笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

陰に篭って

2006-08-13 | 歳時記
世は、お盆で帰省ラッシュである。帰って墓参する家族があればいい。一昔前は、無縁仏と言えば、行き倒れ、親子の縁も切れて尋常ならざる世界に踏み入れたものの墓であった。昨今、子供の数よりもペットの数が多いという、いとこがいない、ともきく、ここに至って、墓もなくなった。少子化、未婚で家が絶え、先祖代々の墓が無縁仏に変わる、変わっているという。信心、新興宗教の類、更には前世の姿、運命論は大流行であるが、一番肝心な自らの先祖を祭る、子孫を絶やさないということは忘れられてしまったらしい。生まれる時はこちらの都合であるが、死ぬ時は、こちらの都合で済まされない。一人で生きて、一人で死んでいくなんて聞こえがいいが、世の中、しがらみだらけである。
 俗に戒名には位があるという。何とか院、なんとか大姉、先祖代々寄進をして、その位を貰った。自分はそんな位なぞ要らないというのは勝手であるが、一度位を捨て去れば、子孫はその位を買い戻すのに苦労する。孫は知らないが、その子供は祖父母と同じ位の戒名は貰えぬという。親の因果が子に報いとはまさにこのことである。
 方丈記の時代なら、今でもある。無縁仏になる家も、また鴨長明が生きていたら、同じことを言っていたのだろう。贅を尽くして、個人を自由を叫び、挙句、当たり前のことも出来なくなってしまった。現世の幸福、自分の幸福のみを求めて、子供を虐待し、犬畜生もまともに躾けられず、挙句女子供を監禁して、知らぬ存ぜぬ、はたまた悪魔が乗り移ったと。
 死んだものなら化けて出るという、他に生霊と言う性質の悪いのもいると聞く。頃は、お盆である。連日、報道される婦女子によからぬことを働くものに、天誅として化けて、憑り依いてやれと言っておきたい。無縁仏が増えるご時世ならば、せめて、そのくらいあってもいいんではないか。

入ります

2006-06-18 | 歳時記
毎年、これからの時期が憂鬱になります。これも偏に冷房というやつであります。小生、生来冷房が苦手でありまして、冷房の冷気に当たっていると肘や肩が痛くなりまして、偏頭痛までするという始末であります。齢を重ねるにつれて、その症状は酷くなりまして、昨日なぞは電車に30分弱乗っただけなのに、床につくと肘が熱ぽくなっていました。昨年は巷間クールビズとやらで冷房機の温度を上げましょうと合唱してくれたおかげで、少しは人心地つけたような気がしますが、この時期は、湿度と高温のため、気がつかぬうちに、温度が25,24,23度にと下げられておりまして、「いくら、中身が空っぽのように見えても、こちとらすいかじゃあねえんだあ」と啖呵の一つでも切りたくなります。切ったあとで、どれどれとお頭でも叩かれたら、ご愛嬌でありますが。
 梅雨の鬱陶しさは、傘の重さにもあります。傘を持ち歩くという行為が、これまた歳を重ねるごとに億劫になりまして、毎朝、曇天を睨んでは、心の中で「お竜さんの一声」を呟きまして玄関先の傘立て無視したり、折り畳みを下駄箱の上に置いたままにして出かけます。傘を差さない欧米人ではありませんが、高温多湿の日本では傘を差さずにいることは無理というもでありましょうし、勤勉を旨とする同胞の中では、雨宿りをすることが憚れるというものなのでしょうか。
 近所の梅の木では、青梅が、枇杷の木には枇杷の実がたわわに実っております。うらめしい雨でありますが、雨が降ればこそであります。傘やとお百姓さんの一息と思い、今日も「勝負」と呟き仕事場に向いました。

