笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

東京へ行って参ります、御府内に行って来るよ

2006-03-08 | 文学
久しぶりに幸田文の「父・こんなこと」を再読しました。露伴の博覧強記はつとに有名で、娘の文は、その衣鉢を継がずに、というよりもむしろ父が継がさずにいたのかもしれませんが、女一通りのことを徹底的に仕込まれました。掃除の始め方、道具の選び方、そして掃き、拭き掃除の仕方と。下手な掃除ならせぬ方がよいと最後は誇りを積もらせておけとまで父露伴は文に言います。
 文豪露伴の娘に育ち、その筆は父のことしかかけなかった文であります。文さんが書けないのではなく、周りが書かせてくれませんでした。文豪の二世とは、かくも不幸なものです。漱石、鴎外、鉄幹にも子供はおろうに、世間はその子供らに期待しません。聞くことはただ父のことばかりであります。文も同様に、父の呪縛から免れずにおりました。が「流れる」に至って、世間の評価が変わります。
 「流れる」とは、あらためて感心しました。その題名に、内容にであります。それというのも、「父、こんなこと」を読んだからであります。小生迂闊でありました。先の本のなかで、父の死、闘病記が書かれております。その中で、「東京へ行く」という言葉が散見されます。蝸牛庵を引き払ってから、露伴翁が移り住んだのは、川向こうであります。そういえば、昭和の中ごろまで、川向こうに暮らす明治生まれの老人は、銀座に行く時に、「御府内まで行って来る」と言ったという話を聞きました。「流れ、流れて落ち行く先は」とは有名な「流浪の旅」の一節であります。現代の感覚では、川向こうも立派な東京23区でありますが、文、露伴翁にとっては、都落ちの感覚があったのではないのでしょうか。
 「流れる」では主人公が「置屋」に女中として勤めます。女一通りが出来る彼女にとって、お裁縫、洗い物、掃除と重宝がられ置屋の主人、芸者衆、出入りの職人からも可愛がられます。勿論、文の実話を基にして書かれたこの作品でありますから、主人公と重ねて読むことが出来ます。しかしながら、小生の疑問に、文の叡智、感性をもってしても、「あの世界」の独特な人情の機微はこうもうまく処理できるのはなぜであろうかということでありました。
 この答えが、先ほど申した、小生の迂闊さであります。「父、こんなこと」の中に、論語の先生が出てまいります。先生と言っても、「インテリ」ではありません。露伴翁が、床屋で知り合った老人であります。学はないけれども、論語の読み方、人品徳ともに申し分ないと翁は判断して、老人を文と弟の師として招きます。論語の勉強がいつの間にか、世間を読む勉強に変わります。世間を読むとは、浅草に二人を連れ出すことであります。レビューを見せ、路傍に店を出す人を見せ、ことあれば、二人に感想を求めたり、問いを投げかけます。文は、論語は忘れてしまったが、世情を見る眼を培ったとうれしそうに書いております。
 「流れる」という小説をあらためて読み直したくなりました。

