つれづれの記

日々の生活での印象

いろはかるた アラカルト 続

2018年07月16日 14時34分39秒 | 日記

2018年7月16日(月) いろはかるた アラカルト 続 

 

  最近、当ブログに

     ①いろはかるた         (2018/7/1) 

     ②いろはかるた アラカルト (2018/7/6)

を投稿している。

 前々回の①では、最近、いろはかるたに興味を持ったきっかけや、いろはかるたの概略に触れた後、馴れ親しんだ、江戸いろはかるた48枚について、現時点で、自分でいくら思い出せるか、リストアップを試みた。どうしても思い出せず、虎の巻に頼った句もある。

前回の②では、主に、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げている。

3回目の今回は、筆者の好きなかるたを取り上げた。

 

 いろはかるたには、庶民感覚に合致したドンズバリの的確な言葉で、教訓的なものや皮肉っぽいものが多く、残念ながら、ウイットのある、頓智に富んだ句は少ない。 そんな中、江戸だけでなく、大阪、京都を含めた中から、筆者の好きなかるた、気に入っているものを、いくつかあげてみた。( 参照  いろはかるた

 

●花より団子  

  これは、江戸かるたの3番目に出てくる、みんなが知っている句だ。

日本人なら誰しも、花、なかんずく、桜が大好きで、嫌いな人はいないだろう。その季節が近づくと、開花が気になり落ち着かない。そして、待ち望んだ花見に行くと、ついつい、食べたり飲んだりし、盛り上がりたくなるものだ。

    

かるたにある位だから、「花見だんご」は、古くからあったと思われるが、だんごの色は三色の、桃、白、緑と決まっているようだ。(下図)

     

このかるたの説明では、「花より団子」とは、風流よりも実益、外観よりも実質を重んじることのたとえ、とある。さらに、風流を解さない人を批判する時の言葉とある。この句は、大阪にもあるようだ。

こう解すると、風流はどこかへ忘れてしまった朴念仁でつまらないが、桜を愛し、花見を楽しむ庶民感情からは、少しずれているように思えてならない。

筆者としては、後述するように、最近は、少し欲張って、「花も団子も」と言う事にしている。 

 

 通常は、“人は生きるために食う”、などと言って、エンゲル係数を云々したりして恰好をつけるが、現在は、自適の生活で料理作りも好きな筆者は、言い方を逆にして、“人は食うために生きる”と、敢えて言う事にしている。

決して、美食家では無いが、義務的に食べるのでなく、食う楽しみが、生きる喜びに繋がると思うからだ。

 

 我家には、結構広いルーフバルコニーがある。転居当初は、草花や人工池で、生き物を楽しんだり、バーべキューをやったりした。

しかし、次第に、草花よりも、キュウリ、ナス、トマト等の野菜の割合が大きくなっている。このことを、周囲には、解り易いように、自嘲風に、“花より団子だから”、と言っている。でも、花を愛で、四季の移り変わりを楽しむ気持ちは無くなった訳ではない。 最近は、欲張って、「花も団子も」と言い方を変えていることだ。

 

●得手に帆を揚げ

 この句は、帆船が追い風に乗ることに喩えて、自分が得意とすることを、待ち望んだ好機を逃さず利用して、はりきって行動を起こすことを言っている。 順風満帆ともいう。

   

好機到来時に、得意とする事を如何なく発揮するためには、日頃、腕を磨いて準備することが大事なのは言うまでもない。

本多技研工業の創業者として著名な本多宗一郎の、人生哲学はこの諺だったようで、 纏めた本があるようだ。(得手に帆あげて―本田宗一郎の人生哲学 | 本田 宗一郎 |本 | 通販 | Amazon

 

 この句では、時間軸(タイミング)が重要だが、焦ることを戒めた、

    待てば甘露(かんろ)の日和あり(大阪)

    果報は寝て待て(大阪)

という句もあり、とかく慌ただしい大阪には珍しいものだろうか。

 

 「得手に帆を揚げ」は、筆者としては、時間軸を気にせずに、人それぞれに、得手、不得手があるが、得意な面を強調して生きる、と言う意味に解する事も出来ると思っている。各々が得意を生かして多様性を大事にすることだ。

小池東京都知事は、就任時、老若男女や、健常者と障害者など、いろんな都民が、共存できる多様な社会(ダイバーシティ diver(se)+city )を目標とするとした。当ブログの以下の記事を参照。

