羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2012年05月29日 | 情実相撲・八百長・防止案など羽黒蛇意見
何故、幕内最高優勝は、上位力士全員と対戦しなければ認めてはいけないのか(羽黒蛇)






三つの理由がある。

理由1:八百長の防止。

理由2:歴史の改ざんを防ぐ。

理由3:力士が嫌がっている。






上位と対戦しない平幕優勝を認める現行制度は、八百長を誘因している。

稀勢の里のような大関に昇進する実力のある力士が、優勝しようと考えたら、大関に昇進して、上位力士全員と対戦するより、

八百長して下位に下がり、10日間楽な相手と対戦し全勝し、残り5日間の上位との対戦に集中する方が、優勝の可能性は高い。

八百長を防止するためにも、序盤戦で上位と対戦しない平幕力士に、たとえ全勝しても、優勝の資格を与えてはならない。






吉葉山は1回しか優勝していない。時津山は1回も優勝している。

豊山は1回も優勝していない。富士錦は1回も優勝している。若浪は1回も優勝している。

稀勢の里は1回も優勝していない。旭天鵬は1回も優勝している。

吉葉山と豊山の優勝回数は、本来は、吉葉山2回、豊山1回か2回である。

現行の優勝制度は、歴史を改ざんしている。

一刻も早く、これ以上の改ざんを防止すべき。






私の相撲史の知識の範囲だが、横綱大鵬は、2回、わざと負けている。

1回目は、昭和40年初場所の千秋楽、優勝が佐田の山に決まった後で、7勝7敗の横綱栃ノ海と対戦した一番。

2回目は、昭和44年名古屋場所の千秋楽、大関清国との一番。






この場所は14日目までに、横綱大鵬、大関清国、大関琴桜、前頭5枚目藤ノ川の4人が11勝3敗でトップ。千秋楽の取組は、

○藤ノ川12-3 ●前乃山(関脇)

●琴桜 11-4 ○北の富士(大関)

○清国 12-3 ●大鵬 11-4






何故大鵬はわざと負けたのか。

入門が同期の清国に優勝のチャンスに、勝ちを譲ったのか。否。






大鵬がわざと負けたのは、藤ノ川と優勝決定戦を戦いたくなかったからと言われている。(真実かどうかはわからない。この説は定説になっていると私は思うが、証拠はない。)






藤ノ川はこの場所、前頭5枚目で、関脇と小結の4人とは対戦しているが、横綱・大関5人とは対戦していない。






大鵬は、たとえ同じ幕内で同点の12勝3敗とはいえ、そんな力士と、優勝決定戦を戦いたくなかった(と想像されている)。

大鵬の優勝辞退の是非について、同情する人より、全力をつくさない横綱を非難する者が多いだろう。鏡里のように全力をつくせと。(鶴ヶ嶺と優勝決定戦で勝利、昭和31年初場所)






私は、大鵬に、同情も、非難もしない中立的な立場であるが、

横綱に、このような気持ちにさせ、優勝を辞退させるような制度は、なくさないといけない。若き日の羽黒蛇は、心の中で、強く誓ったのである。

このブログでは、40年間思い続けてきた主張を書いている。






終盤だけ上位と対戦した下位力士の優勝(半分インチキ優勝)を、認めない優勝制度に変えるべきという根拠は以上の通りである。






羽黒蛇

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2012年05月29日 | 幕内の「最高」優勝とは
何故、幕内最高優勝は、上位力士全員と対戦しなければ認めてはいけないのか(羽黒蛇)






三つの理由がある。

理由1:八百長の防止。

理由2:歴史の改ざんを防ぐ。

理由3:力士が嫌がっている。






上位と対戦しない平幕優勝を認める現行制度は、八百長を誘因している。

稀勢の里のような大関に昇進する実力のある力士が、優勝しようと考えたら、大関に昇進して、上位力士全員と対戦するより、

八百長して下位に下がり、10日間楽な相手と対戦し全勝し、残り5日間の上位との対戦に集中する方が、優勝の可能性は高い。

八百長を防止するためにも、序盤戦で上位と対戦しない平幕力士に、たとえ全勝しても、優勝の資格を与えてはならない。






吉葉山は1回しか優勝していない。時津山は1回も優勝している。

豊山は1回も優勝していない。富士錦は1回も優勝している。若浪は1回も優勝している。

稀勢の里は1回も優勝していない。旭天鵬は1回も優勝している。

吉葉山と豊山の優勝回数は、本来は、吉葉山2回、豊山1回か2回である。

現行の優勝制度は、歴史を改ざんしている。

一刻も早く、これ以上の改ざんを防止すべき。






私の相撲史の知識の範囲だが、横綱大鵬は、2回、わざと負けている。

1回目は、昭和40年初場所の千秋楽、優勝が佐田の山に決まった後で、7勝7敗の横綱栃ノ海と対戦した一番。

2回目は、昭和44年名古屋場所の千秋楽、大関清国との一番。






この場所は14日目までに、横綱大鵬、大関清国、大関琴桜、前頭5枚目藤ノ川の4人が11勝3敗でトップ。千秋楽の取組は、

○藤ノ川12-3 ●前乃山(関脇)

●琴桜 11-4 ○北の富士(大関)

○清国 12-3 ●大鵬 11-4






何故大鵬はわざと負けたのか。

入門が同期の清国に優勝のチャンスに、勝ちを譲ったのか。否。






大鵬がわざと負けたのは、藤ノ川と優勝決定戦を戦いたくなかったからと言われている。(真実かどうかはわからない。この説は定説になっていると私は思うが、証拠はない。)






藤ノ川はこの場所、前頭5枚目で、関脇と小結の4人とは対戦しているが、横綱・大関5人とは対戦していない。






大鵬は、たとえ同じ幕内で同点の12勝3敗とはいえ、そんな力士と、優勝決定戦を戦いたくなかった(と想像されている)。

大鵬の優勝辞退の是非について、同情する人より、全力をつくさない横綱を非難する者が多いだろう。鏡里のように全力をつくせと。(鶴ヶ嶺と優勝決定戦で勝利、昭和31年初場所)






