笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

承前 総会顛末

2006-06-29 | 世相
株主総会についてもう一言。会社は誰のものかという問いが一時流行った。なるほど株主のものであるというのも一つの理屈なり、道理であろう。だが、昨日も述べたように会社は、やはりそこに帰属する社員のものでもあり、株主のものであろう。株主と会社の関係は親子の関係に似ている。金を出すから、ひとつ勉強して大学にでも行ってみろ。いわれた子供はその子なりに努力して、目標大学、もしくはそれに近いものへと受かるであろう。子供にしてみれば、勉強のやり方に口を出されるのが一番嫌であろう。本人は本人なりに考えて、どこぞから参考書なり、教科書を引っ張り出して勉強している。金は出してくれと頼んだが、勉強のやり方まで教えろとは言ってない。正論であろう。株主が親なら、会社は子である。してみれば株主総会とは、親子の対話の時間である。親は親なりに心配して小言を言う。言われた子供の方も方便を考える。一所懸命勉強し、身を立て名を上げ、世間が一目置く存在になったら、これまた親孝行で、更には親の面倒を見るという。
 言うことを聞かない子供をどうするか、叩くか叱るである。会社は利益を追求するが、良いことばかりして大きくなるはずがない。たまには道を外すこともあろう。そして人は道徳が大好きである。本音と建前を使い分ける。株主は会社に社会貢献せよと命じればいい。ぺんぺん草も生えぬほどに簒奪の限りをして、その利益を配当金と称して貰う。手塩にかけて育てたものゆえ、多少たりとも、その恩恵に浴して悪かなかろう。けれども寝覚めにいい心地がしない。道徳で結構である。世間さまにご迷惑をかけたら、それこそ堪忍袋を緩めるように、株主の特権とやら行使すればよい。
 大株主、筆頭株主になって、会社を意のままに操りたいというのアングロサクソン、狩猟民族の発想か。その考えは結構なようでいて、大変迷惑である。ダメな役員を馘首して、優秀なもの、血をいれるといえば、聞こえがいいが、なに、自分の言うことを聞かなくなった子供の頭を挿げ替えるという、デジタル思考である。
 企業買収、M&Aと耳朶には難解な言葉を重ねるところに、小悪党の浅箔さが見える。会社は誰のものかと聞かれ、真っ当な答えを出せなかったつけが日銀総裁の姿であろう。
 座っているだけでおあしが入ってくるなんて、名人志ん生でもあるまいし。バカ殿で結構。「苦しゅうないよきにはからえ」なんていえる大株主になってみたい。

  連絡:明日から3日ほど仕事の関係でお休みします。読者の皆様にはご迷惑をおかけします。ゆめゆめサッカーではありませんので念のため、これからタイマー録画の予約です。

総会顛末

2006-06-28 | 世相
 この時期、各社で株主総会なるものが催される。小生、百聞は一見に如かずとやらで、総会に出席したが。会社は誰のものという問いの解答が見つかった。総会とやらで、決算書の報告、今後の展望、役員の改選などが議題として取り上げられ、議事進行が恙無く行われていった。質疑応答の場面を見ていて、これは学級会、生徒総会の類とわかった。学級会、生徒総会なら、意見を求めて後日決定されるか否かが判明する。生徒手帖の校則なり、学級新聞に掲載される。めでたく意見が採用されれば、即日実行となり、新たな規則が重んじられるが、株主総会では一切そういうことはない。
 総会屋とグルになって、総会を早く終わらせようと画策した云々取り沙汰されるが、何、グルになって当然である。総会で出した意見が上手く応えられ、目出度く採用されることなどありはしない。一種のデモンストレーションである。頓珍漢な質問や、意見を述べられるよりも、ここぞ、これぞと衆人唸らせるものを出した方が面白いに決まっている。
 質疑応答に手を挙げる輩を見ていて、枕詞が長すぎる、要点を整理していない。もっとも話す当人が老人なので半分ぼけているのかと訝しく思ったくらいである。議長と呼ばれる役員は、それをメモして整理する。この時点で、発問者の負けである。自分を下げておいて、相手を困らせるという手法も見た。お生憎様で、相手には効いていない。持ち上げておいて落とすという手法もどこかで見た、聞いたようなものである。株主になって何年、初めてこの会に出てきましたがと始めて、会社の賞賛であるが、貴社の役員の不出来、学歴なぞを指摘するものもいた。
 歳をとってまで、意見を述べるのは、新聞の投稿欄に応募する輩と同じである。どこぞで今日の総会で、某社の社長相手にひとつぶってきたと気焔を上げているだろう。その姿は、自分の投稿が朝日で、読売で、毎日で、産経でと話しているのと同じと睨んだ。聞けば、同じ業種の株を持ち、その株主総会にも出る、出たと言っている。
 歳をとって意見を述べる、ひとくさり刺すなんてことをしたいなら、知恵を回して欲しい。総会なんて、役員といわれる輩の遊び心を見る場である。遊び心がわかるかなぞ賭け問答にしてみてはどうか。小生は会社側の説明にカタカナ語の羅列があったのには閉口した。その企業の中で、「見える化」が流行っているというから笑える。
 お土産があるのかしらと期待していったが、お土産は学級会を体験できたということである。そうそう、どうせなら役人名も副社長とか、専務とかいうのよりも、二番番頭、三番番頭、丁稚頭なんて名にしてくれたら、妙に商売人らしくて面白いのに。そうすれば、小生も、あんまり銭儲けばかり考えていると三井みたいになっちまうよなんて言えるのだが。