       新東京都知事 続その後 (2016/10/16)

 以下のかるた、

    餅は餅屋(京都)

も同義だろう。

  やや、視点は違うが、江戸には無い以下の句も、それぞれ、アピールポイントや出番がある、という意味で、好きな句である。語数が、55や77なのも、リズミカルで言い易い。

    夜目遠目笠の内(京都)  

    鬼も十八番茶も出花(京都) 

また、以下の句がある。

       亭主の好きな赤烏帽子 

  亭主とは、広義では、使用人なども含めた一家の主を指すが、狭義では、夫のことである。赤烏帽子という、異様な好みや、常識と異なる流儀でも、周囲の者は、亭主に合わせざるを得ないという意味だ。これでは、ネガティブな側面が強調されているが、視点を変えて、ややポジティブに捉えて、それぞれの個性的なやり方で良い、とも理解したい。 ホモジニアスで均質な社会ではなく、筆者が好きな、多様な個性が共存する、ヘテロジニアスな社会である。 「蓼食う虫も好き好き」にも通じるだろうか。 

 

旅は道連れ世は情け

 旅行だけでなく、人生の旅でも、道連れ(パートナー 仲間)がいると心強く、世渡りでも、人情を持って仲良くしていくことが大切だ、という意味だ。 

      

 現代は、人間同士の繋がりがビジネスライクで、他人や周囲への関心(人情)も希薄になっているだろうか。

でも、7年前の東日本大震災では、近隣との絆の大切さが言われ、ボランティア活動が定着し、今回の西日本豪雨災害でも、お節介などが復活しただろうか。  

 「情け」とは、思いやり、優しさ、相手の気持ちへの共感など、幅広い感情だろう。英語では、sympathyになるだろうか。

英和辞典によれば、この語には、2つの感情があるという。

    1:共感 共鳴 感情の一致  

    2:同情 他を憐れむ心 思いやり 人情 慈愛

 この時代、「義理・人情」は死語になったとも言われる。確かに、義理には、封建的な、やくざ的なニュアンスがあるが、人の情である人情は、果たしてどうだろうか。

当今は情報化時代で、膨大ないろんな情報が、絶えず飛び交っている。情報とは、そもそも、情けを報じるという意味だ。

形式が変わっても、今も、情けは生きている、と思われるのだがーー。 

  

次の句はどうだろうか。

     遠い一家より近い隣(大阪)

「遠くの親類より近くの他人」とも言う。この意は、いざという時には、遠く離れている親戚はあてにできず、近隣の人たちに頼らざるを得ないので、近隣との日頃のお付き合いを大事にすること、との処世訓だ。 

でも、終戦後、家族制度が大きく変わり、核家族化や、夫婦共働きが増える中、近隣との関係も大きく変化している。特に都会では、プライバシー保護のスローガンのもと、「隣は何をする人ぞ」であり、防犯カメラに頼りきりである。

  次稿では、この辺から触れてみたい。

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いろはかるた  アラカルト

2018年07月06日 17時59分17秒 | 日記

2018年7月6日(金) いろはかるた アラカルト 

 

 先日は、当ブログに、

      いろはかるた  (2018/7/1)

を投稿したが、今回は、江戸いろはかるたの中で、内容が意味することに関して、幾つかの話題をとりあげている。

本文中の図は、以下のサイトから引用 (みんな知ってる? 「いろはかるた(江戸かるた)」の意味分かるかな? - NAVER まとめ

 

◇意味のよく分からぬ かるた 

 幼いころ、かるたで遊びながらも、子供心に、意味の良く解らぬ札があった。 江戸かるたが生まれた、生活環境などの時代背景が異なることが、大きな理由だろうか。

 ●月夜に釜を抜かれる 

 街灯などが無かった昔は、月明かりが重要だった。 辺りが良く見通せる月夜なのに、泥棒に家の中に入られ、釜を抜かれたと言う。泥棒は、鍵の掛かっていない裏口の木戸から入り、竈(かまど)から釜を盗んだのだろう。竈に据えてご飯を炊く大きな釜は、これが無ければ、家族の飯が作れないという、極めて重要な道具なのだ。

この諺は、加害者の泥棒側からは、明るくて最も侵入しくい状況だけに、このような事態を招いたことは、不注意極まりなく、大変な油断があったということで、これを戒めているようだ。