鏡の中の鏡子さん

2005-12-02 | 文学
漱石の妻が悪妻であるとは、巷間囁かれることであります。しかしながら、小生は、生来のつむじ曲がりから、鏡子さんが悪妻であるとは全く思えないのであります。なるほど、漱石の作品に出てくる女性を取り上げて、嫂の登世であるとか、祇園の芸者であるとか揣摩臆測が飛び交っております。なれどそれは、読み手の勝手な解釈であり、かくいう小生の良妻説も勝手な解釈であると思ってくれて構いません。そうお断りをした上で、良妻であることを述べますれば、漱石が帝大の職を辞し、朝日の嘱託になり、作家として起つのを決断する際に、彼が頭を悩ませたのは、金でありました。帝大からの給金と朝日からの稿料、作家として起った時の稿料、印税、朝日からの給金を天秤にかけ、支出の面、とりわけ漱石に無心に来る産みの親の存在と鏡子さんの実家への仕送りに頭を悩ませたのであります。
 なるほど、鏡子さんは判事の娘であり、かたや漱石の出自は庄屋の娘でありますから、身分さと生活様式の違いに戸惑いを覚えたこともあるでしょう。文化は池の違いが時に、誤解を生むこともあったがゆえに、悪妻説が広まったのではと考えて見たりもします。
 作家としてたつべしと決断した漱石には「高蕩遊民」とは無縁の「生活人」としての見識が感じられます。そこには、妻への愛情も感じられます。それだけ愛されている女性が、勘違いをすることがあるでしょうか、あるかもしれません。
 なるほど、漱石死後、鏡子さんは、漱石の直筆のものをすべて捨てたり、人に譲ってしまったという挿話があります。漱石の才能を知らない無知な女という符牒を貼るには好都合の話であります。しかしながら小生はそれを持てるもののゆとりと考えます。紙切れ一枚よりも大切なものが自分にはあるという強みであります。
 鏡子夫人の「漱石の思い出」をあらためて読み返したくなる師走の日であります。
 お知らせ:二転三転しましたが、あらためてテンプレートを変えました。 

満韓ところどころ

2005-11-10 | 文学
  満韓ところどころはいつ読んでも、どこから読んでも面白いです。なんでも、国威発揚の意味もこめて、当時の名文家である夏目漱石に白羽の矢を立て、今で言うルポルタージュを書かせる目算であったが、漱石は見事に期待を裏切っています。
  一節を引くと、「佐藤はその頃頭の毛の乏しい男だった。それでみんなして佐藤のことを寒雀、寒雀といって囃した。当時、世は寒雀がどんなものか知らなかった。けれども、佐藤の頭のようなものを寒雀というのだろうと思って、いっしょになってからかった。」という青春譚もあれば、若き頃、漱石はボートをやっていたことも伺えます。
 また自分からかう場面も出てくる。漢字を尋ねられて、「文学者らしからぬ」答えをして、相手に呆れられたことや、英国人に貴公は何人かと問われ日本人だと答える。漱石は心中穏やかならずで、俺は何人に見えるのかと呟いてみせる。
 小生はこの話が好きで、何度も読み直しておりますが、毎回発見のある本です。
日本という国が日清・日露戦争に勝ち、満州へと進みどのような帝国を築いたのか、また現地にいる役人がどのような人物であったのかを漱石一流の筆致で描いております。そして、なによりも 「ここまで新聞に書いてくると大晦日になった。二年に亘るのも変だからひとまずやめることにした」という終わりです。
 「満韓ところどころ」は、ちくま文庫夏目漱石全集の7に納められています。

 

日本昔話復活に思う

2005-09-06 | 文学
 まんが日本昔話が11年ぶりに復活するという記事がありました。昔話は日本の文化であり、語り部も方言もなくなってきている。だからこそ、まだ間に合ううちに作成に踏み切ったと製作者の弁が書かれておりました。
 昔話を知らない親なら、とうの昔に存在しております。その親もこれを見るなり、読むなりして昔話を学ぶのでしょうが、悲しいかな戦後教育の毒された昔話は、もはや昔話ではありません。
 昔話には、人生の教訓を含んだものや、単なる語りで終わるものとあります。かちかち山は近年では、狸とウサギが仲良しになって終わります。狸はおじいさんとおばあさんに悪戯をすることになってます。狸はおばあさんを叩き殺し、それを料理しておじいさんに食わせるはずなのに。これを残虐といい、子供の教育に芳しくないといって改変されました。
 昔話は民話の側面も持っているので、方言の持つ豊穣性を知るには絶好の機会です。しかしながら、核家族で育った親には、おそらく自分の生まれたの県、地方の方言とても、もはや古語になっているものと推察します。
 小生の生まれた土地では、「さいかち」=くわがた、かぶとむし 「おっぴらく」=溢れる、「おつけ」=味噌汁、などの言葉がありますが、もはやこの言葉を交わすのも一部の人のみに限られてしまっています。
 時世時節だから、昔話の改変、死滅を嘆いたところで無駄かもしれません。ですが、復活した昔話は既に蝉の抜け殻に近いものなのでは考えてしまいます。なにが正調かと問われればそれまでですが。
 最後に2つ。一つは福武文庫から井上ひさし編の日本昔話(全5巻)で、文部省なりの配慮が入っていないものがあります。二つ目は、沖縄のある島に伝わる昔話 「昔 蛇がいました」というこれだけの話です。