魚獲り

2006-06-23 | 時事
一部のものにはワールドカップが終わったことだろう。マスコミの大本営発表に閉口する記事は多く見かける。小生もご他聞にもれず、本欄で申し上げた。一人二宮清純氏だけが、テレビで苦言を呈しているのを見たとも書いたはずである。本戦に出場できないことがわかってくると、再び、週刊誌、何とか評論家の類は、棒組みの新聞テレビ報道に苦言を述べている。大本営発表そっくり、サッカーという球技は日本人に合うのか、日本人の好みに合うのかという類である。バブル時代の文芸評論家の文体を模倣し続けて飽き足らぬ、テレビ評論家の言葉に、サッカーは不確定要素があるからというものを見つけた。恐らく、不確定要素があるからつまらぬという内容であろうが、スポーツ、人生は不確定要素の塊である。不確定要素があるからというなら、いっそのこと降りてしまえばよいと、つい我知らず書面に呟いてしまった。
 日本人の好み、日本人の体型云々なら、オリンピック終了後にも見た、冬季オリンピック終了時にも聞いた、そして前々回のフランス、更には予選落ちしたアメリカ大会の時にも聞いた。言っていたのは同じ人物であろう、そして前回の日韓大会、先日のトリノでは、声を挙げて日本人の活躍を誇っていただろう。マスコミで禄を食むとはこういうことである。思えば、新聞、テレビも辛かろう、冷静に見れば勝てるわけなぞないのに、あちこちからネタを拾ってきて、勝つ見込みありと持ち上げなければ、高い金を出して放映権を購入した甲斐がない。仕入れ値が安くて、ばんばん飛ぶように売れれば何の苦労もあるまいに。しかしワールドカップ、オリンピック、水泳と、世界だか国際だかを冠した連盟に払う金は莫大である。その姿は先ごろ捕まった何とかファンドである。出資者をなんとか説得し、顧問に名のある名士をいれ、絶対に視聴率が取れます。宣伝効果大であると説き伏せて、いざ放映したら、野球並みの視聴率では済まされまい。ここは一番大本営であろうが、戦時高揚歌であろうが使えるものは何でも使えである。
 正確な名称は忘れてしまったが、水の中で大きな音を立てて、魚を失神させて、水面に浮かび上がってきたところを獲る漁がある。つまるところ、本日は水中で大きな音を立てた、後は、今週から来週にかけて静かに新聞、テレビ、週刊誌の類を見ることだけである。舌の根も渇かないうちに、日本人の軽佻浮薄さ、周りに影響されやすいとか、どこかで聞いたような台詞を書き連ねる「作家」、「評論家」が浮いてくるだろう。
 小生、日本戦はどうでもいいのですが、敢えて日本が強くなるにはという方に申し上げてるのが、ブラジル人ではダメだから、駅伝のようにアフリカ大陸の輩を連れてくればと。絵無簿魔とか泥愚馬とか絵武江とか得意の当て字で帰化させたらよかろうに。もっともエムボマやドログバ、エブエのような立派な人が帰化するとは思えんが。小生は不確定要素が強く出る試合を見たいと願いつつ、今日も操作ボタンを押している。

