笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

節電いずこ

2013-07-31 | 世相

 どなたがネット上で呟いていましたが、節電の二文字はどこへ行ってしまったのでしょうか。某電力会社を始めとして、各地の電力会社が燃料費、円高の影響の為、値上げするといって電気代を値上げしました。家計には辛い話ですが、どうやらその甲斐あって原発なくして発電可能であることを今夏は証明しています。しかしながら、新聞、テレビは報道しません。原発再稼働についてのごり押しぶりは報道していますが、今の事実を挙げて反証するかと思えばしません。言えば、エネルギー政策とやらを口にされるからでありましょう。仮に原発が稼働しても、福島の後始末に金がかかるゆえに電気代は下がることはありません。福島では、相変わらずの汚染水に、高濃度の放射能が漏れております。巷間、人を悩ませているゲリラ豪雨に、東北地方の梅雨とやらは全体、福島に何の影響も与えていないのか全くわかりません。

 お叱りを受けるのを承知で申し上げますが、島根の豪雨災害と復旧作業の遅さは、これからの日本の姿を表しているようであります。過疎化が進み限界集落となり、一度、幹線道路の復旧が遅れれば、救援、救助も侭ならぬ。大都市だからと思うのはあさはかで、地下に水が流れ込み水が引くまで何もできない惨事となるでしょう。

 先の選挙では、金を選び、かつ孫子のことは考えないという結論に達しました。小さな画面を見て、いいねを押して一日の仕事を終える。そんな日常を営むことを良しとしました。

 今日たまたま乗り合わせたバスで、小生の座席の前に赤子を抱いた女性が座りました。あまりに愛嬌のある顔をしていたので、小生暫時百面相をして遊んでおりました。とあるバス停に止まると、そこにはこれまた赤子を抱いた女性と傍らには、お姉ちゃんにあたる幼子が立っております。幼子は、自分の妹だか弟と、車内の赤子を見比べ、ともに赤子が穏やかに母に抱かれていることを安堵した様子です。幼子とて他人を、身内を気遣う心を持っているのかと小生は感動したのであります。携帯の画面を見ながら自分の世界に浸っている「大人」をみて、孫子のことを考えず今日ことしか思いを馳せない「大人」を見て、人は成長して人になるのではなく、犬畜生にも劣るものになるのだなと猿以下のおつむを持つ小生は悟った次第であります。


尻馬に乗る

2013-07-24 | 世相

  NHKの朝の連続テレビドラマ、あまちゃんが怖い。前回のドラマがあまりにも不評だった反動からかと思ったが、どうして宮藤官九郎の脚本がいい。出演者も宮本信子を筆頭に、渡辺えり子、蟹江敬三と脇を固める俳優がしっかりしているので、新人女優のお遊戯会でも万全である。ところが主演の能年玲奈もどうして、新人とは思えぬ演技で、それに前回の演出よりも臭くないので、自然らしさが画面から溢れている。念のため、「あまちゃん」の背景を述べれば、2008、9年に岩手の祖母の家に移り住んだ女子高生が、祖母に感化され海女になり、さらには地元で知り合った友達がきっかけで、上京してアイドルを目指すという話である。主人公の祖母に宮本信子、母親に小泉今日子である。

  あまちゃんが放映されてから、視聴率の高さと舞台、物語の当初は岩手の海岸でありますが。それも手伝って週刊誌に取り上げられた。そして、放映が始まって間もなく、この物語の結末を宮藤官九郎がどう描くかが取りざたされた。普通ならアイドルなって花の都で一旗揚げる、夢破れて故郷に帰るなどで終わる。が、この物語の時代背景は、現代である。主人公が目指すアイドルは、AKBのパロディーであり、プロデューサーに当る人物も秋元某のパロディーである。小生が週刊誌を立ち読みする限り、うんざりしたのは、あの地震をどう描くかを話題にしているところである。

 その筆先の背景には、地震解禁の影が窺えることである、小生があまちゃんが怖いと書いたのはこれが理由である。あの後、テレビはドキュメンタリー形式で感動を押し売りした。映画、小説ではすでにあの震災を背景に書かれたものはある。余談であるが、「震える牛」食品偽装と狂牛病を扱ったミステリー小説、がドラマ化された。原作では、事件追及の最後に、あの震災の話を絡めているが、テレビでは見事に切られていた。これが悪いと言っているのではありません、念の為。