桜という字はどう書くの

2006-03-29 | 歳時記
昨日は大学合格者一覧と題名をつけたがゆえに、勘違いをして閲覧、アクセスなさった方が大勢おりました。「世はタイトル」とは見事にそれを表しております。平素から小生の駄文をお読みくださる方は、「またか」と思って、何気なく読んだのでありましょうが、勘違いした方は、あけてびっくり玉手箱であったと思い、お気の毒様にと申し上げたい。週刊朝日、毎日の類が「東大・京大合格者一覧」を掲載するのもむべなるかなであります。
 巷間、桜の花も開き、「お花見」が今週末には目白押しであろうと察しられます。小生の近所にも桜並木で有名な通りや桜の多い公園がありまして、この時期は酔っ払いに、アル中すれすれの学生の集団を見かけます。小生が親しくしている草木に詳しい友人と、毎年語るのですが、桜の木ほど妖艶でかつ怖い木はないと。桜並木や公園にある桜は別段そうではないのですが、深夜山道を歩いていて、突然一本だけ咲いている桜に遭遇すると、まるでこの世のものとは思えぬ怖さ、不気味さを漂わせています。闇に亡羊と浮かび上がる白い明かりのようなものと、仄かに香る花の匂いは、桜の持つ霊気が辺りに立ち込めてるように感じられるのです。その木の下に立つと、花一輪一輪が、見ているものの姿だけでなく心の底も見透かしているような感じがするのです。
 有名な西行法師の歌も実は、桜の美しさではなく、あの蠱惑的な魅力、この世とあの世を結ぶような、もしくは異界を結ぶ門番のような存在に魅了されていたのではないかなどと勝手に想像してしまいます。
 桜の白い色が緑に変わる頃、町にはぎすぎすした心を洗い流す不思議な風が吹き始めるのです。小生は、桜から若木、新芽になる頃が一番好きでありまして、どうも桜の木よりも二階の女が気にかかるのです。お粗末様。

賀状の始末

2006-01-06 | 歳時記
年賀状を毎年戴くのですが、忙しさにかまけて旧正月まで引っ張るのが小生の習慣であります。勤め人をやめるとめっきりその数が減り、あとは消息をしる役目と化すだけであります。毎年、一葉のはがきを戴くことで、今年の冬も無事であったかと安堵するものであります。今日の如く、電子メールに始まり、電話が発達して、いつでもと思うのは、無精者の証で、気がつけば出す相手がいないなどという事もあります。
 賀状を知る際に困るのは、全体何を書くかということであります。謹賀新年、賀正、慶賀、御慶とならべ、旧年中はの云々でありますが、実はその旧年中というものお世話になったりならなかったりでありますが、実を言えば、「おかげさま」でという意味でありましょう。無事仕事が出来る、無事今日一日が遅れる、家族が病にかからずに無事にいる、すべてこれおかげさまであります。「おかげさま」の一言をいいたくて、昨年中の云々があるのではと考えます。小生はこのときのみ、つむじ曲がりが少々直り、おかげさまの気持ちを込めて「昨年中云々」を書きます。
 過日、ある友人が死について、かように申しておりました。死とは鼻先三寸先にあるもので、自分が前に動けば、死も前に動く、後ろに下がれば後ろに下がるこれが日常であり、人はそれを気づかずに過している。しかし、ともすれば、動くと思った死が、動かぬ時があり、鼻先にあったものにぶつかる時がある、それが死であると。
 敬愛する淀川先生は、朝起きると、必ずその日を口に出したと、今日は平成十八年一月六日だ、平成十八年の一月六日、今日しかない。だから今日を精一杯生きようと。一回こっきりと思えば大事にするのが人の情であります。最後の一粒のチョコ、最後の一杯の酒、最後の一枚の葉書、今日と言う日も、最初で最後の日であります。
 賀状の写真、印刷の文言の傍らにある手書きの二言、三言に消息を伺い、ひと心地つけます。人の心はいざ知らず我田に水を引き、賀状を眺めては時間をつぶしております。

火の用心

2005-12-21 | 歳時記
明日は冬至であります。行きつけの風呂屋は明日が定休日のため、一日早いゆず湯でありました。冬至の時のゆず湯は、少しく風呂が寂しく思えたものです。平素は入浴剤を入れる風呂が、色なしの水になり、水の中に切ったゆずを浮かべただけという簡素さが、幼心にはなんだか寂しく感じられました。ゆずで顔を洗うと肌がつるつるになると言われ、顔にゆずの切断面を押し付けては、いつまでも浴槽に浸かっていて怒られたものです。ゆずの種が散ると水抜きの際に手間がかかるからと、みかんを入れる網の中に押し込み、浮かべていましたが、いつの間にか弟とキャッチボールに興じる場もありました。
 広い銭湯いっぱいに漂うゆずの香は、季節の移ろいの早さを感じさせ、いよいよ年も押し迫ったという気になります。
 湯から上がって、夜道をどてらをはおって家路を急げば、彼方から夜回りの「拍子木の音」が聞こえます。二番煎じよろしく、大きな声を出すかと思えば、昨今の住宅事情からか、カチカチと大きく音を鳴らすだけであります。今この文章を書いている時間帯は、夜回りは町会のかつての青年団、すなわち老人会の皆様であります。これが夜の十時を過ぎた頃には、青年団の皆様に変わります。町内をぐるぐると回って、拍子木の音が大きくなったり、小さくなったり、冬の夜の透徹した冷気を打ち破るが如くカチ、カチという音があたりに響き渡ります。
 ゆず湯の温もり、夜回りの音が聞こえてくると、世間の喧騒が嘘のような冬の夜の静寂さが身に沁みます。
 当今流行のクリスマスのイルミネーションも、今宵はなぜか鬱陶しく感じられません。

