浮浪節

余暇

採否で年齢制限に厳しい愚かな連中

2016年03月29日 | Weblog
年齢見ると採用する気がない或いは評価を下げる、こういう愚か者がゴロゴロいる。
まず何が愚かと言って、そもそも勤務先の会社も含めて別に終身雇用制ではない。
リストラと言った一挙にクビ切りする様な規模でもないが、決して終身雇用制ではない。
終身雇用制の特徴と言えるであろう、退職金制度もないし、財形貯蓄だってありはしない。
こういう馬鹿共が忘れているのは2点。

まず、自分も歳をとるのだという事実。
そして、自分が失業して求職する事が、かなりの確率で起こり得るという事。

そういう事を全く想像していないから、異様な年齢差別を、一緒に働き難いというだけの理由で行っている。
これは正に男性であれば、自分で自分の将来のセーフティネットを破壊しているようなものなのだ。
女性の方が良い、特に若い女性が一番良いという男性の下衆な下心、
これが我が国で男性で一度正社員から外れたら地獄を味わう最大の理由である。
事務系は特に女性最優先だから、女性に敵意を向ける人も結構いると思うが、
最大の敵は同性の下心なのであり、そういう下心込みで採用されながら、
興味のない相手に不快な思いをさせずに交わさなければならない若い女性達も、
採用され易いだけで実際に働くのはそりゃもう大変なんだろうなと思わずにはいられない。

これぞ正に全然、グローバル化とは程遠い我が国の企業文化と言えるだろう。


【埼玉失踪少女保護】千葉大、寺内容疑者の卒業取り消しも検討

2016年03月29日 | ニュース等(新しいとは限らない)
 未成年者誘拐容疑で身柄確保された寺内樺風(かぶ)容疑者(23)が今月23日に卒業したばかりの千葉大は28日、千葉市稲毛区のキャンパスで記者会見を開き、渡辺誠理事は「本学卒業生がこのような事件を起こし、誠に申し訳ない」と陳謝するとともに、寺内容疑者の卒業取り消し処分を検討することを明らかにした。

 同大によると、寺内容疑者は平成23年、工学部情報画像学科に入学。24年10月〜25年9月に休学して語学習得と航空免許取得の名目でカナダへ留学した。その間、米国で航空免許を取ったとされるが、大学側は確認できていないという。

 帰国後、データ解析などを専攻し、卒業要件を上回る単位を取得し卒業した。担当教授によると、「成績は普通だったが無断欠席などもなく、礼儀正しい学生だった」という。

 会見で大学側は寺内容疑者について、「目立った学生ではなく、どこまで踏み込んでプライベートを見てこられたか分からないが、周りとのコミュニケーションに問題はなかったし、他の学生とも普通に話をしていたと聞いている」と明かした。

 また、寺内容疑者は埼玉県朝霞市の中学3年の女子生徒が行方不明になった26年3月以降は、3年次に11科目、4年次は卒論作成のために必要なゼミ以外には授業を取っていなかったこともわかった。

 同大は今後、寺内容疑者が逮捕されれば学内に懲罰委員会を設置。停学や永久退学処分にするかを検討する。停学処分の場合、犯行が行われた時点に時期をさかのぼるため、在学期間が不足することから、卒業処分は取り消されるという。


http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%90%e5%9f%bc%e7%8e%89%e5%a4%b1%e8%b8%aa%e5%b0%91%e5%a5%b3%e4%bf%9d%e8%ad%b7%e3%80%91%e5%8d%83%e8%91%89%e5%a4%a7%e3%80%81%e5%af%ba%e5%86%85%e5%ae%b9%e7%96%91%e8%80%85%e3%81%ae%e5%8d%92%e6%a5%ad%e5%8f%96%e3%82%8a%e6%b6%88%e3%81%97%e3%82%82%e6%a4%9c%e8%a8%8e/ar-BBr1dmb#page=2

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取り消したいという心情は分かるが、さて制度的にはどうだろうか?
例えば法律的には遡及効は認めないのが原則なわけで、卒業生が犯罪を犯した事をもって卒業の経歴を取り消す事が可能かどうかは議論となるだろう。
こういう事で学位を奪う事はただ単に千葉大だけの問題では済まないだろう。
特に千葉大は国立なのだから、私大以上にこういう問題の扱いは慎重であるべきと言わざるを得ない。

