浮浪節

余暇

「撃ち方やめ」発言は「捏造です」…首相が否定

2014年10月31日 | ニュース等(新しいとは限らない)
安倍首相が29日に自らに近い議員に会った際、民主党の枝野幹事長に絡む政治とカネの問題が発覚したことに関連して「(民主党が)『撃ち方やめ』となればいい」と語ったとする報道について、首相は30日の衆院予算委員会で、「捏造(ねつぞう)です」と否定した。

首相は「誹謗(ひぼう)中傷はやめるべきではないか、という趣旨の話はした」と語った。

首相が否定した「撃ち方やめ」発言は、首相との面会後、出席者の一人が記者団に説明し、読売新聞など複数の社が記事化した。この出席者は30日、記者団に対し、「全体の趣旨としてはそうだったが、『撃ち方やめ』は自分の言葉だったかもしれない。説明ミスだった」と釈明した。


http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e6%92%83%e3%81%a1%e6%96%b9%e3%82%84%e3%82%81%e3%80%8d%e7%99%ba%e8%a8%80%e3%81%af%e3%80%8c%e6%8d%8f%e9%80%a0%e3%81%a7%e3%81%99%e3%80%8d%e2%80%a6%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%81%8c%e5%90%a6%e5%ae%9a/ar-BBc7qm1

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元々戦後から日本はアメリカの傀儡だったわけだが、小泉以降にその色が濃くなった。
政権に対する攻撃はアメリカの意向を反映しており、それ故アジアに接近しようとした鳩山などは徹底的に潰された。
そして今度は安倍の番だ。
アメリカの為政者達はもうこの男を用済み扱いしているだろう。
何故か。
それは簡単な話で事後の混乱の責任を回避するためだ。
年金まで資本市場に投入させてこんな高値でポジションを形成させ、当の米国資本の連中は売り抜けて逃げる。
そんな事の責任を取らされるのはたまったものではない。
だから距離を置くのだ。

一応国民国家はその国家や国民の自由な選択とやらで運営されている事とされている。
だが現実には金融という形でお金の寡占支配を形成した連中が支配している世界だ。
それの最たる例がメディアであり、現代は言論統制を権力や暴力を駆使する時代ではなく、
資金繰りという金融面で支配する時代なのである。
このように現代の民主制はプラトンが考えたのとはまた違う形での衆愚政治に成っているし、
その意味で西側が攻撃対象国に繰り出す民主化運動は正にプロパガンダ以外のなにものでもない。

安倍は今年に入って以降、もうその役割を終えたわけだ。
だから今後は物凄い勢いで潰しにかかるだろう。
攻撃材料は山ほど整っているのだから、小出しにそういう報道を出させる事で、
結果としてこの政権ダメじゃね?と思わせていくのだ。
そして最後はまた体調崩して終了だ。

あまりにも馬鹿過ぎてその時まで自分がそうなると理解出来ていない、
歴代首相の中で最も頭の悪いであろう首相、それが安倍である。
今回のこの発言は未だにまだ自分が裸の王様を続けられていると勘違いしている状態故の発言だ。
もうとっくに王様は裸だという事は指摘されているんだけどね…。











「1冊も本を読まない」…47・5% 文化庁調査で「読書離れくっきり」

2014年10月30日 | ニュース等(新しいとは限らない)
 今年のノーベル文学賞は村上春樹氏が受賞するかどうか注目されたが、残念ながらまたも受賞はならなかった。「ハルキスト」の加熱ぶりはこの時期の風物詩のようになっているが、実は最近の日本人の読書量は減少している。文化庁が実施した「国語に関する世論調査」によれば、1カ月に3冊以上の本を読むと回答した割合は17・9%で、「読書量は減っている」と考える人が65・1%に上った。専門家からは日本文学の低迷を懸念する声も。村上氏に続く世界的な作家を輩出するためにも、読書習慣の定着に向けた取り組みが必要だ。


すべての年代で「読まない」増加

 文化庁の「国語に関する世論調査」は、全国の16歳以上の男女3000人を対象に実施。電子書籍を含む読書量の変化などについて今年3月にアンケートを行い、集まった回答を半年かけて分析した。