文体と絵文字

2005-08-20 | 文学
 最近、休載がとみに多くなり、読者諸兄にはご迷惑をおかけ申し上げます。普段、読むものといえば、ルポルタージュや新書関係が多いので、たまに小説を読むと、どこかしら違和感を覚えます。それは「文体」という存在でありまして、総じて日本の小説、とりわけベストセラーと言われたり、新刊ものを読むと、「翻訳文体」の影がちらちらと見えてきて閉口させられることがあります。一口に翻訳文体とはなんだと問われても、即答しかねるのですが、加えて具体的にこういうものだと例示が出来ないところが、自分でも歯がゆさを覚えます。敢えて、いうならば修飾語の語順、リズムというものになるのでしょうか。
 一葉のにごりえ、たけくらべ、漱石の猫、草枕などが、声に出して云々という部類に入れられるのもむべなるかなと思う次第であります。つまり、声に出して今の文学作品を読むと、どうもしっくりこないのです。それ以前に声に出せないように思えるのです。
 かたや、新書の類でもうっかりすると、岩波文体が横溢していて、「要にして潔」ではなく、晦渋な用語と段落構成、加えて横文字を並べた類でありまして、読むのに徒に時間がかかり、読後は5行ですむことを一冊の本にしている。という事実に唖然とさせられることが度々です。
 かつて昭和軽薄体と呼ばれた、嵐山こうざぶろう、椎名誠、南しんぼう(?)などの文体は、その先にあった桃尻語の男性版とも言えなくはないのでしょうが、彼らの創出した文体は、いわば岩波文化などの権威の対極に位置するものではなかったのでしょうか。(少々大げさな表現でありますが)。
 さて、前置きが長くなりましたが、メールという手段に活用される絵文字の類であるとか、(・<:)の類が大人の同士のメールに入り込んできた今日では、翻訳文体(正確には1950年以降のもの)と岩波文体が「教書」となってしまった、さらにはそれが完成したのではと考える次第であります。そのように考えますと、声に出しての教書としてあげられたものは、岩波文化の対極にあるものと見る次第でありますが、これは少々、小生、飛躍しすぎかしらん。

枯淡の域の文 !?

