けなしだった把瑠都の巻き替えからの素早い掬い投げに連勝が30でストップ。日馬富士には苦手意識があるのか、突っ張り合いのあと体が離れたところで、腰高のまま何となく前に出たところをよけられただけで土俵を割っての負け。その翌日の魁皇戦は腕を簡単にたぐられる気のない相撲で連敗。千秋楽の朝青龍戦で意地を見せ、辛うじて面目を保ちました。





○初めて横綱から勝ち星を挙げた把瑠都の相撲には進歩が見られました。おっつけと巻きかえを身につけ、長身の琴欧洲や旭天鵬に対しては頭をつける芸当まで見せました。ところが、両横綱と並んで優勝争いのトップに立ったとたんに固くなってしまい、豊ノ島にいいようにあしらわれました。明るくて、のんびり屋に見えますが、やはり緊張はするようです。これからは、精神力が大きな課題になるのでしょうが、大関候補の筆頭であることは間違いありません。3月場所が大事な場所になりそうです。 


把瑠都のほかに、安美錦、豊響、白馬、土佐豊などに見るべき所があった初場所でした。





○身体に粘りが戻り、逆転勝利が目立った魁皇が、幕内での勝ち星数の新記録を作りました。世間は大騒ぎをしましたが、ご本人は無関心で、むしろ触れられたくない様子でした。その理由は、魁皇自身が漏らした『(諸先輩と違って)負けが沢山あるよ』という言葉にあります。確かに、幕内700勝以上の6力士の中で、魁皇の負け数は他の2倍を越えており、従って、勝率でも大幅に劣っているのです。


  ①魁 皇 815勝533敗 6割0分5厘   ②千代富士 807勝253敗 7割6分1厘


③北の湖 804勝247敗 7割6分5厘   ④大 鵬  746勝144敗 8割3分8厘


⑤武蔵丸 706勝267敗 7割2分6厘   ⑥貴乃花  701勝217敗 7割6分4厘


 横綱に昇進できず、大関に留まったから達成できた最多勝であることは、魁皇自身が一番よく分っており、『(諸先輩を)抜いた気はない。その中味が違う』と心底思っているのです。記録を達成して支度部屋に戻ろうとする魁皇をインタビュールームに呼ぼうとして断られたNHKは、地元・直方からの中継まで入れて大騒ぎするだけでなく、魁皇に断られた事実をはっきりと知らせ、魁皇の男気をこそ伝えるべきでした。





○その魁皇に引導を渡された千代大海の引退は、朝青龍の引退騒ぎですっかり影の薄いものになってしまいましたが、「大関在位65場所」と「カド番14回」の新記録を残しました。これは遅きに失した引退で、一昨年の初場所に初日から7連敗をした時点で引退すべきでした。その場所から引退までの13場所の戦績は69勝100敗15休で、勝率がやっとこさ4割だったのです。


平成22年3月2日


真石 博之

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2010年02月22日 | 注目の記事
横綱降格制度の導入で失う、大相撲の価値 (羽黒蛇)




本日初対面の方(相撲に詳しくはない一般の方)に、「朝青龍問題について、どう思いますか」と尋ねられたので、




「品格に欠ける横綱は、大関に陥落させて再起のチャンスを与えるべきである。朝青龍の場合は、サッカー問題の時に2場所出場停止ではなく、それより重たいペナルティとして大関に陥落させるべきだった。そうすれば、(不祥事を起してはいけないと朝青龍が自重して、)今回の引退は避けることができたかもしれない。」




と答えた。ポイントは、「横綱を、大関に陥落させる。」という、今の相撲界では認められていない制度の導入にある。




私の論に対して、質問された方には、、




「でも、相撲の特長って、横綱は、引退しか残された道がないところに、緊迫感があると思います。」




と言われました。

確かにそうです。他のスポーツでは、チャンピオンは負けたらその座を降りて、再度挑戦者になります。

相撲は横綱という地位についたら、引退しか道はなく、大関からの再挑戦することはできません。




この制度により、横綱は神格化され、相撲は他のスポーツにない価値を持っています。

私は、できたらこの価値は守りたい、守って欲しいと思います。




しかし、守りきれるのでしょうか。

いや、守ることにより失う価値(強い力士の早期引退)の方が、横綱陥落制度を導入して失う価値(横綱の価値・特殊性の減退)より大きいと、直感的に思っています。




双羽黒や朝青龍は例外であるなら、横綱引退制度を維持し、高められた横綱の価値を守る方がよいでしょう。




私は、双羽黒や朝青龍は例外ではないと思っています。

今後も相撲は強いけど、品格は不十分(または相撲の歴史・所作に敬意が払えない)力士が続出すると考えています。




それ故に、横綱陥落制度を導入した方が、総合的には、相撲の伝統の維持・発展につながると考えます。

このテーマについては、いろいろな角度から、分析していきたい。




羽黒蛇

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2010年02月21日 | 朝青龍
2月17日つけ朝日新聞の記事を要約・引用する。

Quote

川端達夫文部科学相は、16日の記者会見で、日本相撲協会から15日に文書で、朝青龍の引退に関して、報告を受けたことを明らかにした。



場所中にもかかわらず深夜まで飲食し、騒ぎを起こしたのは横綱としてふさわしくない。

過去に不祥事が何度も繰り返されていたのに、一向に改まる兆候がみられない



以上の理由から理事会として引退を勧めることを決めた。

最終的に元横綱本人が引退を表明し、理事会が受理した。



この報告では、泥酔して一般人に暴行したかどうかについては、明らかになっていない。

Unqote



この報道を受けて、相撲協会の論理を、納得できた。将来、他の横綱が、同じような問題を起した場合に、引退を勧めるかどうかの判断基準は、次の通りと解釈できる。



1.一般人に暴行したと疑われても、事実として判明しなければ、引退勧告しない。


2.場所中に深夜まで飲食して騒ぎを起こせば、一般人に暴力をふるわなくても、処罰の対象となる。


3.不祥事が繰り返し起こされると、引退勧告の対象となる。



4.不祥事を起こしても、改まる兆候があれば、引退勧告という強いペナルティとはならない。



私はこのブログで、

罪が確定する前に、相撲協会として処分することに反対(冤罪の可能性があるから)と主張してきたが、1.によりこの疑問は解消された。


また、相撲協会は力士を処分する前に、イエローカードにより警告し、繰り返し違反した者に強いペナルティを与えるべきと主張してきたが、4.により、同じ考え方に立脚していることが分かった。



警告の出し方と、処罰の重さについては、今の相撲協会が、必ずしも合理的体系を持っているとは見えない。


例えば、朝青龍の場合、過去の不祥事に対して、横綱から大関に陥落させるペナルティを何度か課しておくべきだったと思う。


過去の不祥事に対するペナルティが軽くて、繰り返されたら、いきなり引退勧告という最も重いペナルティという点は、納得できない。



しかし、処罰の論理については納得できる内容であり、これを深めていくことで、規律を保ち、モラルを向上させて欲しい。


やってはいけないことが何であり、それによりどう処罰されるのか、を一層明確にしていく必要を感じた。



「勝ち相撲でガッツポーズは、罰金」 というルールを定めてもよいと思う。

校則のようにルールばかり増えるのはよくないと思うが、何故、ガッツポーズがいけないのか を力士に理解させるきっかけに(親方が教えるきっかけに) ある程度のルールの制定は必要である。 



