虚無僧へ与えられたといわれる『家康公お墨付』に、
「板倉勝重」が「本田正信・正純」父子とともに署名
している。ありえないことらしい。
「板倉勝重」は京都所司代だった。その子「板倉重宗」も
父の跡を継いで京都所司代となった。
「板倉重宗」が京都所司代の時(1620-1656)、寛永15年
(1638)「島原の乱」が起き、弟の「重昌」が総大将として
派遣され戦死する。
乱の後、浪人の取締りが厳しくなり、京都白川橋辺に仮住まい
していた虚無僧「淵月了源」も京都所司代に呼びだされる。
「淵月」は「尺八をよすがとして暮らすもので、ご政道に
そむくような不埒な心は起こしませぬ」というような
申し開きをし、所司代重宗は「その心にいたく感じ、尺八
を吹く者は悪さをするまい」と、妙法院の裏に45坪の
土地を斡旋してくれ、一宇を建ててくれた。それが「京都
明暗寺」である。
「京都所司代・板倉重宗」は、弟「重昌」が尺八を吹いていた
ことから、虚無僧「淵月」に好意を示したのであろう。
この「京都所司代・板倉重宗」が虚無僧を容認してくれた
ことから、後世、虚無僧たちは、勝手に「家康公お墨付」を
偽作し、その署名人に「重宗」の父で京都所司代の「勝重」の
名を盗用したのではないかと私は考えている。
なお、「板倉重宗」の遺品の中に「普化禅師」を描いた
掛け軸があった。「重宗」は「普化」を知っていたことになる。
最新の画像[もっと見る]
- あなたに「5億円差し上げます」は詐欺 11ヶ月前
- 虚無僧 牧原一路 写真集 11ヶ月前
- 虚無僧 牧原一路 写真集 11ヶ月前
- 虚無僧 牧原一路 写真集 11ヶ月前
- 虚無僧 牧原一路 写真集 11ヶ月前
- 2月3日は「諭吉忌」 1年前
- 2月3日は「諭吉忌」 1年前
- 2月3日は「諭吉忌」 1年前
- 虚無僧 牧原一路 写真集 その4 名古屋駅前 1年前
- 虚無僧 牧原一路 写真集 その4 名古屋駅前 1年前