goro's 花 Diary

東京の街を彩る花たちを追っかけています。

白い百合の秘密

2007年09月12日 | 07 花たち

オニユリを紹介した時、我が故郷、宇和島には、白色系の野生のユリは無かったと、ほとんど断定するように書いております。
誤解を招く可能性も考えられますので、少なくとも三浦地区には無かったと、トーンダウンさせておきますね。
もしかしたら山間部のほうにはあったのかもしれないなって、ふと思ったりしてます。

一言で宇和島といっても広うございますしね、昭和30年代はまだ車社会にはなっておりませんでしたので、少年の世界は極狭い範囲でしかありませんでした。
濃密な小宇宙だったということ、言うまでもありませんが。

ブログを始め、こんな風に植物たちと関わるようになるまで、宇和島のことをここまで回帰することになるとは、考えてもおりませんでした。
「平成の大合併」以前にも数度の合併があり、周辺の郡部がその都度宇和島市に編入されておりますので、現在の宇和島とは違う宇和島が、私のなかにはあるのです。

18歳までしかいなかった世界、記憶に残っているのはほんの10数年しかありませんが、それが大切な宝物になっています。


今回紹介する花にも、宇和島と結び付いた思い出があります。
ただし少年時代の出来事ではありません。

ずっと後年、40歳になって数年経った頃の話ですが、帰省した折に高校時代の友人に誘われてドライブをしたことがあります。
独身の彼女は、気軽に車を走らせるのが趣味だと言っていました。
思い立ったら夜間のドライブにも出かけるとのことです。
高校時代の彼女を知っているものにとっては、車の運転など、およそ考えられない趣味です。
当時の彼女は、誰もが、本人すらが認める運動神経皆無、0でしたから。
同乗してわかりましたが、趣味だと公言するだけあって、なかなか快適な運転でした。

美術教師をしている彼女は、運転免許を取得するにあたって、教習所の教官に宣言したのだそうです。

教習の時間はどれだけかかってもいいから、試験は1回で受かりたいって。

言葉を替えて説明いたします。
免許取得までの間で、この段階はクリアしていないと教官が判断したら、同じプログラムを再度履修することを命じて欲しい。
完全にマスターし、これ以上教えることは無いというレベルに達した時点で、最終試験を受けさせて欲しいと要望したのだそうです。
教師という職業柄、休みを頻繁に申請出来ないというのが、最大の理由だったようですけどね。
その甲斐もあり、試験は一発合格、教習の時間も3割増ほどで済んだようです。


友人から送られてきた宇和海の写真です。08/5/12追加

リアス式の海岸線に沿って、宇和海を南下するコースを巡りました。
彼女は何度か走行しているコースのようです。
母の実家のある地区だし、伯父たちも住んでおりましたので、子供の頃から馴染みのある風景を見ながらのドライブでした。
小さな半島を横切るトンネルをみたとき、ワクワクしてきました。
叔父の家が近くにありましたので、遠目にトンネルの入り口はみたことはありましたが、通り抜けたことはありませんでした。
ウン10年にして、初めてトンネルを抜けることになりました。
抜け出た先は、私には初めて足を踏み入れる地域です。
時間にしたらほんの数10秒、短いトンネルですが、ある種の感動がありました。
このことは、彼女には話しませんでしたけどね。

宇和海に浮かぶふたつの島が上下に位置するように見える場所は、夕陽の絶好ポイントだと教えてもらったりしました。

ドライブを続けているうちに、私の目は白いユリの花を捉えました。

白いユリが自生している!

花が咲いているのは、栽培種のユリが放置されたとは考えられない場所です。
海へと迫る斜面に、白いユリの花が点在しています。
朱赤のオニユリ以外のユリの花が、宇和島のこの地で咲いていることには少なからずの感動を覚えましたが、同時に、大いなる違和感でもありました。
自生する白いユリを、少年の日に見たことはありませんでしたのでね。

そのことを説明したら、友人は逆に驚いていました。
彼女にとっては、野辺に咲く白いユリは、当たり前のことだったようです。
つい先日も花を摘んで帰って、部屋に飾っているいうことでした。

オニユリとこの白いユリ(車中からみるとテッポウユリにしか見えませんでした)の自生エリアの境界線が、この海岸線のどこかにあるに違いないというのが、ふたりがその時に出した結論でした。

