「ああ忙しい、忙しい」 「どうしたんです、大家さんそんなに慌てて」 「おや熊じゃないか、おまえも支度しといておくれ」
「支度ってなんです」 「なんですじゃないだろう。おまえ。家移りだよ」「へっ、家移りですって」 「ああ、お前なんかに構っていられない程、あたしゃ忙しいんだ、さっさとあっちへ行っとくれ」
「ちょ、ちょっと待っておくんなさいよ。いっていなんでそんなに忙しいんですよ」
「何って、おまえ、表通りにある、乾物屋、あそこの店には出て行って貰うんだよ、溜ったゴミを捨てなきゃいけないし、長屋の連中にも出て行って貰うように言わなきゃいけない、さっきも言ったように、熊、お前もだよ」「大家さん突然何を言い出すんで」
「何をっておまえ、お前達がこの長屋に越してきた時の証文を見なかったのかい」「ああ、あれですかい。おっかあと二人で読みましたよ。仮名が振ってあったから、読みやすかったですよ」「だったら、読んで判ったろ、今年は三年だよ」「三年って」
「お前達がこの長屋に来て三年だよ」「ああそうですかい。月日が経つのは速いもんですね。大家さん覚えてやすかい、家の隣りの金坊、ここに来たときゃ、まだ乳飲み子だったけど、今じゃいっちょめえに口利きやがる、親父の真似して天秤棒担いで遊んでますよ、もっともほんもんは無理だから、どっからか、めっけてきた棒切れですけどね」
「なにを呑気な事を言ってるんだお前は、さっきも言ったように、三年経ったんで、お前さん達には立ち退いて貰うんだよ」
「へっ、立ち退きって」
「だから言ったろ、証文読んだかって、その証文には三年経ったら出て行く、その代わりに店賃は、相場の三割で貸すということが書いてあっただろう」「ああ、あれですかい」「そうだよあれだよ」
「でもあっしのところはかかあ、あっしだけですが、金坊のとこは、金坊に、今年生まれたおかよ坊、おかみさん、それに義理のおっかさんと五人所帯ですよ。そうおいそれとは、家移りなんて」
「なんてもはってもないんだよ、とりきめは、とりきめ、お前達には今月中に出てってもらうよ」
「そんな、大家さん、因業な」「ああ、あたしゃ、因業だ、近所でも因業で通ってるんだからね。とにかくお前なんかに構っていられないんだよ、住んでる奴の中には、気鬱だ、億劫だなんて言い出す奴もいて」
「大家さん、そんな事言わないで、あっしも口が滑った、申し訳ない、すまないから、もうちょっと待ってくださいよ」
「何を言ってるんだい、お前達が着の身着のままここに来た時、あたしがどんな思いで手助けしたか、それを人の親切につけ込んで」
「つけ込むなんてことは微塵もないです、あたしら大家さんのことを地獄に仏だと思いましたよ、足を向けて寝られないとも今でも思っていやすよ、ただ目処がつくまで待っておくんなさいとあっしは言っているんですよ」
「じゃあ、きくが、その目処というのはいつなんだい、明日かい、来月かい、来年かい、さあ」
「そう言われてもはっきりと言えませんが、それでも一日も早くとこうして朝から晩まで真っ黒になるまで働いているんですから」
「真っ黒だろうが真っ白だろうが、そんなことはどうでもいいんだよ、とにかく、お前達には出て行って貰いますよ、それにゴミも捨てなきゃいけないんだし」「大家さん、あっしらよりもゴミ捨てがでぇじなんですかい」
「ああ、そうだよ、このゴミがうっかりそこらにうっちゃれないからだよ、お前、長屋の奥の空き地にゴミがあるのを知ってるだろう」 「ああ、ゴミ山ですかい」「そうだよ、ゴミ山だよ、立て札を差して人が入らないようにした、ごみだよ」
「あのままじゃ、ダメなんですかい」「ダメだから、捨て場所を探しているんだよ」
「でも、大家さん、そんなに急かなくても、まだ三年ですよ」
「何をいってるんだ、三年経って子なきは去れ、石の上にも三年、三年寝太郎、なんでも相場は三年と決まってるんだ」
「おおやさん、最後の寝太郎はちょっと無理があるんじゃないですかい」