テレビ買います

2005-10-14 | 歳時記
赤坂にあんなに資産があるとは知りませんでした。相変わらず世事に疎く、烏愚な小生には、このたびの買取問題で明らかになった資産に驚きです。世はバブル、巷間、地上げ被害が取り上げられ、馴染みの商店街が消えていく、東京の原風景が消えていくと叫んで、土地神話を揶揄していたのは誰であったでしょうか。その本人がしっかり土地神話を玉のように抱きて、再開発の資産として運用を狙っているなぞとは。所詮、マスコミは棒組みだから、庇い合い、口をつぐむことが大事ということでしょう。
 赤坂があんなになった来歴は知りませんが、同じ棒組の講談社は知っています。前回のホリえもん騒動の時に、しっかりフジの株を9%ほど所有しておりました。今回も、村上、楽天氏の両者が、燻し出さぬ限りその姿はお目にかかれぬものと思っております。
 羽織ごろから財を成し、土地を買占めとはよくもいったりであります。赤坂とても例外ではありますまい。社会の公器とか述べたところで、所詮はあの社屋を見ればわかります。いいこと何ぞして、あんな建物が立つはずがありません。そういえば、かつてTBSは死にましたと言わしめた事件の張本人はどうしているのでしょうか。担当プロデューサーのみがトカゲの尻尾きりになり、その後の人事改変、さらにはその後の不祥事続発のけじめがつけられた記憶がありません。またそういった張本人は、相変わらず毎晩画面に現われては、わけのわからぬ談話をしております。
 今回は、ホリえもんの時ほど、慌てておりません。世間も、そろそろマスコミなる面妖な存在の胡散臭さに気づきはじめたのでしょうか。売り買いされて何ぼという麻生コンツェルン総裁のお言葉も、らしい表現でありました。スポーツ紙では野球再編に絡めて論じておりますが、要はマスコミの旧態依然の体質に世情が辟易しているということではと思います。考えてみれば、日本はネットワークをもつ局が多すぎます、あのアメリカとて3つ、フランスは2つ、イギリスも2つ?ほどだったと記憶します。日本のみが、この狭い国土に5つも持っているなぞ、ああこれも悲しき低文化国家の在りようかなであります。
 大家壮一氏が一億総白痴という言葉を吐いてから幾星霜、頭の中身も金で交換せねばならぬ世の中なのでしょうか。

運動会

2005-10-02 | 歳時記
秋空が広がるさわやかな一日であります。近隣の小学校では運動会で、朝から賑やかでありました。一頃、競争の無い運動会が取り上げられましたが、今でも、そのような愚かしい習慣は残っているのでしょうか定かではありません。
 散歩がてらに、校庭を覗いてみると、世にも聞けとの勢いで大なり小なりの子供らが駆けずり回っておりました。してみれば、みんないっしょという耳朶に心地よい猫撫で声はなかったと推察します。
 応援合戦とやらで、和太鼓の演奏を披露したのも圧巻でありました。どこまで本当か知りませんが、往時の学習院では声援に「赤お勝ちあそばせ、白お勝ちあそばせ」と言ったという話を仄聞しました。御茶ノ水女子では、リボンの色は自由で、紅白のたすきをかけて運動会をしたというのもありました。今はそんなことはしてないはずです。リボンの色を自由にしたのは、お見合い相手の品定めのためということです。塀の向うに良家の子息と従僕が立ち、リボンの色で見合い相手をそっと覗き見たという話でありました。
 運動会で覚えているのは、「秋空高く、爽やかに云々」という歌です。運動会の歌は聞こえませんでしたが、勇壮な太鼓の響きに五臓六腑がひっくり返りました。またここぞばかりにカメラを向ける親の数にも卒倒したことを申し添えておきます。

祭り 神輿顛末

2005-09-29 | 歳時記
 先日、近隣で祭りがあるということで、神輿を担ぎませんかと大家さんに勧誘されました。久しぶりに運動でもするかと言う気分で気軽に誘いに乗って隣町へと出かけたのでした。曇天にもかかわらず、そこそこの人数が集まり、楽しく過せたました。神輿が巡行する道すがら、大家さんは、来年はうちの町会でもぜひ担いでくださいよと誘われました。一緒に行った町会の人も同じように声をかけてきます。今年は仕事の都合上、越してきた町会には顔を出さずに、上手くだんまりを決め込んでいたのですが、つい間隙を縫って「勧誘」されてしまったのが実情です。神輿を神酒所に収める時点でつい、昔の癖がでてしまい。少々破目を外してしまいました。と言っても、お祭りを台無しにする行為ではありません。それまでも神輿に入って静かに担いでいたのですが、これでお終いという声を聞いたとたん、つい本気になってしまい、気がつくと誘ってくださった大家さんの顔が引きつっていました。大家さんは、来年を見越してと気安く誘ったのでしょうが、こちとら、ちょっと年季が入っています。なるべく専門用語も言わずにしおらしくしていましたが、いけませんでした。
 翌日、昨日は大変お世話になりましたと、軒を掃除している大家さんに挨拶すると、笑顔が引きつっています。心なしか、大家さんの奥さんもよそよそしいような感じを受けます。今は、「すみません、改装工事をしたいので云々」という言葉をかけられないようにと祈るだけです。ああ、神輿が恨めしい。