私は、大鵬に、同情も、非難もしない中立的な立場であるが、

横綱に、このような気持ちにさせ、優勝を辞退させるような制度は、なくさないといけない。若き日の羽黒蛇は、心の中で、強く誓ったのである。

このブログでは、40年間思い続けてきた主張を書いている。






終盤だけ上位と対戦した下位力士の優勝(半分インチキ優勝)を、認めない優勝制度に変えるべきという根拠は以上の通りである。






羽黒蛇

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2012年05月28日 | 幕内の「最高」優勝とは
幕内最高優勝とは、上位力士と何人対戦すれば認められるのか(羽黒蛇)






このブログで平幕優勝について論じている。

私は最初、小結以上全員と対戦することが、幕内最高優勝の条件で、平幕下位は優勝の資格がない制度にすべしと、主張した。

次に、幕内の枚数を、江戸時代のように少なくして、幕内下位と十両を合併すべきと、主張した。






主張している中味は同じだが、幕内枚数削減を最初に提案しなかったのは、

理由1:現在の番付から大きな変更になるのは避けた方が無難だと思ったから。

理由2:十両土俵入り、幕下五番、十両取組、幕内土俵入り、横綱土俵入り、前半戦、審判交代、後半戦という長年のリズムを崩すことに反対だったから。











次に平幕下位力士でも、終盤戦で上位と対戦すれば、現行制度の優勝を認めてもよいという立場の意見を紹介したい。読者の中村淳一氏のコメントを部分引用する。

Quote

幕内最高優勝というのは、力士にとっての大きな夢であるはずなので、番付上、小結以上全員と対戦することが困難な、前頭中下位力士に対し、その夢を最初から取り上げてしまうのは望ましくないと思います。

また見る側にとっても、平幕優勝力士が出るかどうかというのは、そういう可能性がある場所があれば、大きな注目点になります。

最終盤に、ぽんとひとりかふたりの横綱、大関と対戦しただけの平幕優勝力士が出てしまうのは、極力、避けなければいけませんが、10、11日目あたり以降で、その時代の実力第一人者と目されている力士を含む、三人、四人の最強クラスの力士との対戦があって、なおかつ成績最上位の平幕力士がいれば、その力士については、私は、幕内最高優勝として良いと思います。

Unquote






私の意見は次の通り。

たとえ終盤上位と対戦したとしても、前半戦は楽な下位の相手と対戦しているのであり、プロ野球の二軍リーグの喩えのように、終盤だけ上位力士と対戦した力士を、幕内最高優勝として認めてよいのか。そうではないと思う。






旭天鵬・時津山・玉乃海・富士錦・若浪は、上位との対戦がほとんどないインチキ優勝。

若三杉・高見山・琴錦1回目・貴花田・水戸泉・琴光喜は、上位と全て対戦している完璧優勝。

琴富士・琴錦2回目・貴闘力は、上位との対戦が少ししかない、半分インチキ優勝。

豊ノ島が決定戦で白鵬に勝っていたら、半分インチキ優勝。

北勝力が決定戦で朝青龍に勝っていたら、完璧優勝。






「幕内最高優勝とは、上位力士と何人対戦すれば認められるのか」という問いかけに、

5人という立場は、私がが半分インチキ優勝と言う「終盤のみ上位と対戦の平幕優勝」も、幕内優勝と認める。中村氏と、一つ前のエントリーのsarch氏は、この立場。






全員と対戦しないと優勝とは認められないというが私の意見。その理由を次の記事で述べる。






羽黒蛇

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2012年05月28日 | 幕内の「最高」優勝とは
平幕優勝決定の案、読者searchさんからのコメントを掲載します。




お世話になっております。いつもブログ楽しく拝見させていただいております。










旭天鵬の優勝に水を差す気はありませんが、やはり、本当に優勝は旭天鵬がふさわしかったのか、という思いは私も強いです。私は対戦相手に応じて勝敗をポイント化してそれをさらに偏差値化させた指標を独自に作成しているのですが、今場所の1位は稀勢の里、2位が栃煌山という結果になりました。以下、白鵬、琴奨菊、把瑠都、妙義龍、豪栄道、鶴竜と続き、旭天鵬は9位でした。旭天鵬の数値は、さすがにS36.5の佐田の山よりは上だろうと思っていたら、これをも下回っていました。佐田の山は三役以上の対戦こそ小結戦1戦でしたが、後半はほとんど平幕上位との対戦になっており、そこで今場所の旭天鵬との差がついたのだと思います。










私自身、平幕優勝、平幕下位での優勝を否定する気はありません。



しかし、そこで「しかるべき対戦相手の対戦した結果での優勝だったのか」というのが疑問として残ります。



たとえば、H12.3の貴闘力。幕尻でしたから十両力士との対戦がある、序盤は平幕2ケタとの対戦ばかりだった、これは当然のことでしょう。しかし、結果的に横綱戦もあり、横綱には勝てず、貴闘力が勝った相手の最高位は関脇だったわけですが、「上位ともぶつかった結果」というのに意味があろうかと思います。



勝敗でいえば、やはり上位に勝っての優勝のほうが見栄えは良いわけですが、「対戦した」というところを重視したい。対戦がなければ「対戦があれば勝ったか負けたかすらわからない」というところに疑念をいただかせていただいているのだと思います。










私も私案(というと大それていますが)として、幕内を2分割できないか?というのを考えたことがあります。幕内定員を大幅減するというのにはどちらかといえば反対です。関取定員を維持するために十両を増やせばいい、という案もあろうかと思いますが、感覚的にではありますが、幕内20名、十両50名ではバランスはよろしくないかと思います。










