自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

人に貴賤は存在しない、、、。

2014年08月31日 22時44分40秒 | コラム

 アフリカを故郷とする全人類は、現在、70億を超え地球上のあらゆる地にその生活の場を広げていった。極北のイヌイット、日本列島の先住民アイヌ、ニュージーランドの先住民マオリ、それぞれの言語で、”人間”という意味である。優生学では、劣悪な民族の淘汰が必要だと考えるようであるが、地球上の自然条件の異なる地で生存するための生活条件の違いが、人種、民族、等の違いは生じたが、人間に貴賤の別があるはずがない。

 自然条件に恵まれた地域で蓄積された富による文明の発達は、その地に住む人間の自尊心を増長するものか、自らを誇りに思うのであろう、周辺の未開の民を、蔑称で呼ぶ習わしを持ってきた。黄河流域に文明を築いた漢民族は、自らを中心の花(中華)と称し、周辺を、北荻、南蛮、東夷、西戎、と呼んだし、その東夷に属した、この国も、大陸文化の恩恵を受け文明化すると、先住民を蝦夷と呼んで圧迫した。ヨーロッパでも、その原点であるギリシャでは、自らをヘラスと称し、周辺の民をわけのわからぬ言葉を使う、バルバロイとして軽蔑していた。

 その延長沿いに、”神から選ばれた民”が生まれてしまった。地中海東部に面した地域に、古くフェニキア人とフェブライ人が移住し、高度の文明を発達させた。海に面した地域に住む民族は先取の精神に富み、フェニキア人は地中海沿岸に多くの植民都市を作り、アルファベットを作ったし、ローマ帝国の最大のライバルだった。一方フェブライ人は周辺の巨大帝国にとって、奴隷として最大の貢献できる民であった。エジプトのピラミット建設に携わったのは彼らであったといわれているし、メソポタミアを統一したバビロニア帝国に、”バビロン幽囚”としての悲劇が存在した。彼らが歴史から消えなかったのは、彼らの苦難の歴史の中から生まれた、ユダヤ教があったからだ。つまり我々がこのような苦しみの中にあるのは、神が我々を試しているからで、この苦しみに耐え抜いたら、救世主が現れ、やがて我々が世界を支配することになる、というのが原始ユダヤ教の教えであった。ユダヤ人が救世主とみなした、モーゼ、そしてキリストは、ローマ帝国下の、すべての民の神の前の平等を唱え、多くの弾圧を受けたが、のちにはローマ帝国の国教とまでなった。ローマ帝国に最後まで抵抗し、国を滅ぼされたユダヤの民は、世界各地に流浪し、キリスト教下の全ヨーロッパでは、賤業とみなされていた商業活動によってその生存を維持せざるを得なくなった。やがて土地中心の封建制から、絶対主義、重商主義を経て、市民革命、産業革命を経て成立した資本主義の世では、金が中心の時代となり、かつての予言通り、金を所有するユダヤ系の各国の大資本家がわが世の春を迎えているといえるかもしれない。


69度目の暑い夏の終わりに、、、

2014年08月18日 14時22分46秒 | コラム

 暦の上では立秋を迎え、今日は日暮の鳴き声が聞こえるようになった。遺伝子に組み込まれた通りの生活を維持している蟻んこは、2000年以上も前、イソップを感動させたような生活ぶりを今、続けているし、これからも続けるだろうし、あほなことをやらかして人類滅亡の事態が生じたとしても、生き残っていることだろう、、、。好奇心、チャレンジ精神故、さまざまな新たな行動をするのが人間だし、行動するものは過ちを犯す、そしてその過ちの中から学び取り、より賢くなる道を選んで生活を高め、文化をも生み出したのが人間といえるのだが、、、。

