羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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平成25年・2013年9月場所前(真石博之)

2013年08月31日 | 相撲評論、真石博之
9月場所の資料をお送りいたします。真石博之

○名古屋場所、14日目に白鵬を倒した稀勢の里の相撲は圧巻でした。立つ前に稀勢の里の圧力を肌で感じたのでしょう。白鵬がつっかけ、そのあと嫌って二度の「待った」。対する稀勢の里の表情は変わらず。
立ち合い、白鵬は廻しを狙わず、左で張って右でカチ上げたのが失敗。頭で当った稀勢の里が押し上げ、左に逃げながら張る白鵬を左ハズ右のど輪で攻め立てました。このあたり、20kgの体重差が出ました。
劣勢の白鵬は右に回り込んで左からイナし、身体が離れたところで、またまた張ったのが悪く、稀勢の里が不得手の右四つながら、先に上手を取り、引きつけて寄り切りました。中味の濃い9.9秒でした。

○5月には稀勢の里に相撲に負けて勝負で勝った白鵬でしたが、7月には相撲に負けて勝負にも負けました。
こうして白鵬の連勝は43でストップ。3年前にも稀勢の里に連勝を止められましたが、前回が危なげなく勝ち進んだ中での「まさかの敗北」だったのに対して、今回はなんとか凌いできた連勝の中での「予感された敗北」、しかも「完全な敗北」でした。脇腹に貼られた初めてのテーピングは、歴代の大横綱が例外なく辿った「怪我は衰えの始まり」の道なのでしょう。稽古量は日馬富士より明らかに少ないのです。

○こうして、文句のつけようのない相撲で第一人者の白鵬に勝った稀勢の里は、日馬富士には3連勝中で、今や実力では「二強」の感があります。ところが、前半戦で栃煌山、千代大海、豪栄道に負け、そのあと盛り返して手にした「来場所で横綱」の細い糸も、千秋楽に琴奨菊にあっさりと切られてしまいました。
一場所さかのぼって夏場所。全勝同士で14日目の白鵬との対決に持ち込んだ稀勢の里を見て、「やっと開眼した」というのが大方の見方で、私もそう感じました。そんな中、九重(千代の富士)だけは違っていました。「残念だったのは、相撲内容が勢いでの勝利だったことだ。当り勝って得意の左を差して万全の体勢で寄り切るなど、うまさや技術が見られたわけではない」と述べていました。(雑誌「相撲」7月号)
この九重の指摘通りになってしまった名古屋場所の稀勢の里でした。

○師匠だった先代鳴戸(隆の里)が、相撲好きが集まる会合で、稀勢の里について訊ねた私の質問に対して、「身体や馬力で上がれるのは関脇まで。その上は頭です」と明言したことがありました。平成22年6月のことで、当時、稀勢の里は関脇でした。その師匠が翌23年11月場所直前に急逝し、稀勢の里はその場所で大関昇進を決めたのでした。しかし、大関になった今も、まだ、「身体と馬力の相撲だ」と九重は言っているのでしょう。
ここでは、持論である「スポーツIQ」には言及しませんが、元師匠が言う「頭」が課題なのでしょう。
日本人で身体能力が高い人は相撲を選ばず他のスポーツに進んでしまう中にあって、稀勢の里の身体能力は高く、栃煌山、豪栄道、妙義龍の上でしょう。だから、日本人横綱への期待を一身に背負わされているのです。しかし、身体能力とは別の領域での変身がない限り、ミスター・ガッカリのままでしょう。

○陰が薄くなっているのが日馬富士。横綱に昇進して5場所、全勝した初場所を除くと、9勝、9勝、11勝、10勝と大関もつとまらない成績です。もっとも、横綱昇進を決めた連続全勝優勝の直前5場所の勝ち星が、8勝、11勝、11勝、8勝、8勝だったことを考えれば、実力はこんなところかもしれません。
その昨年の連続全勝優勝。まず名古屋場所は、白鵬が負けにいった相撲で、鏡山審判長が「興ざめだよ、興ざめ」と激怒。続く秋場所での白鵬がケンケンで負けた一番も、疑問視する専門家がいます。それはさておき、2場所だけの成績で横綱を決める(作る?)のが間違いであることを、こんなにハッキリと証明した例も珍しいでしょう。本人の苦しさの半分位は横綱審議会も苦しんでもらいたいものです。 