 筆者の育った田舎では、土間に置かれた竈でご飯を炊く光景は、そんなに珍しくはなく、いまでも思い浮かぶのだが、釜を抜かれる、というかるたの句の意味が、いまいち、よく解らなかったことだ。

     

 「盗人の昼寝」とセットで見ると面白く、この泥棒は、昼間は寝ているだろうか。 また、「油断大敵」という諺もある。 

 

●割れ鍋にとじ蓋  

 壊れた鍋でもなんとか閉まる蓋がある、と言う事で、子供心にも、状況は明白なのだが、一体、何ういう意味なのか、解せなかった。

 どんな人にも、相応しい配偶者が居るものだ、という喩という。あまりにも酷い喩で、当事者たちは満足している似合いの夫婦を、見下し、嘲っているようだ。筆者としては、あまり言いたくないセリフである。

また、夫婦だけでなく、何に置いても、似通った程度の者同志がよい、という喩ともあり、分相応ということだろう。

    

また、「臭いものに蓋」という諺は、一時しのぎに不都合ごとを隠す意だが、蓋の役目はやや異なるようだ。

この所の世の中の話題は、あふれ出している臭いものに蓋をするものが多く、うんざりである。

 

  ●総領の甚六

 総領という言い方は余り使われなくなり、又、甚六という言葉の意味だが、長男なのに、なぜ六か、実在した人の名か、など余り解らず、すっきりしなかった。

落語では、うす馬鹿のことを,“与太郎”と言うが、甚六は、あれと同じような意味だろうか。現在では、与太郎は、差別用語とされている。

     

●粋が身を食う

江戸の粋(いき)の精神は、大人になっても理解が容易ではないが、子供にとっては尚更だ。花柳界での遊び等で、カッコよく見せる、(金持ちではないのに)金持ちとして振る舞う、のが「粋」と言うようだがーー。

身を“食う”という言い方も、粋を擬人化していて、極めて難解だ。 依存症のように、粋に嵌ってしまって、ついには身を滅ぼすことになる、という戒めという。

     

●かったいのかさうらみ

子供心に、最も解らなかったのがこれだ。

「かったい」とは、以前は、癩病(らいびょう)と呼ばれた病気と患者で、現在は、ハンセン病と言い換えている。 

ハンセン病は、らい菌による、伝染性の弱い感染症で、ノルウエーの医師、ハンセンによる研究で、明治期に、病原が突きとめられ、現在は、治療法が確立し、日本では、発病率はきわめて低くなっているようだ。

「かさ」とは、梅毒患者の皮膚の病痕の「瘡」のことで、うらみは、怨みではなく、羨みが変化したものと言う。

 顔面の表情がすっかり変わってしまった癩病患者が、己よりはやや軽い、梅毒患者の瘡を羨むということで、少しの違いをとりたてて喜ぶということだ。目くそ鼻くそを嗤う、も同類だろう。

終戦間近だが、筆者が生まれ育った田舎では、近くに癩病患者が住んでいて、周囲から近づかないよう敬遠されていた記憶がある。

この句では、二つの病の罹患者を嘲笑しているのだが、それだけ、周囲から恐れられた、大変な病気だった、という証でもある。当事者の苦しみは、計り知れないものだったろう。かったいは、現在は差別用語になっているようだが、江戸かるたからは無くしたい札だ。

    

10年程前に、筆者が、隔離されたハンセン病患者の施設を、何度か慰問に訪れている。

このハンセン病だが、一昔前のことと思っていたら、戦後間もなく(1948年)に制定された優性保護法の下で、平成8年(1996年)に法律が廃止されるまでの何と、約50年間、多くの男女に対し、建前は同意を得ているというものの、半ば強制的に断種手術が行われたようだ。最近になって、このことが明るみに出て、人権を無視した行為として社会問題となっている。 

 

 ◇ 当たり前のことなのに、意味深で理解が難しいもの

●犬も歩けば棒に当たる

 この句が最初にくることから、江戸かるたは、犬棒かるたとも呼ばれ、人口に膾炙している。

読んで字の通り、当たり前のことを言っているのだが、子供心には、意味することがよく分からなかった。改めて解説をみると、以下の二つの意味が込められているという。

 ・出しゃばると、思わぬ災難にあう、という戒め

 ・やってみれば、思わぬ幸運に会ったり、発見があることのたとえ

前者はいかにも日本的でつまらない。ウオーキングブームの昨今、好奇心をそそる、後者で願いたいものだ。

     