仲秋の名月

2005-09-19 | 歳時記
 昨日は仲秋の名月でありました。銭湯の煙突の上に乗った満月を眺めて、夜の街をふらふら散歩しました。名月赤城の山、炭坑節と思い浮かぶ文句を口ずさみながらの散歩でありました。
 月見といえば、夕刻父とともに近場の河原、原っぱへ行き薄をとってくるのが、我が家の習慣でありました。秋の虫の声がそこここに響き、足を向けると、その声が幻の如く消えてしまいました。この時期は、まだバッタも元気に飛び回っており、きちきちバッタ(しょうりょうバッタ)の飛ぶ音に、殿様バッタの勇壮な飛行姿に、目的を忘れ、草原をひたすら駆け回っておりました。
 薄の葉も、まだ若葉という感じで、指を触れると切れてしまう堅さがあります。手の使い方を間違えて、指先を血だらけにしたのも遠い昔の話です。父曰く、きちんと仕事をしない天罰だと笑っておりました。
 縁側に月見団子と薄、お灯明を供えて、我が家のお月見は終わりです。月見団子は、多めに作っておき、供え物には手を出しませんでした。
 一日遅れのお話になってしまいましたが、お月見の風情を楽しむ余裕がなくならないよう日々を送りたいものです。月にロケットを打ち込むなんぞ、野暮の極致ではないでしょうか。本日は十六夜、せめて、十六夜の月の如く人をもったいぶらせる風格をと望む次第です。

お盆の東京

2005-08-13 | 歳時記
この時期は、東京にいて一番よい季節であります。正確には盆と正月でありますが、帰省ということで、朝の通勤列車も人間並みになります。また繁華街を歩いても、さほど人の移動が気にならないのがよいところでありますが、一方で、この時期を利用してやってくるおのぼりさんには閉口します。
 タクシーを利用する際に、運転手さんに尋ねると、決まって運転のしにくさをあげます。理由は先ほど述べたとおり、おのぼりさんが不慣れな東京の道を動き回るからそうです。
 都市の混雑緩和は、21世紀になっても解消しません。都市機能移転の話は何処に行ったのでしょうか。時差出勤、車両の増設、本数増加と通勤緩和の方策は出されますが、一向に事態が改善されたように思えないのは小生だけでしょうか。あえて申さば、通勤用の特急が都市近郊と結ぶようになったという事だけでしょうか。思い出されるのは、「恋に落ちて」(原題失念)ロバートデニーロとメリルストリープ主演の映画で、出会いのきっかけはマンハッタンとニュージャージを結ぶ列車でありました。日本もあんな列車が走るようになるのかなと思ったのを懐かしく思い出します。
 小生は常々思っているのですが、箱根に関所を復活させるべきではないか。住民税も高くして都市に住むことの利便性とその代償を明確にすることで、少しは人口流入が緩和されるのではなかろうかと考えております。20年ほど前の情報化社会に関する文を読んでみると、コンピューターの発達で、自宅にいながら仕事が出来る、会社に行く必要がなくなるとありました。落ち着いて読んでみれば、それは万博の頃の未来像、戦時中の満鉄の将来像などと同じ発想で書かれたものであるのは明白なのですが。結局は事態は何も改善されてないようです。
 うる覚えでありますが、ポルノグラフィーとかいうグループの歌に「車が飛ぶ」とか「ロケットが月にいく」というがありました。21世紀なのに満員電車も改善できぬ人間の知恵とは推して知るべしなのかもしれません。
 いずれにしても、お盆と正月だけは、一息つけるよい時期であることには変わりません。とかく外国から日本人は働きすぎたと言われます。実際はさにあらずでありますが、ならば嘘八百を並べるのが得意なマスコミ諸氏、果ては、小泉大本営内閣府さん、お盆はと正月をそれぞれ三十日にしませんか。サマータイムなどという馬鹿げた計画より、国民皆枕を高くできること間違いなしだと思うのですが。