テレ朝、巨人戦中継削減へ。ここまでジャイアンツが視聴率を取れなくなったのはなぜ

2005-11-30 05:19:39 | Weblog
テレビ朝日が来シーズンの巨人戦の中継を減らす方針を固めた。今季は巨人戦19試合を放送しうちゴールデンタイムで放送したのが17試合だったが、平均視聴率は11.1%と低迷した。

なぜ巨人戦が不人気になったのだろう?当然、今季リーグ5位と低迷したことが大きいが、たとえ上位にいっても厳しいかもしれない。

巨人戦中継の不人気の原因は?
大リーグへの関心の高まり。1995年に野茂が米国へ行くまで、日本は野球に関して「鎖国」だったといっていい。海の向こうでは、高いレベルの野球が行われているのに意図的にか無視し続けてきた。そのため大リーグ中継をしたのはごくわずかだった。しかし日本人選手が続々と本場へ行ったことで、何も巨人戦にこだわる必要はなくなった。

地域密着化の影響。Jリーグが地域密着をうたい、地方都市を中心に「おらが町」のチームを応援するようになった。これは野球にも波及し、北海道に日本ハム、仙台に楽天が新設ないし移転したことで、地元の人たちが応援するようになった。一方で、巨人は地方の人たちに応援されていたが、「おらが町」に別の球団、あるいはサッカーチームが出来たので、わざわざ巨人を応援する必要がなくなった。

メディアの発達。インターネットの普及によって、あらゆる情報が手に入るようになった。かつてはリアルタイムで結果を知ることができたテレビを見る必要がなくなった。さらにスカパーのような全試合を中継する手段ができたために、野球中継における巨人戦の独占状態が崩れた。

最後に巨人の逆ブランド化。かつては「巨人、大鵬、玉子焼き」といわれ、巨人を好きでないと乗り遅れているイメージを持たれた。今では逆に「巨人ファン」というだけで、「時代遅れ」で野球を狭い視野でしか見ていないと思われかねないという危機感があるのではないか?

これらの複合的な要因によって、巨人戦の低視聴率は今後も続くと思われる。

「オヤジたちの熱いバトル」プロ野球マスターズリーグを初観戦。往年の名選手から無名の選手まで大活躍。

2005-11-29 02:12:27 | Weblog
プロ野球OBによるリーグ戦「マスターズリーグ」を26日に初観戦した。今年で5年目を迎えるリーグだが、11月上旬から来年1月下旬までちょうどプロ野球や高校野球などの試合がない時期に行われるだけに、野球ファンを引きつけるにはいい時期に行っていると思う。

この日のゲームは「名古屋80D´sers対東京ドリームス」。名古屋は中日OBが中心。東京は首都圏にある球団のOBが中心だ。場所はナゴヤドーム。地下鉄の駅から地下道を歩くなどして「モグラ」みたいな気分になるので、名古屋ドームはあまり好きではないが、この時期に野球を、しかも年配の人たちがプレーするとなると、気温調節の行き届いたドーム球場のほうが良いだろう。

この日の先発は名古屋が西本聖(49歳)、東京が遠藤一彦(49歳)。西本は巨人、中日などで活躍したシュートを武器にした165勝右腕。一方、遠藤も大洋(現・横浜)一筋で134勝を挙げたフォークの名手だった。往年の名選手を再び見られるのは「古き良き時代」を思い出すようで気分がいい。

名古屋は1回に大豊泰昭(42歳)の左中間への2点二塁打で先制した。大豊は中日と阪神に在籍、1994年(中日)には本塁打王と打点王の2冠に輝いた左のスラッガーだが、あのときの打棒は今も健在だ。この日、大砲は3安打の猛打賞と好調だった。

一方、東京は現役時代には地味だった選手が活躍した。5回には蓬莱昭彦(48歳)の左前打で同点に追いつく。蓬莱は主に西武に在籍し守備の達人という印象があったが、この日は何と4打数4安打。現役時代1軍での通算打率が2割2分3厘だった選手が「卒業後」に活躍した。

また6回には佐藤洋(43歳)の中前適時打などで逆転。佐藤は巨人にいたが1軍の出場は6年間で97試合。内野のすべてのポジションをこなし外野の守備もした「ディフェンスの達人」のような存在だった。

そして圧巻だったのは増本宏(49歳)。抑えとして8回途中から登板した。しかし投手名を聞いたとき、どんな選手だったか検討もつかなかった。調べてみると大洋に在籍した右腕。1軍には8年ほどいて109試合に登板。通算4勝3敗とパッとした感じはない。2軍ではイースタンで完全試合を達成したほか、最多勝投手になるなどの成績は残している。