生活構成力

2006-06-21 | 世相
読者の皆様にはわからないでしょうが、ここ数日アクセスが面白い動きをしておりまして、小生が駄文を打ち込むとアクセスが減り、何も書かないとアクセスが増えているという事態であります。「ほんならわしゃ、何も書かんほうがええんかい」と笑ってしまいました。
 小生の友人に「壊し屋」なる異名を持つ女性がおります。サービス業に勤務しており、昨今の不景気を繁栄してか、店舗の統廃合を社内で粛々と進める仕事をしておりまして、連日現場と会議室の往復らしいのです。各支店の支店長が集まって統廃合にあたって、いかに新しい方法なり、仕事の流れを作っていくかを話し合っているそうです。彼女は、その中でも若手でありまして、40代50代のおじさんが相手ゆえに甲論乙駁することしばしば、それでも根気よく相手の話を聞いてみると、今後の展開よりも、今の自分の立場、流儀に固執しているだけで、会議の前提である、統廃合の主旨を解りかねているようである。そこで壊し屋の異名を持つ彼女は、噛んで含むように話すというやり方ではなく、一直線に真っ向から相手をつぶしていくのだそうです。元やんきーならではのドスの聞いた声で、ぐいぐいと話を進め、貴方の立場なんかどうでもいいの、問題は売り上げが下がって、予算がこれしかなくて、そういう逼迫した状況で、あなたは何をしてくれるのかと問うていくそうです。その方法で既に三人の男性が、病院送りになっていったと言っておりました。
 生活構成力とは、生活の中で、優先順位を素早くつけて、一日の自分の生活をいかに快適に、要領よく進めるかであります。余った時間で何をするではありませんが、仕事と生活の雑務、様々な面倒を自分の頭の中で計算していく力がなければ、いつまでも自分の立場、地位、流儀に固執せざるを得ません。生きていればこそ、日々平穏というわけにも行かないはず。大は、家人が病を患ったり、急な出費、小はゴミだし、天候の変化と上げていけば枚挙に暇がありません。それらをその場その場で臨機応変に対処する心構えを日常の中でどれだけ意識して鍛えるかが、小生大切なのではと思っておる次第であります。ところがあにはからんや、世情、挙って温室状態であります。受験に専心、仕事に専心、ひとつの事だけやっていれば文句が無いという風潮であります。手軽にすます方法ばかりを追っかけて、じっくりと考えるということもしません。
 先の会社では、支店長がうちの支店では、うちの支店では、という言葉が二言目には出てくるそうであります。彼女は、返す刀で、その支店がなくなんだよと一言。所詮、世の中ダメと無駄です。それを客観視できない生活力の無さを、養老先生は、「バカの壁」と呼んだのでありましょう。
 古人曰く「鉄は熱いうちに打て」と、「濡れ落ち葉」「第二の人生」と名前を貰って喜んでいるようじゃ、三十路過ぎの小娘に小ばかにされても仕方ありません。小生は、小ばかにされないように、木刀の一振り購入してきました。

