つれづれの記

日々の生活での印象

ツタンカーメンのエンドウ  その3

2009年12月31日 14時47分15秒 | 日記
12月31日(木)  ツタンカーメンのエンドウ その3

 11月中旬に播いたエンドウの種は、発芽後、寒さにもめげず、遅々として成長しています。一方、その後に播いた種も、小さい芽が出ていて、12月17日での状況は、下の写真の如くでした。


 12月も後半に入って、寒さが一段と厳しくなってきたことから、ポットのままでは寒すぎるので、防寒対策を施しました。ポットに入れたままで、先発組みはトロ箱へ、後発組はプランターヘそれぞれ移し、周りにたっぷりと、土の布団を掛けてあげました。12月31日現在、下の写真のように、両者とも元気で、無事、年を越せそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母べえ」鑑賞

2009年12月21日 11時30分37秒 | 日記
12月21日(月) 「母べえ」鑑賞

 先日、近くの団地内住区センターの集会所で、映画「母べえ」を鑑賞した。偶然に、映写会があることを知り、母べえというタイトルも面白く、機会があれば見たい映画だったので、出かけてみた。この映画は、山田洋次監督で、永遠の清純派アイドルといわれる吉永小百合主演の松竹映画で、昨年公開されたものである。

 終戦前の、昭和15,6年頃の東京が舞台である。夫婦と二人の娘という、平和な家庭から物語は始まる。家族間で、父親を父べえ、母親を母べえ、二人の娘を、照べえ、初べえと、お互いに気楽に呼び合っているのは、微笑ましい。最初は、母親を母べえと呼ぶのは、どこかの地方の方言か、とも思った。古きよき時代の、家族の団欒や温もりを感じさせるものがある。
 和やかな日々を過ごしているある日、大学教授の夫が、「アカ」疑惑の思想犯で特高警察に捕まり、拘置所入りになってしまう。そこから、家族の人生は、大きく変わってしまい、残された妻が、二人の子を抱えながら苦闘する物語が始まる。そんな中で、拘置所の父べえに差し入れる本の書き込みを、家族みんなで必死になって消す様子は自分には珍しく、印象に残った場面の一つである。

 鑑賞後の率直な感想を言わせてもらえば、世評に反して、自分にとっては、思ったほどのインパクトは無かった、のである。これは、何ゆえなのだろうか。これまで、人の話や映画やドラマなど、色んな形で見聞きして来た、特高や召集令状や灯火管制などの、終戦間近の風景やストーリーに、食傷気味だったのかも知れない。 また、場所は異なるものの、時期的には、自分の幼い頃の思い出と一部重なることから、そんなこと知ってるよ、という、傲慢さかもしれない。(実は、幼くて、本当のことは何も理解できなかったのだがーー)
 この映画の製作者や監督の意図は、何だったんだろう、とふと思った。吉永小百合さんが演じる母べえは、夫を信じて引かない強さもあるが、いわゆる肝っ玉母さんのイメージではなく、か細い印象で、手助けしたくなるような気持ちが湧く。でも、家族の絆を守るために、健気にも必死に時代を生きる、日本の女性像、母親像を描いたのだろうか。

 言論の自由や、女性の自立などは、現代では、当たり前になっている。が、当時としては、これらが大きく制約され、御国のため戦争のために、多くの犠牲を強いられた。そのような時代を経て現在がある、ということに、改めて思いを馳せる必要があろう。

 当日の参加者は、15名程で、昼の時間帯ということで、自分と同年輩位の高齢者が多かった。映写会といえば、遠い昔、田舎の小学校の体育館での、フイルム式映写会によく行ったことを思い出す。当今は、DVD式のプロジェクターが使われ、特別な映写技師がいなくても、比較的容易に操作できるようになっているのにも、時代を感じた次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来年の手帳を買いました

2009年12月16日 22時39分17秒 | 日記
12月16日  来年の手帳を買いました

 先日、近くの文房具店で、来年の手帳を買った。もう現役ではないので、大した予定は無いものの、物忘れ防止に加え、これまでの習慣で、手帳があると、毎日の時間が自分の物になる感じがあり、手放せない。自分にとっては、手帳は、財布代わりでもある。

 長年、各ページが、月曜から始まり、日曜で終わる形式の、能率手帳を使ってきた。が、昨年暮に今年用を買った時、うっかりして、日曜から始まり土曜で終わる形式のものを買ってしまった! ほぼ一年間使ってみて、土曜と日曜を間違えたり、月曜と火曜を間違えたりするなど、何度か戸惑いを経験した。

 これは、長年の習慣のせいでもあるが、週末(Weekend)に対する感覚のせいもあろうか。現役時代は、仕事が始まる月曜が週の初めで、金曜で何とか仕事を片付けて、土日にゆっくりリフレッシュするなり、プライベートな予定を入れるというのが一般的で、正に、土日こそ、週末なのだ。特に、週休2日制が定着して以降は、土日に纏まって予定が入る事が多いのに、ページが変わってしまうと戸惑ってしまう、ということだろうか。

 よく金曜のテレビなどで、「良い週末をお過ごしください」、などというが、あの時の週末とは何時を指すのだろうか。週とは何曜日から始まり、何曜日で終わるのか、日曜は週末なのか週初なのか? 改めてネットで調べても、色んな国があり、色んな説があり、よく分からない。ISO標準では、月曜から日曜まで、1から7の番号が付与されているようだ。キリスト教国では、敬虔な信者は、日曜は安息日で、仕事を休み、教会での礼拝を欠かさないが、この日から週は始まるのであろうか。カレンダーの曜日は、一番左に日曜が来ているのが一般的だ。