ただ現代社会はやたらと神経過敏と言うか、ちょっとした事態でも大げさに扱われる節がある。
例えばこの事件は決してちょっとした事件ではないが、それは犯罪者個人の問題であって、決してその人間が所属していたコミュニティの問題ではない。
それに対してコミュニティ側が過剰な反応をしたり、世間がそういう過剰な行動を期待するのであれば、
近代社会ではなくて江戸までの連座と同じだと言えるだろう。
確かに社会の側にも一部だけそういう過激な考えを持つ者はいるが(まぁ知的に未熟な人間ばかりだが…)、
それを意識して大学側が行動に出るのだとすれば、それはただの自己保身でしかない。
そしてそういう自己保身の塊と化しつつあるのが今の我が国である。
これもまた私見では、バブル崩壊後のリストラや就活等でのイス取りゲームでの争いの結果として形成された態度だと思う。

結局、今の日本社会、取るべき所で責任を取らず、ずっしりと構えていなければならない所で変な動きをとる人間が多過ぎる。
そして本来であれば被害者の為にも穏便にしておくべきニュースを連日報道している事、これが何を意味するかをちょっとは穿った見方で分析するべきだ。
これまでの政策の推移を鑑みれば分かる通り、こういうドサクサに紛れて重要法案が通過したりしているのである…。


貧困の子供には税金は使えない?

2016年03月29日 | ニュース等(新しいとは限らない)
民主党の蓮舫議員が追及していたが、そもそも子供の貧困対策を民間からの寄付に頼ろうとしていた事実に驚いた。国費から出すつもりはなかったのか!

しかも国費から出したのは、子供の貧困対策の寄付を募るための宣伝活動で、2億円!2億円をポスターや、フォーラム開催や、インターネット広報に使ってしまい、その結果、集まった寄付が1949万円!

「2億円を基金に入れれば良かった」という蓮舫氏の発言は、まったくその通りだ。

子供の貧困なんかに国費は出せない、企業の寄付に頼ろうぜ、これって恐るべき薄情さで、同じ日本人とは思えないし、同じ人間とも思えない!

それで「育休不倫」の宮崎謙介を女性票集めに利用できると、首相みずから後押ししていたのだから、驚くべき偽善だ!「育休」まで取ってもらえる裕福な子供には、もっと手厚く、一日3食食べられない貧困の子供には、当てのない寄付で!それが政府の考えらしい。

政権のPRになる宣伝活動だけは我々の税金を投入し、貧困の子供には税金は使わない。冷酷無比の政権を支持するのも、冷酷無比の国民である。これが民主主義の現実なのだ。



http://blogos.com/article/164427/

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今の権力層は公正なルールで戦ったと信じている。
これがまず大前提にある。
理由は簡単で、そう信じる事こそが自分達の優越性を保証する事になるからだ。
そうする事で自分達は公平・公正な競争下で争って勝利したからこそ、
今この権力を得ているのだと思う事が出来るのである。

だからたかだか東大出た程度で、大物になったつもりでいられるのである。
勿論、東大の試験を通過するのは大変だ。
しかしこれとて、その試験のメカニズムを子供の頃から知っているかどうかの違いは大きいと言わざるを得ない。
難関国立に中高一貫が強いのは、そもそもの中受段階での記述慣れの影響が強いからだ。
そういう教育環境を経たアドバンテージを得た様な輩ばかりが権力を得た結果、
これが公平で公正であると信じられなければ、自らの尊厳を維持出来ないのである。
何せそれほどに過度にエリート意識のプライドが内面で肥大化しているのだから致し方ない。
安っぽいプライドだから、真のプライド、日本人としての誇り、公権力を有しているが故の諸個人に対する暖かい眼差し、
こういったものを抱く事は出来ないのである。

その結果が三菱商事や三井物産の無様な決算にも見出せるだろう。
資源をまともな交渉も出来ずに高値で買い取って、横に流すだけの濡れ手で粟な商売ばかりやっているから、
相場の変動如きで浮沈してしまうのである。
これも考えてみれば、無能な連中が脈々と権力の座について行った結果と言えるだろう。
今の日本社会では堅実ってもんが軽んじられ過ぎているのである。