名称としては良い案が思いつかなかったのですが、仮に幕内AとBにしておきます。



現在の幕内定員が42名ですから、上位21名までと22位以下という分断で良いと思います。



今場所でいえば、西5の雅山までが幕内A、東6の若荒雄以下が幕内Bとなります。










そして、原則として、割は幕内AグループとBグループで編成していきます。幕内A-Bの割が組まれるのは、入れ替えや対戦相手の確保のための現在の段違い対戦が組まれるのと同じようなイメージで良いと思います。当然、幕内Bが「全体での最多勝」になるケースというのはあろうと思いますが、優勝決定を以下のようなルールで決定します。










1最多勝者が幕内Aのみ単独→決定戦等なしでこの力士の優勝



2最多勝者が幕内Aのみで複数名→この力士たちで決定戦



3最多勝者が幕内Bのみで単独→幕内Aの最多勝者と直接対戦し、幕内Bが勝てば優勝



4最多勝者が幕内Bのみで複数名→幕内Bの代表者決定戦を実施し、あとは3の方式で行う



5最多勝者が幕内AとBで同点(1名ずつ)→幕内Bの力士は2勝、幕内Aの力士は1勝したら優勝(つまり最大2番)



6最多勝者が幕内Aで2名以上、Bで1名→幕内Bの力士は幕内Aの力士とフル対戦。全勝すれば優勝。もし、幕内Aの力士でBに勝った者が1名ならその力士が優勝、複数名がBに勝てば、Bに勝った者同士で決定戦



7最多勝者が幕内Aで2名以上、Bで2名以上→幕内B代表決定戦を行い、あとは6と同じ










これは、今場所開催以前に考えたルールなので、今場所のような事態になると、果たして旭天鵬と栃煌山で旭天鵬が栃煌山に2連勝することで優勝の意味があるのか、栃煌山が勝てば、今までと何も違いがないのではないか、という思いもあるのですが、最低限、上位の好成績力士に勝つことが求められてくるとは思います。(今場所の結果を受けてこの案もまだ改良の余地大ありだ、と思い直してもいますが)










また、やみくもに平幕下位の力士を上位にぶつけるというのは、優勝が絡むのだから当てるべきだ、という意見にはもろ手を挙げて賛成とは思いません。これを行うためには、私は番付編成方法の見直し、これをするべきだと思います。










たとえば、初日から11連勝の平幕下位力士が12日目から優勝争いという理由で横綱・大関と対戦し、結果11勝4敗で終わりました。その1枚上の力士が、中日を終わって、5勝3敗、でも終わってみたら11勝4敗でした。十分に考えられるケースです。しかし、現在の番付編成からすれば、同じ星ですから、横綱・大関と対戦させられた力士が、対戦のなかった1枚上の11勝力士を番付で上回るかといったら、そうはならないはずです。審判部が、優勝争いに絡んだし、最後は上位に連敗した。同じ11勝でも中身が違うから、来場所の番付は逆転現象がある、というような編成をできるのなら、積極的に対戦させていくべきだと思いますが、番付が成績だけで勘案されているのでは、私は優勝争いに絡むのだから対戦させるべきとは言いたくありません。










千秋楽に本割以外に2番も3番も、となると力士への負担も大きくなろうかと思いますが、仮にも幕内Bからの優勝が出れば、最低でも1番、上位の最高成績者に勝たないといけないわけですから、それは圧巻なものになろうとも思いますし、千秋楽にこのような優勝決定にかかわる取組が増えるという点でも面白いのではないかとおもっております。

以上

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2012年05月27日 | 読者からのコメント、中村淳一他読者の投稿
幕内下位と十両を合併して十両の枚数を増やして、幕内を横綱・大関と対戦する枚数まで減らす。(中村淳一さんのコメントを読んで、羽黒蛇)


「虚しかった警鐘」  中村淳一

管理人さんは、これまで常に警鐘を鳴らし続けてこられました。真に幕内最高優勝の名に値しない平幕優勝力士が生まれてしまう危険性についてです。それは、本ブログの過去の記述を振り返れば明らかなことです。  

その危険性が出てきたら、場所毎に、具体的に、協会の取組編成について「何故、下位で勝ちこんでいる○○に、今の時点で上位力士を当てないのか。もし、今、上位で優勝争いの先頭に立つ△△が、アクシデント等で休場したら、横綱、大関とほとんど対戦していない平幕優勝力士が誕生してしまうではないか」という主旨のコメントを繰り返されてきました。  


が、その警鐘もむなしく、このたび、優勝争いとは無縁の大関ひとりと対戦しただけの平幕優勝力士が誕生してしまいました。  旭天鵬は穏やかな人柄で、好感のもてる力士です。今回の優勝についても心情的には「良かったなあ」という思いが強いです。   それでも対戦相手をみれば、本来の幕内最高優勝ではない、と言わざるをえません。


今回の優勝は、プロ野球に置き換えてみれば、イースタンリーグあるいはウェスタンリーグで高い勝率を残したチームが、シーズンの終盤、十試合程度、一軍で試合をし、結果、最終勝率が、一軍のどのチームより高かったので、そのチームが一軍のリーグ優勝と認定されたようなものです。そういう優勝チームをプロ野球ファンは認めるでしょうか。  


野球と相撲は異なるし、平幕優勝(横綱、大関と、本来は対戦することのない地位の、の意で使っております)というのは、相撲協会が提供する可能性のある大きなドラマの一つであると私は思っています。しかし、それは、上記で記載した不合理性を認識し、終盤の対戦相手に十分に留意した上で提供されるべきドラマであると思っています。


今回、琴欧洲の千秋楽の休場について、八角親方が「協会の危機管理意識も甘かった」旨の発言があったことは画期的なことのように思います。 しかし「対戦相手に問題のある平幕優勝力士を誕生させてしまうことになってしまった取組編成の甘さ」を自己批判する審判委員らのコメントは聞こえてきません。それは、そのことが大きな問題だ、と認識している審判委員がいないからでしょう。審判委員のこの認識、相撲協会の全体の認識が変わらなければ、この問題は解決しないでしょう。 以上


