現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ホテルニュージャパン

2020-12-09 22:58:20 | 政治家

赤坂の「プルデンシャルタワー」の地は、いろいろ 歴史のある土地なのだ。

まず、1936年(昭和11年)2月26日「二・二六事件」の際に、反乱軍部隊が立ち寄った日本料亭「幸楽」の跡地だった。

その「幸楽」は戦時中、撃墜されたB-29が落下して、全焼している。

その跡地に「藤山愛一郎」率いる藤山コンツェルンが、当初高級アパートメントの建設を計画した。ところが、時あたかも昭和39年(1964)の東京オリンピック。需要を見込んで、急遽ホテルへと計画変更された。

建設当時は「東洋一の格式」を誇る「日本初の都市型多機能ホテル」として、注目を浴びた。

国会議事堂からも近いことから政財界・芸能界の利用も多かった。

地下のナイトクラブは、1963年に「力道山」が暴力団員に刺殺された事件が発生している。昭和史を彩る有名ホテルだったのだ。

しかし、ニューオータニ、オークラ、ヒルトンなど相次ぐ大型ホテルの建設で、ニュージャパンは経営が悪化、藤山コンツェルンの衰退により、横井英樹がこのホテルを買収した。

横井は、徹底した合理化を促し、消防法も無視して、スプリンクラーなどの防火装置も付けていなかった。そして、1982年に火災が発生し、33人もの死者を出し、廃業となったのである。

私も昭和40年代、一二度利用したが、廊下もレストランも異様に暗く、ジュースが800円、スパゲッティは 2,500円と異常に高かった。
なんか、二二六事件や米機墜落の怨念を感じるような薄気味悪さがあった。

 


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