 それによると、マンガや雑誌を除く1カ月の読書量は、「1、2冊」と回答したのが34・5%、「3、4冊」は10・9%、「5、6冊」は3・4%、「7冊以上」が3・6%だったのに対し、「読まない」との回答が最も多く、47・5%に上った。

 平成21年実施の前回調査に比べ、1冊も読まない割合は1・4ポイント増加、14年実施の前々回調査からは10ポイント近く増加しており、日本人の読書離れが浮き彫りになった格好だ。



http://www.sankei.com/premium/news/141011/prm1410110018-n1.html

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まぁ今の為政者共を見ていれば誰だって分かる事だが、本を読むかどうかなんて趣味の問題でしかない。
よほどの馬鹿でも無ければ職に就くのに教養は必要とされていないし、仕事する上でもそんなものは必要とされていない。
少なくともそれを得るために好きでもないのに読書に励むのは、投じたお金を無駄にするだけの事だ。
そもそも本を年間読んだ冊数で読書家かどうかを認定する様な価値基準みたいなものもあるが、これがもう業者の手口じゃないかと思えて成らない。
例えば、『俺はその夜多くのことを学んだ』という三谷幸喜のさらっと読み終えられる絵本的な作品があるが(個人的には面白かったが…)、
それとアレントの『人間の条件』(分厚い本の例えとして…)を同じ一冊としてカウントして良いのかって話に成る。

辛辣な言い方をさせてもらえば一ヶ月に数十冊読んでる様な人は、それが趣味なのであって別に本を読まない他人を批判できる様な人物だとは思えない。
誤解を恐れずに言えば、少なくとも一ヶ月でそれだけ読める程度のレベルの本を読み漁っているに過ぎないからだ。
例えば『象徴交換と死』(ボードリヤール著)みたいな分厚くて難解な本を、一ヶ月で数十冊読んでるなら感服するが、
はっきり言ってそれは読めたとしても時間的にかなり無理がある様に思えてならない。

しかも周囲は本を読まない人間ばかりなのだから、読み終えた後でそういう読んだ本の話題で盛り上がるという様な機会に恵まれている人もそんなにはいないだろう。
自分の周囲はそうだと思う方々、あなたは幸運な環境にいます。
その環境を、大切にして下さい(笑)

とにかくこの様に読んだ冊数で考えるという考え方がそもそも間違いである。
そういうアンケートを取るなら、少ない冊数の人には具体的に何を読んだのかまでアンケートに取らなければデータとしての価値はないと思う。












絶好調の日立、なぜ年功序列廃止?首相も異例の後押しで、企業に守られる時代の終焉か

2014年10月28日 | ニュース等(新しいとは限らない)
今回は、最近の人事・雇用関連の経済ニュースの中から、筆者オリジナルの視点で解釈したものを紹介します。

●日立の年功序列見直しが衝撃的な理由

 日立製作所の管理職年功序列廃止が諸方面に大きな衝撃を与えています。筆者も複数のメディアからコメントを求められました。すでにソニーやパナソニックが年功序列の廃止を打ち出している中、後発でしかも管理職限定の日立のほうがインパクトがあるのはなぜでしょうか?

 答えは、家電中心の経営が成果を上げられず、瀬戸際まで追い込まれた感のあったソニーやパナソニックと違い、日立は2014年3月期決算で過去最高益を更新し、15年3月期でも2期連続での最高益更新を掲げるほど絶好調だからです。しかも重電部門など、ベテラン重視のイメージの強い花形部門も含めた措置です。多くの人にとって「ソニーが年功序列を捨てるのは仕方ないけれども、まさかあの日立まで……」という点が驚きだったのでしょう。

 ただ、むしろ日立だからこそ、さっさと年功序列を捨てなければならなかったというのが筆者の意見です。年功序列・終身雇用制度では、日本人以外の人材はほぼ確保できませんから、日立のようにグローバルでのインフラ受注を目指す企業は、現状のままでは営業対象の国々で深刻な人材不足に見舞われるわけです。

 もちろん、高度成長期の日本企業のように、日本人の企業戦士を送り込むという手もなくはないですが、お膝元の日本においても、優秀な理系人材は非メーカーの外資系や新興企業に流れ始めており、人材不足の状況にあります。