2005-08-08 | 文学
えー、テレビをつけたら、解散だとか郵政民営化否決だとか訳のわからんことを言っておりまして、わしにはちっとも関係ねえやと思いつつも、暑さで干上がっておりますが、皆々様にはいかがお過ごしでありましょか。郵政民営化よりも遊郭公営化の方が、先じゃねえかばーろーと呟いていたら、耳だけは達者なばばあがこのくそ色ぼけ爺と毒づきやがった。へい、しいましぇん。こうしてちびた鉛筆をなめながら、小銭を稼ぎやす。わしみたいな三文役者には、仕事は回ってこねえから、こうしていろんなことに手エ出して、ついでにねえちゃんにも手エ出して生きていくのであります。
 お話は変わりますが、先日、ある駅前で盆踊りをやっておりました。東京音頭を何回もかけて、合間に炭坑節を入れてました。おめえら場所は、「ごんべえが種まきゃ、烏がほじる」が政調だろうがと思ったのであります。そんなことを考えているうちに、二本も電車をやり過ごしてしましました。おかげで、現場にはいるや否や、降旗の親父に目玉くらってしまいました。はっ、殿山上等兵、重営倉行きは覚悟の上でありますっ。
 いささか、面食らった方もおられるかもしれません。今回はあの怪優、名脇役の殿山泰二さんの文章を模倣してみました。「三文役者あなあきい伝」に始まり、ジャズの話と助平話の詰まった名文です。先ごろ、知人と食事をしていて、人生の計算を行いました。友人は学生時代から、毎年上高地に写真を撮りに行くそうです。かれこれ30年近くになるそうですが、寄る年波に勝てぬとやらで、あと何回、強行軍で写真を撮りにいけるかと数えていました。
 老人がいないと以前、当ブログで書きました。思うに、枯淡の味わいのある文も減っているのではないか。山田風太郎先生の「あと1000回の晩餐」(題名に自信なし)、荷風大兄の「癪風老人の日記」等、老いを嘆くでなく、肩肘をはるでなく、冷徹な視線で世相や自己の懊悩を淡々と述べる技がうらやましく思えるのです。少しく趣が異なりますが、養老先生もいい意味で人生を投げてます。
 立秋を過ぎ、気がつくと、熱帯夜にもかかわらず、草葉の陰から聞こえる蟋蟀の鳴き声に、先日の友人の声が重なった次第であります。小生の中で「正しい老人」なるものを作るとすれば、いかようになるかと自問しながら、ふと殿山泰二さんのエッセイを思い出したました。悪戯心が動いて、本日はかような文に相成りました。おっちゃん、しっかりせんかいなあ。

向田邦子

2005-06-06 | 文学
 6月から、教育テレビで太田光が向田邦子について語る。向田作品はどれを読んでも魅力的である。世相が書いてある。文化が書いてある。明治の男の習性が書いてある。その先は怖くてかけない。たまらず、出先で書店に駆け込み、何冊めかの「思い出トランプ」を買った。「思い出トランプ」には、彼女の随筆も載っている。
 「女が職業を持つ場合、義務だけで働くと、楽しんでいないと、顔が険しくなる。態度がケンになる。どんな小さなことでもいい。毎日何かしら発見し、面白がって働くと努力も楽しみの方に組み込むことになるからだ」
 毎日何かしら発見とはやさしいようでなまなかできない。欽ちゃんは、毎日決まった仕事しかしない弟子に、仕事の工夫を説いた。まずは自分のやりやすいようにというのを我慢して、相手が動きやすいように工夫しろ、それから自分のやりやすいように段取りしろと。
 洗濯機の発明家は、母の労苦を軽減したい一心で開発した。夢かなって、一家に一台、普及した。乾燥機、食器乾燥機と主婦の仕事は減るばかりである。単純作業と主婦になって嘆くが、何、社会に出ているときも同じである。仕事に対して段取りも考えなければ、工夫もしなかったから。専業主婦を侮蔑し、子育てを軽んずる、キャリア云々も同じ穴の狢である。電子メールにファックス、携帯電話と減った時間で何をする。食べることと遊ぶことに夢中になり、あげくダイエットに励む。
 義務だけで働く女性は今どれだけいるかわからない。おやじギャルに始まり、パラサイト云々などとあだ名されているのだから、義務で働いているのは相当居るのではと見るのは、生来のつむじ曲がりがなせる業か。
 片や、義務だけで働く女性に、「面白がって働く」喜びを仕込める男性がどれだけいるのか。周りを見回し、わが身に照らして考えると背筋が寒くなる。
 「女の物差しは二十五年経っても変わらないが、男の目盛りは大きくなる」とは前褐書の中にある「花の名前」の一節。
 利便な世の中になった平成の御世、女の物差しは相変わらずだが、男の目盛りはいかがなものか知らん。とはいえ、太田光がどう読むのか、大田流向田論を鶴首して待つ次第。