以下羽黒蛇感想です。

プロ野球のイースタンリーグ・ウエスタンリーグの喩えは適切だと思います。 サッカーも、Jリーグ(幕内上位)、J2リーグ(幕内下位)という喩えが成り立ちます。 大相撲は、幕内下位と十両を合併して十両の枚数を増やして、幕内を横綱・大関と対戦する枚数まで減らした方がよい。 羽黒蛇

江戸時代の番付に戻ろう。(羽黒蛇)

2012年05月27日 | 幕内の「最高」優勝とは
江戸時代の番付に戻ろう。(羽黒蛇)






大相撲星取表より、寛政2年冬場所の星取表を添付します。






「幕内下位と十両を合併して十両の枚数を増やして、幕内を横綱・大関と対戦する枚数まで減らす。」という提案は、江戸時代の星取表を見て、思いつきました。






当時は優勝制度はないのですが、現在の制度に当てはめると、この場所は雷電為右エ門が初優勝、前の場所までに、谷風18回、小野川5回の優勝をしています。

当時は東西制なので、横綱谷風(番付上は大関)は、東の力士としか対戦していない。対戦相手と地位は次の通り。数字は番付上、東大関小野川を一番目として、何番目かを示す。

伊勢濱  二段目7(15)

簑嶋   二段目3(11)

友千鳥  二段目2(10)

出水川  二段目1(9)

磐井川  前頭5(8)

加治ケ濱 前頭4(7)

雷電灘  前頭3(6)

鷲ケ濱  前頭1(4)

小野川  大関(1)






関脇龍門(2)と前頭二名草山(5)は途中休場があるためか谷風と対戦せず。小結九紋龍(3)は全休

小野川の対戦相手は、15・11・10・9と推定・8・6・3・2・1

4日目を、9と推定したのは、二段目1の出羽海と小野川の二人が、「や」で、当時は不戦勝制度がないので、どちらかが相撲がとれなかったと思われる。不思議なのは、4番目の前頭1宮城野と対戦していないこと。






当時は、幕内と、二段目(現在の十両に相当)の対戦が、幕内トップの大関でも組まれていた。

二段目の力士が、大関・関脇・小結(トップから1・2・3番目の力士)を倒して全勝しても、優勝とならないのは、不合理だが、(例えば、この場所の簑島は3人と対戦している)






もともと相撲の幕内は、大関・関脇・小結と必ず対戦する地位の力士に限定されていた、と考えることができる。






江戸時代の番付に戻り、上位と対戦する力士に、優勝する資格を限定しよう。羽黒蛇





星取表は、こちらのサイトより引用させていただきました。

http://gans01.fc2web.com/edo2/kansei2-11.html






羽黒蛇

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2012年05月27日 | 相撲評論・現在の大相撲
5月場所の把瑠都には失望(読者からの指摘、羽黒蛇)






一つ前の記事「割返しは大関に二番とらせるべきだった」という指摘をしてくれた読者は、5月場所の把瑠都は、日馬富士戦、琴欧洲戦で手を抜いていて、失望したと語っていた。






大関互助会の疑いがあると、私も、次のエントリーで紹介している。

http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-db2f.html






相撲は必ずしも強い力士が勝つわけではないが、現在の把瑠都と、日馬富士・琴欧洲には大きな力の差があるように見える。

二場所前の初場所優勝し、横綱を目指そうという把瑠都、

8勝するのがやっとで、カド番にもなった日馬富士・琴欧洲






もし、把瑠都が、2人に勝っていたとしたら、

把瑠都 11-4

稀勢の里11-4

琴奨菊 10-5

鶴竜   8-7

日馬富士 7-8

琴欧洲  7-8

となり、北の湖理事長が望む、複数の大関が優勝争いに参加となっていた。

大関二人が負越すと、負越したことに対する批判も出るだろうが、

大関一人だけ優勝争いで、6人全員勝越しと、

大関二人が優勝争いで、2人負け越しと、どちらがよいだろうか。

強い大関が増えると、弱い大関は負越す、これは勝負の理なのであり、

六人の大関全員が勝ち越して、その中で優勝争いが二人か三人でるというのは難しい。

関脇以下がよほど弱ければそうなるが、弱い大関(日馬富士・琴欧洲)と関脇以下の強い力士(豪栄道・豊ノ島)の力の差は、昨年に比べ小さくなっている。






把瑠都11勝から琴欧洲7勝というランクは、現在の六大関の実力の通りである。

もちろん、弱くても調子のよい大関、強くても調子の悪い大関が出るので、一場所の成績は必ずしも実力の通りにはならない。






私は、把瑠都が、日馬富士・琴欧洲に負けたことで、横綱昇進のチャンスを失ったと感じた。

今場所11勝なら、優勝・10勝・11勝で、来場所以降、12勝・優勝なら、横綱に昇進させてもいが、優勝・10勝・9勝・12勝・優勝なら昇進できない。

横綱になるための星勘定の以前の問題で、把瑠都は横綱になりたいという意志を感じない大関に、羽黒蛇的には、先場所で降格となった。






羽黒蛇

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2012年05月27日 | 不戦勝力士は相撲をとるべき
不戦勝をなくす割返しは、一日二番とらせても、ファンの喜ぶ取組にすべき(読者からの意見、羽黒蛇)



http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-d0a4.html こちらのエントリーで私は、千秋楽琴欧洲の休場が決まった後で、栃煌山の相手を、

東前頭15富士東 (割返しを一番だけとする案)

西前頭6碧山  (割返しが二番とすれば、10勝4敗で優勝争いに絡んでいる碧山)

