現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

建仁寺が虚無僧の発祥の地?

2015-11-08 19:36:45 | 虚無僧って?

ブログを見ていたら、京都建仁寺の法堂の中で
虚無僧姿の数人が尺八を献奏している写真があり、
説明に「ここ(建仁寺)が虚無僧の発祥地とのこと」
とあった。

「そんな史実は知らない」と以前、書いたが、竹友社の
H.P.に、こんな記述を見つけた。

琴古流川瀬派の創始者、川瀬竹友が若い頃、西国へ
虚無僧の旅に出た時、京都で樋口対山に会っている。
建仁寺は、樋口家の菩提寺で、対山の紹介で、竹友
は建仁寺に参禅した。その一部始終が詳しく綴られ
ている。

樋口対山は名古屋の人。初め“鈴木孝道”といい、
名古屋で西園流尺八を修め、後京都に出て、樋口家
の養子となり、樋口対山を名乗る。

京都の虚無僧寺『明暗寺』は、明治4年廃寺となり、
最後の看主昨非は本尊の「虚竹の像」他什物を、
親交のあった東福寺善慧院に預けて出奔する。
明治21年、東福寺の本堂が全焼し、尺八愛好家たち
の発案で、「東福寺の復興に浄財を集める」という
趣意で「明暗教会」が設立された。そして樋口対山
が代表となり、「明暗流」を復活することとなる。

つまり、現在の明暗流は、樋口対山が再興したもの
で、その菩提寺が建仁寺。対山の墓もあるのかも。

実は、私は、昨年京都に虚無僧に行った時、偶然、
建仁寺にお参りし、周辺を周った。樋口対山の菩提
寺とは知らず。これも呼ばれたのかもしれない。



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