血税の無駄使い、通常国会を大幅に延長して、安保法制(巷では戦争法案の方が支配的)を何としても通すことが、アメリカで口約束したことでもあるし、己の使命とでも考えているのだろうか、、、。通常国会の最大の仕事は、新年度予算の審議、そして議決、旧年度の決算を承認することにある。新予算は可決されたし(中身の良し悪しは別にして、、、)、多くの憲法学者が、今回提出された法案が憲法に違反するとしているのだから、一端、通常国会を閉じて、緊急を要するならば、臨時国会を召集して、憲法に違反しない法律案にして国会で議決することだ。
悪知恵とでもいうのだろう、憲法違反でない根拠に”砂川判決”を持ち出したのだが、藪を突いてしまったね、、、。朝鮮戦争(米ソ冷戦の代理戦争)時、この国はGHQの占領下にあった。本来は連合国最高司令部なのだが、実質はアメリカ占領軍であった。”エルベの誓い”を反故にし冷戦を発動したアメリカは、社会主義勢力に拡大を抑え込む、世界の憲兵の役割を、その巨大な経済力と軍事力を背景に推し進めることとなった。在日米軍がごっそり朝鮮戦争に動員され、日本の治安維持のため、マッカーサーの指令により、警察予備隊が創設された。孵化した幼鳥は、保安隊、自衛隊へと変身し、日本国憲法とは相いれない怪物へとなったしまった。
戦前から戦争反対を貫き、のち日本社会党の委員長になった鈴木茂三郎氏は、その委員長就任のあいさつで、”青年よ、再び武器をとるな!”と述べ、自衛隊は憲法違反との裁判を起こしたが、具体的事例でないと裁判になじまないとして、却下されてしまった。具体的な事件として起きたのが、”砂川事件”である。インドシナでのフランスの敗北、アメリカが肩代わりして、社会主義陣営の広まりを防ぐために、世界各地に軍事基地を必要とするアメリカは、’51年、サンフランシスコ会議で日本の独立を認めながら、引き続き日本国内に基地の存続を認めさせ(ポツダム宣言違反)、爆撃機の大型化に伴い、滑走路の延長を求め、立川基地の拡張を日本国に求めてきた。日米行政協定により、立川に隣接する砂川村で測量を開始したことに対して、体を張って抗議した人を支援した、学生、労働者が、基地内に立ち入ったとして処罰された事件である。
第一審の東京地裁では。憲法に忠実な裁判官によって、つまり、憲法と法律にのみ拘束されての司法判断がなされ、アメリカ駐留軍は違憲、そして抗議活動をした被告は全員無罪となった。平和的生存権(戦争のない世で生きていく権利)に関して最も先進的な権利が保障されているのが日本国憲法第9条である。そしてその憲法で国民の道義的義務として、憲法で保障されている諸権利は、国民の不断の努力によって保持しなければならない、と定められている道義的義務を果たしたものとみなされた。慌てたのが、世界の憲兵を自任するアメリカである。当時の最高裁判所長官と密談し、飛躍上告を決め、地裁判決を破棄し、いわゆる”統治行為論”なるもので、憲法違反の現状を追認した。
戦争があると儲かる連中、これらがいる限り、人類の共存共栄は不可能だ。戦争のない地球にしていくために、日本国憲法を持つこの国こそ先頭に立って行動することだ。日本国憲法のもとこの国の総理大臣に在任中の現首相、血迷うことなく、憲法破壊は中止することだ。