 今、あの震災をいかにテレビに流すかに作成側が腐心しているようになんとなく小生は感じる。「風化させない」という美名の下に、「経済復興優先」という錦の旗を振る為に。民放にはスポンサーがいる。視聴者からのクレームを嫌う。幸いあまちゃんは、「みなさまの」である。「公器」である。天下のNHKで描けば、民放も大手を振って描けるだろう。視聴者の中には、民放とNHKを区別するが、放送局にとっては棒組である。あの程度の割合なら、と加減がわかれば、堰切って、ドラマがつくられるであろう。限度は益々下げられて、番組最後に「私たちは忘れない」なんてテロップを流してちょんである。

 小生は宮藤官九郎を非難しているのではない。あまちゃんが、地震が起る前の東京、岩手を舞台にして終わっても構わない。今でも十分に楽しめる朝の連続テレビドラマ小説である。みなさまは今でもBSで「縁」という題名で、有名人が被災地を訪れる番組を作っている。報道姿勢には若干問題があるが、震災終わらず、復興進まずをそれとなく放映している。

 民放がドラマであの震災を描き出した時、風化が完遂されるであろう。TPPには懐疑的であるが、放送局だけ俎上に乗せてくれまいか。アニメのコンテンツならどの民放もある。高く買ってくれることは間違いないのだが。


やっぱりね

2013-07-23 | 時事

 選挙終わって、開けてみれば自民の圧勝であった。本日の朝日新聞で内田樹氏が、今回の選挙を総括して「目先の百万」に踊るというようなことを述べていた。小生もほぼ同意見であるが、被災地の当選者を見て自民が圧勝、民主一部という背景について考えてみた。原発収束宣言を出したのは、野田政権で、脱原発を打ち出したのは菅政権であった。安倍政権に移って、悉く件の政策は覆され、原発に関するニュースはきれいに画面から消えてしまった。福島では、甲状腺検査の規定の甘さ、除染作業の効果薄すさ、さらには作業員の被爆線量の限界値越えと諸々の問題がありながらも、清志郎氏の歌の如く原子力発電所が建っていたである。それでも被災地では自民が圧勝という事態には、前回の選挙で政権を交代させたことの代償があまりに大きかったからに他ならないと小生は思う。知人が、陸前高田支援活動をしていて、政権交代後に起った悲劇を話してくれたことがあった。政権交代は、復興事業が遅々として進まない事態を招来したということであった。民主政権の時に打ち出した復興計画が、自民が勝って、ねじれが生じたら、次々と役所の事業が止まった。それが陸前高田に起きた事態であったらしい。勿論、復興事業が再開しても、大手ゼネコンが肝心な箇所を握っているから地元に仕事は降りてこない。それでも遅延、遅滞しているよりはましというのが本音らしい。本音らしいと書いたのは、陸前高田の人々が全員そう思っているとは言い切れないからだ。ただ、言えるのは時があの日を一般の人々から風化させ、原発収束宣言の如く、かの地も「復興の目処立つ」で片付けられることが恐い。ならば、TPPも大事だが、それよりも目先の生活を取り戻したいというのが、今回の東北、正確には被災地の選挙結果ではなかろうか。小生はこれをもってして「スピード」「即決」を良しとしない。

 もちろん被災地には即断即決、柔軟性が必要である。ただ片方で、即断即決をしなくても済む場所もあるということだ。政治とは、そのようにいろいろな立場の人間の利害関係を調整するものであり、時に優柔不断が功を奏すこともあろう、時に即断即決が必要とされようと小生は思う。内田氏は、政治の本質を理解することなく「日本国民全員」が即断即決になってしまったことを慨嘆されておる。小生も同意見である。