羽黒蛇

(読者からのコメント)  朝青龍を引退に追い込んだ、貴乃花理事当選という説

2010年02月20日 | 朝青龍
しろまる さんという読者からコメントをいただきました。文末に引用します。


朝青龍が引退に追い込まれたことに関して、「何故、今回だけ厳しい処置なのか」は、疑問で、週刊誌・ネットにいろいろな憶測記事が出ています。


その中に、「貴乃花親方が、理事会で、朝青龍を引退させるように、力を発揮した」という説がありますが、新米理事が影響力を持つことができたのか、疑問に感じます。



相撲協会の公式見解としては、文部科学省に2月15日に回答した文書であり、これについては、次の記事で紹介します。 羽黒蛇

では、ここからが、読者のコメントです。

unquote

朝青龍から暴行をうけた被害者Cは、警察官僚(OB含む)、元検事、大手音楽販売会社A、大手芸能事務所B、貴乃花親方と親しいとされる。Cがケガをしたという情報を受けてA社とB社が激怒、大手出版社にリークされ朝青龍は引退においこまれたとみられる。
Cの実父は元財務官僚であるため、政財界、警察官僚、芸能人もCに逆らうことができないようだ。
貴乃花親方の妻景子夫人の実父も元警察官僚である。

 相撲協会外部理事Mが元東京高検検事、同外部監事Yが元警察官僚しかも元警視総監であり被害者Cと関係深く、朝青龍追放をとなえた。
貴乃花親方が理事に昇格したため貴乃花主導で一時解雇の流れになった。

 相撲協会は理事会で解雇を通告したかったが、横綱審議委員会が引退勧告を通告したため、横審の意見を尊重し、解雇できなかったようだ。横綱審議委員会委員長は元日経新聞社長である。朝青龍を解雇すれば武蔵川理事長が引責辞任に追い込まれるため引退に留めたと揶渝された。

武蔵川理事長と貴乃花親方は対立関係にあるが、MとY、B社のS社長は武蔵川理事長、貴乃花親方と親交がある。
亀井静香金融大臣、平澤勝栄議員は元警察官僚で亀井、平澤が小澤を不起訴にするよう圧力をかけた噂もたえない。亀井、平澤は警察のドンといわれている。
武蔵川理事長は亀井と、貴乃花親方は平澤と太いパイプをもっている。

2012年武蔵川理事長退任にともなう、次期理事長候補に出羽海一門の本家出羽海親方(元関脇鷲羽山)か国民栄誉賞受賞の元横綱千代の富士(九重親方)の名前があがっている。

武蔵川理事長、北の湖元理事長は出羽海一門出身の親方であり若手親方から異論が続出しているため、次期理事長は出羽海一門以外から選出すべき意見も多い。

2年後、一門から推薦され理事昇格が確実されたはずの貴乃花親方は、二所ノ関一門を破門されてまで理事選に出馬し当選した理由のひとつに、貴乃花親方が九重親方の次期理事長就任に反対しているためではないか。貴乃花親方が奇抜な相撲協会改革を提案した理由もそのためである。

鳩山由紀夫首相、B社のS社長、元横綱大鵬、北の湖元理事長が次期理事長に貴乃花親方が就任するよう強く要望している。

鳩山首相は、北の湖親方、貴乃花親方と同席して会食しており、すでにポスト武蔵川を巡るキナ臭い動きがはじまった。

しろまる

unquote

感想:貴乃花が九重の理事長を防ぎたいという憶測は当たっている可能性もある。が、そのことと、今回の理事選に強行に出馬したのが結びつかない。当選したからよかったが、落選していたら、九重理事長阻止への力を失っただろうから。 羽黒蛇

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2010年02月17日 | エッセイ、情報、もろもろ、相撲記事
芝田山親方「うたばん」に出演

昨日2月16日TBSの「うたばん」に芝田山親方が、男性アイドルグループにスイーツの講義するという役で出演していた。

相撲界には、CMに出たり、テレビ番組に出演することに対して否定的な意見もあるが、

芝田山のキャラクターは、「こういう親方の部屋では、リンチは起きない」と思わせる おおらかさ があり、好感がもてる。
大相撲に対するイメージを向上させるために、活躍して欲しい。

羽黒蛇
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芝田山親方「うたばん」での発言 オープニング





石橋:スイーツと言えばこの方、ご紹介します、芝田山親方です。



芝田山親方:どうも、どうも。



中居:親方大丈夫ですか。相撲やっていますか。



芝田山親方:それは本業ですもの。








石橋:親方、貴乃花に入れたんですか。



芝田山親方:え? (とぼけた顔)








石橋と中居:貴乃花に入れたんですか。



芝田山親方:それはあの・・・








石橋:一門で固まって。



芝田山親方:それぞれいろいろありまして。



石橋:スゴくそれが気になっちゃって。





感想: キナ臭くて、きわどい話題に対して、笑顔でかわす芝田山親方に、好感をもった。





芝田山親方「うたばん」での発言 エンディング




中居:親方、新弟子になるようなメンバーいましたか。



芝田山親方:スイーツの弟子にはみんななれるんですよ。男性も女性も。しかしながらね、私の本業の弟子も、欲しいんですよ。








石橋:芝田山部屋には、今何人いるのですか。



芝田山親方:今、8人いるんです。けど。



石橋:白いまわし、いるんですか



芝田山親方:いないんです。早く作らないと、理事になれないじゃないですか。



石橋:(テレビカメラに向って)体格の良い方、芝田山部屋まで、是非ご一報いただければ。



芝田山親方:相撲経験者でなくても、結構ですから。






感想: テレビに出演して、新弟子スカウトを呼びかけ。大変よいことである。




羽黒蛇
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(読者からのコメントを紹介します。) 高砂親方 芝田山親方




まだ朝青龍が出てくる前で現高砂親方が若松親方を名乗っていたころの話。

部屋には部屋の関取は朝乃若というバラエティ力士だけだったので、現高砂親方ものんきなおおらかなイメージがあってしばしばテレビ番組に出ていたこともあった。

現高砂親方は強い力士がいない部屋の親方としては面白い存在だったが、彼には横綱の品格を自分の弟子に伝える能力が無かった。

芝田山親方は確かにおおらかなキャラクターで今テレビによく出ているが、彼なら自分の言葉で横綱の品格を弟子に伝えることも出来ると思う。

自分は相撲のイメージを向上させるためにあのキャラと育成の両立を目指して欲しい。

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コメント欄にお名前がありませんでした。ペンネームでも結構ですから、書いていただければ、名前入りで紹介します。羽黒蛇

一門制度のよい点を残し、理事選挙の拘束をやめる (羽黒蛇)

2010年02月16日 | 年寄・一門・理事長・理事選
貴乃花親方に、ニ所ノ関一門から1票流れたことに対して、やくみつる氏は、

「貴乃花親方に投票した親方は、6人の親方が一門を離脱した時に、何故、行動を共にしなかったのか。」と発言していた。




やく氏は、「一門を離脱すれば、貴乃花に投票してもよいが、一門に残った以上一門の意向に従って投票しなくてはいけない。貴乃花に投票してはならない。」という従来の相撲界の常識に従っている。