蹴球の見方

2006-06-20 | Weblog
連日、熱戦が続いております。為に本ブログも更新が滞りがちであります。先日、サッカーのユニフォームの話になりまして、いまやユニフォームは、ナイキ、プーマ、アディダス、もう一つの会社になってしまったということです。ところで、過去優勝国のユニフォームは、なぜか赤い色が無いという話を聞きました。勿論、ホームのユニフォームであります。優勝国といっても7カ国しかないので、それがどうしたといわれればそれまでのお話です。ブラジルの黄色、イングランドの白、アルゼンチンの水色と白、ドイツの白、フランスの青、イタリアの青、ウルグアイ(色を失念)であります。日本は青で、お隣韓国は赤であります。今大会も赤いユニフォームで健闘をしているチームはあります。韓国に、スイスであります。赤いうにフォームが優勝国になるのはいつのことでしょうか。
 ところで、先のクロアチア戦で、中田選手が、勝てる試合だったが相手に合わせてしまったというコメントを述べておりました。この「相手に合わせる」という表現に、小生の日本人の心性を見つけたように思えるのであります。俗に日本人は順応性が高いと言われています。海外旅行に出かけるにも、当地の言葉を気にし、当地の言葉でダメならば、せめて英語くらいは通じやせぬかと心配します。小生の狭い見聞の範囲で申し上げれば、異国の民が日本に来る時に心配するのは、治安の良さであり、言葉の心配をしないということであります。また日本語が特殊な言葉と刷り込まれているのか、日本語を話せない異人に対しても親切であります。日本のサッカーを見ると、相手に合わせて闘うという日本人の心性が働いているのではないかと疑ってしまいます。練習試合とはいえ、ドイツ相手に健闘し、本戦が始まるや、あのていたらくです。相手の信条、プレイスタイルに翻弄される姿には苛立ちを覚えるのであります。その苛立ちとは、チームの技術力というよりも、凡戦に堕してしまう試合運びであります。試合巧者とは程遠いものでありますが、謙譲の美徳というか、気配りというか、何もそこまで相手に卑屈にならなくても、堂々と自分たちのやりたい事をやればいいのにと思うのです。
 謙譲も度を越せば卑屈になります。もう少し我を張るというか、相手を呑んでかかるという度胸というものが欲しいものであります。
 そういえば、米国ではサッカーは丸太投げよりも低い位置に人気度が置かれているという話を仄聞しました。クリントン政権で少しは変わったのかなと思うのですが、米国でサッカーが不人気なのは、本土を追い出された連中が本国のスポーツには勝てないというトラウマが生きているのではと考えます。ラグビーを変えてアメリカンフットボールを作ったのは凄いなんていいますが、試合の途中でタイムを取って作戦を立て直すなんて小生には考えられません。古人曰く、人生は不断の連続である。

入ります

2006-06-18 | 歳時記
毎年、これからの時期が憂鬱になります。これも偏に冷房というやつであります。小生、生来冷房が苦手でありまして、冷房の冷気に当たっていると肘や肩が痛くなりまして、偏頭痛までするという始末であります。齢を重ねるにつれて、その症状は酷くなりまして、昨日なぞは電車に30分弱乗っただけなのに、床につくと肘が熱ぽくなっていました。昨年は巷間クールビズとやらで冷房機の温度を上げましょうと合唱してくれたおかげで、少しは人心地つけたような気がしますが、この時期は、湿度と高温のため、気がつかぬうちに、温度が25,24,23度にと下げられておりまして、「いくら、中身が空っぽのように見えても、こちとらすいかじゃあねえんだあ」と啖呵の一つでも切りたくなります。切ったあとで、どれどれとお頭でも叩かれたら、ご愛嬌でありますが。
 梅雨の鬱陶しさは、傘の重さにもあります。傘を持ち歩くという行為が、これまた歳を重ねるごとに億劫になりまして、毎朝、曇天を睨んでは、心の中で「お竜さんの一声」を呟きまして玄関先の傘立て無視したり、折り畳みを下駄箱の上に置いたままにして出かけます。傘を差さない欧米人ではありませんが、高温多湿の日本では傘を差さずにいることは無理というもでありましょうし、勤勉を旨とする同胞の中では、雨宿りをすることが憚れるというものなのでしょうか。
 近所の梅の木では、青梅が、枇杷の木には枇杷の実がたわわに実っております。うらめしい雨でありますが、雨が降ればこそであります。傘やとお百姓さんの一息と思い、今日も「勝負」と呟き仕事場に向いました。