 人間の犯す最大の過ちは、人が人を殺す”戦争”だと思うのだが、今もって世界各地では、人と人の殺し合いが続いているのは、ホモサピエンス(賢い人)になりきれていないからなのだろう、、、。8月6日、8月9日、8月15日と、より賢くなるための記念日があるのだが、年中行事化してしまい、前年と同じ内容の挨拶を容認してしまう行事はやっても意味がないだろう。”300万の尊い犠牲の上に今の日本がある”との考えが一般化している故に、8月15日に、靖国に参るのが当たり前と考える若い世代が増えているようだが、この国の歴史を見ても、この国にを守るために命を張ったのは、当時の世界帝国、歴史上最大の領地を支配したモンゴル帝国の侵略を防ぐ戦いに殉じた鎌倉武士だけである。靖国に祭られているのは、戊辰戦争で勝利者となって明治政府の中心となった薩長を中心の錦の御旗に殉じた人たちがスタートだし、明治以降、皇国史観にマインドコントロールされて、日本のための戦いに殉じたと思い込まされている人たちが祭られているのである。”靖国で会おう!”とて、日本を離れた外地で亡くなっていった多くの兵士たちは、もし命を取り戻し証言してくれたらなんというだろうか、、、。

 4,5年前の8月15日のブログを再録したいのだが、真の終戦(戦争のない世)日になるために、参考にしてほしい。タイトルは、8月15日は敗戦記念日、終戦記念日ではない、終戦祈念日である、、、。

 
 戦争は一言で言えば、“人と人とが殺し合うこと”である。何時になったら、 その殺し合いを止め、真に文明化された“ホモサピエンス(賢い人)”になれるのだろうか。人類の遠い祖先は、アフリカの森を脱出した300人あまりであり、世界各地に生活の場を広げ、現在70億を超え、この奇蹟の惑星の主人公となっている。全ての今を生きる人類のDNAはその原点に遡れば、1人の女性“ルーシー”に辿り着くし、まさに“人間みな兄弟(姉妹)”となるのだが、、、。

 戦争をなくすための戦争を続け、ギリシャでの争いを治め、さらに東方の大国、ペルシャを征服したアレクサンダー王、志半ばで倒れ、その願いを引き継いだローマ帝国により“ローマンパックス”がなったのだが、その平和も永遠ではなかった。この国でも戦国の世を治めた家康、その体制を維持するために鎖国をし、この国を魔法瓶にしたのだが、ぺりーの砲艦外交によって、“太平の夢”から無理やり覚まされてしまった。

 当時の世界は弱肉強食の帝国主義隆盛期、戦争に勝利したものが富を独占できる状況だった、最強国がイギリス、ライバルがフランスで、その対立は我が国でも展開され、討幕派をイギリスが、幕府をフランスが支援した。ここでもフランスは後れをとり、北海道を担保にフランスからの武器購入、技術導入を図った幕府は倒されてしまった。明治政府の師匠役となったのがイギリスであり、“富国強兵・殖産興業”をスローガンに欧米列強の後追いをした。

 朝鮮を植民地にするまでは米英の許容範囲、中国の市場は米英の獲得したいことであり、日本の勝手を許さないのが米英の基本姿勢であった。ヨーロッパで急速に力を伸ばしてきたのがドイツ帝国であり、永年の対立を止めて仏英はロシアを味方に対独包囲網を構築する。バルカン半島(ヨーロッパの火薬庫)問題をきっかけに第一次世界大戦が勃発。火事場泥棒みたいに、日英同盟を口実に、ドイツが保持する山東半島の利権を奪いさらなる大陸侵略を目指して、革命まもない(辛亥革命)中華民国に“対華21カ条”を武力を背景に押しつけた。当然米英の反発は形となって現れてくる。

 第一次世界大戦は、それまでは、○○の戦いと言われた、戦場があり、軍隊同士の戦いであり、死傷者も」兵士に限られていたのとは違い、全土が戦火に脅かされ、一般市民に死傷者が多く出る戦争となった。それ故に人類もその賢さを振るう必要が生まれたのだろう。長く中立を維持してきたアメリカのウイルソン大統領は“講和原則14カ条”でベルサイユ会議に臨んだし、カントが“永遠の平和のために”が100年を経て、“不戦条約”として結実した。それらの人類の英明さが“国益”を凌駕できれば良かったのだが、英仏のドイツに対する懲罰的戦後処理が、ヨーロッパにおける戦争の要因、ナチスドイツの選挙による権力獲得に繋がった。戦後、ドイツ帝国は“ワイマール共和国”として、世界初の社会権を憲法で定め、男女の普通選挙を認めた当時の世界で最も民主的な憲法ではあったのだが、、。