●頭隠して尻隠さず 

 これは、頭を隠せば、尻が出るのは当然のことで、國鳥である「雉」が、草むらに首を突っ込んで避難する習性からきているようだ。 

意味するところは、不都合ごとや欠点が表面化しそうになった事態で、本人は上手く隠しおおせたつもりでも、周囲から見れば、隠しているのは一部だけで、大部分は見え見えだ、と言う時に冷やかすことば。「犬が西向きゃ尾は東」という言葉もある。

     

●瑠璃も玻璃も照らせば光る  

 瑠璃は、宝石のラピスラズリのことで、玻璃は水晶のことという。

どちらも貴重な宝石で、光を当てれば輝くということだが、二通りの意味があるという。

意味するところは、

・どこに在っても優れたものは、光を当てれば光るという喩

・すぐれたものでも、磨いて初めて光るという喩(磨かないと光らない)

という。

    

子供の頃は、玻璃とは、縫物に欠かせない「針」のことで、使っていれば、錆びずに光ると理解していた。玻璃が水晶の事と知ったのは、比較的最近のことだ。

瑠璃色は、やや紫を帯びた青色のようだが、薄桃色の可憐な花を付ける「ルリフタ

ジ」は、我家の好きな草花の一つである。

 

●喉元過ぎれば熱さ忘れる

 字義通り、当たり前のことで、苦しかったことも過ぎてしまえば忘れてしまうものだ、ということ。苦難にあった時は、一時の我慢だと耐える生き方もあるだろうか。

これを拡大解釈して、熱さだけでなく、苦しい時に助けて貰った、恩も忘れてしまう事を戒めている、とも言う。 

    

●三べん廻って煙草にしよう 

夜廻りなどで、入念にチェックをした後に、休憩をしようということで、今はやりの、働き方改革でのワークライフバランスだろうか。

日本に煙草が入ってきた時期は未調査だが、昔は、休憩時に煙草を吸うことを、如何に楽しみにしていたかが解る句だ(今は、コーヒー?)。

歴史を経て、当今は、煙草の身体への害毒が喧伝され、吸う本人はおろか、周囲の人間も迷惑するという「受動喫煙」をどう防ぐかが、喫緊の課題となっている。

   

かるたには、酒・博打・女の話が殆ど無いのは、なぜだろうか?

 

 

 

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女人禁制   続

2018年07月04日 16時00分24秒 | 日記

2018年7月4日(水)  女人禁制  続

 

 4月初めの大相撲の地方巡業で、京都府舞鶴市の多々見良三市長が、土俵上で挨拶中に倒れた騒動があり、結構なニュースとなった。この関連で、当ブログに

        女人禁制   (2018/6/18)

を投稿している。 

  今回は、この大相撲の事件の後日談を述べる。さらに、最近のニュースで、サウジアラビアで女性の自動車運転が解禁された話題と、お茶の水女子大でトランスジェンダーの学生をの受け入れることにした事案について取り上げた。

 

 ○ 舞鶴市長 退院し公務に復帰

(以下は、舞鶴市:土俵で倒れた市長、公務に復帰「救命に男女ない」 - 毎日新聞 などを参照)

●4月初めのハプニングでは、土俵に上がった女性達の的確な応急措置があって、救急車で搬送された舞鶴市長は、2カ月以上の入院の後、この6月14日、無事退院できたようだ。倒れた原因は、くも膜下出血だったようだが、手術が成功して、幸い後遺症はないと言う。 

自宅療養中の市長は、救命措置にあたった命の恩人である女性達に対し「集中治療室勤務の経験もある方で、とっさに反応してくださったんでしょう。本当に感謝です」と述べている。

相撲協会の八角理事長から面談したいとの申し入れがあったようだが、「巡業は市制施行75周年の記念でもあり、お願いして来ていただいたのに倒れたことで私の方が迷惑をかけた」と、固辞の考えを示したという。が、これは、暗黙に、協会批判の姿勢を示したのだろうか。

 