糟糠の妻 ホーソン

2005-05-26 | 文学
「妻を娶らば才長けて、見目うるわしく情けあり」とは「人を恋うる歌」の歌い出しであるが、才長けて情けある妻が当今、どれだけいるのか知らない。世に糟糠の妻といえば、山内一豊の妻である。山内一豊の話を知るものが少なくなったから、糟糠もまた死語になるかと危ぶんでいたが、来年の大河ドラマが山内一豊の妻になるとネット上で知り、糟糠は踏みとどまるかも知れぬ。
 糟糠の妻は洋の東西を問わない。ホーソンは「緋文字」で有名なアメリカの作家であるが、作家になる前は税関として生計を立ていた。仕事上で失敗を犯して、馘首される憂き目に遭った。作家としての才能に自信も持てぬまま、ただ夢を漠然と追っていた矢先の馘首である。愛する妻に困窮生活を強いるのは如何。馘首された事実を妻に告げると、良人の才能を信じる妻は、筆で立たんと薦めた。その間の生活費は良人が尋ねると、妻は莞爾として、一年分の生活費を貯めておいたという。
 かくして、ホーソンの「緋文字」は成った。緋文字は英語のscarlet letterをそのまま訳したもので、英和辞典を引けばその意味が出てくる。すなわち、ピューリタンの間で姦通を示した A(adultery) の文字のことで、物語では姦通を犯した婦人が緋色のAの文字を刺繍した服を着る場面がある。
 話し転じて、クリント=イーストウッド監督、主演の「マディソン郡の橋」では、メリルストリープとダンスをする場面で彼女は赤いワンピースを着ている。原作を読んでいないので、原作者の意図かイーストウッドの意図かわからぬが、赤い色のワンピースは、緋色を模したものであろう。イーストウッド自身、数回結婚しているから糟糠の妻はいるとはいえない。
 今週末より、イーストウッドの新作が公開される。アカデミー賞云々あるが、賞などはどうでも良い。あの渋い顔つきと艶のある声が聞こえるだけで、暗室へ足を運ぶ価値があると喧伝しておく。
 

早稲田文学 廃刊

2005-04-23 | 文学
 いささか旧聞に属するが、早稲田文学が廃刊し、フリーペーパーとして再出発する。年間1千万ほど大学からの補助金で隔月刊誌を発行していたと聞く。日垣隆氏の「売文生活」の中に筒井康隆全集の発行部数が書かれている。筒井康隆氏ほどでも、4万部という程度であるから、いかに小説というものが読まれなくなったのかがわかる。毎年、芥川、直木賞が発表されるが、ここ数年の受賞者を挙げられるものがどのくらいいるのだろうか。日々新刊が発行され、文庫化することは、それだけ別の文庫が押し出されることになる。10年ほど前、角川は復刻と題し、表紙も金装飾で絶版になっていた文庫を売り出した。角川の成功を見て、岩波が新書の復刻をして二匹目の泥鰌をとろうとしたが、その成果はいかほどか詳らかではない。
 物価の上昇と生活水準の向上を考えれば、文芸賞の賞金は安いと言って、ひとりサントリーミステリー大賞だけは高額賞金を出している。ミステリーなら売れるだろう。たとい売れ行きがそこそこでも、ドラマ化、映画化と転用が利く。遅ればせながらと芥川、直木も賞金を上げたが、あれは名誉賞だからといって、純文学だけは妙な矜持をみせて、踏みとどまった。文学を描く才能はどこへと慌てたところで、目端の利くもの、才知あるものは劇画、漫画の世界へ飛び込んでいった。劇画、漫画の頭打ちを感ずるや、ゲームクリエイターに転じた。
 一人の作家、一つの作品と出会い、本の世界を渉猟する機会なぞ持たぬ輩を作り出したのは教育だけではあるまい。早稲田文学は逍遥が興し、抱月が筆を振るった。ならば芋づる式に露風、緑雨、二葉亭、泡鳴と足跡を辿れるだろうに。二葉亭、岩野は文庫でもお目にかかるが緑雨はない。才知溢れる先人の健筆振りを真似て、真似て、真似てこそ新たな才能が開花するというのに。あてどもなく賞を出すのは何ゆえかしらと考え、あれも広告かと悟った。ならば「才能はどこへ・新人発掘」はキャッチコピーの類と思う今日このごろである。