現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

光孝天皇のこと、蝉丸は乞食の祖?

2017-03-28 18:49:03 | 虚無僧日記

『名古屋叢書』 第18巻 随筆編 (1) P.343  「塩尻拾遺」 巻61

 盲者の伝に「光孝天皇の皇子 雨後の皇子(みこ)、明を失しましませし時に                             世の衆盲を愍(あわれ)み、田を無頼の盲人に恵み給ひしと。昔、上賀茂封境の地に                          其の田有りしと云々。是れ江口、神崎、室兵庫等 遊君の濫觴なり。

ある人曰く、光孝天皇は 8人の皇女を七道に遣わして、君の名を留むなんと伝ふ。                         按ずるに、光孝帝にかかる御名の皇子(雨後の皇子)ましまさず。されば、当時、                           天皇 孤独の窮民を憐れみ、所々に 田を置いて 恵み給ひしを、後世あやまりて                          皇子ぞ姫気味ぞと言い伝え侍るなるべし。

 蝉丸を 延喜帝の皇子といひ、又 “乞食の祖” といふも この類か。これも亦                           逢坂に悲田を置かれて 無頼を養はせたまひしより かく伝え侍るにや。

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Wikipedia で「光孝天皇」を検索したら、親王9人、その他の男子16人、                              皇女20人。その中に、「雨後の皇子」の名はない。後世の人の作り話。                               在位期間中、天変地異相次ぎ、民は窮して、天皇は大変 お心を痛めて                                    おられた由。それが上記の伝説になったと思われる。

 第58代 光孝(こうこう)天皇 別名:小松帝  

在位期間:元慶8年(884)~仁和3年(887)                                  生誕-崩御: 天長7年(830)~仁和3年(887) 58才                           父:仁明天皇(54代)第三子

皇子女: 是忠親王、是貞親王、定省親王(宇多天皇)、繁子親王、                           穆子内親王、忠子内親王、簡子内親王、綏子内親王、為子内親王、                         元長、兼善、名実、篤行、最善、近善、音恒、是恒、旧鑒、貞恒、                         成蔭、 清実、空性、国紀、香泉、友貞、遅子、麗子、奇子、崇子、                         連子、礼子、最子、偕子、黙子、是子、 並子、謙子、深子、周子、                         密子、和子、快、秩子、善子、是茂

とても覚えきれませんね。

 


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