●そして、この6月28日、市長は公務に復帰した。

          公務に復帰した市長

 記者会見に臨んだ市長は、大相撲春巡業の挨拶中に倒れた際、救命処置をした女性が日本相撲協会関係者から制止されたことに言及。「命に関わる時に大切なのは男か女かではなく、救命処置ができる人が、助けに行くのが原則だ。」と強調している。「“女人禁制”を貫きたいなら、地方巡業の時は必ず救命処置ができる男性を用意する必要がある」と協会の姿勢を批判した。

 ●自身が医師でもある多々見市長は女性の行動について、しきたりとしての“女人禁制”については「時代とともに変えるべき伝統、習慣もあると思う。相撲という非常に歴史のある伝統文化でも、女人禁制は今の時代は通用しない」と述べている。「協会は今回のことをうやむやにせず、今後どうするか決める必要がある」としたようだ。

 女人禁制に関する相撲協会の改革は果たして進むのだろうか? 舞鶴市長の様な見解には、筆者も含めて賛同者は少なくないだろうが、神事とも繋がる伝統文化である大相撲だけに、今回のハプニング程度では、残念ながら、何も変わらないだろう、と思われることだ。

  

○ サウジで、女性の自動車運転解禁

(以下 サウジアラビア、女性の自動車運転を許可する国王令 サウジアラビアにおける女性の人権 - Wikipedia などを参照)

●世界で唯一、サウジアラビアだけが、これまで、女性の自動車運転は禁止されてきた。正確には、ほぼ同じことだが、運転がエキシプリシットに禁止されているのではなく、女性には運転免許証が交付されない規定のようだ。

 昨年9月に、女性も運転免許証が取得できるようにするという、国王の勅令が出され、これに沿って、この6月初め、国際免許を持つ女性ドライバー10人に国内運転免許証が初めて交付されている。そして、この6月24日から、晴れて、女性も自由に運転が出来るようになったという次第だ。免許証の取得希望者は、増え続けているようだ。

 初めて運転免許証を手にする女性が、下図左では、先進的なスカーフ無しで、下図右では、伝統的なスカーフあり、で写っている。(ネット画像情報より)

    

  サウジでは、女性の運転に関しては、これまでは、首都等では厳しいものの、地方では、取り締まりはあまり厳しくなく、黙認されるケースもあったようだ。

 一方、女性一般に車の運転が解禁されることと裏腹に、ここ数週間の動きでは、運転解禁だけでなく女性の権利を広く認めるよう求めてきた男女17人が身柄を拘束されたという。 この動きは、女性の車の運転は、シャリーア(イスラム法)に反する-といった聖職者らの批判を和らげる狙いがあるようだが、社会における諸改革が今後、停滞するとの見方も出ている。

●サウジアラビアは、中東の巨大な産油国だが、専制的な絶対王制の国である。(ヨーロッパの英、オランダ等は形式上の王制の国家)

マホメット教の聖典コーランと、イスラム法典(シャリーア)に基づき、宗教的な強い規制の下に、国家や社会が成り立っている。

国政レベルでは、国会に当たる評議員会があるが、150名の評議員は、選挙ではなく、国王が全て任命するようで、女性は30名居るようだ。内閣に相当する閣僚評議会もあるが、首相は国王が兼任するという。地方レベルでは、2011年から、初めて地方議員の選挙が行われ、婦人議員も誕生したようだ。

 女性の地位に関しては、一夫多妻制が許容されていることもあり、日常生活では、女性の外出時は、夫などの男性の許可が要り、目しか出さない黒いビジャブ(スカーフ)の着用が義務付けられているなど、厳しい戒律があるようだ。

教員等の女性の職業選択に関する状況は不明であるが、少なくとも、これからは、女性が運転するタクシーは出現する、と言えるだろうか!

 

○ 女子大でトランスジェンダーの学生受け入れへ

●国立の名門、お茶の水女子大は、2020年度から、性的少数派のトランスジェンダー(LGBTのT)の学生を受け入れる方針を、7月2日に明らかにしたようだ。これまでは、戸籍上の女性しか入学を認めていなかったが、戸籍上の性別は男性でも、性自認(心の性)が女性なら受け入れると言う。国内の他の女子大(日本女子大、津田塾大等)でも、こうした学生の受け入れを検討しているという。アメリカの女子大では、トランスジェンダーの入学を認めているようだ。 (お茶の水女子大「性自認が女性なら」男性受け入れ :日本経済新聞

 女子大の中に、性自認は女性でも、生理的には男性が混じると、学内の風紀が乱れる心配は無いのだろうか。

又、今回認められるTは、性自認が揺れ動くと言われ、入学後、心の性が男性になったら、退学になるのかな?