 戦争は絶対悪であり、勝って良いものでもないし、負けて悪いものでもない。日米の戦争にしても原因は資本主義国にとっての最大の魅力、中国市場を巡る日米の対立である。アメリカの資本主義はそれまでの露骨な植民地獲得ではなく、市場獲得で満足できる新帝国主義であった、第一次大戦後、中国をめぐる帝国主義の対立(ドイツ、ロシアは撤退)を、中国に恩を売りながら調停したのがアメリカである、中国に関する9か国条約がそれであり(領土保全・機会均等・門戸開放、等)、それに反する行動をとりだした日本に対して経済制裁を加えてきた。追いつめら形で,“真珠湾攻撃”となるのであるが、負けて良かったのは、戦争のない世にするために、人類の最高に到達した英知である、憲法第9条を持てたことである。その点で敗戦を誇って良いのであるが、降伏を受け容れる時期を誤ったので、敗戦による多くの悲劇を積み上げてしまった。アッツ島玉砕、ミッドウェイ海戦の敗北が講和交渉のスタートとなれば良かったし、サイパン玉砕、東条内閣総辞職の段階で、“負けるが勝ち”を決断しても良かった。さらに、外交音痴で、ソビエトに仲裁を依頼して、ヤルタ密談故無視された段階、最終は、ポツダム宣言が提示され(7月26日)、8月以前に受託していれば、当然ヒロシマ・ナガサキはなかったし、ソビエト参戦による残留孤児も生じなかったし、北方領土問題もないし、さらに朝鮮の南北分断、朝鮮戦争もなかったはずだ。
 勝ったから良くないのは、相手国の日本を叩きつぶすために軍事経済に切り替えたアメリカが、資本主義の最大の欠点、過剰生産による経済後退(不景気、さらに進んでの恐慌)を防ぐためには、定期的な戦争を必要とする国になってしまったことだ。アメリカの大戦の指導者、ルーズベルトはリベラリストで、“社会主義は競争相手であるが敵ではない、敵はファシズムである”としてナチスドイツと戦うソビエトを支援したが、“神を認めない共産主義は敵である”との保守派の勢力も強く、大戦終了間際、ルーズベルトの死(暗殺説もある)の後昇格した、トルーマン大統領は、マッカーシズムの広まりの中で、冷戦を発動する。その行き着く先が冷戦終了後も権力を維持し、ネオコンとして産軍複合体を構成し、戦争を必要とする経済から脱却できず、今もって世界各地に不幸をまき散らしている。

 “対等で緊密な日米関係”を目指した元総理、鳩山氏は、普天間問題で挫折し退陣したが、この国の戦後の政治権力は戦前と変わることがなかった。つまり保守化したアメリカに協力することで戦前の罪を免れた(公職追放解除)人たちによって再構築された。極東軍事裁判で処刑された者たちに敗戦の責任を全てかぶせ、“終戦”を戦後主権者となった国民に定着させ、“一億総懺悔”で敗戦の責めを誰も果たそうとはしなかった。対等で友好な日米関係を築くには、戦後の日米関係を大転換する覚悟が必要だった。ポツダム宣言の完全履行を求め、日本からの軍事基地撤去(軍事費負担で財政難のアメリカを救う親米政策なのだが、、、)を目指すべきであった。“みんな違って、みんな良い”を認め合うのが民主主義の原点であるし、“敵”を作って、己の意志(利)を貫徹しようとする勢力には断固として不服従の精神で臨むことだ。今日8月15日は、戦没者を追悼するだけでなく、この地球上で戦争で命を奪われることのない日に向けての、祈念日にすべきだ。それを実現するための武器が、核の傘でも、海兵隊の抑止力でも、日米軍事同盟でもなく、憲法9条である。