「五月蝿いねえ、何でもいいだよ、三年経ったんだ、それに今年はの町内の本祭りがあった、世間の連中はのんびりしてるから、祭りだ祭りだと騒いで、お前達が越してきた事も忘れている。さあ、お前も仕事なんかしてないで家移りの準備をしておくれ」
「でも大家さん、桃栗三年,柿八年っていうじゃありませんか」「なら、尤もだ」「尤もってのはどういうことです」
「お前、この長屋に職人は何人居る」「えっと、あっしをいれて、ひい、ふう、みいのと八人です」
「職人なら股引はいて仕事するだろ」「そりゃ褌一丁なんていきませんから」「だから桃栗のももがあるだろう」
「金坊の親父は物売りですぜ」「ばかやろう、金坊の親父が商っているのは、ももだろう」
「そんなあ、大家さん、こじつけじゃないか」「なに言ってやがる、お前が言い出したんだろうに」
「それじゃ聞きますが、おかねばあさんはどうです、亭主に先立たれて、何もしてやせんよ」
「ああ、あのばあさんは、元はつくり酒屋というじゃないか」
「さあ、さあ、とっと帰って支度しとくれ」
「ちょ、ちょっと待ってください、じゃあ、長屋の連中が互いの亭主、女房についてなんて言ってるか知ってますかい」
「それなら、お前達はよれば、女房は不作だ、不作だと言ってるし、長屋の女房連中は、井戸端でしょっちゅう亭主はろくでなしで、
不作だと漏らしているよ、あたしゃいつも不思議だったんだ、あれだけ悪い口言ってよく一つ屋根の下に暮らせるなあと」
「そう、それです」「それですと言って、熊、おまえ何をにやにやしてやがるんだ」
「大家さん。あのね、桃栗の続きってご存知ですかい」「馬鹿のびわの木10年だろ」「いや、その先です」
「その先、その先なんてあるのか」 「その先ですけど女房の不作は六十年、亭主の不作は一生ですよ」「ううう」
「だから大家さん、三年まけて、あと向こう五十年はお願いします」
「なら、おかねばあさんだけでも出て行ってもらうことにしようか」
「あ、それならダメだ」
「何がダメなんだ、おかねばあさん、亭主で苦労したらしいから」
「支度ってなんです」 「なんですじゃないだろう。おまえ。家移りだよ」「へっ、家移りですって」 「ああ、お前なんかに構っていられない程、あたしゃ忙しいんだ、さっさとあっちへ行っとくれ」
「ちょ、ちょっと待っておくんなさいよ。いっていなんでそんなに忙しいんですよ」
「何って、おまえ、表通りにある、乾物屋、あそこの店には出て行って貰うんだよ、溜ったゴミを捨てなきゃいけないし、長屋の連中にも出て行って貰うように言わなきゃいけない、さっきも言ったように、熊、お前もだよ」「大家さん突然何を言い出すんで」
「何をっておまえ、お前達がこの長屋に越してきた時の証文を見なかったのかい」「ああ、あれですかい。おっかあと二人で読みましたよ。仮名が振ってあったから、読みやすかったですよ」「だったら、読んで判ったろ、今年は三年だよ」「三年って」
「お前達がこの長屋に来て三年だよ」「ああそうですかい。月日が経つのは速いもんですね。大家さん覚えてやすかい、家の隣りの金坊、ここに来たときゃ、まだ乳飲み子だったけど、今じゃいっちょめえに口利きやがる、親父の真似して天秤棒担いで遊んでますよ、もっともほんもんは無理だから、どっからか、めっけてきた棒切れですけどね」
「なにを呑気な事を言ってるんだお前は、さっきも言ったように、三年経ったんで、お前さん達には立ち退いて貰うんだよ」
「へっ、立ち退きって」
「だから言ったろ、証文読んだかって、その証文には三年経ったら出て行く、その代わりに店賃は、相場の三割で貸すということが書いてあっただろう」「ああ、あれですかい」「そうだよあれだよ」
「でもあっしのところはかかあ、あっしだけですが、金坊のとこは、金坊に、今年生まれたおかよ坊、おかみさん、それに義理のおっかさんと五人所帯ですよ。そうおいそれとは、家移りなんて」
「なんてもはってもないんだよ、とりきめは、とりきめ、お前達には今月中に出てってもらうよ」