一方、戸籍上は女性だが、性自認が男性の人は、これまでも、これからも、入学できないと思われる。

 

●LGBTの関連で、この春、岩波書店が満を持して出版した広辞苑第7版で、項目の説明文の誤りが指摘され、訂正を余儀なくされる事態が起こっている。

  この辺の状況については、当ブログの

      LGBTと広辞苑  (2018/1/20)

で詳しく触れているので、ここでは省略する。

 当該書店のHPに掲載されている訂正文は、以下のようになっている。

エル‐ジー‐ビー‐ティー【LGBT】
①レズビアン・ゲイ・バイセクシャルおよびトランスジェンダーを指す語。GLBT
②広く、性的指向が異性愛でない人々や、性自認が誕生時に付与された性別と異なる人々。

  

●以前は、高校は、女子高、男子校に分かれていることも多かったが、戦後の改革で、現在は、男女共学が普通になっていて、女子大も共学になった所が多い。

今回の御茶大の方向は、国内的には、自治体等で、LGBTの権利保護が進みつつある状況に対応した動きと言える。

学生は女子のみ、ということは、換言すれば、男子禁制と言えるが、これは、教育の機会均等に反する人権問題だ、と言う主張は言い過ぎだろうか。

いっそのこと、原則、男女共学とする方が、すっきりするようにも思える。が、女子大の開学の精神や伝統に鑑み、男子禁制を維持する、と言う事だろうか。

伝統芸能の歌舞伎での女人禁制や、宝塚劇場の男子禁制などは、人権の問題ではなく、芸術文化活動として受け入れられている、と言えるだろうか。

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いろはかるた

2018年07月01日 18時46分30秒 | 日記

2018年7月1日(日)  いろはかるた 

 

今年は、関東地方は、ほぼ平年並みの6月6日に、梅雨入りが宣言されたが、その頃、NHK-TVの天気予報を視ていたら、梅雨の話に関し

         「栗花落」

という言葉が紹介された。

強い臭いを出す房状の栗の雄花が、梅雨入りの頃になると地面に落ちてくることが由来で、この字は、

     ツユイリ→ツユリ

と読むようだ。

TVを視た時は、俳句の季語の一つと思ったのだが、改めてネットで調べてみると、極めて珍しい、苗字(名字)の一つという事だ。(「薬袋」「小鳥遊」「栗花落」「月見里」? 読めたらスゴイ難読名字10選

      

                  栗の雄花

  一方、今年は、梅雨に入っても雨が少なく、6月29日(金)に、早々と、関東地方の梅雨明けが宣言された。 昨年よりは、22日も早く、6月の梅雨明けは、初めてのことと言う。これから、真夏の猛暑と、深刻な水不足になりそうな予感がある。

 所で、上述のネットのサイトには、珍しい苗字として、幾つか紹介されているが、その中に、

     「京」

があった。 この漢字は、時々、耳にする苗字で、通常は、キョウと読み、著名人もいる。でもこの字は、苗字として、

     「カナドメ」

と読むようだ。一瞬、驚いたことだが、いろはかな文字の最後の止めとして、京(きょう)とあることから、カナの最後の止め、と言う意味のようだ。

関西等では、苗字として、こう呼ぶ地域があるようだが、詳細は未調査である。 

 

 このことが切っ掛けとなって、「いろはかるた」や、「いろは歌」について調べてみた。更には、万葉仮名と仮名文字、五十音表、旧仮名文字等、日本語の歴史について、改めて関心が深まり、シリーズものとして、少しく、取り上げることとした。

今回は、馴染みの深い、「いろはかるた」の話題である。

 

○ いろはかるた

 古来、平易なかな文字を覚える手習いの教材や、遊びの道具として、いろはかな47文字が使われてきた。

そして、各文字を頭にした、諺や格言、処世訓等を集めたものが「いろはかるた」で、京都、大阪、江戸、名古屋等と各種ある。この中で、東北出身の筆者にとっては、「江戸いろはかるた」が馴染み深いので、本稿では、主に、これを取り上げる。幼少時は、絵札を見ながら、かるたで良く遊んだものだ。 