という提案をした。これに対して、読者より、次の指摘があった。



相撲協会は、どのような取組がファンに喜ばれるかを、考えるべき。真剣に。

栃煌山は優勝争いのトップであり、大関以上と対戦させるべき。

栃煌山を大関以上と対戦させると、横綱大関の一番、大関同士の一番がキャンセルとなるが、キャンセルしないで、大関が二番とればよい。

5月場所千秋楽の結びの一番の後で、相手力士が十分に支度部屋で休んだ後で、栃煌山と対戦する。

二番取った力士は、「勝ち得・負け得」とする。勝ったら一勝、負けたらカウントしない。



千秋楽これより三役は次の三番だった。

○琴奨菊 10-5 ●鶴竜8-7

○把瑠都 9-6  ●稀勢の里11-4

○日馬富士8-7  ●白鵬10-5

この後で、例えば、栃煌山と把瑠都が対戦。把瑠都が勝てば、10-6、把瑠都が負けると、9-6 (9-7にはならない)

「勝ち得・負け得」の制度は、幕下にはあるが、十両以上には、現在ない。しかし、十両以上に適用することに、何ら問題はない上、次のメリットがある。



メリット1:割返しが少なくて済む

メリット2:ファンが喜ぶ。

メリット3:力士の番数が増えることにより、本当に強い力士(稽古量の多い力士)が有利になる。



気をつけなければならないのは、勝ち得により優勝が左右されるケースが起こりうること。先場所を例に解説すると、



琴欧洲休場により、栃煌山の相手が白鵬に決まる。

○碧山  11-4 ●安美錦7-8

●旭天鵬 11-4 ○豪栄道9-6

○隠岐の海11-4 ●豊ノ島6-9

●稀勢の里11-4 ○把瑠都9-6

○白鵬  11-4 ●日馬富士7-8

○白鵬  12-4 ●栃煌山11-4

これは、勝ち得の力士が、他の力士より多く勝って優勝なので、理屈には合い不公平感はないが、優勝決定戦がなくなることで、相撲ファンは残念がるであろう。



不公平感が生じるのは、次のようなケース。

力士A 12-3 但し負け得が一番あり、実際の成績は、12-4

力士B 12-3 負け得なし。

この二人が優勝決定戦をやって、力士Aが勝った場合に、本当に優勝としてふさわしいのかという議論はあるだろう。

従って、勝ち得負け得の一番は、優勝の可能性のない力士、先場所の千秋楽の例では、日馬富士・把瑠都・琴奨菊がよいということになる。



読者の意見に私も賛成で、プロなのだから、一場所のうち一日くらいは、二番(一場所16番)とってもよい。

不戦勝をなくして、ファンに相撲を見せることが肝要である。



羽黒蛇


-------


「勝ち得・負け得」の解説を、Wikipedia「八番相撲」より引用。

通常、幕下以下の力士は1場所に7番の相撲を取る。休場者が出る等して出場力士が奇数になった場合、序ノ口の下位力士を4日で3番取らせるなどして調整するが、最終的にどうしても全力士均等に7番の割を組めないことがある。

その場合、特別に7番取り終えた力士1名を選び、割を組む。この場合、その力士が8番目の相撲に勝てばこれは勝ち星として評価され(1勝6敗の力士が八番相撲に勝って2勝6敗となった場合、4点の負け越しとして取り扱われる)、負けても黒星として扱わないことになっている。

これを「勝ち得、負け得」という。

例えば、2001年7月場所では東筆頭の須磨ノ富士が八番相撲に勝って3勝5敗としたものの、翌場所の番付は西筆頭で3勝4敗だった錦風と逆転することから、八番相撲に勝っても七番相撲で同じ数の勝星をあげた力士よりは低い成績として取り扱われる。

2012年現在、既に5敗以上している幕下上位の力士か、序ノ口の力士(3勝4敗や勝ち越しの場合もある)が選ばれている。幕下は、勝ち越している力士の場合、十両昇進に有利に働くためと見られる。無作為に選ばれていた当時の話として、1972年3月場所に東幕下筆頭で3勝4敗と負け越していた青葉山が、八番相撲で4勝4敗と五分の星になった(番付編成上は4勝3敗とはならず、4勝4敗の五分として取り扱われる)。

その前の場所で、東筆頭の渥美洋が逆に4勝3敗から八番相撲をとり、負けて4勝4敗になったもののこの場合は4勝3敗として取り扱われるため、十両に返り咲いた。青葉山は翌場所も同じ地位に留まった[1]。

それ以降、幕下上位で3敗、4敗している力士の八番相撲は1度も組まれていなかったが、2008年9月場所において東幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越しを決めていた若荒雄に千秋楽に八番相撲が組まれ、当人は勝利している。なお、青葉山は5月場所を3勝4敗と負け越し、結局十両に昇進した時期は2年後のことだった。



以上

貴乃花22回目の優勝、武蔵丸と優勝同点でよかった。明治37年1月場所、梅ケ谷と常陸山二人が優勝(羽黒蛇)

2012年05月27日 | 歴史
貴乃花22回目の優勝(羽黒蛇)






千秋楽に怪我で休場した琴欧洲に批判が集まった。

怪我や発熱をおしての出場でファンの感動をよんだ相撲に、貴乃花と東富士を思い出す。






貴乃花は、平成13年夏場所、13勝1敗で、千秋楽、12勝2敗の武蔵丸と対戦。

怪我をしていた貴乃花は、本割ではすぐ負けたが、決定戦で武蔵丸を倒して、22回目の優勝。勝った後の貴乃花、鬼の形相と言われた一番。






相撲ファンに語り継がれる一番だが、いくつかの疑問がある。

その1:怪我をしている貴乃花を相手に、本気を出すと、怪我がひどくなる可能性があるので、武蔵丸は力を出せなかった。これは、後に、インタビューに答える形で、武蔵丸がはっきり、言っている。






