一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『おどろきの中国』

2013-04-24 | 乱読日記

引き続き中国関係。

こちらは橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の中国をめぐる鼎談。

まず本書は、中国とはなにか。西洋の社会学の枠組みは、2000年以上前に広範囲な規模で統一がされた中国を分析するにあたって有効ではないのではないか、というところから出発し、近代化・中華人民共和国の誕生を日本の近代化と比較しつつ語り、さらに毛沢東という圧倒的な権力を誇り今も権威を維持している存在の謎に迫り、最後は日中間の問題を語る、という、盛りだくさんの本です。

前段の議論は、毛沢東(そして小平)がなぜあそこまでの権威を持てたのか、そして、日中の歴史認識問題や領土問題は、事実認識の問題ではなく、事実をとらえる前提としての「認知地図」に違いがあるのではないか、というあたりでつながってきます。

この「認知地図の違い」というのは中国・対中関係を議論するにあたって、けっこう大きなポイントではないかと思いました。

(中澤)
 まず、橋爪さんがおっしゃったように、日中関係を歴史的に見たら、中国にとって、日本はあきらかに辺境でしかない。だから、日本と中国が対等なパートナーになるという図式自体が、中国にとってはあまり説得力がないんだと思う。でも、それは日本にとってはちょっと受け入れがたいことですよね。  しかも、日本は中国のことをリスペクトしているかというと、そんな気持ちはほとんどない。アメリカに対してはいくら悪口を言っても、やっぱちアメリカに代表される価値観に日本人は魅了されているから、どこかに尊敬する気持ちがありますよね。だけど、中国に対しては、われわれはおそらくもうこの百年くらいのあいだ、そういうほんとうの意味でのリスペクトを持っていないんですよ。むしろ、自分たちのほうが少し優等生だと思っている。そういう中で日中関係をよくするのは、非常に難しいような気がします。


(橋爪)
 個々人としての中国人と、個々人としての日本人を比べてみると、たいていの場合、一対一だったら力負けすると思う。とくにリーダー同士の場合。中国のリーダーは、ひとりの人間として、自分の拠って立つ価値基盤とか人生の目標とか仕事上の責任とか世界観とかを、自覚的・意識的に構成している。他者に対して自分の行動をどう説明するかも、いつも意識している。それは、本人は意識しないかもしれないが、儒教の行動原理。儒教は、個人プレーの集まりなんです。それに対して、日本人の場合はそういう習慣がない。大事なことは集団で決め、組織として行動するから、自分の考えや行動を相手に説明もできないし、自分で納得もできない。これでは負けてしまう。
 だからね、もっと中国の個々人や、それの集合体である中国という文明の伝統を、日本人はよく知ってリスペクトしなくちゃいけない。アメリカをリスペクトするんだったら、あんな二百年の歴史しかない国より、もっと中国を知るべき。中国は日本のルーツでもあるんだから。そのうえで、やっぱり価値観が一致しないということなら、それは話しあっていけばいいんじゃない?


社会学の研究者の話は、フレームワークが明快な分違和感が残ったり拒否反応が出たりすることもあるのですが、三者の鼎談になっている分、それが中和して読みやすいものになっています。
その分わかりやすい形で要約しやすいというものにはなっていませんが、頭の体操としては面白いと思います。

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『中国台頭の終焉』

2013-04-21 | 乱読日記

最近中国の成長の失速・限界について語る本や記事が多いですが、その中には人口オーナスとかルイスの転換点・中心国の罠、はたまた指導部の小粒化など一発芸の切り口によるものが多い中では真っ当な本だと思います。

改革開放政策下の経済成長で当初の「国退民進」が「国進民退」にとってかわられ、その結果、市場競争が減退し、リーマンショック後の4兆元投資や土地開発益が地方政府や国営企業(と、それらとつながりのある一部資本家)の懐におさまる一方で、不合理な税制ともあいまって民間企業の成長が阻害されていること、地方政府間の競争による野放図な投資と財政問題、都市・農村の二元構造問題と農民への戸籍・土地制度上の差別など構造的なひずみが増大してきていると指摘します。

著者は、中国が米国をGDPで追い抜くこうと今の路線を続けても、ひずみが拡大し成長への足かせとなるために、追い抜くことはできない、めざすべきは、中成長路線を目指す中で、分配の不公正の是正を中心とした改革を行うことだ、と説きます。

 「官」の力が強いせいで、中国経済の行方は共産党・政府の政策次第であるが、長く続いた高成長に慢心したせいで、いまは多くの点で「市場経済原理」を大きく逸脱している。何かというと、それを「中国の特色」と修飾したがるが、その少なからぬものは単なるプリンシプルの逸脱であり、「官」のl既得権益の別表現でしかない。いま中国経済はその「逸脱」の罰を受けようとしているように思える。  
 既にみたように、本書で提起した問題意識は、第18回党大会で一部既に取り入れられているが、残る内容、とりわけ「官」の既得権益にメスを入れる「国家資本主義」の逆転が受け容れられるか否かがカギである。このほど発足した習近平政権が担う10年間はこのような課題に取り組むことになる。  