 有名な「いろは歌」の作者については、はっきりしないようだが、弘法大師作などという、説もるようだ。仏教思想を反映した七五調の短歌だが、筆者がこの歌の存在を知ったのは、高校に進んでからである。 小さい頃には良く口にした、いろはかるたは、ゐ、ゑは、旧仮名の文字で入っていた。

区切り方については、七五調ではなく、以下の左欄のように、我流で区切って覚えていたように思う。 

  いろはにほへと   7  (いろはにほへ   7)

  ちりぬるをわか    7  (ちりぬるをわ    7)

  よたれそつね     6  (よたれそつね   7)

  ならむうゐの      6  (らむういのおく     7)

  おくやまけふこえて 9  (やまけふこえて   7)

  あさきゆめみし   7  (あさきゆめみし    7)

  ゑひもせす      5  (ゑひもせす       5)

 

   京          1

 

一方、47文字を上の右欄のように、7文字ごとに区切って並べて、末尾だけをみると、

   とかなくてしす (咎なくて死す)

となる、という穿った見解もあるようだ。(いろは歌 - Wikipedia から)

 

○ 幾つ覚えているだろうか。

 後期高齢者であるこの年になって、「いろはかるた」を幾つ覚えているか、前項の区切りに従って、答えを見ずに、記憶を辿って、思いつくままに、関連する諺なども挙げて見たのが、以下である。“犬も歩けば棒に当たる”から始まる、別称 犬棒かるたで、最後は、48文字目の、京の夢大阪の夢で終わる。

△▲は、諺等がなかなか思い浮かばなかった項で、下線は、調べたら、「江戸かるた」では無かったものである。

      

        いぬもあるけば ぼうにあたる                  京のゆめ 大さかのゆめ

 

い:犬も歩けば棒にあたる  一寸先は闇  石の上にも三年

ろ:論より証拠

は:花より団子  早起きは三文の得

に:憎まれっ子世にはばかる(憚る)

ほ:△仏作って魂入れず 骨折り損のくたびれ儲け

へ:屁をひって尻つぼめ

と:年寄りの冷や水

 

ち:ちりも積もれば山となる

り:律儀者の子沢山

ぬ:盗人の昼寝

る:瑠璃も玻璃も照らせば光る 

を:老いては子に従え  負うた子に教えられ

わ:割れ鍋に閉じ蓋

か:かったいのかさ羨み  勝って兜の緒を締めよ

 

よ:よしのずいから天井のぞく  夜目遠目笠の内

た:旅は道づれ世は情け 蓼食う虫も好き好き

れ:れう(良)薬は口に苦し

そ:総領の甚六

つ:月夜に竈をぬく

ね:念には念を入れ

 

な:泣きっ面に蜂 長いものには巻かれろ

ら:楽あれば苦あり

む:無理が通れば道理引っこむ

う:△馬の耳に念仏  嘘から出たまこと  

ゐ:ゐ(井)の中の蛙大海を知らず  ゐも(芋)の煮えたもご存知ない

の:のど元過ぎれば熱さ忘れる

 

お:鬼に金棒 終わり良ければ全て良し

く:▲薬九層倍  腐っても鯛 口八丁手八丁 苦しい時の神頼み  君子危うきに近寄らず  臭いものに蓋

や:安物買いの銭失い

ま:負けるが勝ち

け:▲下すの勘ぐり  芸は身を助ける  

ふ:△ふぐは食いたし命は惜しい 文はやりたし書く手は持たぬ

こ:△紺屋の白袴 後悔先に立たず 子は三界の首かせ 

え:得手に帆を揚げる

て:▲鉄は熱いうちに打て  亭主の好きな赤烏帽子 

 

あ:悪事千里を走る  秋茄子は嫁に食わすな 頭隠して尻隠さず

さ:三べん廻って煙草にせう  猿も木から落ちる

き:△聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥 極楽見て地獄

ゆ:油断大敵

め:目の上のたんこぶ

み:身から出た錆

し:知らぬが仏

 

ゑ:ゑん(縁)は異なもの味なもの

ひ:日暮れて道遠し  火の無い所に煙は立たぬ 人の噂も七十五日 火の用心  貧乏暇なし

も:餅は餅屋  門前の小僧習わぬ経を読む

せ:急いては事をし損じる 背に腹は代えられぬ

す:△住めば都 雀百まで踊り忘れず 粋は身を食う 

 

京:京の夢大阪の夢

 

 

 

 

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