しかしマスターズリーグではMVPに輝いており、まさに「超・大器晩成」型だ。この日もスリークォーター気味のフォームから繰り出す120キロ台後半の直球などで5人の打者をパーフェクトに仕留めセーブを挙げた。現役時代には全く知らなかった選手が、「別の舞台」で大活躍するというのも見応えがある。

試合は東京が3-2で勝った。試合時間も2時間26分とテンポよく進んだので見ている方もだらけたりしない。観客は1万7800人。この日は試合前に中日のファン感謝デーもあったため、本来、どれだけ入るのか分からないが、これぐらいの観客がコンスタントに入れば十分だろう。

プロ野球マスターズリーグ。「オヤジたちの熱いバトル」は奥が深い。ぜひ皆さんも一度スタジアムに足を運んでみてください。

今年は両レースとも熱かった競馬のJC。あの大記録を破ったんです。

2005-11-28 05:58:53 | Weblog
久しぶりに競馬の好勝負を堪能した。東京競馬場では26日に「ジャパンカップダート」、27日には「ジャパンカップ」が行われ、両レースとも最後の直線での競り合いに見ごたえがあった。

まずはジャパンカップダート。直線でのカネヒキリとシーキングザダイヤとの激しい追い比べに魅了された。最後はカネヒキリが鼻差抑えて勝利。鞍上の武豊は、このレースで3年連続200勝のほか、GⅠの年6勝(新記録)、重賞の年22勝(タイ記録)をマークした。1コーナー付近で引っかかっているように見えたカネヒキリだったが、武豊が手綱を引くととたんに落ち着く「変身」ぶり。向こう正面では完全に人馬一体になっていた。どこか菊花賞のディープインパクトが勝った時のような手綱さばきだった。

翌日のジャパンカップではアルカセット、ハーツクライ、ゼンノロブロイが最後の直線でしのぎを削ったが、アルカセットが鼻差、ハーツクライをかわして1着になった。タイムは2分22秒1の「ジャパンカップレコード」。思わず1989年のホーリックスとオグリキャップのマッチレースを思い出した。あのときのタイムは芝2400メートルの世界レコード2分22秒2。今回のタイムを知ったときに「世界レコードか」と思ったが、残念なことに11月28日のサンケイスポーツのサイトによると、1999年12月11日にアルゼンチンのサンイシドロ競馬場であったGⅠレースの「カルロスペジェグリーニ国際大賞典」でアシドロという馬が記録した2分21秒98が「最高記録」となっている。勝ったデットーリ騎手は1996年のシングスピール、2002年のファルブラブに続くジャパンカップ3勝目。

1989年のタイム「2分22秒2」が破られることはないと思っていたのに、今回のレースで塗り替えられるとは。もっともアルゼンチンですでに記録が破られていたのもショックだったけれど。

これだけの好勝負が見られたのに、27日のジャパンカップの売り上げは昨年比1.8%減の215億5363万8100円。東京競馬場の入場者数も19.9%減の9万5635人と寂しかった。やはり競馬はディープインパクトの一人舞台なのだろうか。

サッカー東京VがJ2降格決定。伝統チームのおごりがなかったか

2005-11-27 02:12:23 | Weblog
サッカーJ1は26日、33節の試合が行われ、千葉の柏サッカー場では17位の東京Vが16位の柏に1-5と大敗、最終節を待たずにJ2自動降格が決まった。1969年に読売クラブとして発足後、日本リーグの中心として多くのタイトルを獲得し、1993年のJリーグ誕生後も隆盛を極めた名門チームに悲劇が襲った。しかし名門ゆえのおごりが今回の降格の背景にあるのではないかと思っている。

ヴェルディはJリーグ誕生時には川崎に本拠を置き、ヴェルディ川崎のチーム名だった。しかし読売クラブ時代から全国的なチームと位置づけていたため、川崎に根付くような営業努力をしたわけではない。地元では川崎フロンターレの方が人気があった。

2001年に東京スタジアム(現味の素スタジアム)オープンにあたり、ヴェルディは東京に本拠を移しチーム名も「東京ヴェルディ1969」に改称する。東京にホームを置くことと母体の読売クラブが1969年に出来たことをチーム名に盛り込んだ。しかし、ここでもヴェルディは「東京」のホームチームという意識よりも、「1969年」に生まれた全国的な人気のある名門チームの方を強調したように思う。