これが、世間の常識とかけ離れてしまっている。




世間の常識とは、投票者には、投票の自由があるという単純なこと。 

私たちが義務教育で学校で教わったことと同じである。




日本の政党政治では、政党員(国会議員)が、所属する政党の方針に従って、国会で投票する仕組みがとられている。(党議拘束が強い)

一方、アメリカ、イギリス、フランスでは、党議拘束が日本より弱いので、与党の方針が、与党の政党員を説得できないものであれば、その法案は成立しない。

アメリカでは、与党議員を説得できない場合は、野党議員を説得してでも票を集めるのが恒例である。




相撲の理事選挙における一門は、国会における政党のようなものである。では、何故、日本では党議拘束が普通なのに、一門選挙の拘束が批判されるのか。




政党が結成されるのは、主義主張や、政策によってである。これは政党の成立要件である。

これに対し、相撲界の一門の成立要件は親方と弟子の関係であり、主義主張や政策が成立要件となっていない。




政党が意見の対立によっては、自由に離脱でき、新たな政党が結成されるのに対し、相撲の一門にはそのようなことがない。




一門の締め付けに対する世論の批判 (時代錯誤、個人の自由がない) が起こった理由はここにある。




では、一門は不要であろうか。

一門の存在意義は、一門内の意見を集約して、相撲界の発展のために、その意見を役立てる点にある。一門がなくなると、各親方が破片のように散らばり、意見の集約が難しくなると、私は予想する。




本来、意見を集約するための一門が、「一門があるが故に、若手親方の意見が理事会に反映されない。」という自己矛盾が起きている。




私は、意見集約のための一門という組織は残し、党議拘束をゆるやかにすればよいと思う。

一門を代表して理事に立候補する親方は、一門内の親方の意見を集約し理事会に反映する能力がなければ落選する。

一門内の親方に、自分にはその能力があることを納得してもらうことで、票を集めなければならない。

また、一門内に意見が異なり、投票してくれない親方がいる場合は、自分の政見を語り、他の一門によびかけてでも、票を集める努力をする。




これができれば、理事選挙に対する国民の批判はなくなるであろう。

批判をなくすことが目的ではなく、相撲の発展のために、意見の集約を上手に行う仕組みに変える必要があると考える。




羽黒蛇

一門制度は、世間から見ると時代錯誤なのであろう、その前提に対策を考える (羽黒蛇)

2010年02月15日 | 年寄・一門・理事長・理事選
2月3日に、一門制度は手段であり、目的でない

http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-7a80.html

と書いて、元光法の安治川親方が、廃業したことを伝えた。



その後、一門に慰留されて廃業を取り消したが、それについての評価を書こうとしたら、朝青龍が引退してしまったので、本日まで書けないでいた。

まず、朝日新聞の声の欄(2月14日)から紹介したい。(要約、引用する。)





quote

見出し:世間知らずの大相撲界が心配

投書した方:67才女性

本文:

一家で相撲ファンであり、長男はまわしを作ってもらい道場で稽古した

母は、豊山(年齢から大関豊山と思われる)、先代の貴ノ花のファン

母が生きていれば、相撲界の現状をどれだけ嘆いたことだろう。



自分も場所中は相撲を見てきたが、今回の理事選挙を通じて、いかに相撲界が井の中の蛙で、世間からかけ離れた存在であるかを思い知った。



造反者を探したり、名乗り出た親方が反省していると言ったりしているのを見ると、時代錯誤も甚だしく、相撲の行く末が案じられてならない。

unquote





この投書には、二つのポイントがある。

一つは、相撲好きなファンが、理事選挙で投票の自由がないことに失望している。

もう一つは、伝統を重んじる世代の方が、一門による投票強制を、とっくの昔になくすべきだったという意見であること。





私の意見は明日に。





羽黒蛇

朝青龍の相撲の上手さは、輪島レベル (羽黒蛇)

2010年02月14日 | 朝青龍
ベースボールマガジン社から発売されている「映像で見る国技大相撲」の1巻を見た。

有名な取組と、横綱の引退、横綱・大関昇進を決めた一番、珍しい決まり手を中心に、昭和49年と50年の2年間で、26番が取り上げられている。


このDVDの輪島の相撲を見て、当時の輪島の相撲の上手さを思い出した。

旭国、増位山のような相撲の上手い力士は、上手さ負けして輪島にはなかなか勝てなかった。輪島の苦手は、高見山のような馬力で攻めてくる力士だった。






現役最後の場所となった2010年初場所の朝青龍は、

栃ノ心

把瑠都

琴欧洲

という四つに組むと力を発揮する相手に相撲を取らせなかった。

見事な技能相撲であり、その上手さは輪島を思い出させるものがあった。






2月13日の朝日新聞の朝刊で、永田篤史という記者が、次の趣旨のコラムを書いていた。要約して引用する。


Quote

朝青龍を純粋に土俵のことだけで評価すると、どんな力士だったのか。

白鵬との差が広がっても、優勝回数を伸ばせたのは、自身の得意な形に持ち込むことよりも、相手の力を封じることを優先すると陸地に移行したからだ。


解説の北の富士は、栃ノ心戦を評して、「ああなると、栃ノ心は何も出来ない。朝青龍はまだ29才。円熟の境地に達するのはこれからだ」


相手以上にその相手の弱点を知り、着実に突く。

そんな朝青龍は上位を目指す力士たちの壁だった。


次の大関候補の把瑠都と鶴竜は一度も勝てないまま。

朝青龍は初顔には34連勝中だった。


壁を突き抜ける力士が出てこそ、土俵が充実する。

突然の引退は、角界全体のレベル低下を招きかねず、喪失したものも大きい。

Unquote


この記者の分析と意見に、全面的に賛成である。






羽黒蛇

白鵬と稀勢の里。そして琴欧州  (中村淳一) 平成16年九州場所

2010年02月13日 | 読者からのコメント、中村淳一他読者の投稿
5年前に以下の文章を書きました。
新入幕の時点で、「この力士は歴史に残る大横綱になる可能性がかなり高い」と思わせる力士が立て続けに2人出現したことに興奮した文章です。現状、白鵬は大横綱への道をひた走っていますが、稀勢の里のその後の停滞に、むしろ驚いていました。

平成16年九州場所を終わって思うこと     04.12.10記  白鵬と稀勢の里。そして琴欧州 

1.
 新入幕の時点で、「この力士は歴史に残る大横綱になる可能性がかなり高い」という期待をもたせた力士というと、昭和35年初場所に入幕した大鵬(新入幕時(番付発表)、 19歳7ヶ月) 昭和47年初場所に入幕した北の湖(18歳7ヶ月)、そして平成2年夏場所に入幕した貴乃花 (貴花田:17歳8ヶ月) ここ半世紀では、この3人くらいであろうと思う。

 そしてこの3人は、その期待通り、戦後4大力士の中の3人と言い得るだけの力士に なった。4大力士のもうひとり、千代の富士は20歳2ヶ月で新入幕を果たし、この3人ほどでは ないにしろスピード出世だったが、20歳代前半の内は、中堅幕内力士の域を出ることはなく、 25歳になって、急に強くなった晩成型の力士であり、また新入幕の時点で、横綱になる、 と予想した人が、もし、いたとしても、それは少数派であったろう。

 さて、大鵬と北の湖の間が12年。北の湖と貴乃花の間が18年。平均したら15年周期と なる。そして貴乃花が入幕を果してから14年後の今年、またそういう期待を抱かせる力士が 出現した。白鵬(19歳1ヶ月)と、稀勢の里(18歳3ヶ月)である。

