自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

空腹ー餓えー餓死

2011年01月07日 20時40分08秒 | コラム

 人類史の大部分はその日の食を賄うのがすべてであった。食を求めてさ迷い歩き,食用になるものには手あたりしだいむさぼり食らう日々だっただろう。火を獲得し、食の範囲を広げ、牧畜、農耕の始まりは、安定した食料を供給し、人口も飛躍的に高まったと思う。自然条件の優れた地で定着農業が始まり、やがて、ムラ;クニ;国家の成立への道をたどったのは世界各地で共通する動きだった。紀元前後の巨大帝国は、西のローマ帝国、東の漢帝国でありその間の交流の道がシルクロードと呼ばれたのは世界史の基礎知識である。帝国内の政治、つまり支配する領域の民(労働力として)の腹を満たすことが可能な時は、帝国は安定するが、帝国の周辺部には、定着を拒否する遊牧の民が存在し、彼らが空腹から餓えに至ると、定着民は略奪の対象となった。ライン、ドナウ河畔の砦、万里の長城は、遊牧民の侵略を防ぐ構築物であった。

 空きっ腹にまずいものなし、と言われるように、空腹は、人の労働の産物としての食糧をえり好みはしないはずだ。共産主義を一言でいうと、{働かざる者、食うべからず}だそうだが、ローマ帝国で、領国からの貢物で、働く必要のなくなったローマ市民が、パンが満たされ、次にサーカスを求めたといわれるのは、人間堕落の象徴なのだろう。中国の王朝交代の原動力が、農民の反乱なのは、空腹から餓えに、そのままでは餓死に至る前の人間の抵抗なのだろ。

 時代はめぐり、21世紀の今日でも、片やメタボでダイエット必要な人が多く存在する先進国、餓えに苦しむ10億の民を抱える,A.A.LA諸国の民衆。この国でも食料破棄が年々増え続ける中、数は少ないけど人知れず餓死する人の存在。どこかがおかしくなってるような気がする。そんな中で、不耕起移植栽培、冬期湛水の環境再生農業を提唱している方の本を読むことができ、やはり{人間っていいな}と思える年の初めであった。

 もともと、不耕起の自然農業を提唱されたのが、2年ほど前に亡くなった四国の哲人、福岡正信氏である。{わら一本の革命}との著書を著わしたが、日本での評価よりアジア各地で評価を受け、アジアのノーベル賞ともいわれるマグサイサイ賞を受けた方である。平澤信夫氏はさらなる実践を積み重ね、自然科学に適した農法を唱えられているのだが、多くの賛同者がいるにもかかわらず、行政からの支援は、福岡氏同様一切受けておられない。日本の農学者、農協の指導員、農水産省のお役人、農薬会社。肥料会社のおまんまの食い上げになるのだろうが、人類への貢献、自然環境のためには効果的な農法なのだが、、。

 


2011年、年頭のメッセージ

2011年01月01日 10時00分06秒 | コラム

       人は素晴らしさと醜さを、賢さと愚かさを

       兼ね備えた存在だけど、その分岐点は

       (生まれた時  は名無しで裸)としての人間の

       育てられ方、その後の育ち方に依るものだろう。

 

       古歌に(幼子が 次第次第に知恵付いて 仏に遠く

       なるが哀しき)とあるのは、人の性の善なるを信じる人の

       嘆きなのだし、生涯未熟である人間への

       自己教育の必要性を説いているものと思われる。

 

       文明とは対極にある、戦争と貧困をなくすべき21世紀に

       増え続けるのが軍事費と餓える人口、更に絶滅危惧種は

       後を絶たず、この動きに、経済成長路線をひた走る

       G8、G20の談合では歯止めがかからず

       このままでは、命を生んだ惑星で、命の消滅を

       ほど遠くない時期に迎えかねない、、、。

 

       (みんな違って、みんな良い)との自尊他尊を習得し

       情報管理、情報操作により生じる金太郎アメ、

       盆上のマメを拒否した投票行動が、文が武に勝れる

       世の実現へ向けての、ハチドリの一滴となる。