桜井長一郎

2006-06-17 | 映画 落語
俗に声帯模写なら、松村邦浩、原口まさあき、コージー富田辺りが近頃の相場であろう。古くはロッパもいたし、小生の思い出に残っているのは桜井長一郎先生である。流行の駅中で、CDの廉価版が売られており、そこで桜井先生のものを見つけた。時間にして20分弱であるが、福田、三木、田中、と三角大福の声が聞こてくる。渡辺美智雄も入っていた。桜井先生で覚えたのは、大河内伝次郎、進藤英太郎、阪妻に、嵐寛である。森繁もやっていた。三船も出てきた。森繁、三船はリアルタイムで見ていたから、その声に驚かされたが、後年といっても、小学生の頃であるが、阪妻、大河内を見て、桜井先生の声を真似ていると思うほどであった。
 桜井先生で、政治家の声を真似る芸人はテレビでお目にかからない。最近では、松村が、鬘を被って小泉某の物真似をしているが、その他の政治家は出てこない。麻垣康三だか、安竹しょうだか、忘れたが、どれも小粒で強烈な個性氏がないからか、それとも真似でもすると腹を立てる小心者の集団なのか、はたまたマスコミ得意の自主なんとかか、ねたにならない。コントニュースペーパーだったと思うが、寸劇で政治風刺をやっているが、これもまたメディアに乗らない。
 数年前にブラウン管では芸をやらない、舞台芸人を下北沢まで足をはこんだが、角栄の物真似をやっているうちに、客があまりに引いているので、田中角栄について語りだしたのは笑えたが、あとでぞっとした。笑いは知性の証だと訳知り顔でいる観客の馬脚が見えて、これは遠からずこの芸人をダメにするだろうと暗澹たる思いで、小田急に乗った。かくいう小生も、ロッパの物真似には追いつけない。固有名詞はわかっても、その人物の声を聞いていない。その所作を見ていない。人の振り見て、我が振りである。
 議員の質、個性が落ちたのか、芸人の質が落ちたのか、杳として知れないが、国会答弁が堕した分だけ、笑いの種にならなくなったというのが真相だろうか。
 久しぶりに聞いた桜井先生のだみ声に、思わず口と顔を動かしている。

式守、木村が相撲にはいる

2006-06-14 | 時事
日々の更新が滞っておりまして、みなさまにはご迷惑おかけします。ワールドカップを、クシャミ先生に言われたように、録画しては確認、時にはライブで観戦しておる次第でありまして、ブログどころじゃないという状況であります。というのは詭弁でありますが、観戦して思うのは、審判の技量がいかに大切であるかということです。スウェーデン対トリニダードドバコ、ブラジル対クロアチア戦を見ていますと、審判が前半はめったなことで試合の流れを止めないのです。サッカー、ラグビーの面白さは、広いコートを縦横無尽に使うこと、攻守が一瞬で切り替わることです。今ボールを持って敵陣へ駆け込んだと思ったら、いつの間にかボールが敵の手に渡っていた、右に右にとボールが向ってくるかと思えば、大きく左に弧を描いて跳んでいく。手動のサッカーゲームが面白いのは、レバーをひねりながらも、気がつけばボールがあらぬ方向に行っているからで、予想外の動きに興奮するのであります。別に日本を贔屓するわけではありませんが、日本対オーストラリア戦では、審判が凡庸で、ゲームをとめたりとめなかったりして、試合の流れが上手く進んでいるように見えませんでした。
 名人は名人を知るではありませんが、実力伯仲は対戦相手だけではありません。やはり審判もそれなりの功なり名のある人物でなければいけません。古来わが国の剣術の試合においては、審判もその道の達人でありました。相撲では幕内、三役、横綱戦になれば、式守、木村の名をもらった行司が登場します。
 サッカーの審判にも、相撲の行司のような階級制度、襲名制度を導入したらどうでしょうか。名選手が監督になるのは当たり前のようですが、名選手が審判になるというのも面白いのでは。