その2:貴乃花は休場すべきだった。






その3:決定戦は、武蔵丸の不戦勝で、武蔵丸の優勝でやむをえなかったが、もし武蔵丸が決定戦を辞退すれば、2人が優勝でもよかったのではないか。以下、二つの故事より、思いついた。






優勝制度が始まったのは、明治42年夏場所からだが、その7年前、横綱二人が優勝と扱われている。

東横綱梅ケ谷は、常陸山に負けて、7勝1敗1分け

西横綱常陸山は、荒岩に負けて、7勝1敗

とった番数が違うのは、当時は相手休場だと不戦勝ではなく、休場扱いとなったので。

それでは、番付上位の東横綱の優勝ではないかと考えたが、当時は、成績優秀の横綱を東横綱という番付編成ではなく、明治42年春まで、梅ケ谷が、常陸山より不成績でも、東正横綱を続けている。

東西横綱に番付上の差がなく、同成績なので、2人を優勝に該当する成績としたのだと推察される。






二つ目の故事は、

昭和26年秋場所12日目、横綱東富士と大関吉葉山の一番。取直しの相撲がまた取直しとなり、高熱のため三番目が取れない横綱東富士

http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/yomu/001/036.html 相撲協会公式HPより引用。






昭和26年九月場所、12日目の横綱・東富士と大関・吉葉山の一戦はその最たるものだといえるだろう。この場所の東富士は終盤に入って発熱に苦しみながらも無理を押して出場、10勝1敗の成績。一方、大関2場所目の吉葉山は8勝3敗。
 最初は両者もつれて同体で落ち、取り直し。今度はがっぷり左四つに渡り合ったまま動かず水入り。再開後も再び投げの応酬などあったが決定打を欠き、再び水が入った。共に疲労の色が見え始めた両者、吉葉山が渾身の攻めを見せると東富士こらえて打っ棄り。再び物言いがついてまたしても取り直しとなった。しかし、この時、東富士はすでに疲労困憊。土俵下で立っていることさえできず。勝負審判協議の結果「預り」(引き分け)となった。
 東富士はその後も気力で取り進み13勝1敗1預りで4回目の優勝を飾ったが、実は医師に「生命にかかわっても文句はいわぬ」と一筆を入れて場所に臨んでいたそうだ。まさに気力で勝ち取った優勝であった。






補足:以上は協会HPの記載だが、私が本で読んだ記憶では、相撲のとれない東富士の負けとなるところ、吉葉山が「預りで結構です」と言ったから、預りとなった。

Wikipediaの東富士の記載は私の記憶に近い表現となっている。(下記に引用)






12日目の吉葉山との一番では「こんな病身で相撲なんか取って死んでも知らんぞ」と医者に言われるも「命に関わっても文句は言わぬ」と誓約書を出して出場、水入りを挟む2度の物言いの末に吉葉山の了承を得て勝負預りとなる死闘を演じた


チャップリンは五・一五事件にまきこまれなかった。

2012年05月26日 | 歴史
チャップリンは五・一五事件にまきこまれなかった。琴欧洲休場は悪いのか。新聞記事に対する感想(羽黒蛇)






5月15日日刊スポーツ芸能欄コラム・笹森文彦記者

1932年5月15日の五・一五事件で、犬養毅首相が射殺された。

前日の14日に来日していた英国の喜劇王チャールズ・チャップリン(当時43才)の暗殺も計画された。青年将校らは、チャップリン暗殺で、世界的衝撃を狙ったと言われている。

15日夜に首相官邸で歓迎会が予定されていたチャップリンは、犬養首相との面会をキャンセルし、相撲観戦に行ったことで難をまぬがれたといわれている。






感想:チャップリンとコクトーが相撲を見た話は知っていたが、相撲を見に行っていなければ、暗殺された可能性があったとは、初めて知った。

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2012年05月26日 | 美しい立合い・立合い変化
5月9日朝日新聞

先代鳴戸親方(元横綱隆の里)は、隆の山に、「一場所三度は変化しろ。続ければ相手に迷いが生まれる」と教えていた。






感想:隆の山の体格であれば、師匠に教わらなくても、変化しないと勝てない。隆の里が舞の海が解説しているような教え方をしていたというのは、面白い。ただ前に出ろとしか言わない師匠よりよい。





琴欧洲休場は悪いのか。新聞記事に対する感想(羽黒蛇)

2012年05月26日 | 相撲評論・現在の大相撲
5月21日千秋楽の翌日の各紙

スポーツ紙では、日刊スポーツのみ一面に相撲の記事

見出しは、

「ブーイング千秋楽、

旭天鵬Vに救われた

欧洲休場 栃煌あわや不戦勝優勝」






日刊スポーツ

2007年5月、旭天鵬は車を運転し、交通事故を起こした。一場所出場停止の厳罰。処分が下った翌朝、大島親方から「稽古しろ」とたたき起こされた。「ほっておいてくれ」と思った。






感想:交通事故で出場停止は処分が重い。現在力士は車の運転が許可されていないと理解するが、許可すべき。






日刊スポーツ

北の湖理事長の言葉「優勝争いに加わったのは稀勢の里だけ。せめて大関の半分くらいは優勝戦線にのこらないと。」






感想:6人の大関のうち3人が優勝争いに加わる可能性は低い。ほとんど可能性がないことを期待していた理事長は相撲を知らない。今場所白鵬が好調だったら、稀勢の里ですら優勝争いに加われなかった。

大関が好調でも、白鵬が好調なら、優勝争いに加われないという状況は、徐々に変わってきた。

1月把瑠都、3月鶴竜、5月稀勢の里と優勝争いが、最近は面白くなってきたことを、喜ぶべきである。一方、白鵬が弱くなったことを、悲しむべきである(優勝争いがないくらい圧倒的に強い横綱を見たい)という見方もある。羽黒蛇はむしろ、後者。






サンケイスポーツ

琴欧洲休場には、まさに唖然呆然だった。けがと言われれば仕方ないが、これ以上の裏切りはない。

常に優勝争いに絡み、二けた勝つのが大関の務めだ。

それが優勝にからまず、8勝止まり、最後は敵前逃亡と思われてもしかたない休場では、大関の給料返せ、である。

千秋楽の協会挨拶で、北の湖理事長が、「琴欧洲が休場しまことに遺憾」と名指しで異例の批判。






感想:優勝争いに絡み、二けた勝つのは横綱の務めでしょう。大関には、私は、ここまで求めない。何故ならこのような力士は横綱に昇格するし、全ての大関が横綱に昇格しろとは、思わないから。大関は大関らしい相撲をとってくれれば、優勝争いに絡まなくても、二けた勝たなくても、大関の務めは果たせる。






サンケイスポーツ

審判部の取組編成も十年一日の如しだ。

千秋楽の結びは完全な消化試合になってしまったが、番付通りの取組より、栃煌山を白鵬に当てる大胆な発想が欲しかった。

取組編成要領には、「幕内下位の力士でもその成績により、横綱、大関と取り組ませることができる。」とある。「その成績」とは、優勝圏内を指す。






感想:現行ルールで優勝を決めるのなら、白鵬・栃煌山の割りは、「大胆」ではなく、「当然」。今場所のようなことが起こらないために、下位力士から優勝資格を剥奪すべき。






スポーツ報知

琴欧洲自身が7勝7敗だったら、千秋楽、休場したのか。






感想:7勝7敗でも怪我をして相撲がとらないなら、休場したのではないですか。怪我をしたまま相撲をとっても負ける可能性が高く、怪我がひどくなる可能性もあるから。

私は、休場する力士は、根性がない、ファンに失礼だという意見には反対。

怪我をして、相撲がとれる状態でないのに、土俵に上がることは、ファンに対して失礼。ファンの目を気にして出場したとしたら、(そして怪我を悪化させたとしたら)、それこそ、根性がない。






羽黒蛇

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2012年05月25日 | 公表原稿(羽黒蛇、読者)
大相撲を面白くするために  (羽黒蛇)










相撲協会は文化の継承のための組織であり、その目的を果たすためには集客の努力が必要。興行として成立しなければ、文化として生き残れないのだから。その一方、大衆に媚を売り、本質を失ってしまうと、継承すべき文化としての価値がなくなる。観客を増やす努力はすべきだが、文化の伝統を損ってはいけない。以上を念頭において、大相撲を面白くするためのルールの変更を提案したい。










提案一・不戦勝の廃止。休場力士が出た時は割りを変更して必ず対戦させる。お目当ての力士の相撲を見ることができないことほど、ファンを失望させることはない。一生に一度しか相撲を生でみることができないファンが、白鵬不戦勝ではあまりにも残念。










割りの変更は工夫すれば簡単にできる。例えば横綱の相手が休場の場合は、前頭7枚目以下の力士と対戦。その力士と割りが組まれていた相手は、十両1枚目と対戦。その力士と割りが組まれていた相手は幕下上位で割りが組まれていない相手と対戦。たった三番の変更で不戦勝をなくすことができる。

















提案二・立合い変化で勝負がついた取組は、もう一回相撲を取る。連続で勝てば一勝、一勝一敗は引分けとする。味気ない相撲で観客を失望させたのだから、勝った力士も負けた力士も連帯責任で、二番相撲を取る。










優勝争いで同点の力士が、二番負けての一敗の相撲を含んでいる場合は決定戦には出場できない。二番勝って一勝の相撲を含んでいても一勝としかカウントしない。二番負けを含む力士は番付編成時も半枚低く評価する。










実力で劣る力士が一か八かで立合い変化する場合は、どうせ負けるなら変化で勝ち星半分かせいで、悪くても引分けに持ち込もうという作戦となる。










けたぐり、とったり、小手投げ、出し投げという技が立合いに決まった場合は、私は、もう一丁にしなくてもよいと考える。が、ルールを単純にするためには、立合い変化により一瞬で勝負が決まった場合は全てもう一番としてもよい。

















提案三・大関昇進基準を直前三場所で28勝とし、大関陥落基準を三場所で28勝未満とする。弱い大関がいなくなる効果を期待できる。










現在の大関昇進基準が厳しすぎるので、力士の全盛期が昇進前の関脇時代となってしまっている。強い大関を出現させるためには、逆説的だが昇進基準を甘くする必要がある。それにより、大関の全盛期が、関脇でなく大関の時代に重なるようになる。










大関昇進基準を甘くする代わりに、陥落基準を厳しくする。大関で休場すると、三場所で28勝は難しい。この制度では、休場は陥落を意味する。しかし、



実力のある力士なら、陥落しても昇進基準が甘いので、すぐ大関にカンバックすることができるので、嘆くことはない。










大関を適正な人数にするためにも、陥落基準を厳しくした方がよい。大関互助会と、星の貸し借りを疑われることも減る。星の貸し借りをして28勝をキープするのは、余程強い大関でないと難しい。

















提案四・横綱昇進基準を一番強い力士と二番目に強い力士とする。現在の二場所連続優勝か同等の成績という基準を廃止する。強さの評価は、少なくとも六場所という長いスパンで行う。










東西に横綱が二人いるのが本来の姿なのか、皆さんはどのようなお考えでしょうか。私は二人必要とは思わないが、横綱にふさわしい力士がいたら昇進させればよいと考える。










興行的にも横綱二人が好ましいという意見には必ずしも賛成しないが、納得はできる。もし相撲協会がそう考えるのであれば、横綱が二人出やすい制度に変えたらよいと考える。










二場所連続優勝した力士が必ずしも横綱にふさわしい力士とは言えない。三場所以前の成績が悪ければ、強い力士とは言えない。










この提案は、二場所連続優勝の大鵬・北の富士と同時に、柏戸・玉の海が横綱になったという故事より思いついた。大鵬と同等に強く、当時の横綱若乃花・朝潮より強かった柏戸を昇進させないことが合理的ではなかった。大関玉乃島も、昇進する北の富士より強く、休場が多い当時の一人横綱大鵬より強いと評価されたから昇進できた。