 大鵬と同じ新入幕の場所での12勝という勝星を、大鵬より半年若くして、あげて、その後も 順調に出世している白鵬。ちなみに大鵬は 新入幕から 12、7,11、小結11、関脇12、 関脇13。6場所で大関に昇進した。入幕後、4場所経過した白鵬のここまでは、12、11、 8、12。4場所経過時点で、通算勝ち星で、大鵬を2勝リード。が、白鵬の不運は、これだけ の勝ち星をあげながら、来場所、ようやく三役昇進という、その番付運のなさだ。 が、いずれにしても、ここまでは、優勝32回を成しえた大鵬と並ぶ、あるいはそれを上回ろうかという出世振りだ。

 一方、稀勢の里は、史上2番目の若さで、関取昇進、入幕を果たし、ともに1位の記録をもつ貴乃花も ともに3位の記録をもつ北の湖も成しえなかった新入幕勝ち越しを、先の新入幕である 九州場所に果した(9勝)。貴乃花、北の湖が各々、22回、24回、の優勝回数を誇る ことを考えれば、稀勢の里は優勝回数20回以上の力士の昇進ペースということになる。

 ほぼ15年周期で誕生する、大力士を期待することができる力士が出現したわけだが、今、すごいと思うのは そういう期待をもつことができる力士が2人、出現した。ということだ。 こういう時代は、少なくとも私の記憶にはない。

 では、それぞれが、優勝30回、20回以上できるか、となれば、19歳、20歳で初優勝して 以後10年間、年間5回平均で、この2人が優勝していけば、合計して50回という数字になるので、 不可能な数字ではない。 が、ふたりを通算しての優勝回数ということになれば、大鵬32、柏戸5、 計37。 北の湖24、輪島14、計38。 千代の富士31、隆の里4、計35。 貴乃花22、曙11、計33。これをみると、強豪力士とその最大のライバル2人の通算優勝回数は、おしなべて30回代である。 白鵬と稀勢の里は、その若さからいって、これを上回る可能性は充分にある、とは思うが、やはり30回代 におさまるか、多くても40回をさほど超えない数字。どちらかが、20回代で、もうひとりが10回代 というのが、現時点では最も穏当な予想のように思う。

 さて、特に白鵬という力士には驚かされる。稀勢の里は、三段目時代に「16歳でここまで昇進している 力士がいるのか」と思い、その時点から注目していた。また琴欧州については、そのアマ時代の実績もあり、 入門した時点で、当時の十両力士、幕下力士と遜色のない稽古をしている、との相撲雑誌の記事を読み、 新弟子時代から注目していた。が、白鵬については、下の頃は全く、注目していなかった。関取 昇進の間際になって、「この若さでここまで昇進している」というのに、ようやく気付いた。

 ホームページの中で、平成19年初場所の番付を予想しているが、この予想は白鵬が十両に昇進する その場所の前に行った。白鵬については、それまで注目していなかったこともあり、「たまにいる、 ここまでの出世は早かったけれど・・・」の力士かな、と思ったが、18歳での関取昇進というのは、 やはり出色のことなので、小結に予想しておいた。

 また、その後、平成21年初場所の番付も予想したが、そこでは23歳になっている白鵬を横綱で、 優勝回数は、その時点で6回、と予想した。これは、先の19年初場所の予想で、平成16年以降 栃東、千代大海、若の里の3人で7回、優勝する、と予想していたので、それを引き継いだ予想とした ため、朝青龍、萩原(稀勢の里)、琴欧州にも優勝を割り振ると、それ以上カウントすることができな かったのだ。 (だが、予想はそのままにしておく。

ある程度長期の予想をしたのに、その時々の状況でころころ 変えるのはみっともないし、個人的には、千代大海、栃東、若の里、琴光喜の世代に頑張ってもらいたい、 と思っており、この世代から横綱が誕生して欲しいし、上記の回数程度の優勝をしてほしいと思っている からだ。もちろん上回る分にはいくらでも構わない)。

 私は、相撲を見始めてから、既に40年以上経つ。少年時代から、この予想行為というのは、ほとんど、 自分の頭の中だけではあるが、よくやっていた。では、どの程度当たっただろう。

 先ほど、貴乃花は、新入幕の時点で、大横綱となることを期待され、その通り、 大横綱になった、と書いた。この書き方であれば、たしかに予想は当たった。しかし、新入幕の 時点で、私は貴乃花については、大鵬の優勝32回。双葉山と大鵬の全勝優勝8回。大鵬の6場所連続優勝。 双葉山の69連勝。それら、全ての史上最高記録を更新する力士になる、と予想していた。
はずれた。

 父親の貴乃花については、やはり当時の史上最年少で、十両、幕内と昇進していったが、体が小さかった こともあり、将来、独裁時代を作る大横綱になるとは予想しなかったが、兄、若乃花のように、好敵手を 得て、二強時代の一方の立役者になると予想し、そのトータル成績では、若乃花を上回るであろうと予想した。

はずれた。

 昭和58年から59年にかけて、大乃国、小錦という200Kgを超える力士、北尾という身長199cm の力士が幕内に登場してきた時代にはどういう予想をしたか。

 この3人は、新入幕の時点で、大乃国、小錦は20歳。北尾は21歳になっており、大鵬級の横綱に なるとは思わなかったが、それに準ずる横綱は生まれる、と思った。具体的には北尾がそうなると思っていた。  柏戸(188cm)、大鵬(187cm)以降、身長の面でこの2人を上回る横綱は登場しなかった。 唯一、ほぼ同身長だった二代目若乃花は体重がこの2人より軽かった。北尾は、20数年ぶりに登場した 体格の面での柏戸、大鵬級の横綱であり、身長の面では、超柏戸、大鵬級だった。

尚、大乃国、小錦に ついても、体重はもちろん超々柏戸、大鵬級であるし、身長はほぼ等しい。(大乃国189cm、小錦187cm。 尚、小錦については土俵生活の晩年には、185cmあるいはそれ以下になっていたと思うが、新入幕当時は この身長で表記されていたと記憶する。過大な体重により、徐々に骨が磨り減っていったのかな、と推測する。)

 さて、新国技館開館(昭和60年初場所)以降は、千代の富士は、その年に30歳になることもあり、 もう優勝回数を重ねることはできず、前記3人を中心とする、超大型力士が君臨する時代がすぐにやってくる と予想していた。優勝回数については、北尾20回、小錦10~15回。大乃国5~10回。3人合わせて40回。 このあたりを予想していたように記憶する。

 事実はどうであったか、北尾(双羽黒)0、大乃国2、小錦3、3人合わせて5回である。35回は、どこに いってしまったのか。 千代の富士は、新国技館開館以降21回の優勝を重ね、私が「大関に昇進すれば上出来」と予想していた 保志(北勝海)、旭富士が各々 8回、4回優勝している。