まぁ持論では、元々日本は国民国家ではなく、今もただ単に明治政府と言う名の薩長幕府の幕藩体制の延長でしかないと思っている。
従って国民は主権者の様に擬装されているだけで、実質的には江戸の延長なのだ。
お上が民に施すなんて発想は、一部地方ではあっても政権にはあった試しがないのである。
消費税増税なんて、言ってしまえば明治時代の地租改正みたいなもんだ。







シャープ崩壊 名門企業を壊したのは誰か [編]日本経済新聞社

2016年03月27日 | Weblog
■人災による転落、刻々と追う

 2月、シャープが経営再建の相手に選んだのは台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業だった。創業百余年、電卓や太陽電池など独創的な商品をつくってきた名門がなぜこんなことになったのか。答えは本書の帯に端的に記されている。
 「この惨劇は人災だ」
 人事抗争に明け暮れた結果、起きた悲劇で読後感も苦い。
 日経新聞の記者陣によって記された本書は、崩壊の端緒となる5代目社長の就任から今年2月まで、常に張りつきながら、シャープの変化を刻々と追っていく。ブランド力で劣る同社が一流電機の仲間入りをするのは、他社に先駆けて取り組んだ液晶テレビで、一時期は「世界の亀山モデル」と売り込んだ。だが、転落のきっかけもその液晶パネル工場で、過剰な投資と高額な原料契約が響いた。
 解決法はあったはずだが、経営陣の態度が問題を複雑にした。社内事情を優先する内向き志向で、人事は情実で采配。コンサルは5社も次々契約で混乱。経営能力に欠けるトップが失敗すると、商売敵との交渉まで進める人も出てくる。
 読んでいくうち、これはダメだという苛立(いらだ)ちばかり募る。技術者たちは当然だろうが、取材する記者の筆にすら無念の思いが滲(にじ)む。経営実務と社風について戒めの書とも言える。
    ◇
 日本経済新聞出版社・1728円


http://book.asahi.com/reviews/column/2016032000017.html?iref=com_fbox_d2_02

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こんな本を買うのは学生か馬鹿な社会人ぐらいなものだろう。
当時のことをしっかり記憶している人間にとって、この本が最も参考に成る点は、
如何にマスコミ連中が自分達の言動を棚に上げて分析するものかという点だ。

そう、発端は世界の亀山モデルというあの巨額投資と言うか投機のツケを払わされただけの話である。
当時、メディアやビジネス界の連中であの亀山モデルというアホな投資を批判したような言論をする人はほとんどいなかった。
そりゃそうだ。メディアの連中もそうなら、コンサル雇ってるんだから、ビジネス誌の論調もこれまた似た様なものになる。

経営コンサルタントはそんなに役に立つものではない。
自分が経営しない点を考えれば分かるというものだろう。
そもそも個人的には大企業向けの経営コンサルタントなんてインチキか何かだとしか思っていない。
何故なら大企業内には優秀な人間も沢山いるわけで、自社内でプロジェクトチームを作った方が、
外野よりも上手くいくに決まっているからだ。
日本社会のような外の人間に過度に警戒するような世界では、コンサルの活躍する余地はほとんどない。
とは言え、コンサル系の本は沢山読んだわけで、別に全否定するつもりもない。
例えば創業時だとか中小企業が中堅企業、或いは中堅企業が大企業へと成長する際に、
組織構造をどうするかとか意思決定のプロセスを明確化させる等、創出したり大変化を促す必要がある場合には有効だ。
だが、それほど変える気がない大企業のコンサル利用は正に無駄である。
そこら辺の貧しい主婦に50万-100万払って、景況感や暮らしぶりを徹底的に話してもらう方が、
需要予測としてはコンサルなんかよりも遥かに当てになるというものだ。

こういう本を読めば、きっと失敗ばかりが目に付く事だろうが、
その一方で、その当時の時代の雰囲気みたいなものを見失う。
シャープに限らず、民生電機業界は尽く苦戦しているのであり、
シャープに限って言えば、マスコミ、日経の責任は相当重いのである。
それを棚に上げて、今度は書籍で儲けようって考えが実に腹立たしい。