一方で2000年には東京ガスを母体とするFC東京がJ1に登場する。こちらのチームは「首都東京」のチームを意識している。東京Vと同じ2001年に東京スタジアムをホームスタジアムにすると、競技場のある東京の多摩地区を中心に子どもたちにサッカー教室の指導をするなど地域に根付く努力を惜しまなかった。サポーターも「東京ブギウギ」「東京ラプソディ」などを使った応援を続け地元色を押し出した。

この努力の差は年間入場者数に如実に出た。東京Vは東京スタジアムオープンの2001年に29万946人を記録した後、02年は22万6926人、03年は26万3438人と下降傾向。昨年は22万5878人と東京移転後、最悪の数字だった。

一方、FC東京は01年に33万4698人、02年33万2597人、03年は37万3978人と常に東京Vよりも入場者数が多い。昨年は38万1575人とチーム史上過去最多記録を更新した。東京Vとの差は15万5697人。(入場者の数字はいずれも週間サッカーマガジン2005年3月8日号から)。ホームタウンとは何かと考えたチームと無視したチームとの差だろう。

朝日新聞の11月27日のサイトによると、1999年に読売新聞社がチーム経営から手を引いて年間運営費は半減したという。現在はJ1平均を若干上回る30億円ほどという。

しかしお金の問題ではない。ホームに根付くとはどういうことか。その中でファンとの関係も考える必要が出てくる。サポーターから支えられるチームは長期的に成長していく。しかし怠れば徐々にチーム衰退の道を歩み始める。東京Vは「プロ野球界における巨人」と同じように「殿様商売」を続け、ついに今回の結果に出たのだと思う。選手たちは「1年で戻ってくる」と語っているが、クラブの運営における根本的な考え方を変えない限り、この悲劇はヴェルディに何度も訪れると思う。

最後に、2001年にも東京VがJ2降格の危機があった。このとき降格したのはC大阪と福岡。福岡は今季J1復帰を果たし、C大阪は現在J1トップ。優勝を目指して最終節を迎えている。あのとき生き残った東京Vが今回、降格。何かの縁だろうか。

16歳のウィー、女子選手初の日本男子ツアー予選突破ならず。可能性を示した2日間。また日本に戦いに来て

2005-11-26 06:45:44 | Weblog
日本男子ツアーのカシオ・ワールドオープン第2日が25日、高知県のkochi黒潮CCで行われ、16歳の女子選手ミシェル・ウィーが予選突破を目指したが、通算4オーバーでわずかに1打足りず決勝ラウンド進出を逃した。予選落ちが決まった瞬間、呆然として口を押さえていたウィーだが、大人びていても高校生。今回の結果は仕方がない。チャンスは今後山ほどある。

24日は14番まで3オーバーと予選通過が微妙な位置にいた。しかし15番ホールで1.5㍍のパーパット、16番ホールで1.2㍍のバーディーパットを確実に決め、波に乗ってきた。

ただ2日目は最終盤の17、18番で連続ボギー。しかも最後は1.2㍍のパーパットを外し万事休す。たかが1打されど1打。17番のパーパットではギャラリーのカメラ付き携帯電話のシャッター音で、仕切り直しをするハプニングも。

「アイアンショットの精度を高めたい」と課題を挙げたウィー。来月1月には故郷ハワイで米男子ツアーに挑戦する予定だ。彼女はこれからもっと成長するだろう。今回の「敗北」が未来の糧になるように願ってやまない。また来日してプレーをしてくれることも楽しみにしている。


大相撲最多タイの年間82勝。強すぎる朝青龍

2005-11-25 02:22:28 | Weblog
大相撲九州場所は24日、12日目の取り組みが行われ、結びの一番で横綱朝青龍が関脇琴光喜を上手投げで下し全勝をキープした。この日の勝利で年間82勝をマークし、北の湖が保持していた最多記録(1978年)に並んだ。

朝青龍は25日の取り組みで勝ち、2敗で追う千代大海が破れた場合、7場所連続15度目の優勝が決まる。ともに初となる7連覇と年6場所完全制覇は目前だ。

6連覇は過去に大鵬が1962年名古屋場所から翌年の夏場所までと、1966年春場所から翌年の初場所までの2度記録している。まだ24歳の朝青龍が「偉大な歴史」を越えようとしている。