 この比喩が適切かわからないが、今の復興事業を見ていると、金は用意したけど、種籾を買うか、苗を買うか、それとも出来合いの米を買うかと揉めているように思える。だから小生は思う。すべて用意してみたらいかかが。その上でどれを望むか尋ねてみよ。尋ねて即座に応じられるものもいよう。中にはみんな欲しいというものもいよう、ならば、それを説得したらいかが。時間はかかる。それが大人の仕儀というものであろうに。

 今の日本は、まるでニートの「若者」のようである。理屈と夢を語って、肝心の額に汗して働くことを忘れ、親が出してくれる三度の食事を待つだけという。親が倒れたらどうすると言えば、その時はその時でなんとかする。自分の身体が壊れたら、そんなことは考えていない。こんな生活いつまでも続くと思うのか、わからない、けど今は腹が減ったから何かない。お新香とご飯だよ、じゃ、いらない、吉野家で弁当買ってきて。親の部分を国に言い換えておくれ。かくいう小生もこの国で、この社会で禄を食んでいる。

 

 


やむを得ず 投票

2013-07-08 | 時事

 先般の選挙の時、争点は原発と被災地復興かと思えば、景気対策であった。今般はどうなるのかと思えば、やはり景気対策である。世の中、全て金かと。パンとサーカスではないが、パンだけ何とかなれば、政治に対して無関心でいられるのも有権者の特徴であろうか。為に、憲法改正、被災地の復興事業、福島の健康被害、未だ収まらぬ原発、社会不安もあまり大きな論点になっていないような気がするのは小生が愚鈍なせいかしら。朝三暮四ではないが、育休を推奨し、片方で地方正規雇用法という訳の分からぬ法も出来たと仄聞した。人のことは責められない、小生がこのような駄文を書けるのも、糊口を凌ぐ術があるかもしれない。企業がいつでも従業員を整理することが出来れば、つまるところ儲けだけに走り、社会貢献なんてのは二の次、三の次になるであろうことは想像に難くあるまい。企業が利益をあげれば、その分賃金に反映して、目出度く景気が浮上すると言われてどのくらいになるかしらない。利益が、消費が云々という報道を聞いて、それから給金が増えたとか、正社員が増えた、労働条件、状況が改善したなんて話も聞かない。派遣社員を三年以上使うことはまかりならぬと言えば、企業は二年で、三年目に試験を設けて採用条件を厳しくする。無事馘首に成功した暁には、外注で作らせた会社に派遣し、一年後には貴君、貴女は戻ってこられると猫なで声で勧誘している。声をかける人間は、元から仕事ができる人間である。だから、会社は困っても、当人は困らない。同じ光景を十年前にも見た.早期退職と声をかけて、社内で募ったら、優秀な人間が応募してきて、退職金を貰って次の職場へと移って行った。しかもヘッドハンティングとやらで。人に機会を増やせと言われれば、PIPとかいう制度を設けて、貴君、貴女に新しい仕事に取りかかってくれる前に、スキルアップして欲しいと言って、馘首へとこれまた繋げている。高額納税者は、海外に口座を移して節税対策に励んでいる。市中に金が回れば景気が浮上するという。銀行は金を貸す相手を必死に探している。蓋し、ある制度にそってである。その制度を利用すれば、貸し付け先が焦げ付いたとしても税金で補填してくれると聞いた。知人の会社には金融機関からひっきりなしに借りてくれと電話が来ると聞いた。正規雇用を増やすように企業は努力している。これもまたある制度を利用することである。三ヶ月の研修見習いで非正規で雇い、その後半年の準社員、一年後に正社員にするという規約のもとで、人を募る。その制度を利用すれば、公的補助がおりる。下請け、中小の新興業種は、その制度を利用している。一応これには、罰則規定があるらしい。どちらも聞こえはいいが、抜け道がいくつもある制度である。

 年金制度が破綻する、国民皆保険が持たない、被災地復興のためだから増税すると言う。言っているが、やっていることは若者、女性に働き口を塞ぎ、被災地の復興を遠のかせ、社会不安を増すことばかりなのように思えるのは小生のつむじ曲がりの証左かしらん。今回の選挙もやはり「金」の一言に尽きるのだろうか。

 やむを得ずというのは圧政の口実であるとミルトンは言い、投票は弾丸より強しとリンカンは言った。