○別紙「24横綱の横綱昇進後の戦績」では、特別に強かった大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍の「五大横綱」と、その五人を除くいわば「並の横綱」19人の平均値も記しています。日馬富士の勝率7割2分は、「並の横綱」の平均7割4分をすでに下回っています。横綱の成績は、勢いのある昇進直後が最高で、徐々に下がっていくものですが、日馬富士には昇進直後の勢いがないのです。そして、早くも、「平均引退年齢」まで残すところ1年半です。両足首の完治は難しいことでしょうし、前途は多難です。

○名古屋場所では、十両上位の勝ち越し力士が極端に少なく、幕内下位での休場と負け越しが多かったため、秋場所の番付では、番付運に恵まれた関取が多く、十両6枚目で3つ勝ち越しの豊真将が9枚上って幕内13枚目、十両7枚目で3つ勝ち越しの旭日松が7枚上って幕内16枚目です。また、幕尻に近い下に2枚で3つ負け越した玉飛鳥、下に3枚で5つ負け越した玉鷲の片男波コンビが幕内に残留となりました。

○部屋の土俵にあがることも許されない2年半の長い空白期間のあと、名古屋場所の土俵に戻って来た蒼国来でしたが、大負けを心配する大方の予想を見事に覆して、6勝9敗の成績をおさめました。ところで、蒼国来の裁判は、一審の東京地方裁判所で解雇無効の判決が下り、それに対して相撲協会側が控訴をせず、確定したものです。理事長は、八百長事件当時の放駒(魁傑)が定年退職し、北の湖に替っていたのです。

○その後、日本相撲協会の危機管理委員会(委員長は宗像紀夫理事・元東京地検特捜部長)は、「蒼国来の八百長への関与」を認めた2年半前の協会の調査の実態を検証するために、関係者への事情聴取を試みました。
しかし、当時の放駒理事長、村山弘義副理事長(元東京高検検事長)、伊藤滋理事(早大特命教授)は、聴取を拒否しました。地検特捜部長の聴取を高検検事長が拒むというおかしな構図なのです。20人を越える力士を追放し、本場所の開催中止にまで至った大事件でしたが、このままでは、芥川の「藪の中」です。
「もともと、八百長は薮の中に留め置くもの」という卓見は承知していますが、それとこれとは別物です。

○定年退職ラッシュによる年寄株の供給過剰に加え、公益法人化後の不透明さもあって、年寄株が買い易くなっているのでしょう。今年になって、借株だった親方の年寄株取得が6つもあります。小野川の北桜が式秀を、安治川の敷島が浦風を、大島の武蔵丸が武蔵川を取得したのに続いて、引退後18年間も借株だった起利錦が51歳で勝ノ浦を取得、西岩の玉乃島が放駒を、荒磯の玉力道が二所ノ関を取得しました。
他に、引退した雅山が二子山を、現役の琴奨菊が秀ノ山を取得し、取得者は半年間で8人にのぼりました。

○その結果、7月場所開幕時点で、人から年寄名跡を借りている「借株親方」が年初より6人も減って6人になったのに対して、襲名する人がいない「空株」が8つになりました。入居希望者より空き家の方が多くなったのです。私が大相撲のデータに手を染めて20年ほどになりますが、こんなことは初めてです。
史上空前の若貴人気によって、相撲協会の収入は平成元年から10年までの間に50%以上増え、年寄の給与もほぼ同じ割合で昇給しました。人数が圧倒的に多い「委員」で、年収は1500万円を越え、売り手有利の年寄株市場では、億単位の取引事例もありました。それが、ここにきて様変りのようです。

○番付などにある体重は昨3日発表のものです。幕内の平均体重が7場所連続で160kgを越えているのは由々しき事態です。体重の欲しい日馬富士が1kg増の135kで自己最高ながら幕内最軽量。177kgに増えた稀勢の里は太り過ぎの感。目立つのは、栃乃若の10kg増、玉飛鳥の8kg増。気になるのが蒼国来の5kg減。最軽量関取の隆の山はさらに2kg減って94kgで、2番目に軽い双大竜と26kg差です。
平成25年9月4日  真石 博之