丸く収めてお後がよろしいようで

2006-06-09 | 時事
いよいよワールドカップの開催であります。日本のマスコミの狂騒ぶりを無視して、静かにサッカー観戦に臨みたいと思っております。友人にサッカーに詳しい人がおり、浅学菲才の小生にはよい指南番であります。そこで、専門雑誌やらを買い込んできて、どの試合が期待できるか、試合の見所なぞを尋ねているわけですが、クシャミ先生ならぬ、その友人は、つべこべ言わず全部見なさいと。ハードディスク内臓の録画機を購入したのだから、存分に使うべしとのことでありました。小生、自らの貧乏性に頭を掻く始末です。ところで、番組一覧表を眺めて、気がついたのですが、買い付けに失敗したのではという民放の番組があります。例えば、11日のメキシコ対イラン、TBSです。逆にいい買い物をしたのがテレビ東京、13日のブラジル対クロアチア、フランス対スイスであります。この辺りの先物の読みは、サッカー番組の老舗、テレビ東京の凄さでありましょうか。世界の何とかと連呼するアナウンサーがいる局は、以前からスポーツには才がなく、フジが捨てたバレーを買ったりして、儲けにつながらないことばかりしておりましたが、サッカーでも同じことを繰り返しております。
 対戦が見ものなのは、イラン対アンゴラであります。6月21日という試合日程から、予選D組の決勝リーグ進出組みが決まっているかもしれないし、当確上にいるかもしれないという、誠にもってスリリングな日程であります。前者なら両者ともやる気喪失の試合、後者なら必死の形相で血で血を洗う戦い、もしくは、せめて一矢報いたいと気合の入った試合になるのかもしれません。浪花節ではありませんが、どちらも内戦、戦から復興しつつある国、苦労を一身に背負い芝の上に立つ勇姿に涙を誘うものがあります。またイランの大統領は、仄聞したところでは、ユダヤ人の虐殺はなかったと主張する「健康な精神」の持ち主であると。ドイツとしては入国は極力避けたいのが本心でしょう。ただし、この大統領が訪独するのは、イランが一次予選を通過したらという条件であります。
 更には、次回のワールドカップのアジア選考枠が、今大会のアジア勢の活躍にかかっております。わが国の代表の活躍もさることながら、隣国の韓国、イラン、サウジアラビアの国々にも健闘して貰わなければ、益々アジアと欧州、南米との格差が広がってしまいます。
 五輪も世界各国の選手が競い合いますが、金さえあればの大会であります。不謹慎を承知をで申せば、歴史的、政治的背景が明確に表れる蹴球の世界大会こそ面白いものはありません。ドイツ対ポーランド、イタリア対アメリカ、フランス対トーゴなんて怖くて何も喋れません。勝っても負けても、扱うのが球ゆえに、万事丸く収まることを希望して、眠れぬ夜を過す予定であります。お粗末さま。

親子

2006-06-07 | Weblog
昨日は暗い世相になってしまった。コメントを戴いた方には、この書面にてお礼を申し上げます。先々を読めない大の男ばかりで、女も苦労するだろう、それともほくそ笑んでいるのか知らん。恐らくは後者だろうと睨んでいる。第一、道行く二人連れを見ていて、たまにぎょっとする。荷物を女に持たせたり、電車に乗れば、女よりも自分が先に座っていたり、小生の心持ちは穏やかならぬものである。そういう風に勘違いさせている女も女である。
 さて、お話変わって近所に職人がいる。どうもサンドラ煩悩の道楽ものであるらしい。けれども、話の内容は飲む打つである。そこの倅が親に似ずにこれまた刻苦勉励、勉強に精進する誠にもって感心な子である。親父も自分に似ないでよかったと安堵する自慢の子である。今年小学三年生になる男の子であるが、親父によれば夜遅くまで勉強しているという。本を読んでいるという。どこで覚えたのか遺伝の話を問わず語りで親父にして、「自分が勉強できないのは父ちゃんの血が半分入っているからかな」と呟いた。親父は負けずに、「お前の努力が足りねえからだ」と叱咤すると、暫時間をおいて、「父ちゃん、大怪我したら、血がいっぱい出るだろう、そしたら父ちゃんの血が流れ出るかなあ」と。親父は一本取られたと利発なわが子の自慢をしてくれた。小生、呵呵大笑して、「おとっつぁん、でも世の中そんなにうまくろこがらねえんだあ」と言ってやったかいと親父に返してやった。
 まるで、「よかちょろ」の一場面である。もっとも「よかちょろ」は亭主と女房の間でわが子の不出来を嘆くのであるが。よかちょろよりも真田小僧か、いずれにしても、親の鼻を明かす子供は逞しいし、頼もしい、一方で子供の上手を行く大人も面白い。わかって一本盗らせる親か、わからずに盗られる親か、一本もとれない子供を育てる親か、それとも一本も盗らせない親か、親にもいろいろあるが、願わくばわかって一本盗らせる親と会話したい。
 古人曰く、嘉平の子は嘉平と言った。