合わせて33回。この3人が、減ってしまった35回 のそのほとんどを肩代わりしている。すなわち、結局、超大型力士が君臨する時代はやってこなかったのだ。

以上の経験則により、「私の予想ははずれる」という結論が導き出される。

 新入幕の時点で、「この力士は歴史に残る大横綱になる可能性がかなり高い」と思われた力士。 大鵬以前では、千代の山(新入幕は昭和20年)、武蔵山(新入幕は多分昭和4年)があげられる かと思う。15年周期で出現という頻度はやっぱりその通りである。この両力士が、ある意味で、大鵬、北の湖、貴乃花、白鵬、稀勢の里以上であったのは、入門した 時点で、その抜群の大物感により、周囲から「未来の横綱」と見られていた、ということである。

大鵬以下の5力士については、例えば、北の湖、貴乃花については、入門した時点で、将来は横綱になる、 と予想した識者がおられたかもしれない。しかし、その声は、武蔵山、千代の山の入門の時点ほど、 大きなものではなかった、と推測する。

 さて、その武蔵山と千代の山だが、入門後、周囲の期待通り順調に出世して、武蔵山は、21歳 という当時の史上最年少で初優勝した。千代の山は、終戦後の最初の場所である、昭和20年秋場所、 19歳(千代の山は6月生まれ)で、新入幕となった、その場所で、10戦全勝という成績を残した (但し、当時は優勝決定戦の制度はなく、優勝はやはり10戦全勝だった横綱の羽黒山)。  この武蔵山初優勝の時、そして千代の山の新入幕の場所が終わったとき、私がこの世にいたとして、 両力士の将来予想を行ったとしたら「雷電、太刀山級の、いや、それを超えた史上最高の力士になる」 と後年の貴乃花の時と同様に、いささかミーハー的な予想をしたであろうと、容易に推測できる。

 さて、この両力士、その後はどうなったか。武蔵山はその後、土俵上で負傷があり(沖ツ海戦で 腕の故障であったと記憶する)、それが土俵生命の上で致命的な負傷となった。結局、横綱には なったが、優勝は初優勝のあと、一度も重ねることはできず、横綱昇進後の成績も歴代横綱の中で ワーストに近い。

 千代の山は、そのような致命的ともいえる負傷はなかったと記憶するが、やはり、横綱にはなったが、 その優勝回数は、6回に留まった。千代の山が主として活躍したのは年3場所、4場所の時代であったから 当時の6回は、現在で言えば10回程度に相当すると思うが、いずれにしても大横綱とよべる成績では ない。

 以上により、白鵬と稀勢の里。その大横綱としての将来は決して保証されたものではない、ということ も合わせて認識はすべきだが、これは勝負事である限り、当然のこと。 このふたりが、現時点では大横綱ペースで昇進を続けている、ということは充分に言い得よう。

2.
 上記の文章で、今の白鵬、稀勢の里。この2人が相俟って、大横綱ペースで昇進しているというのは 大相撲史上、類例がない。と書いた。が、あえて、類例を探せば、先ず、梅ノ谷(後の二代目梅ヶ谷)が、続いて常陸山が幕内に登場してきたときがそれに当たるかと思う。

梅ノ谷については、当時としては出色の若年出世であった。が、常陸山には若い頃に数年間、出奔して、 関西相撲に身を投じていた、ということもあって、東京相撲に再入門し、幕内に昇進した時点では、ほとんど 第一人者と言いえるだけの力量を身につけていた。が、既に力士として壮年というべき年齢に達していた。  ゆえに若々しさという面で欠けるところがあった。

 次に、柏戸と大鵬のペアがいる。が、柏戸については、若年出世のスピードという面で、大鵬、白鵬、 稀勢の里に及ばない。但し、この2人は、当時の相撲界にあっては、特にその身長の面で抜群の大型力士であった。 白鵬、稀勢の里は、体格においては、若年当時の柏戸、大鵬を、特に体重の面では大きく上回っているが、周囲の 力士の体位向上により、当時の柏戸、大鵬のような大型力士とは見られていない。ゆえに、若年昇進、体格 をトータルすれば、その大物感ぶりは互角であろうかと思う。

 梅ノ谷、常陸山ペアも、柏戸、大鵬ペアの時も、幕内登場のとき、その人気は沸騰した。 さらに人気の面では、大鵬の新入幕のときから、千代の富士の初優勝のときから、 貴乃花(貴花田)が幕内下位で初日から11連勝した場所から、ブームと呼ぶべき現象が巻き起こった。 これは、各人が第一人者として、はっきりと君臨するようになった時期に、それぞれの爆発的人気は終息した。

 この若くて強い力士が、第一人者の座を目指して駆け上がっていく時期というのは、本来、相撲人気 が最も大きくなる時期のはずなのだ。

現状はどうか。相撲人気は、湧き上がるど ころか、数十年ぶりとでもよぶべき不人気にあえいでいる。なぜなのか。

 大鵬、千代の富士、貴乃花と、この三人を並べてみて、もうひとつ気付くことがある。この3人は、 いずれも美男。それも相当にレベルの高い、さらに、多くの若い女性に騒がれるに足るアイドル的要素も含んだ 美男であるということだ。戦後4大力士の内3人までが、かくもレベルの高い美男であったということは、 相撲協会は確率論的にいえばほとんどありえないような僥倖に恵まれていたのか、とも思う。

 誠に失礼ながら、北の湖が、駆け上がって行った時期にはかくのごときブームは起きなかった。  付言すれば、昭和以降までさかのぼれば、5大力士としてここに加わる双葉山も、アイドル的要素という のは無いとしても(但し、現代の感覚でそう思うのであって、当時はそういう要素もあったのかもしれない)、 やはり相当にレベルの高い古典的美男だ。

 白鵬、稀勢の里については、ぱっと目を惹くような美男ではないし、アイドル的要素もない。 白鵬は、最初に雑誌で見たときは、地味な風貌というのが第一印象だったのだが、よくよく見れば、いい男、 美男だと思う。ただ、多くの若い女性に騒がれるタイプの顔立ちではないかな、とは思う。

稀勢の里は、美男とはいえないかもしれないが、結構、可愛い顔立ちだと思う。

さらにこのふたりについては、 仮に外面的な素材が平凡であったとしても、自信が、その意志の強さが、いわゆる内面の充実が 外面をどんどん立派に、また美しくしていく。そういうタイプなのではないか、とも思う。

 いずれにしても、現状、人気は沸騰していない。人気先行ということばがあるが、このふたりについては 全く逆。実力先行。その実力に人気が全くと言っていいほど、ともなっていない。  だが、このふたりの大成を願うのなら、それはむしろ望ましいことなのかもしれない、と思う。

3.
 さて、ほぼ白鵬、稀勢の里にしぼったこの文章だが、次代の大力士の可能性ということになれば 琴欧州にもふれておく必要があるかと思う。琴欧州の将来を、白鵬、稀勢の里より下に予想した のは、ひとつはまもなく来年2月で22歳になるという、その年齢だ。 が、琴欧州は入門した時、既に20歳の直前だったのだから、これはどうしようもない。 初土俵以来の昇進のスピードという点では、ふたりをさらに上回る驚異的なものだ。

 もうひとつ、琴欧州のように極端に長身で、力士としては痩身という体形について、過去に そのような体形の大力士が思い浮かばなかったということもある。もし、類例を探せば、それこそ 上記の武蔵山、千代の山が当時としては相当な長身力士であり、痩身でもあったので、それに 当たると思う。その両力士の事跡を考慮したとき、あるいは琴欧州も、と思ったわけである。