千代の山は、12勝(関脇)、大関で優勝・優勝・9勝・11勝・8勝・優勝で横綱昇進。直前二から四場所は低調だが、六場所で三回の優勝は、当時一番強いか、少なくとも二番目に強い力士であったので、文句なしの昇進。当時の横綱は、六場所で、二回優勝・休場一場所の照国、一回優勝・休場一場所の東富士、優勝がなかった羽黒山。










千代の山・柏戸・玉の海は長きにわたり横綱と同等の強い大関だったが故に、直前場所が不成績でも横綱に昇進した。そもそも、相撲協会は、直前二場所だけの成績でなく、長いスパンで横綱にふさわしいかを評価していた。この知恵が受け継がれていないのは残念であるが、これを復活し、強い大関は横綱に昇進できるようにすべきである。










長期にわたり強さを評価すると、把瑠都は5月場所優勝なら、10勝・11勝・10勝・11勝・優勝・10勝・優勝。強い横綱でも、七場所連続10勝以上で、優勝2回はなかなかできない。把瑠都は白鵬に次いで二番目に強い力士であるのは間違いなく、後は横綱としてふさわしい成績、大関時代の千代の山・柏戸・玉乃島と同等の強さを見せたと評価できれば、連続優勝でなくても昇進させてよい。










提案五・名誉横綱、名誉大関制度の導入。強い横綱でも晩年は休場が多くなり優勝することが難しくなる。その場合、名誉横綱として、一場所十番程度相撲をとらせることを許可する。相撲はスポーツであると同時に文化である。強かった横綱が衰えても、その土俵入り・取組が文化として観客に見せる価値があると評価できれば、無理に引退させることはない。










この提案は、魁皇が実質的には名誉大関であったことより思いついた。8勝を続けても、相撲ファンは魁皇を大関としてふさわしいと思っていた。貴乃花も怪我が完治するまで、休場したいだけ休場させればよかったと思う。名誉横綱・名誉大関の基準は、相撲ファンが醸し出す世論で決めるのがよい。しかし、不公平があるといけないので、優勝回数等の基準が必要であろう。










羽黒蛇 (相撲瓦版「土俵」に投稿、5月場所が始まる前)

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2012年05月20日 | 幕内の「最高」優勝とは
幕内優勝と最高優勝の二つを表彰する必要がある(羽黒蛇)






旭天鵬の優勝は感動的だが、小結以上との対戦は、

14日目大関琴欧洲

千秋楽関脇豪栄道の二番だけで、12勝。






稀勢の里は全員と小結以上全員と対戦して、11勝。

どちらの価値が高いかというと、稀勢の里の11勝。






幕内で一番勝ち星が多かったという定義での幕内優勝は、旭天鵬。

幕内で一番価値があるという定義での最高優勝は、稀勢の里。






時津山15-0幕内優勝の昭和28年夏場所は、大関吉葉山14-1が最高優勝。(吉葉山は1回ではく2回優勝したことになる。)


玉乃海15-0幕内優勝の昭和32年九州場所は、横綱栃錦か大関若乃花が12-3で最高優勝。(栃若いずれかの優勝は11回だったことになる。)


富士錦14-1幕内優勝の昭和39年名古屋場所は、大関豊山13-2が最高優勝(優勝のない豊山は、1回優勝したことになる。)


若浪13-2幕内優勝の昭和43年春場所は、上位三人が12-3で優勝決定戦(大関豊山・大関玉乃島・小結麒麟児)






歴史には、優勝した力士、その優勝回数しか記録されない。

豊山は強い大関だった。大関になる前が強かった大関と言った方がよいかもしれないが、優勝がないのは平幕力士の「インチキ優勝」のため。






上位と対戦しない、「インチキ優勝」は、旭天鵬を最後にして欲しい。






「インチキ優勝」とは上位と対戦しないで、下位力士が優勝すること。






羽黒蛇

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2012年05月20日 | 幕内の「最高」優勝とは
幕内優勝と最高優勝の二つを表彰する必要がある(羽黒蛇)






旭天鵬の優勝は感動的だが、小結以上との対戦は、

14日目大関琴欧洲

千秋楽関脇豪栄道の二番だけで、12勝。






稀勢の里は全員と小結以上全員と対戦して、11勝。

どちらの価値が高いかというと、稀勢の里の11勝。






幕内で一番勝ち星が多かったという定義での幕内優勝は、旭天鵬。

幕内で一番価値があるという定義での最高優勝は、稀勢の里。






時津山15-0幕内優勝の昭和28年夏場所は、大関吉葉山14-1が最高優勝。(吉葉山は1回ではく2回優勝したことになる。)


玉乃海15-0幕内優勝の昭和32年九州場所は、横綱栃錦か大関若乃花が12-3で最高優勝。(栃若いずれかの優勝は11回だったことになる。)


富士錦14-1幕内優勝の昭和39年名古屋場所は、大関豊山13-2が最高優勝(優勝のない豊山は、1回優勝したことになる。)


若浪13-2幕内優勝の昭和43年春場所は、上位三人が12-3で優勝決定戦(大関豊山・大関玉乃島・小結麒麟児)






歴史には、優勝した力士、その優勝回数しか記録されない。

豊山は強い大関だった。大関になる前が強かった大関と言った方がよいかもしれないが、優勝がないのは平幕力士の「インチキ優勝」のため。






上位と対戦しない、「インチキ優勝」は、旭天鵬を最後にして欲しい。






「インチキ優勝」とは上位と対戦しないで、下位力士が優勝すること。






羽黒蛇