 自分にとっては、実は、これらはどちらでもいい。ただ、手帳の各ぺージが、月曜から始まって日曜で終わる形式が、なぜか使いやすいのである。こんなことから、来年の手帳の購入に当たっては、注意深く調べたうえで、元に戻った形式にした、という次第。


 手帳といえば、以前よく使われていた六曜が、冠婚葬祭などでこだわる向きも多いため、今の手帳にも、小さい字で書かれていることが多い。明治以前のわが国で、この六曜も含めた太陰暦の時代に、休日の概念がどうだったのかは、良く分からない。が、キリスト教国では、七曜の形にして、7日に1日の休日(安息日)を入れたのが素晴らしい。一種の国際標準といえる。働くことを美徳とし、遊ぶことを罪悪視してきた日本だが、このところ、国民の祝日等で、休みが増える傾向にあるのは喜ばしいことで、よく働き(学び)、よく休む(遊ぶ)ことこそが、持続性のある活動・生活パターンなのであろうか。

 余談だが、件の手帳に、24節気が書かれていないのは不満である。毎年、自分で調べては記入している。あれは、太陽の運行を基にして、微妙な四季の移り変わりを的確に表したもので、迷信とは一線を画している。地下鉄千代田線新御茶ノ水駅の下りホームの壁に、24節気が整然と並んでいるのを観るのは、楽しみの一つである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユズ湯とオニユズ

2009年12月11日 18時40分52秒 | 日記
12月11日 ユズ湯とオニユズ

 冬至には、「ユズ湯」を立てる習慣がある。外の寒さは何処吹く風と、いい香りの湯船に浸かるのは、気持ちのいいものだ。今年の冬は、まず、奈良の知人から送って頂いたユズのお世話になった。そのうち、我が家の鉢植えの小さなユズも、出番が来るだろう。
 冬至といえば、勿論、小豆のたっぷり入った「冬至かぼちゃ」も定番で、欠かせない。行事の意味は忘れられても、食うことだけは、ちゃんと伝えられていくのは、世の習い。生まれ育った田舎では、節句には柏餅を作ったり、月見にはお団子を供えたもので(勿論食べる主役は人間様!)、懐かしい思い出である。
 「みかん」などと違い、ユズは、酸味が強いことから、生食には向かない。香りを生かして、料理に使ったり、漬物に入れたり、ユズ胡椒などとして利用される。日本を代表する香りの一つであろうか。
 古来、桃栗3年柿8年、梨の馬鹿野郎18年といわれるが、土地により、特に西日本では、梨の役を、ユズが務めていて、ユズの大馬鹿、といわれるようだ(北日本には、ユズは育たない)。言うまでもなく、梨やユズが馬鹿な訳はない。そのことを知らずに植えて、実が成るのを待っている、人間様を冷やかしているのだが、最近は、接木などの栽培技術が進歩し、結果までの期間が、短縮されている。
 数年前、知人から、夏みかん程の大きさの「オニユズ」を貰い、顔を顰めながら実を食べた後、種を土に埋めていたら芽が出てきた。その後現在まで、大型の鉢で、何とか育っている。まさか、実生から18年後に実が成るまで待つ、というのは、此方の寿命が心もとない。でも、このユズ、夏には、まるで幼稚園のように、アゲハチョウなどの幼虫達で賑わうのが、楽しみの一つではある。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホットケーキが綺麗に焼けました

2009年12月11日 14時36分02秒 | 日記
12月11日(金) ホットケーキが綺麗に焼けました
 市販のホットケーキミックス粉を使い、何度か、ホットケーキを焼いて楽しんでいる。最初の頃は、中華鍋でやった。中心部がいい色に焼けるものの、その回りに、白っぽい輪が出来る。
 この理由はてっきり、中華鍋の底が平ではないため、と思い、次に、最近手に入れた、テフロン加工の、底が平らなフライパンで焼いてみた。均一な焦げ目がつくと思いきや、やはり、中心部が焼けて、周りに白っぽい輪が出来た。ガスレンジのバーナーの形が影響しているのだろうか(それなら、真ん中が白く、回りが焦げるはずなのにーー)。
 これは、鍋底の形ではなく、火力が不均一になっているため、と判断。火力を均一にするために、100円ショップで、焼き網(セラミック底)を手に入れた。
ガスレンジのバーナーの上に、この焼き網を乗せ、更に、上げ底の形で、その上に、上述のフライパンを乗せて、焼いてみた。


 恐る恐る裏返してみたら、バンザイ! 期待通り、綺麗で一様な焦げ目の焼き上がりになったではないか。
味には差は無いものの、斑模様の焼き上がりよりは、余程、美味しそうに見える。次に裏返す時に、溶いた材料を軽く上に塗ってからやると、反対側も、かなり綺麗に焼けることも発見(?)した。
 ホットケーキ材料の袋には、ガスで焼く時は、フライパンを一旦、バーナーから下ろし、濡れ雑巾で冷ましてからやれ、と書いてある。が、そんな事をしなくても、最初から、余り熱くしないで、ゆっくり焼けばよい。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする