世は、お盆で帰省ラッシュである。帰って墓参する家族があればいい。一昔前は、無縁仏と言えば、行き倒れ、親子の縁も切れて尋常ならざる世界に踏み入れたものの墓であった。昨今、子供の数よりもペットの数が多いという、いとこがいない、ともきく、ここに至って、墓もなくなった。少子化、未婚で家が絶え、先祖代々の墓が無縁仏に変わる、変わっているという。信心、新興宗教の類、更には前世の姿、運命論は大流行であるが、一番肝心な自らの先祖を祭る、子孫を絶やさないということは忘れられてしまったらしい。生まれる時はこちらの都合であるが、死ぬ時は、こちらの都合で済まされない。一人で生きて、一人で死んでいくなんて聞こえがいいが、世の中、しがらみだらけである。
俗に戒名には位があるという。何とか院、なんとか大姉、先祖代々寄進をして、その位を貰った。自分はそんな位なぞ要らないというのは勝手であるが、一度位を捨て去れば、子孫はその位を買い戻すのに苦労する。孫は知らないが、その子供は祖父母と同じ位の戒名は貰えぬという。親の因果が子に報いとはまさにこのことである。
方丈記の時代なら、今でもある。無縁仏になる家も、また鴨長明が生きていたら、同じことを言っていたのだろう。贅を尽くして、個人を自由を叫び、挙句、当たり前のことも出来なくなってしまった。現世の幸福、自分の幸福のみを求めて、子供を虐待し、犬畜生もまともに躾けられず、挙句女子供を監禁して、知らぬ存ぜぬ、はたまた悪魔が乗り移ったと。
死んだものなら化けて出るという、他に生霊と言う性質の悪いのもいると聞く。頃は、お盆である。連日、報道される婦女子によからぬことを働くものに、天誅として化けて、憑り依いてやれと言っておきたい。無縁仏が増えるご時世ならば、せめて、そのくらいあってもいいんではないか。
俗に戒名には位があるという。何とか院、なんとか大姉、先祖代々寄進をして、その位を貰った。自分はそんな位なぞ要らないというのは勝手であるが、一度位を捨て去れば、子孫はその位を買い戻すのに苦労する。孫は知らないが、その子供は祖父母と同じ位の戒名は貰えぬという。親の因果が子に報いとはまさにこのことである。
方丈記の時代なら、今でもある。無縁仏になる家も、また鴨長明が生きていたら、同じことを言っていたのだろう。贅を尽くして、個人を自由を叫び、挙句、当たり前のことも出来なくなってしまった。現世の幸福、自分の幸福のみを求めて、子供を虐待し、犬畜生もまともに躾けられず、挙句女子供を監禁して、知らぬ存ぜぬ、はたまた悪魔が乗り移ったと。
死んだものなら化けて出るという、他に生霊と言う性質の悪いのもいると聞く。頃は、お盆である。連日、報道される婦女子によからぬことを働くものに、天誅として化けて、憑り依いてやれと言っておきたい。無縁仏が増えるご時世ならば、せめて、そのくらいあってもいいんではないか。