おはようございます、ニッチワインのネットショップを制作中の草壁です。
今日は昨日のブログの続きです。
なぜムートンはメドック格付け2級にされてしまったのでしょうか。
表向きの理由は、畑と建物の荒廃とされているようですが、
実際はユダヤ人、それもドイツから英国へ、さらにフランスに流れてきた
外国人に対する反感があったと言われているようです。
プライドを傷つけられたナサニエルは、
「我々は1級にはなれなかった、だが2級であることを潔しとしない、
我々はムートンである」と宣言し、名誉回復の機会を待ちました。
しかしナサニエルは、その1855年に落馬事故で重症を負い、
そのまま亡くなってしまいます。
ナサニエルの遺志を継いだのが、曾孫のバロン・フィリップ。。
彼は当時樽ごとワインを売却した結果、品質にムラが出ていたボルドーのワインを、
自身の働きかけによって、シャトー元詰めの形を作りあげました。
またセカンド・ワインを発売したり、絵画ラベルを考案したのも彼の功績です。
これらの功績が認められたのか、1973年シラク農業大臣はムートンを第一級に
引き上げる行政命令に署名をしました。
1855年の格付け以来、ランクが変わったのはこの1度のみ。
この格付けは今でも脈々と受け継がれ、市場価格、造り手と飲み手の評価として、
そして日本人のワインファンの中にまで厳然と存在し続けています。
フランスワインを巡る格付けのドラマ。
フランス人とワインとのかかわりの深さをこのドラマを教えてくれる話だと思います。
今日は昨日のブログの続きです。
なぜムートンはメドック格付け2級にされてしまったのでしょうか。
表向きの理由は、畑と建物の荒廃とされているようですが、
実際はユダヤ人、それもドイツから英国へ、さらにフランスに流れてきた
外国人に対する反感があったと言われているようです。
プライドを傷つけられたナサニエルは、
「我々は1級にはなれなかった、だが2級であることを潔しとしない、
我々はムートンである」と宣言し、名誉回復の機会を待ちました。
しかしナサニエルは、その1855年に落馬事故で重症を負い、
そのまま亡くなってしまいます。
ナサニエルの遺志を継いだのが、曾孫のバロン・フィリップ。。
彼は当時樽ごとワインを売却した結果、品質にムラが出ていたボルドーのワインを、
自身の働きかけによって、シャトー元詰めの形を作りあげました。
またセカンド・ワインを発売したり、絵画ラベルを考案したのも彼の功績です。
これらの功績が認められたのか、1973年シラク農業大臣はムートンを第一級に
引き上げる行政命令に署名をしました。
1855年の格付け以来、ランクが変わったのはこの1度のみ。
この格付けは今でも脈々と受け継がれ、市場価格、造り手と飲み手の評価として、
そして日本人のワインファンの中にまで厳然と存在し続けています。
フランスワインを巡る格付けのドラマ。
フランス人とワインとのかかわりの深さをこのドラマを教えてくれる話だと思います。