自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

私の散歩道風物

2016年10月13日 08時32分36秒 | コラム

 稲刈りを終えたたんぼ道、人影も見られぬようになったが,刈り取られた田んぼが,青々としたひつじ田になっている。切り取られた株を覆い隠すように田植えから半月を迎えた稲田の様相を示している所もある。つくづくこの国は農業に向いている,平和な生活を維持していける国だと思う。

 那珂川が作った河岸段丘のはけから,年中絶えることなくわき水が出ているところがある。そこに神社が建てられているが、この自然の恩恵を受けた古代の人たちが,やおろずの神の一人として祭ったのだろう。この湧き水を汲んで来て、鉄瓶でわかし,お茶を入れて飲んでいるのだが、そうするようになったきっかけは,もう10年も前に亡くなった人なのだが,その方が子どもの頃近所のお年寄りから,那珂川に泳ぎに行くのだったら帰りに,あそこの水を汲んでくるように言われたのだが,遊びに夢中になって忘れてしまい、家に戻ってから気づき、井戸の水を汲んで持って行ったところ、”違う!”と言って怒られたという話を聞いてからである。確かに最初その水でわかして飲んだお茶の味は,ひと味もふた味も違っていた。慣れてしまうと分からなくなってきたが,訪れた人に出したときにはおいしいお茶だと褒めてもらえる、、、、。

 老子の言葉に、”上善は水のごとし”と言うのがあるが、下らぬ争いを繰り返している人類に対する警告として受け止めなければならない。水さえあればあらゆる生き物の生存が可能となる。そして水が豊富であれば,多くの人間の生存が可能となる。世界四大川文明が発祥したのも,そこに大河が存在したからだ。”水争い”は常に起きていたが、”水分け合い”こそ人類の叡智である。アフガンで,中村氏が井戸掘りを始められたのは,水が豊富であれば人は争うひつようがない事を実現しようとしたからだ。それをぶちこわしたのが,アメリカのアフガン攻撃だったし、そしてイラク、リビア、現在のシリア、いずれも水の不足していて,石油の豊富な国なので狙われていると言えるだろう。

 南スーダンの内戦も,石油の豊富な南スーダンを分離独立させた欧米の勢力に対する抵抗が原因だろう。その地に、PKOで自衛隊を派遣し,新しい任務を課するのは,戦争をしないと決めた憲法を持つこの国の取るべき道ではない。

 


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