つれづれの記

日々の生活での印象

いろはかるた アラカルト 続

2018年07月16日 14時34分39秒 | 日記

2018年7月16日(月) いろはかるた アラカルト 続 

 

  最近、当ブログに

     ①いろはかるた         (2018/7/1) 

     ②いろはかるた アラカルト (2018/7/6)

を投稿している。

 前々回の①では、最近、いろはかるたに興味を持ったきっかけや、いろはかるたの概略に触れた後、馴れ親しんだ、江戸いろはかるた48枚について、現時点で、自分でいくら思い出せるか、リストアップを試みた。どうしても思い出せず、虎の巻に頼った句もある。

前回の②では、主に、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げている。

3回目の今回は、筆者の好きなかるたを取り上げた。

 

 いろはかるたには、庶民感覚に合致したドンズバリの的確な言葉で、教訓的なものや皮肉っぽいものが多く、残念ながら、ウイットのある、頓智に富んだ句は少ない。 そんな中、江戸だけでなく、大阪、京都を含めた中から、筆者の好きなかるた、気に入っているものを、いくつかあげてみた。( 参照  いろはかるた

 

●花より団子  

  これは、江戸かるたの3番目に出てくる、みんなが知っている句だ。

日本人なら誰しも、花、なかんずく、桜が大好きで、嫌いな人はいないだろう。その季節が近づくと、開花が気になり落ち着かない。そして、待ち望んだ花見に行くと、ついつい、食べたり飲んだりし、盛り上がりたくなるものだ。

    

かるたにある位だから、「花見だんご」は、古くからあったと思われるが、だんごの色は三色の、桃、白、緑と決まっているようだ。(下図)

     

このかるたの説明では、「花より団子」とは、風流よりも実益、外観よりも実質を重んじることのたとえ、とある。さらに、風流を解さない人を批判する時の言葉とある。この句は、大阪にもあるようだ。

こう解すると、風流はどこかへ忘れてしまった朴念仁でつまらないが、桜を愛し、花見を楽しむ庶民感情からは、少しずれているように思えてならない。

筆者としては、後述するように、最近は、少し欲張って、「花も団子も」と言う事にしている。 

 

 通常は、“人は生きるために食う”、などと言って、エンゲル係数を云々したりして恰好をつけるが、現在は、自適の生活で料理作りも好きな筆者は、言い方を逆にして、“人は食うために生きる”と、敢えて言う事にしている。

決して、美食家では無いが、義務的に食べるのでなく、食う楽しみが、生きる喜びに繋がると思うからだ。

 

 我家には、結構広いルーフバルコニーがある。転居当初は、草花や人工池で、生き物を楽しんだり、バーべキューをやったりした。

しかし、次第に、草花よりも、キュウリ、ナス、トマト等の野菜の割合が大きくなっている。このことを、周囲には、解り易いように、自嘲風に、“花より団子だから”、と言っている。でも、花を愛で、四季の移り変わりを楽しむ気持ちは無くなった訳ではない。 最近は、欲張って、「花も団子も」と言い方を変えていることだ。

 

●得手に帆を揚げ

 この句は、帆船が追い風に乗ることに喩えて、自分が得意とすることを、待ち望んだ好機を逃さず利用して、はりきって行動を起こすことを言っている。 順風満帆ともいう。

   

好機到来時に、得意とする事を如何なく発揮するためには、日頃、腕を磨いて準備することが大事なのは言うまでもない。

本多技研工業の創業者として著名な本多宗一郎の、人生哲学はこの諺だったようで、 纏めた本があるようだ。(得手に帆あげて―本田宗一郎の人生哲学 | 本田 宗一郎 |本 | 通販 | Amazon

 

 この句では、時間軸(タイミング)が重要だが、焦ることを戒めた、

    待てば甘露(かんろ)の日和あり(大阪)

    果報は寝て待て(大阪)

という句もあり、とかく慌ただしい大阪には珍しいものだろうか。

 

 「得手に帆を揚げ」は、筆者としては、時間軸を気にせずに、人それぞれに、得手、不得手があるが、得意な面を強調して生きる、と言う意味に解する事も出来ると思っている。各々が得意を生かして多様性を大事にすることだ。

小池東京都知事は、就任時、老若男女や、健常者と障害者など、いろんな都民が、共存できる多様な社会(ダイバーシティ diver(se)+city )を目標とするとした。当ブログの以下の記事を参照。

       新東京都知事 続その後 (2016/10/16)

 以下のかるた、

    餅は餅屋(京都)

も同義だろう。

  やや、視点は違うが、江戸には無い以下の句も、それぞれ、アピールポイントや出番がある、という意味で、好きな句である。語数が、55や77なのも、リズミカルで言い易い。

    夜目遠目笠の内(京都)  

    鬼も十八番茶も出花(京都) 

また、以下の句がある。

       亭主の好きな赤烏帽子 

  亭主とは、広義では、使用人なども含めた一家の主を指すが、狭義では、夫のことである。赤烏帽子という、異様な好みや、常識と異なる流儀でも、周囲の者は、亭主に合わせざるを得ないという意味だ。これでは、ネガティブな側面が強調されているが、視点を変えて、ややポジティブに捉えて、それぞれの個性的なやり方で良い、とも理解したい。 ホモジニアスで均質な社会ではなく、筆者が好きな、多様な個性が共存する、ヘテロジニアスな社会である。 「蓼食う虫も好き好き」にも通じるだろうか。 

 

旅は道連れ世は情け

 旅行だけでなく、人生の旅でも、道連れ(パートナー 仲間)がいると心強く、世渡りでも、人情を持って仲良くしていくことが大切だ、という意味だ。 

      

 現代は、人間同士の繋がりがビジネスライクで、他人や周囲への関心(人情)も希薄になっているだろうか。

でも、7年前の東日本大震災では、近隣との絆の大切さが言われ、ボランティア活動が定着し、今回の西日本豪雨災害でも、お節介などが復活しただろうか。  

 「情け」とは、思いやり、優しさ、相手の気持ちへの共感など、幅広い感情だろう。英語では、sympathyになるだろうか。

英和辞典によれば、この語には、2つの感情があるという。

    1:共感 共鳴 感情の一致  

    2:同情 他を憐れむ心 思いやり 人情 慈愛

 この時代、「義理・人情」は死語になったとも言われる。確かに、義理には、封建的な、やくざ的なニュアンスがあるが、人の情である人情は、果たしてどうだろうか。

当今は情報化時代で、膨大ないろんな情報が、絶えず飛び交っている。情報とは、そもそも、情けを報じるという意味だ。

形式が変わっても、今も、情けは生きている、と思われるのだがーー。 

  

次の句はどうだろうか。

     遠い一家より近い隣(大阪)

「遠くの親類より近くの他人」とも言う。この意は、いざという時には、遠く離れている親戚はあてにできず、近隣の人たちに頼らざるを得ないので、近隣との日頃のお付き合いを大事にすること、との処世訓だ。 

でも、終戦後、家族制度が大きく変わり、核家族化や、夫婦共働きが増える中、近隣との関係も大きく変化している。特に都会では、プライバシー保護のスローガンのもと、「隣は何をする人ぞ」であり、防犯カメラに頼りきりである。

  次稿では、この辺から触れてみたい。

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