現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

親鸞の心の闇

2011-09-01 14:54:56 | 五木寛之
8/31 中日新聞 五木寛之『親鸞』

親鸞は「もの心ついた頃から、ずっと心に闇を
感じて生きてきた」という。

「母と子を捨てて家出をした父をうらみ、いつも
けわしい目をしていた母をおそれ、伯父の家に
預けられて居候の身をはずかしく思い、弟たちを
足手まといと感じる自分を憎んだ」と。

そうか、親鸞はコンプレックスの塊だったのだ。
比叡山に登っても、身分の高い学生(がくしょう)を
ねたみ、荒々しい堂衆や僧兵らをうとんだ。

親鸞は、エリートではなかったから出世の道も
閉ざされていた。といって僧兵にはなれない。
自分に絶望していた時、心は黒々とした まっ暗闇の
中にあった時、法然に会い、月の光に照らされた
ような心持になった。

「月が照ったからといって、背負っている荷物が
軽くなるわけでもない、遠くに横川の燈が見えた
からといって道のりが近くなるわけでもない。
だが、私は、歩きだすことができた」

なるほど。念仏は「月」のようなものか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。