 そのようなわけで、ベテランを重視しようがしまいが、事業を世界で展開する以上は年功序列は乗り越えねばならない壁であり、日立は当たり前のことをやったまでだといえるでしょう。

●総理が「年功序列の見直し」に言及する意味

 9月29日に開かれた政労使会議の席上で安倍晋三首相が「年功序列の見直し」に言及したことが話題となっています。これについては、「総理がわざわざ言及するようなことなの?」「民間企業の話なのだから、労使に任せておけばいい」などと、懐疑的な意見を持つ人もいるようです。

 実際、現状においても、労使がしっかりルールを決めれば、賃下げや降格を行うことも可能ですし、キヤノンのように職務給に移行することもできます。ただ、政府が介入しなくても企業が自発的に制度の見直しを実施するかといえば、実際には労使だけでは話が前に進まないのが現実です。

 そこで政府が音頭を取った上で、政労使の代表を交えた席上で「脱・年功序列でいきましょう」と宣言をすることは非常に大きな意味があるわけです。

 同様のものに、オランダのワッセナー合意(1982年)が挙げられます。これも、政労使の代表が「柔軟な賃下げとワークシェアリングを推進すること」に合意し、その後の同一労働・同一賃金に道筋をつけることとなった会議です。政府が音頭を取って民間労使の協議を舵取りすることで一国全体の雇用の流れをつくった画期的なイベントといわれており、今回の政労使会議は明らかにこれを模したものといえます。

 具体的には、賃下げや金銭解雇といったルールを明文化し、「同一労働・同一賃金」の原則を法制化することで、脱・年功序列の傾向を後押しすることになるでしょう。いよいよ企業に身分を保障されていた時代から、個人のキャリアで勝負する時代へと移行するわけです。


http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e7%b5%b6%e5%a5%bd%e8%aa%bf%e3%81%ae%e6%97%a5%e7%ab%8b%e3%80%81%e3%81%aa%e3%81%9c%e5%b9%b4%e5%8a%9f%e5%ba%8f%e5%88%97%e5%bb%83%e6%ad%a2%ef%bc%9f%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%82%82%e7%95%b0%e4%be%8b%e3%81%ae%e5%be%8c%e6%8a%bc%e3%81%97%e3%81%a7%e3%80%81%e4%bc%81%e6%a5%ad%e3%81%ab%e5%ae%88%e3%82%89%e3%82%8c%e3%82%8b%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%ae%e7%b5%82%e7%84%89%e3%81%8b/ar-BBbyuiz


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まぁ大失敗して終了だろう。
この手の似事ジャーナリストは都合の悪い話は全部扱わないからかつて三井物産が導入した結果なんて絶対語りはしない。
例えば日立の人事考課が実力主義として評価される時代に成ったとしよう。
さて、どうなるか。
まず新卒での配属が恐ろしく重要に成ってくる。
成果主義と言えば聞こえが良いが、要は儲けられる部門に行くかどうかが最も重要に成るからだ。
オペレーションを担当する部門では業績を伸ばすにしても限度があるのだからそういう部門の人間達のやる気は減退する。
部門を横断したプロジェクトに成れば、その予算や実績の配分で社内で闘争が起こる。

これは私の持論で確信している事だが、年功序列をやめるためには抜本的な日本人の意識改革が必要だと思う。
具体的には社内で敬語を禁止する事だ。
敬語は平社員間ですら序列を構成しており、それが日本の企業社会の特徴でもあり成果主義を阻む存在でもある。
つまり成果主義に変えるなら年齢意識を徹底的に排除しなければならない。
極端な話、社内の人間の年齢をブラックボックス化しなければ成らない訳だ。
それが出来なければ必ず入社年次に基づく序列が作られてしまう。

そして次に問題に成るのは、簡単に成果主義という言葉で片付けるが、
その成果とやらの構成要素を整理してそれぞれに評点という形か何かで配分できる様にしなければならない。
つまり評価尺度がしっかり設定されていなければ成らない訳だが、その点が日本人は実に曖昧なのである。
だから成果主義なんて導入しても成功するわけがない。
結局ただの人件費の抑制策としてしか機能しない上に、社内も疑心暗鬼に陥る。

場合に依っては新卒の配属で将来性が見込めそうもない部門に配属された若手は数年したら転職するだろう。
まっ如何にも日本的な企業である日立が成功する見込みはほとんどないだろう。
























田嶋陽子氏、エボラ出血熱の流行について米CIAの陰謀説を唱える

2014年10月27日 | ニュース等(新しいとは限らない)
14日に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)で、アフリカで猛威を振るうエボラ出血熱について、田嶋陽子氏が米国CIAによる陰謀説を唱えた。

番組では、日本上陸が危ぶまれているエボラ出血熱について取り上げた。

ナイジェリアやリベリアなどで感染が広がるエボラ出血熱は、これまでに2300人以上の死者を出し、感染や感染の疑いがある人も4200人以上にのぼる。医療従事者も次々と感染しており、WHO(世界保健機関)によると感染は「前例のない規模」に達していると紹介した。

司会の辛坊治郎氏は、感染拡大のきっかけについて、呪術師がエボラ患者を薬ではなく祈りで治そうとしたことが原因だと言われていると話した。

田嶋氏は「いろいろな噂がある」とし「エイズと同じで、エボラもアメリカのCIAが流行らせたっていう。だから患者は必ずアメリカに連れていくだろうっていう話がある」と、あくまで噂としながらCIAによる陰謀説を指摘した。

すると辛坊氏は、「田嶋さんが言うから言う」と前置きをしながら「実は数年前からアメリカ疾病予防管理センター(CDC)の予算が非常に増えている。特に、エボラの対策費が増えている」と発言。

このような動きを受けて「(米国が)仕組んで流行させ、製薬会社を儲けさせているのではないか」という陰謀説が流れていることを説明した。

しかし、これを聞いた金美齢氏は「そんな荒唐無稽は話はやめましょうよ」とピシャリ。田嶋氏が「いや、でも、そういうことってあることでは」と反論するも、金氏は「必ず陰謀論が出てきたりする。人間が目の前で死んでいっているのが、何が嬉しいもんですか」と不快感をあらわにした。

一方、竹田恒泰氏は「ウイルスは宇宙人じゃないかと思っている」と発言。ウイルスは細胞膜も細胞核も持たず、生物としての定義を行うことができないことから、竹田氏は存在自体が「意味不明」だとし、ウイルスの宇宙人説を主張した。


http://news.livedoor.com/article/detail/9255282/

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基本的に今の我が国の保守派と呼ばれる層でメディアに出ている連中はそのほとんどがアメリカの手先である。
まず金が荒唐無稽と断じて陰謀論を一蹴し、次に竹田が宇宙人説を唱えるという形で連携を取る。
宇宙人と来ればほとんどの人間が荒唐無稽な話だと感じるだろう。
それがCIA陰謀説をそれと同列だという印象操作を招くわけだ。

そもそもほとんどの日本人はCIAが設立された経緯も知らないし、彼等がMKウルトラなど、実に様々な実験を行って来たことも知らない。
ましてやトンキン湾事件やNSAの存在、そしてエシュロンの存在も当初は陰謀論扱いされていた事を知らない。
湾岸戦争のきっかけに成ったナイラ証言は比較的有名だ。
最も有名なのはイラク戦争の根拠とされた大量破壊兵器の話だろう。
そして今はシリアで化学兵器の話、ウクライナでネオナチを使って暴れさせているという展開である。

陰謀論が出る根拠は予算だけではない。
正に米国でのエボラの感染拡大すれば、ナオミ・クラインの言葉を借りれば逆の形のショックドクトリンなのである。
ナオミクラインの言うショックドクトリンは危機状況を利用して市場化するという試みを指していた訳だが、
この場合のショックドクトリンはその逆で危機状況を利用して政府の力を増強させるものである。
具体的には今、米国で散々叩かれているオバマケアを救済する為にエボラの感染は実に都合が良いのだ。
エボラの米国での感染拡大はオバマケアを磐石なものにしてくれるからだ。
出て来るタイミングも実に都合が良く、それ故に陰謀論の話が絶えないのだ。

そういう真面目な話を宇宙人の仕業に変えるのがエージェントの仕事でもある。
議論をただ遮るか茶化す。
その両方を駆使して煙に巻くのだ。
真実は後でバレてもお咎めなしだという事は、これまで陰謀の結果を見ても分かる通り。
毎度毎度陰謀論と笑って済まして騙され続けているんだから、さぞ権力者共も高笑いしている事だろう。













底辺の劣化具合

2014年10月20日 | Weblog
生活保護叩きなどを見ていて思うが、ここ数年特に、我が国の底辺の劣化具合が凄まじく思える。
恐らく生活保護というセーフティネットをそういう叩いてる底辺連中の親が担っているのだろう。
ただし年々親も年老いていくから、介護の負担等でいよいよパラサイトしている余裕も無くなるはずなのだが、
そういう事は一切想像していないと見られる。

社会的弱者が更に社会的弱者を叩く構図だが、そうではないという主張も見受けられる。
多分自分が社会的弱者だと自覚が無いからそういう事言えるんだろうけど、
要は普通のサラリーマンでも生活保護受給者を叩いていると思うのだ。
まっ全くいないという事はないだろうが、それは少数派である。
何せそこそこのリーマンだと生活保護なんて別に羨ましいとは全く思えないからね。

自分が年収700-900万貰ってて福利厚生も考慮すれば1千万越える様な人間が生活保護憎しで叩いていたら、
そりゃサイコパスってもんですわ。
勿論私は中の下って所だからその半分も行くか行かないかって待遇な訳だが、一部の極端な案件を持ち出して叩くほどアホではない。
それこそバイクは暴走族がウルサイから規制しろって言ってるのと同じ位の話である。

まぁ生保叩きは基本的にはネトサポ辺りが煽ってやってる事だろう。
そろそろ氷河期世代が中高年に続々入っていくから、その対策として掲げられている訳だ。

人口動態だけ見てアホみたいに建設したマンションが売れ残っているなんてのを見ても分かる通りで、
今の為政者連中ってのは底辺の苦しさを微塵も理解してはいない。
そして当の底辺連中の中にも親をセーフティネットとして機能させているから生保の恩恵を理解しない輩も多い。
それは逆に考えれば高度成長期の遺産でもあり、高度成長期に中流だった家庭から受けられる恩恵でもある。
だが、それが家庭内トラブルの温床でもあり、最終的には介護等で大問題と成るわけだから、
本来であれば生活保護システムは担保として現状のまま機能させて置く方が得策なのだがそういう事を理解出来ない。
ある種の楽観主義なのか刹那主義なのかは知らないが、将来のことについて思考停止状態で生きているのだ。
その癖財源などと言う官僚共が危惧してれば良い様な事を真剣に持ち出すのだが、
一方で特殊法人問題についてはだんまりだったりとどう見てもネトサポの暗躍としか見えない言動が横行している。
そういう言動に簡単に騙されるほどの無邪気と言うか正直と言うか愚かと言うか…驚くほど簡単に迎合してしまっているのが不思議でならない。

一方でこの底辺同士の争いに金持ち共はだんまり。
当たり前だ。
住商の巨額損失やオーストラリアでほぼアホ呼ばわりされた丸紅の例を見ても分かる通りで、
本来たいした仕事なんてしてないのに高給取りなんだからね。
大手企業に勤務しているってだけで自分の年収が他人の数倍である事の根拠を明示出来るほど厚顔無恥な人は少ないのだ。
だから連中のほとんどは、「それくらい貰ってないと生活苦しいんじゃね?」と思うのだ。
何しろ生活水準のベースが自分の生活で、底辺から見ればその浪費っぷりには少し驚く位なんだが、
当の本人はそれでも堅実だと思っているくらいなのである。
正に知らぬが仏の世界だ…。

ただそういう大方寛容な連中だと分かっているからこそ、階級闘争意識みたいなものを抱く事も出来ない訳だ。
つまり限りなく階級制度に近いのにも関わらず、それでいて個人間ではその垣根が無いと言った風なのである。
変な例えだが、それはベルばらで言うオスカルとアンドレみたいな距離感であり、
これがまぁ貴族と市民との距離感であれば暴徒という形であれ問題が表出しても可笑しくないだろう。
そこが日本の準富裕層の人間味と言うか庶民性と言うか、市民意識と言うか…。
何とも権威主義的でない様なのであり、またそれが日本社会に残った僅かながらの魅力でもあると私は思う。