今年は春場所が全勝、春場所は14勝、夏が全勝、名古屋と秋がともに13勝。ここ2場所2敗を喫したが、最後は全勝で締める勢いだ。

この日の琴光喜との一番は左四つで万全の態勢を取ると、右に回って豪快に上手投げ。内容を見ても安定感が漂う。

25日は83勝の新記録と優勝独占を目指して、関脇琴欧州とぶつかる。琴欧州も現在9勝3敗。大関昇進への絶対条件となる二ケタ勝利に向け負けられない一番だ。

しかし今の朝青龍に勝つのは難しいだろう。モンゴル出身の横綱にとって一番の敵はケガぐらいのものだ。朝青龍が通算優勝回数最多の大鵬の記録(32回)を更新する日もそう遠くないのだろう。

理想のラグビーに近づいている。早稲田が対抗戦5連覇。慶応を完封

2005-11-24 02:48:17 | Weblog
ラグビーの早慶戦が23日、秩父宮ラグビー場で行われ、早稲田が54-0で慶応に大勝した。来月の早明戦を前に対抗戦グループ5連覇を達成した。早慶戦での完封は1990年に早稲田が慶応に40-0で勝って以来。

昨年、大学王者に輝いた早稲田だったが、昨季は「チーム史上最強FW陣」に支えられていたような気がした。バックスにボールが渡ってゴール前に攻め込んでもパスが乱れてノックオンというケースが多かった。結局、苦しいときのフォワード勝負というケースも多く必ずしも喜ばしい勝ち方だったとはいえない。

しかし今年はFWの強さにバックスの安定感が加わって文句なしのチームに仕上がりつつある。スクラムは安定している。そして集散も速い。味方がボールを持ち込んで倒されても、後続選手のフォローが早いので、スクラムハーフは素早くバックスにパスを供給できる。

バックスもウイング首藤、菅野とフルバック五郎丸の「バック3」だけでなく、センター今村も突破力がある。ボールを持ったらスルスルと抜けていく。多少パスが乱れてもしっかり捕球するので攻撃が持続する。走力があって自ら持ち込めるスクラムハーフ矢富に加え、パスだけでなく意表をついたオープンサイドへのキックなどゲームメークの優れたスタンドオフ曽我部のハーフバックス団も完成度が高い。フォワード良し、バックス良しとスケールが大きいチームになった。

この日奪ったトライは8つ。前半こそ2つと少なかったが、後半になるとトライ攻勢。グラウンドいっぱいにパスを回していく。隙が見えれば、一気に突いてトライが生まれる。正直、今年の早稲田は日本代表が真似してほしい理想のチームだと思う。

慶応は無得点に終わったが、正直、これからどんどん強くなっていく可能性を感じる。フルバックの山田ら将来性ある選手がいるし、愚直なまでにタックルを決めて前半は早大攻撃陣を満足に機能させなかった。課題は前後半戦えるスタミナ。前半頑張っていても後半にへばっていたら仕方がない。そうはいっても来年はもっと手ごわいチームになる予感がする。

私がラグビーでもっとも強く、魅せるプレーをしたと思う大学チームは2002年度の早稲田だ。山下主将(現サントリー)が引っ張り、高速バックス陣が勇躍して大学日本一になった。もっとも今年の早稲田は佐々木主将の強力なリーダーシップの下、さらに偉大なチームになりつつある。早明戦、大学選手権でも進化を遂げていくだろう。このチームの最終型はどうなるのだろうか。考えるだけで楽しくなってくる。

城島がマリナーズへ。ベストチョイス。まずは1日も早くメジャーに慣れて

2005-11-23 05:44:01 | Weblog
ソフトバンクからFA宣言していた城島健司がシアトル・マリナーズ入りを表明した。3年契約で年俸総額は出来高分も含めて1900万ドル(21億8500万円)。城島がこの球団を選んだことは良かったと思う。

まず日本人のイチローがいる。チームメートの情報から生活面などアドバイスを受けられるメリットがある。ただ正直、長谷川がいてくれれば投手陣の細かい点まで把握することができたが、解雇されてしまったため自分で解決する必要がある。

そしてシアトルは日本から近く日系の人も多いため、住みやすい環境だ。ニューヨークなどの大都市球団に行かなかったのは正解だった。旅行でいくなら最高だが、城島はツアー旅行をするわけではない。野球に集中するには地方都市のほうがいいだろう。しかも大都市だとメディアがうるさい。NYに行って失敗した松井稼のようにはなってほしくない。

ただしメジャーの捕手になるには「語学力」が必要だ。英語やスペイン語を話せないといけない。投手とのコミュニケーションが必要不可欠なのは言うまでもない。ボディラングエージだけで通用するとは思わないほうがいい。