 が、現在140kg台の琴欧州が例えば160kgくらいまで増量すれば、それは素晴らしく 大力士型の体形になるかと思う。また 体重が現状とほとんど変わらないままであったとしても 歴史における前例は大いに参考にすべきではあるが、絶対的なものではないはずであり、 琴欧州が新たな前例を作るという可能性はあると思う。

 また、先の九州場所、白鵬との初顔合わせで、「呼び戻し」言っても良いような下手投げ で豪快に投げ飛ばしたのは、両力士が大力士となった場合には、将来、繰り返し取り上げられるであろう 初顔合わせの相撲で、このような大技で勝利したということになり、そのことを意義深いことと感じた。

 未来予想という観点で主に白鵬と稀勢の里、そして琴欧州にもふれたが、まだ24歳で、既に 大横綱ペースの実績をあげている朝青龍という存在も、むろん、考えないわけにはいかない。

 現在、既に将来的には白鵬が朝青龍を超えるだろう、という予想のほうがむしろ多数派のよう であるが、朝青龍が今後、5年、6年、白鵬以下の若手の追随を許さず、第一人者として君臨し 続けるという可能性も、もちろん否定できない。

 ここに取り上げていない力士が天下を取る、あるいは天下の一翼を担う、という可能性だって もちろんある。  未来はどうなるかわからない。

 ここに多く記述したような、いわば、可能性の高い王道を行く未来もよいが、紆余曲折のある 意外な未来を見てみたい、という気持ちも大きい。

 最後に、私の予想ははずれるのだ。ということを、あらためて強調しておく。

中村淳一

相撲協会は横綱に冷たい 元双葉山の時津風親方と横綱大鵬 (羽黒蛇)

2010年02月12日 | 情実相撲・八百長・防止案など羽黒蛇意見
平成21年2月20日発行 「蘇れ!国技大相撲」 ベースボールマガジン社






17ページの大鵬のインタビューより引用、インタビューアーは、下家義久氏(元「相撲」編集長)













大鵬:私と柏戸さんの(昭和38年秋場所)千秋楽全勝対決が八百長だと、あるスポーツ紙が書きたてた。この年途中休場も含め4場所連続休場していた柏戸が復活優勝を果たしたが、元気いっぱいの大鵬が病み上がりの力士に負けるなんておかしい、というわけだ。













下家:大変な騒ぎになりましたね。













大鵬:人が一生懸命相撲を取っているのに・・・と、柏戸さんはもちろん、私も怒り心頭に発した。













下家:それは当然ですね。













大鵬:私たちはこの件で、当時の時津風理事長(元横綱双葉山)の呼び出しを受けた。私は当然、私たちを信じてくれた上で、理不尽なイチャモンに対する善後策を考えてくれるものとばかり思っていたから、理事長の口から出た言葉には唖然としてしまった。













下家:理事長はなんとおっしゃったのですか。













大鵬:「八百長をやるような横綱はいらない。」













下家:ほうーッ!













大鵬:正直言ってムカッときたよ。冗談じゃない。情実がからんでいない勝負だったことは相撲を取った者ならすぐ分かるはずだ。それを、この大横綱だった人が、あの大騒ぎしている連中の口車に乗るなんて・・・。






悔しかったなあ。百歩譲って、そんな要素が1パーセントでもあったとしても、問いただし方があるだろうって。













下家:でも、そのあと、協会はちゃんと相手と戦い、謝罪を勝ち取ってくれたんですよね。













大鵬:でも、ふたりの悔しい思いは続いていた。
















以下感想を述べる。


元双葉山の時津風理事長の横綱大鵬に対する言葉と、


元三重ノ海の武蔵川理事長の横綱朝青龍に対する引退要求に、本質的に同根の冷たさを感じる。





世間の風当たりが強い時に、家族である横綱を守らずに、その風を横綱に直接ぶつける。


横綱を信じず、世間の情報に左右される。大鵬の言によると、時津風理事長のような大人物さえ、マスコミ報道の口車にのる。





もちろん、この二つのケースでは、大鵬が悪いことは一つもしていないのに対し、朝青龍は犯罪を犯した疑いがあったので、同じ扱いにはできない。





しかし、時津風は大鵬に、あのような発言はすべきではなかったし、


相撲協会は、騒ぎを起こしたという理由で、朝青龍を、引退に追い込むべきではなかったと思う。状況証拠だけで、引退させてはいけない。


横綱は相撲協会という家族の一員であり、理事長は父親なのだから。





羽黒蛇

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2010年02月11日 | 朝青龍
相撲協会は横綱に冷たい。相撲協会そのものが家族的であって欲しい、それが真の伝統ではないのか (羽黒蛇)





2月7日の中村淳一氏の記事に、


「相撲協会を会社組織と考えれば、朝青龍が懲戒免職にあたることを行い、自主退職の形にした」という記載があり、とても理解しやすい喩えだと思った。













私は、相撲の世界は、株主を意識し利益を極大化するためには手段を選ばず、平気で冷たく人を切っていく営利企業とは、対極の存在であって欲しいと願う。













相撲協会自体が大きな家族のような存在になり、家族の構成員である力士を守って欲しいのである。













もちろん、家族の犯した罪を無条件で認めるわけにはいかないので、罪は罪としてつぐなわさせ、つぐないが終われば、家族として再び暖かく迎えてあげるべきだと思うのである。













朝青龍の今回の事件は、関脇から再スタートというペナルティが、罪のつぐないとしては、十分であったと思う。













相撲協会が家族的に協会全体を運営し、親方が家族的に力士を育て守り、兄弟子が家族のように弟弟子を育てというのが、相撲の伝統ではないかと思う。













相撲協会は、朝青龍を批判し、実質的にはやめさせたのであるが、






そもそも、相撲協会が、朝青龍を、しっかりと、厳しく、そして暖かく、家族の一員のように、扱ったのかが、疑問である。






どんなに悪いことをしても、暖かく迎えるのが家族ではないか。






相撲協会のトップが、横綱を邪険にし、辞めさせたことで、連鎖反応で、






親方 → 力士






兄弟子 → 弟弟子






の家族の絆が弱まり、相撲の様式美がますます失われていくのではないかと心配する。













力士たちは、こう思ったはずである。






何か起きたとき、相撲協会は、自分を守ってくれない。






無実の罪で、追放されるかもしれない。













朝青龍を首にすることは、実は簡単だった。






しかし、これは力士の心に大きな傷を残したと思う。













将来、相撲を目指そうという、素質のある若者が、相撲協会は冷たい組織だから、相撲ではなく、他のスポーツを選ぼう と考えるという悪影響まで、考慮して、判断して欲しい。













一番いけないのが、自らの方針 (家族にたとえると、家訓であり、家族内のルール) がなく、世間の風当たりを受けて、家族を切ることである。













相撲をとりたいと思っている家族である朝青龍を、簡単に切り捨てる神経が、冷たいと思う。













次回は、相撲史上これだけ立派だと評価されているあの方が、こんなひどいことをいったのかとう話題を書く。






冷たくされた横綱は、朝青龍だけではない。













もともと、相撲協会は、家族的ではなかったという暗い話であり、相撲協会が世間の風当たりにすぐ動揺してしまう組織であるという気の滅入る話であるが、






報道されている事実より、ブログに書き記す必要があると判断したものである。













羽黒蛇

横綱について 3 (中村淳一)