「そんな、大家さん、因業な」「ああ、あたしゃ、因業だ、近所でも因業で通ってるんだからね。とにかくお前なんかに構っていられないんだよ、住んでる奴の中には、気鬱だ、億劫だなんて言い出す奴もいて」
「大家さん、そんな事言わないで、あっしも口が滑った、申し訳ない、すまないから、もうちょっと待ってくださいよ」
「何を言ってるんだい、お前達が着の身着のままここに来た時、あたしがどんな思いで手助けしたか、それを人の親切につけ込んで」
「つけ込むなんてことは微塵もないです、あたしら大家さんのことを地獄に仏だと思いましたよ、足を向けて寝られないとも今でも思っていやすよ、ただ目処がつくまで待っておくんなさいとあっしは言っているんですよ」
「じゃあ、きくが、その目処というのはいつなんだい、明日かい、来月かい、来年かい、さあ」
「そう言われてもはっきりと言えませんが、それでも一日も早くとこうして朝から晩まで真っ黒になるまで働いているんですから」
「真っ黒だろうが真っ白だろうが、そんなことはどうでもいいんだよ、とにかく、お前達には出て行って貰いますよ、それにゴミも捨てなきゃいけないんだし」「大家さん、あっしらよりもゴミ捨てがでぇじなんですかい」
「ああ、そうだよ、このゴミがうっかりそこらにうっちゃれないからだよ、お前、長屋の奥の空き地にゴミがあるのを知ってるだろう」 「ああ、ゴミ山ですかい」「そうだよ、ゴミ山だよ、立て札を差して人が入らないようにした、ごみだよ」
「あのままじゃ、ダメなんですかい」「ダメだから、捨て場所を探しているんだよ」
「でも、大家さん、そんなに急かなくても、まだ三年ですよ」
「何をいってるんだ、三年経って子なきは去れ、石の上にも三年、三年寝太郎、なんでも相場は三年と決まってるんだ」
「おおやさん、最後の寝太郎はちょっと無理があるんじゃないですかい」
「五月蝿いねえ、何でもいいだよ、三年経ったんだ、それに今年はの町内の本祭りがあった、世間の連中はのんびりしてるから、祭りだ祭りだと騒いで、お前達が越してきた事も忘れている。さあ、お前も仕事なんかしてないで家移りの準備をしておくれ」
「でも大家さん、桃栗三年,柿八年っていうじゃありませんか」「なら、尤もだ」「尤もってのはどういうことです」
「お前、この長屋に職人は何人居る」「えっと、あっしをいれて、ひい、ふう、みいのと八人です」
「職人なら股引はいて仕事するだろ」「そりゃ褌一丁なんていきませんから」「だから桃栗のももがあるだろう」
「金坊の親父は物売りですぜ」「ばかやろう、金坊の親父が商っているのは、ももだろう」
「そんなあ、大家さん、こじつけじゃないか」「なに言ってやがる、お前が言い出したんだろうに」
「それじゃ聞きますが、おかねばあさんはどうです、亭主に先立たれて、何もしてやせんよ」
「ああ、あのばあさんは、元はつくり酒屋というじゃないか」
「さあ、さあ、とっと帰って支度しとくれ」
「ちょ、ちょっと待ってください、じゃあ、長屋の連中が互いの亭主、女房についてなんて言ってるか知ってますかい」
「それなら、お前達はよれば、女房は不作だ、不作だと言ってるし、長屋の女房連中は、井戸端でしょっちゅう亭主はろくでなしで、
不作だと漏らしているよ、あたしゃいつも不思議だったんだ、あれだけ悪い口言ってよく一つ屋根の下に暮らせるなあと」
「そう、それです」「それですと言って、熊、おまえ何をにやにやしてやがるんだ」
「大家さん。あのね、桃栗の続きってご存知ですかい」「馬鹿のびわの木10年だろ」「いや、その先です」
「その先、その先なんてあるのか」 「その先ですけど女房の不作は六十年、亭主の不作は一生ですよ」「ううう」
「だから大家さん、三年まけて、あと向こう五十年はお願いします」
「なら、おかねばあさんだけでも出て行ってもらうことにしようか」
「あ、それならダメだ」
「何がダメなんだ、おかねばあさん、亭主で苦労したらしいから」