「貧乏なのに進学した罰」 風俗で働く短大生

2016年03月26日 | ニュース等(新しいとは限らない)

■子どもと貧困

 大阪市の一等地にあるマンションの一室が、その風俗店の待機部屋だ。20歳前後の女性たちが試験勉強したり、お菓子を食べたり。予約が入ると従業員に客の特徴を聞いて、バッグを手に部屋を出る。

特集:子どもと貧困

 短大2年の女性(20)もその一人。高卒より上の学歴があれば、大きな企業に就職して貧困から抜け出せるのではないかと期待して短大へ進んだが、資金的にも精神的にも行き詰まり、週2、3回、働いている。

 嫌だったが、お金が欲しかった。「貧乏なのに進学した罰」だと思った。

 幼い頃、小さい会社を経営する両親と裕福に暮らした。小学生のとき両親が離婚。母親と2人暮らしになり、生活保護を受けた。母は代わる代わる男性を家に連れ込んだ。親をあてにできず、高校の学費は食品会社の箱詰めなどのアルバイトで賄った。学費の心配に目をつむって進学した。

 短大の学費は年間約120万円。入学前に必要な費用は親戚や知人に借りた。学費の大部分は有利子の奨学金をあて、交通費や教科書代、生活費と借金の返済は、居酒屋のアルバイト代だけが頼りだった。


http://www.asahi.com/articles/ASHB54PP6HB5PTFC00P.html

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極端な例だが、確かに貧乏なのに進学すればそれなりの「罰」とやらは下る。
その上悲惨なのは、学歴なんて就活で失敗すれば何の役にも立たないという点であり、
更に言えば風俗で学費を稼ぎながら精神的に磨耗した様な人間は、
人間的魅力を減じてしまっているので面接の場で全く振るわないという現実がある。

今、この世の中が求めているのは、高学歴且つ学生生活の生活費に追われずに自由に伸び伸びとやりたい事をやって来た人間で、
例え就活で失敗したって別に生活にこまる訳でもない様な家庭の人間達の、こちら側からみれば能天気に見えるほどの明るさなのである。
それがない人間はやれ積極性だとかコミュニケーション能力がどうだのと言われて不採用なのである。

思えば私の人生の失敗も大学入学と同時に始まっていた。
と言うのも私は全く無知で、大学ってのは入学費と授業料を払えば授業の教材はくれるものだと思っていたのである。
しかしそうではない事に気付いたのは4月半ば、履修の後だった。
本当に金にこまった…こういう時にサラリと残酷なことを言う人間は多く、特に女性に多い。
「図書館で借りて凌げば良いんじゃない?:)」
アドバイスのつもりか、表情は笑顔そのものだ。
私は内心キレそうだった。
…同じ事考えている奴は結構いて、常に貸し出し中なのである。
逆に言えば、人に助言らしい事をほざいていた奴は、
現実を全く知らずに正しいと思う事を言った気でいたのである。

この入学時点のスタートからズッコケタ。
次にきつくなったのは就活だった。
半期の学費の期限と就活が重なり出費がやばかった。
特に金融系のリクルーターには恨みがある。
当時の経験がある人ならお分かりだろう。
気軽に何度も呼び出しては、いつ終わるかも分からないリクルーターとの面談が繰り返される。
その度に交通費が飛ぶ。
商社のOB訪問とかもそうだった。
飯奢ってもらえるのはありがたいが、「そんな事より交通費くれよ」、
と言いたい気分だった。
当時の事は今では笑い話にも出来るが、深層心理的には全く笑っていないと思う。
何故なら、自分の母校に対する愛校心が完全に失せたのは就活でのOB訪問の影響が強いからだ。
これはまぁお互いに実害はないので問題はない話ではあるが…。

結局、現代の良い所は別に金がなく勉強したくもないなら、
無理して大学に行く必要すらないって話。
どうせ良い大学かどうかよりも親が何処に勤めている、
とかの方がよっぽど重要な世界に我々は生きているのである。