2010年02月10日 | 読者からのコメント、中村淳一他読者の投稿
横綱という存在をどう考えるかにつき、先に将棋を例にあげて私案を申し述べた。横綱という存在について考えるときもうひとつ参考にしたいのは、皇室に対する接し方である。後述する。

例えばきたる春場所の上位陣の成績が白鵬15勝。朝青龍14勝。日馬富士12勝。琴欧州12勝。魁皇12勝。琴光喜11勝。把瑠都9勝。豊ノ嶋7勝。稀勢の里8勝。安美錦7勝だったとする。

「横綱、大関が全て好成績で素晴らしい」と思われるであろう。と同時に「把瑠都と大関取りのチャンスを逃した」「稀勢の里はなかなか化けないな」とこの両力士については批判の声があがるかもしれない。

だが、先に述べた成績、これは横綱、大関は関脇以下の力士にはひとつも負けず全勝。関脇、小結(予想番付による)は平幕以下の力士にはひとつも負けず全勝。このふたつがあって始めて実現する成績なのである。

かつて故小坂秀二氏が大相撲誌に「(当時のたしか貴乃花をはじめとする最上位5力士くらいであったと思うが)上位力士が下位力士には全く負けない、そういう場所こそ私の理想である。そういう場所をみてみたいと、照国、安芸の海が横綱に昇進して四横綱になった場所、横綱が場所をとおして大関以下に1敗しかしなかった場所を例にあげて書いておられた。たしかにそういう場所があれば「すごい」と思うであろう。

が、ほとんどそのような成績に終始する場所が続いた場合、見ていて楽しいだろうか。そうは思わない。現に昭和50年代の最終版、千代の富士独裁時代がやってくるその前夜の時代、独裁者は不在であったわけだが、このときの集団としての横綱、大関陣は強かった。以前書いた大関琴風、若島津が年間70勝に達する勝ち星をあげたのもこの時代である。

が、このときのマスコミは、そういう上位陣の強さに自足するよりも関脇以下と力の差がありすぎて面白くないという論調のほうが優勢であったと記憶する。つまり大相撲は、どういう姿になったにしろマスコミには満足してもらえないのだ。

むろん、私が知る限りという意味でだが、相撲ほど常に批判的に見られるスポーツはないように感じる。それについては、これもかつて長山氏が書いておられたと記憶するが、相撲の社会に属する内部の人から現役力士のその強さをおとしめる発言が相次ぐことにも一因はあるかと思う。

さて論が飛んでしまったが、「品格、力量抜群に付き」推挙される横綱について、

この推挙文については、これは一種の修辞と考えるべきであろう。概ね20歳代で昇進することになる横綱が、その年齢で品格抜群であるということはなかなか難しいとは従来から言われていたが、力量については、抜群である力士も現に存在しているが全ての横綱にそれを求めるのは先の力士の超一流、一流の基準をどこにおくかから考えても字義通り「抜群である」ことを求めてしまうと、多くの横綱に対して常に批判的な目で見ざるをえなくなってしまうであろう

(今の横綱ふたりは力量の面できわめてレベルの高い横綱である。このことにより、これまでの多くの横綱が残してきた事績が忘れられ、横綱にこのレベルの強さを常に求めることになってしまうことを恐れる)。

さてそこで皇室である。連綿として続く皇統の中には、品格、識見、容姿といった面で衆に優れた方もおられたであろうが、皇室は、そういった面が優れていたから世の人々の崇敬を集めたわけではない。

また、自由、平等こそ人間にとって最も大切なものという価値観にたてば、その存在自体あってはならないものとなる。
皇室に属する方々もひとりの人間としてみれば、概ね特に優れた方であるわけではない、それは世の人々の暗黙の了解事項であろう。が、連綿と続く歴史と伝統が皇室をいわく言いがたい、「なにやらよくはわからないが、尊い」という存在にした。

主に残してきた場所の成績という、いわばきわめて俗なことに拠り横綱は誕生する。が、いったん横綱になれば、その瞬間からその力士は、相撲という長い歴史と伝統をもつ世界が保持してきた最も尊いものの体現者であり、以降の場所ごとに残す成績は副次的なものである。

横綱が字義通り「品格、力量抜群」なわけではない、ということは世の人々の暗黙の了解事項であっても、それを声高に叫ぶべきではないと思う。

横綱はただ横綱であるから尊い。それで充分なのではないだろうか。

「横綱」 それは、常人が批判することは許されない半神である。

中村淳一

編集者よりの注:この原稿は朝青龍が引退する前に頂いたものです。

私の相撲の見方(中村淳一)

2010年02月09日 | 読者からのコメント、中村淳一他読者の投稿
波乱が多ければ、横綱、大関陣を批判し、横綱、大関が強ければ、関脇以下と差がありすぎると批判し、12勝、13勝で優勝すれば、讃えることよりも、負けた2番、3番をあげつらう。そういうマスコミ、解説者の見方は、私はとりたくない。 

プロ野球のチームは6割勝てば超一流。優勝チームでもシーズンで7割の勝率を残すというのはきわめて稀なことである。5割台で優勝という例が最も多いはずである。だが、優勝チームなのに負けすぎ、という野球ファンはほとんどいないであろう。

長年の記録の積み重ねにより、トップクラスの技量をもつ人々の集団が100数十試合戦えばそうなる。野球とはそういうゲームであるということは自明なことだからである。

野球は相撲とは違って、各選手に地位による格差があるわけではないから相撲と同列には論じられない、と言われるかもしれない。

では名人をはじめとして7つのタイトルが存在する将棋はどうだろう。将棋の棋士は7割勝てば、超一流なのである。15世名人大山康晴も、16世名人中原誠も、17世名人谷川浩司もその通算での勝率は6割台。ピーク時でも7割台で、8割に達する年度があればそれは特別なことである。

だが、「名人なのに負けすぎる」という将棋ファンはほとんどいないであろう。長年の記録の積み重ねにより、将棋とはそういうゲームである、ということは自明のことだからである。

相撲は野球、将棋以上に長年にわたる記録の集積がある。その記録を虚心坦懐に眺めれば、相撲とはどういう競技か。力士としての一流、超一流の基準をどこにおくかは、本来、自明なことであるはずである。

積み重ねた過去の歴史を見れば、少なくとも7割勝てば(私は横綱、大関と常に顔が合う位置であれば6割でもそうだと思うが)一流。8割勝てば、超一流と考える。

8割といっても常に12勝ということではなく、例えば、14勝、11勝、13勝、9勝、13勝、12勝というような流れであれば、その力士は超一流である、という意味である。比較的不調な場所のことを批判するより、こういう力士が存在すればその強さを素直に讃えたい。これは「大相撲」誌によく論述されていた長山聡氏のお考えでもあると思うが、全面的に賛成する。 

相撲を見るなら、批判的に見るよりは、そのすごさを讃えて見たい。私が大学時代、相撲同好会で相撲を取っていたとき相撲部の110Kgの部員の方を一歩だって動かすことはできなかった。それを考えれば、関取になる、ということの凄さ。幕内力士になるということの凄さ。三役になり、三役に定着することの凄さ。その上・・・ 私は日常的に凄いものを見させてもらえる、ということを有難いことと思う。

中村淳一

「文化の様式を破壊してはならない」という論理には賛成 しかし防止対策は「力士を簡単に辞めさせず更生させる」ことを前提条件としたい。 (羽黒蛇)

