浮浪節

余暇

久しぶりに遊んでみた

2011年04月17日 | FF14
無料期間の延長が続いている、と言うかもうこのゲームで課金するのは多分無理だろう。
サーチでサーバの人口が表示されなくなって久しいが、幸か不幸か現状このゲームがどういう状態なのかが分かり難くなっている。
今ランク17の私のキャラだと周囲はほとんど過疎で、街には人が結構いるという状態にある。
αの時と似た様な状態だと言える。
もしかしたら他の人達は高ランクに成ってて、そういう高ランク向けのエリアやコンテンツを堪能している可能性も無くはない。
しかし何とも活気が感じられないところに現状課金なんて夢のまた夢という印象を受ける。
まぁ個人的にも現状での課金は考えられないし、これに課金するならヴァンガードやると思う。

と酷評してしまったが、UIは相当改善されている。
特に視点を相当後ろに引っ張れるようになった点は良い。
これまでは自キャラが邪魔でクリックでタゲるのが難しかったが、この改善で随分と戦闘はし易く成った。
戦闘し易く成ったという事は敵を倒し易くなり死に難くなったわけだ。
その分だけゲームとしては面白く成ったと言える。
まぁ根本的に演出が地味だという問題は依然としてあるけども(苦笑)


さて今回はビヘストなるものをやってみた。
キャンプ付近に兵士がいて周辺の敵を討伐して欲しいというクエ。
多人数参加型のコンテンツの様だが…現状では悲しいかな誰もやる人はいなかった。
ソロで敵を討伐しに向かう。



隊長は見てるだけで、全く手伝ってくれない(苦笑)
敵を掃討したと思ったらレディバグが追加で出て来て死亡。
ただボーっと見つめる隊長…中々にシュールな絵だ。




因みに今はイベントの時期なようで街には変なNPCがいてクエストを受けられる。
内容は人を集めて何か交換するというような話だった気がするが失念。
多分11で言うジュノのタルットカードみたいなものだろう。



それにしてもイベントだってのにあまり人が群がっていないって光景はかなり寂しいもんがあるなぁ…。
まっこのイベントも序盤なのか終盤なのか分からないけど…調べる気にも成らない所に今のモチベーションが反映されている。
少しずつ改善されてるってのは分かるんだけども、どうにもやることないんだよなーという状態は依然として続いている。
もう物量作戦でシナリオを大量に追加するとかお得意のムービーをどんどん追加しちゃうとか、
全プレーヤー巻き込んで騒乱に巻き込まれるとか…何か大胆な試みが必要なんじゃないかと思う。
何と言うかジリ貧なんだよね。
そしてこれは多分かつてVanguardが辿った道でもあると思うのだ。
さてこのゲームは、どうなることやら・・・・。


ダークサイダーズ ボス戦

2011年04月17日 | ゲーム
これはエリア→謎解き→ボス戦というパターンのゲームで、
謎解き、と言ってもさほど難しいものではない。
どこかで見た様な面白アイテムが追加されていき、そのアイテムを使ってそこの謎を解くというパターンである。
ボス戦はシンプルなものほど総じて難しい、という事を再確認させられた(苦笑)
シリサという蜘蛛の事なんだけど、書いてしまえば何てことはなく、
自分の真上にワープして来て落下して来るのでこれを避けて攻撃するというものだ。
私はファミコンのぼくドラキュラ君の終盤に出て来た駒みたいなロボットを思い出した。
あれもハードだったなぁと…。
恐らくもう終盤であろう、ポータルを使って謎を解く、なんてのもある。
そういやポータル2出るんだよな~等と関係ない事を思ったりした。
ハーフライフ2のオレンジパックの中に丁度このポータル使って脱出するってゲームが入ってて、
一応ちょこちょこそれをやっていた事もあってかここも大して迷う事なくクリア出来た。
問題はどうにも敵が固い事とこちらのライフが少ない事にある。
死んではやり直しというパターンだが、直前で始まるのが良い点。
アクションゲームはそれなりにやり込んで来たので全く下手って訳じゃないから、
恐らくは隠しアイテムの取り逃しややり込みが足りないのだろう。
それにしてもそれほどグロさの無かったこのゲームも蜘蛛ステージに入った途端に急に不快指数が増した。
ゲームもリアルに成れば成るほどあのカサカサ感がたまったもんじゃなくなる。
これは決してホラーとか怖さではなく、ただ不愉快なのである。
フォールアウト3も民家に入って画面が変わった直後にあの超巨大なアイツがいたのを見てやる気を無くしたものである。
このゲームも同様にかなりモチベーションが下がった。
その後でまた既存ステージに戻って欠片を集めて来いというパターンである。
攻略したステージを戻って遊ぶというやり込み的な要素ならともかくとして、
これを正規のゲームクリアのルートに置いてしまうのは如何にも延命っぽい気がしないでもない。
が、それなりにストーリーも面白いのでやろうとは思うんだけども、どうもあのシリサの所には行く気が失せるなぁ…。

携帯電話

2011年04月10日 | Weblog
まー色々とトラウマがあるんで基本的に携帯電話は好きではない。
持ってなくてもいい物という扱いだが、一応持っている。
連絡手段として便利と言うのもあるが、採用活動等、企業との連絡は携帯が基本に成ったからと言うのもあるだろう。
後はまぁ待ち合わせ等でも困った時に便利だというのもある。
一月の携帯代はほとんど使わない状態なのでほぼ基本料に近い。
今時メール打つのにも恐ろしく時間がかかる。
人に依るだろうけど私はPCのキーボードの方が遥かに速いので、どうしてもメール打つのもPCで返信、となる。
そういった有様なので即レスポンスを求める様な人とは疎遠になりがちだ。
まぁ当然の話だよね。
その場で思った事や合った事をメールして送って来たのに、そのレスが数時間後なんだから。
言わばこういう感じでちょこちょこメール送る人は、メールを会話的なものとして認識しているのに対し、
私の場合はメールは会話と手紙の中間的なものという扱いなのである。

ちょっと興味深いのは人と話しているのにずっと携帯をいじっている人。
別に気に食わないとか頭に来るとかではないけど、こういう人は私にとっては謎な人である。
或いは新世代、(進化とは思えないけど)ガンダム風に言えばニュータイプ(笑)
要は私達或いはそれよりもっと年輩の世代には更に理解不能な人達だろう。
私達の多くは身体或いは肉体が関わる周辺を支配的なものと考えて来た。
つまり肉体とそこから認識されるその周辺を「場」と意識して来たわけだ。
その「場」の中で言葉や感情等のコミュニケーションが交わされて来た。
その場を離れた人達との関わりに手紙等の通信が利用されて来た訳だ。
この通信は場よりも絶対に弱い立場である。
それだけに思いを伝える事に重点が置かれた。
そこにその人を感じるものがあり、思い出を再起させ、そして断たれた場の共有を線と言う形でつないで来た。
これがかつてのコミュニケーションやコミュニティのあり方だろう。
批判もされるがノミュニケーションは会社というフォーマルな場のコミュニケーションを円滑にする、
私的空間でのコミュニティの形成でもあっただろう。
つまり社宅と同様、場を共有することを大事にしているわけだ。
その意味ではノミュニケーションと言うよりはノミュニティと言った方が良さ気だ。

しかし時代は変わり、通信が即時に相手に伝達される時代に成った。
もはや肉体の支配(肉体が把握する視覚を共有するという形の「場」という意識)から人類は解放された。
それはヴァーチャル・リアリティという言葉で片付けられる時代ではなくなりつつある事を意味しているのかも知れない。
かつてはと言うか今もまだそうだけどヴァーチャル・リアリティは、あくまでリアルに従属するものと考えられて来た。
だがこの様な肉体という物理的距離感を超越してコミュニケーションを取りコミュニティを形成する人達が増えれば、
身体はそれでも個体としては最重要ではあるが相手とのコミュニケーションという精神的な関わりでは重要性を持たなくなるかも知れない。
少なくともそうなりつつあるのではないだろうか。
だから私の様な考えは古くなっているわけだ。
そういう古いタイプの人間達は、人間関係が希薄に成ったと現代社会を嘆く。
しかし人間関係が希薄に成ったのではなく、ただ身体の在処という地理的な距離を簡単に飛び越えられる様に成ったため、
コミュニティが目に見える形(つまりこれが肉体ベースの考えな訳だけど)では無くなっただけの話なのである。
ただし通信は現状では肉体が持つコミュニティの情報密度に比べてかなり希薄なので、
常に継続して通信を途絶えぬ様に連絡し合う必要があるのかも知れない。
そういう不安があるのだろう。
携帯やPCもそうだろうしブログやミクシィ、フェイスブック、ツィッターもそういう類のものだろう。
誰かと通信したい思いを伝えたいとかそういう手段だけではない使われ方がそこでは為されているわけだ。
私の場合は所謂チラシの裏に書く事を書いてみたくなるから使っているけど、
それ等のツールやらサイトやらが「場」として当人の社会関係を構築しているのかも知れない。
そう考えると人と話してるのに携帯をいじってる人を見る目も変わるのかも知れない。
まぁとは言っても、本当に聞いてるのかあやしいなーって思わんでもないけどね(苦笑)
無視されているようでちょっと悲しくもあるけども、
テレビ見ながら会話している、位の大らかな気分で見るのもありかも知れない。

まだ電脳世界でのコミュニケーションは伝わっているかどうか不安な状態にあるという事なのだろう。
それだけにマメな連絡・更新が必要なのである。