2018年7月16日(月) いろはかるた アラカルト 続
最近、当ブログに
①いろはかるた (2018/7/1)
②いろはかるた アラカルト (2018/7/6)
を投稿している。
前々回の①では、最近、いろはかるたに興味を持ったきっかけや、いろはかるたの概略に触れた後、馴れ親しんだ、江戸いろはかるた48枚について、現時点で、自分でいくら思い出せるか、リストアップを試みた。どうしても思い出せず、虎の巻に頼った句もある。
前回の②では、主に、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げている。
3回目の今回は、筆者の好きなかるたを取り上げた。
いろはかるたには、庶民感覚に合致したドンズバリの的確な言葉で、教訓的なものや皮肉っぽいものが多く、残念ながら、ウイットのある、頓智に富んだ句は少ない。 そんな中、江戸だけでなく、大阪、京都を含めた中から、筆者の好きなかるた、気に入っているものを、いくつかあげてみた。( 参照 いろはかるた)
●花より団子
これは、江戸かるたの3番目に出てくる、みんなが知っている句だ。
日本人なら誰しも、花、なかんずく、桜が大好きで、嫌いな人はいないだろう。その季節が近づくと、開花が気になり落ち着かない。そして、待ち望んだ花見に行くと、ついつい、食べたり飲んだりし、盛り上がりたくなるものだ。
かるたにある位だから、「花見だんご」は、古くからあったと思われるが、だんごの色は三色の、桃、白、緑と決まっているようだ。(下図)
このかるたの説明では、「花より団子」とは、風流よりも実益、外観よりも実質を重んじることのたとえ、とある。さらに、風流を解さない人を批判する時の言葉とある。この句は、大阪にもあるようだ。
こう解すると、風流はどこかへ忘れてしまった朴念仁でつまらないが、桜を愛し、花見を楽しむ庶民感情からは、少しずれているように思えてならない。
筆者としては、後述するように、最近は、少し欲張って、「花も団子も」と言う事にしている。
通常は、“人は生きるために食う”、などと言って、エンゲル係数を云々したりして恰好をつけるが、現在は、自適の生活で料理作りも好きな筆者は、言い方を逆にして、“人は食うために生きる”と、敢えて言う事にしている。
決して、美食家では無いが、義務的に食べるのでなく、食う楽しみが、生きる喜びに繋がると思うからだ。
我家には、結構広いルーフバルコニーがある。転居当初は、草花や人工池で、生き物を楽しんだり、バーべキューをやったりした。
しかし、次第に、草花よりも、キュウリ、ナス、トマト等の野菜の割合が大きくなっている。このことを、周囲には、解り易いように、自嘲風に、“花より団子だから”、と言っている。でも、花を愛で、四季の移り変わりを楽しむ気持ちは無くなった訳ではない。 最近は、欲張って、「花も団子も」と言い方を変えていることだ。
●得手に帆を揚げ
この句では、時間軸(タイミング)が重要だが、焦ることを戒めた、
待てば甘露(かんろ)の日和あり(大阪)
果報は寝て待て(大阪)
という句もあり、とかく慌ただしい大阪には珍しいものだろうか。
夜目遠目笠の内(京都)
鬼も十八番茶も出花(京都)
また、以下の句がある。
亭主の好きな赤烏帽子
●旅は道連れ世は情け
旅行だけでなく、人生の旅でも、道連れ(パートナー 仲間)がいると心強く、世渡りでも、人情を持って仲良くしていくことが大切だ、という意味だ。
現代は、人間同士の繋がりがビジネスライクで、他人や周囲への関心(人情)も希薄になっているだろうか。
でも、7年前の東日本大震災では、近隣との絆の大切さが言われ、ボランティア活動が定着し、今回の西日本豪雨災害でも、お節介などが復活しただろうか。
「情け」とは、思いやり、優しさ、相手の気持ちへの共感など、幅広い感情だろう。英語では、sympathyになるだろうか。
英和辞典によれば、この語には、2つの感情があるという。
1:共感 共鳴 感情の一致
2:同情 他を憐れむ心 思いやり 人情 慈愛
この時代、「義理・人情」は死語になったとも言われる。確かに、義理には、封建的な、やくざ的なニュアンスがあるが、人の情である人情は、果たしてどうだろうか。
当今は情報化時代で、膨大ないろんな情報が、絶えず飛び交っている。情報とは、そもそも、情けを報じるという意味だ。
形式が変わっても、今も、情けは生きている、と思われるのだがーー。
次の句はどうだろうか。
遠い一家より近い隣(大阪)
「遠くの親類より近くの他人」とも言う。この意は、いざという時には、遠く離れている親戚はあてにできず、近隣の人たちに頼らざるを得ないので、近隣との日頃のお付き合いを大事にすること、との処世訓だ。
でも、終戦後、家族制度が大きく変わり、核家族化や、夫婦共働きが増える中、近隣との関係も大きく変化している。特に都会では、プライバシー保護のスローガンのもと、「隣は何をする人ぞ」であり、防犯カメラに頼りきりである。
次稿では、この辺から触れてみたい。