2010年02月08日 | 朝青龍
読者の皆さんへのクイズです。次の4つのコメントは、誰の発言でしょうか。




コメント1:相撲協会の体質に問題がある。横綱にあるまじき振る舞いを見ぬふりをしてきた協会に責任がある。




コメント2:ドル箱の朝青龍に手をつけられなかった協会のコマーシャリズムというか、拝金主義というか。自業自得だ。




コメント3:相撲が国技であり文化であるなら、その様式を守らない人間は破壊する人間。




コメント4:協会が外国人を受け入れるのは結構だが、文化を理解できずに、ただ強いだけで文化の様式を壊すなら、さっさと辞めてもらった方がよい。




答えが分かりますか。誰でしょう。相撲関係では、ある意味で、有名な方です。


コメント2を除く、3つのコメントは、元横綱審議委員の内館牧子氏の発言にそっくりですが、内館氏の発言ではありません。


発言者が誰かの答えは、4つのコメントに対する私の見解を書いた後に、披露します。




では、ここからが、私の意見です。


コメント1:相撲の文化の様式に反する行為、礼儀に反する行為に対しては、相撲協会がペナルティを与えるべき。即刻ペナルティの重罪か、一度やったらイエローカード、2度目でペナルティもありうる。やってはいけない行為の内容によって決定し、力士にはそのガイドラインを事前に示す。




コメント2:相撲協会の目的が、相撲の発展であるから、レベルの高い相撲を観客に見せるのは義務である。レベルの高い相撲をファンに提供して、その結果として収入が増えるのは、拝金主義ではない。問題は、「レベルの高い相撲をとるが、文化を破壊する」力士への対応をきちっと決めていないこと、ペナルティを課さなかったことである。今回の問題より、相撲協会が反省して、今後はルールを決めて実践していけばよい。




コメント3:合意する。文化の様式を破壊する力士を、破壊しないように指導するには、ペナルティが必要である。昔は、相撲文化の様式は、世代を超えて自然に伝承されてきたが、時代は変わった。今後は自然に伝承されることを期待してはならない。そのことを証明し、「相撲協会に対策を施さないと滅びますよ」というメッセージを残してくれたのが、朝青龍である。




コメント4:力士は相撲協会の貴重な財産であり、相撲ファンがついている。簡単に辞めさせてはならない。ペナルティを与えながら、常に更正の道を残していく必要がある。ペナルティに出場停止を盛り込むことに私は反対で、地位の降下のみとすべきである。横綱に対するペナルティは、大関陥落とする。横綱は引退しか選択肢がない現在の横綱制度の改変が必要。力士に対する最大のペナルティは、前相撲からの再スタートとする。






冒頭のクイズの答えは、2月6日の朝日新聞に、石原慎太郎のコメントです。


石原慎太郎は、今は東京都知事だが、相撲界にとっては、八百長報道謝罪事件の当事者でした。石原氏が、八百長報道をして、相撲協会に謝罪したという事件です。


この事件については、Wikiの柏戸の項より引用します。


Quote


柏戸は、4場所連続の休場から再起をかけた1963年9月場所には大鵬との千秋楽全勝決戦を制して全勝で昇進後初となる2度目の優勝。これ以上はない見事な復活に日本中が感動し、柏戸は支度部屋で号泣した。だが、この取組をみた石原慎太郎が、新聞に八百長の疑惑を寄稿した。大鵬自身はビデオを見て自分の驕りだったとは感じたが勿論激怒し、時津風理事長の問いに対し「絶対に八百長はやっていない」と断言した。これを受け、協会は石原を告訴する準備をした。この件は石原側が謝罪する事で和解した。石原は相撲関係者でも何でもなく、この件まで本場所を見たことが無いという有様であった。


Unquote




Wiki最後の一文は、どこかの記事の孫引きだと思います。本当にそうだったのか、当時のマスコミ報道を検証してみたいと思いますが、これは老後の楽しみに。




羽黒蛇

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2010年02月07日 | 読者からのコメント、中村淳一他読者の投稿
朝青龍の引退について

 相撲協会を会社組織と考えれば、朝青龍が懲戒免職にあたることを行い、自主退職の形にした、ということはよく理解できる。
 が、相撲協会は会社組織とイコールではない。問題の多い構成員も、その懐の中に包み込むという家族的な対応を見せてほしかったように思う。
 近年、様々な問題が頻発しているが、それらの問題への相撲協会の対応を見ていると、その時々の世論に迎合しているような感じを受け、伝統ある組織としての毅然とした態度、度量の大きさといった印象を受けることがないのを残念に思う。

貴乃花の理事当選について

 貴乃花が目指している相撲協会の改革のその最終的な目標は、八百長相撲の撲滅、裏方さんの待遇改善なのかな、と感じる。ともにとても大切なことで、特に前者は現役時代に八百長を全くしなかったと言われる貴乃花親方に期待するところは大きい(ただ、若乃花との、さらには貴ノ浪との二度の優勝決定戦については、どうだったのかな、とは思う)。
 八百長相撲の撲滅はいつの時代も唱えられていることだが、指導する親方に対し「じゃあ、あなたの現役時代はどうだったのか?」と言われてしまうと説得力はなくなるであろう。
立ち合いの正常化でも、ちゃんと手をついての立合いが指導されたとき、栃若が双葉山時代のフィルムを見せて指導しているとの記事を読んだときは「他人のフィルムを見せる前に、自分たちの現役時代のフィルムを見せて、立合いの際は手をつくように、と指導してみたら」と突っ込みたくなった。
 八百長撲滅については、貴乃花の前にこれまた全くやらなかったという評判の高い大乃国に声を大にして提唱してほしかったと思うが、彼は今「スウィーツ」のほうに興味があるようで、それはそれで得難い貴重なキャラクターと思う。
 だが、一理事という立場では、根本的に改革するということはなかなか難しいであろう。短期的にみれば、協会を離れて自由人となって同じことを語ったほうが世間に対する影響力は大きかったのではないかと思う。しかし、真に改革しようと思えば、それは組織の中から変えていくことが望ましい。中長期的にみれば、将来、貴乃花が理事長になり、その現役時代の実績も合わせて、かつての双葉山の時津風理事長が持っていたようなカリスマ的な権威をもったとき、初めて根本的な改革がなされるのであろうと思う。
 が、今後、貴乃花が協会の中で、その影響力がだんだん大きくなっていくとしたら、気になることがひとつある。
 伝え聞くことだから、本当のことは知らないが、今、貴乃花は家族とともに、相撲部屋とは別の場所で生活している、それは夫人の「相撲部屋は、子供の教育にとって望ましい環境ではない」という言葉に拠っている、ということである。将来、部屋もちの親方になる可能性が高いひとのところに嫁ぐということは、いずれは「おかみさん」として多くの弟子の日々の面倒をみていく生活が待っていること、ということが必ずしもそうではない、ということになり、これも大相撲の世界の改革の一環ということなのかな、とも思う。
 が、このことが将来、貴乃花の協会での立場にとってアキレス腱になるのではないかとも思う。
 しかし、先の魁皇に関して書いた文章をみても明らかだが、私が何か予想めいた文章を書くと、たいていはその逆のことが起こるので、今、書いたことも、多分、何の問題にもならないのであろう(逆接が続く文章で失礼しました)

中村淳一