入団後は43歳のベテラン左腕モイヤーに弟子入りするぐらいの覚悟が必要だ。今年、マリナーズで二ケタ勝ったのは、モイヤー(13勝)とメッシュ(10勝)のみ。若手のヘルナンデスらを育てる必要もあるが、メジャーを学ぶ謙虚さも重要だ。日米のストライクゾーンの違いなどを含め学ぶことはたくさんある。

マリナーズの同一地区には、ゲレーロら強力な打者陣を揃えるエンゼルスや「打率よりも出塁率」との理論で戦うアスレチックスなど手ごわい相手が待ち受けている。特にボールに完全に外しているのに長いリーチで打ち込んでくるゲレーロには要注意だ。

まずは1日も早くメジャーの環境に慣れてほしい。

来季のパリーグプレーオフ、第2ステージ1位チームに無条件の1勝。日程的な「アドバンテージ」も与えて

2005-11-22 01:57:57 | Weblog
プロ野球パリーグのプレーオフは、来季から第2ステージでレギュラーシーズンの1位チームに無条件で1勝を与えて行われることに決まった。

レギュラーシーズンの上位3位チームによるプレーオフは昨季から始まったが、レギュラーシーズン1位のホークスが、2季連続最終戦で敗れる結果に終わり、シーズン1位に満足なプラスのないまま行われている現状に不満の声が挙がっていた。

確かにいくら本拠ですべての試合を開催できるといっても、第1ステージを勝ち上がったチームには勢いがある。そのチーム相手に何のアドバンテージもないまま試合が行われるのではシーズン1位になった意味がない。今回の決定には賛成だ。

そして第2ステージの第3、4戦のホーム開催権を第1ステージ勝者に与えるのも賛成だ。すべての試合をホームで行うという利点を与えるよりも、むしろ第1ステージ第3戦予定日の翌日に、第2ステージの開幕をするべきだ。当然、最終戦まで戦えば第1ステージを勝ち上がっても投手のローテーションで苦しいから2戦でケリをつける必要が出てくる。第1ステージチームにホーム開催権を与えるけれど、シーズン1位に日程的な面での「アドバンテージ」も与えるべきだ。

ちなみに昨年(04年)は第1ステージ第3戦が行われたのが10月3日、第2ステージ開幕は10月6日。2日も休養が与えられた。2日もあれば、それなりに立て直せる。ぜひ来季のプレーオフ日程を決める際には考慮して欲しい。

Qちゃん復活。高橋尚子が東京国際女子マラソンで優勝。チーム運営とプレーの両立に成功

2005-11-21 22:15:29 | Weblog
誰よりも早く、大きく両手を広げてゴールテープを切った。20日に行われた東京国際女子マラソンで高橋尚子(33)=ファイテン=が2時間24分39秒で優勝した。2年前、アテネ五輪出場をかけて走ったレースで失速、五輪代表から漏れたつらい思い出のレース。今年はレース9日前に、軽度とはいえ肉離れを起こす懸念材料もあったが落ち着いたレース運びで雪辱を果たした。独立によって、さらに成長した姿も見せた。
「高橋限界説」もささやかれる中、後がない厳しい状況でのレースだった。レース終盤には、2年前に失速した35キロ過ぎからの坂が待ち受ける。苦い過去との戦い。レース後も「自分自身の思い出との戦いだった」と振り返ったQちゃん。当然、「あの坂」のことを指しているのだろう。しかし今回は負けなかった。2年前に20分17秒かかった35~40分のタイムは17秒9。耐えた。あとはゴールへ駆け込むだけ。2位のバルシュナイテ(リトアニア)に36秒差をつけて女王が復活した。

今年春に長年師と仰いだ小出義雄監督の下から独立し「チームQ」を設立した。これまでは走ることのみに専念できたのに、絶対的な指導者がいない中で、雑務も含め自分で管理せねばならない。トレーナーと調理師と練習パートナーの3人とともに戦い始めた。今回の優勝は自分を厳しい状況に置いたQちゃんがさらなる成長を遂げた瞬間でもあった。

今回はスローペースの展開だった。勝負は必然的に後半に持ち込まれる。問われるスパートの時期。前回は22キロで失敗。しかしリベンジレースでは残り8キロで勝負に出た。「読み」の冷静さも加わったQちゃん。北京五輪へ向けて真の「再スタート」を切った瞬間でもある。

競技だけでなくチーム運営にも成功したQちゃん。来年はプロ野球の古田敦也がヤクルトの監督兼選手としてシーズンを迎える。Qちゃんのように自己のプレーとチーム運営の両方で結果を残すことができるのか。今回のレースを見て不可能なことはないのだなと思った。