最近になって、あの日の白いユリの正体に思い当たりました。
ブログを始めたことにより、花たちとの付き合いが深くなったことで、分かり得たことです。


花時期は既に終わっておりますが、紹介させてくださいね。


【タカサゴユリ・高砂百合】ユリ科

もともとは台湾の固有種で、大正時代に園芸用としてに移入されたものが、今や帰化植物と称されるほどになって、各地に拡がってます。
東京では、栽培しているお宅も数多く見かけますが、突然やってきて咲きましたよってものも見かけます。
狭いアスファルトの隙間から、逞しく花茎を伸ばして咲いているものも見かけます。
美人さん故、処分されることも少なく、花が咲き、結実し、種子を飛ばしてと、ますます成育環境が増えることになるんでしょうね。
大歓迎ですけどね。

ドライブの車中から見た白いユリは、タカサゴユリでした。

私の子供時代にはまだ入ってきていなかったのが、いつの頃からか帰化して、野辺の花になっていたのだと推測出来ます。

タカサゴ・高砂とは台湾の別称で、台湾の百合というのが、タカサゴユリの名前の由来です。
ホソバテッポウユリ・細葉鉄砲百合という別名もあります。

丈夫で太い茎で、過去に私が見たものでは2メートル近くまで伸びたものもあります。
今回アップしたものも、1、5メートルは越えてました。
お馴染みのテッポウユリに似ていますが、花は少し大きいですかね。

タカサゴユリには、花の外側が赤紫色を帯びるという特徴があるといわれますが、この花にはそれが見られません。
白一色です。
テッポウユリとの自然交雑種で、シンテッポウユリと呼ばれる白いものがあるようですが、元来数多くの変異もあり、白いタカサゴユリもあるようだし、特定するのは難しいようです。
園芸用に改良されたシンテッポウユリも、タカサゴユリとテッポウユリを交配させて作った品種です。
ちょっと訳わかんない世界に入ってしまいそうですね。

丈夫で硬い茎、細い葉っぱなどから、この花はタカサゴユリでいいでしょう。

昨年、タカサゴユリの種子をこっそりとあちこちに撒いておいたんですが、どこからも花をみることは出来ませんでした。
2年目から咲くとかの情報もあったので、来年に期待してみます。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
思い出 (ポージィ)
2007-09-12 10:25:26
タカサゴユリには、故郷宇和島と絡んだそんな思い出が
おありだったんですね。
悟郎さんが島を離れていらっしゃる間に、タカサゴユリの方は
いつの間にか海を渡って新しい生息の地を得ていたとは、
なんだかロマンチックだなぁ。小説に組み込めそう~
(私には書けませんけどね ^^;)

記事の最後で昨年種をあちこちに撒いておかれたというくだりを
拝見して今日もまたニヤニヤしてます(^^)
種がばら撒かれた翌年はいかにも単子葉植物の芽って感じの
ぴろんとした細い葉が出ているだけのことも多いです。
来年にはもしかしたら… 密かな楽しみ、ですね♪
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故郷への郷愁。 (noodles3)
2007-09-12 18:17:33
凄くわかります。

僕も花を撮るようなって、北海道では今頃どんな花が咲いているんだろう? と思うことがしばしば。
独りで、花の撮影目的で、北海道一周してみたいと切に思います。

まあ、老後かな。。。
返信する
コメントありがとうございます! (悟郎)
2007-09-13 02:17:30
★ポージィさん

封印されてた過去の思い出が、ひとつの花から立ち上がってきました。それも今年になってです。
タカサゴユリの存在は2年前から知っていたのに、昔、不思議だと思って見た白いユリの正体は、これだったんだって、今年思い当たりました。
ブログ様さまです。

いつの頃からやってきて、どこまで勢力を拡大しているのか、調べてみるのも面白いでしょうね。
推理小説のトリックにも使えそうです。(私にも書けませんが)。

あの、ポージィさん、よく誤解されるんですが、宇和島は島じゃないんですよ。
四国本土の一地方です。

かなりの種子を、マイリビングを中心に撒いたのですが、1株も花が見られなかったのでガッカリしてたのですが、2年目から花を咲かせることもあるという記述をみつけて、俄然来年に期待することにしました。
今年も花咲かおじさん、やっちゃおうかな~~

★noodlesさん

年のせいで故郷への郷愁が募るのは、重々承知してたのですよ。
それがピンポイントで、ひとつの花が故郷への想いを喚起させるなんて、驚きかつ新鮮な感覚です。

夏の北海道を、花を求めて気ままに旅をするなんてね、最高でしょうね。

いつの日か、夢が叶いますように~
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