震災後、「文筆家」の類いが言葉の無力さを痛感していると心情を吐露していた。文才の有無に関わらず、あれだけの災害を眼前にして、言葉が出てこないというのは本音だと小生は感じる。ようやく、数ヶ月経って、震災の全貌が見えてきた時、日本のあり方、日本人の在り方を問う随筆、小説が出てきた。小生思うに、こんな時こそ改めて池波作品をお勧めしたい。池波作品は数々あれど、小生がお勧めするのは、真田騒動記「恩田木工(おんだもっく)」である。
真田家のぼんくら殿様とそれにたかる家老 原八郎五郎 の専横をいかに壊し、かつ幕府からのお家お取り潰しの危機から逃れるかという、戦さのない時代の戦さ話である。主人公恩田も家老、原も家老、かつてはともに新しい治世を目指した朋輩であった。先代に仕えた家老どもの「老害」を打破し、代変わりした殿様とあたらしい真田家を作ろうと。ところが、殿様も原も権力を手にしたとたん、その魔力に勝てず、領民を弾圧し、年貢を厳しく取り立て、賄賂に、遊興と堕落の道へと落ちてしまう。時の幕府(吉宗から家重の時代です)にその内情が知れたら、お家断絶、領地没収は免れない。しかも真田藩の領内には「天領(幕府直轄地)」もある。いつ、お家の事情が密告されるとも限らない。加えて、藩の財政は逼迫しており、乾いた雑巾を絞ったとしても、生きた金を作り出すことは不可能に近い話である。領民、下級武士の不満は鬱積していき、爆発寸前のところまで来ている。刀で、ものを言わせるのは簡単であるが、恩田は血を流すことを厭う。血を流さずに、万事修めることはできるか。恩田の周りの家老を始め奉行に至るまで原の息のかかったものばかりである。四面楚歌とはこのことであろうか。頼りになるのは遠く江戸の藩邸にいる塚田理右衛門だけである。恩田はいかにして原一派を一掃し、暗愚となられた殿様を政治の舞台の一線から退かせることが出来るか。
「血を流さない」という一文は、ながい物語の中で一度しか出てこないが、この物語はこの一文のみで書かれているかのように小生は思えた。文字通り暴力による解決だけなく比喩としての解決策として「血を流す」ようなことが上手に忌避されている。池波先生の人を、世の中を、世の中の仕組みを見る目が存分に発揮されている作品の一つと小生は感じた。インターネットの掲示板に踊る文字。大阪の選挙。政府の原発、震災に対する対応、なにか目に見えない黒い霧が世の中全体を覆っているようで、早く霧が晴れないか、霧を吹き飛ばす術はないのかとせっかちになっている今の日本、正確には小生の心情には池波先生の本作品は、「いい大人が子供じみたことをお言いでないよ、大人ならこの程度の知恵ぐらいお使い」と語りかけてくれている。
噺の枕に、「働くとは傍を楽にするから、はたらくというんだ」とある。ワンピースという漫画で主人公が絶望の縁に立った時、傍らにいたキャラクターが。主人公に問う「お前に残されたものは何だ」と、主人公は涙ながらに「仲間」と答える。池波先生は、「おれ達の一生が、おれ達の後につづく人々の一生を幸福にもするし、不幸にもする。主米、はたらこうな」と恩田木工に言わせている。