結論よりも過程の議論をじっくり読んだほうがいい本だと思います。

最終章に日本企業は中国とどう取り組むべきかについても触れています。  
そこには起死回生の解決策があるわけではなく、至極真っ当なことが書かれています。それは中国が今後高成長軌道に戻ろうと低迷しようと共通することなのかもしれません。


 

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『最強のふたり』

2013-04-14 | キネマ
パラグライダーの事故で首から下が麻痺してしまった富豪の男と、介護役として男に雇われた刑務所を出たばかりの黒人青年の交流と友情という実話がもとのドラマという、できすぎなくらいの素材なので、話題になればなるほどこれをどう料理するかが問われるという難しさがあります。

そのへん、フランス人の監督・脚本は、脇役の造形やサイドストーリー、それにアメリカ映画とか飛行機の機内上映だったらカットされるじゃないかという辛口のユーモアを交え、味わい深く仕上げています。

大富豪が現在の地位を築いた背景への説明はなく、しかもパリの町中でスーパーリッチな生活が営まれているというのも、この映画を自然にしているのに一役買っています。
これがアメリカ映画だと、なぜ大金持ちかの説明が必要だったり、世間と隔絶した生活を送っていたりしそうなので、どうしても不自然になりそうです。

善悪や好悪や強弱は相対的で流動的だということが徹底しているところが、見ていて気持ちいい小品だと思います。

PS
Earth Wind & Fireの曲が大事な役回りとして出てくるのも良しw



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『常識としての保守主義』

2013-04-07 | 乱読日記

良書。

本書は拡散してしまった「保守主義」という言葉について、政治認識の視点の枠組みとしての「保守主義」の理解について最大公約数としての「共通の諒解(common sense)」「常識」(それが書名の由来)を提示しようとする。

ややもすると個別の政策に対する立ち位置で区別されやすい「保守」という立場を、政治に対する認識の仕方、立場の取り方に立ちかえって整理していてわかりやすい。

・・・社会革新の思潮に鮮明に現れる特徴は、先ず「より佳き社会」の実現に向けた何らかの「青写真」が提示され、その「青写真」に沿った単線的な試みが要請されるということである。社会革新への単線的な試みは、その「青写真」に沿わない層への偏狭さと表裏一体を成している。・・・片や、保守主義思潮においては、「より佳き社会」とは、様々な人々による多彩な「試行錯誤」の一応の所産と理解される。様々な人々の「試行錯誤」の過程で幾多の「経験」や「智恵」が蓄積され、その「経験」や「智恵」に基づいてこそ「より佳き社会」の内実に関する合意も次第に出来上がっていくというのが保守主義の想定である。・・・
 政治という営みは、人間の社会に絡む難題に対して決定的にして最終的な「解決」を与えることはできない。・・・保守主義の政治の条件としての「ダイナミズム」とは、そうした不完全性に耐えていく姿勢にも現れる。人間の営みとしての政治の「限界」に曇りなく眼差しを向けるのも、保守主義思潮の条件である。

保守主義の精神は、しばしば、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった言葉と重ね合わせて語られる。ただし、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった類の言葉を一種の「観念」として大上段に振りかざすことは、保守主義の趣旨には沿わない。保守主義の文脈で問われるべきことは、多くの人の普段の判断や活動に、どれだけの「信頼」を寄せられるかということであり、その判断や活動の「蓄積」の意義に対して、どれだけ「楽観主義」の姿勢で臨めるかということである。

安倍政権における規制改革、TPP論争、選挙制度改革、安全保障、憲法改正などをめぐる議論を考える視点のとしても有用だと思う。


本書は2009年から2011年まで自民党の機関誌「週刊自由民主」に連載された「よくわかる保守主義入門」が下敷きになっているとのことだが、2009年の政権交代をもたらした原因を自民党の「硬直性」-官や企業・支持勢力との相互関係、派閥と当選回数による党内秩序の固定化、郵政選挙後の当座の人気を重視した総裁選び-については手厳しく批判している。

本書の保守主義についての理解が自民党においても「常識」になっていないのであれば、なおのこと本書は価値があるのかもしれない。




 

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「年齢別選挙区」という考え方

2013-04-01 | まつりごと

昨年の衆議院選挙について高裁での違憲判決が相次いでいる一方で「0増5減」をベースにした選挙区の見直しが進んでいる。

区割り審の案だと見直し後も依然として下位10の選挙区では1.998~1.974と、次の選挙までにはまた2を割ってしまいそう(参照)。
しかも東京5区は世田谷区の一部が加わって逆に一票が軽くなっている。

さらに参議院選挙は昨年の4増4減の改正で5.124倍から4.746倍に改善されたが()、最高裁は5倍を切れば合憲とは明言していないので、大丈夫かどうか怪しいものだ。


こんな一夜漬けのような定数是正を毎度続けるよりは、抜本的な見直しをする必要があるのではないか。

現実問題として現行の都道府県単位で選挙区を設定しつつ一票の格差を是正するのは無理があるし、2010年参院選に関する最高裁の2012年10月17日大法廷判決(参照)でも、

都道府県が地方における一つのまとまりを有する行政等の単位であるという点は今日においても変わ りはなく,この指摘もその限度においては相応の合理性を有していたといい得るが,これを参議院議員の選挙区の単位としなければならないという憲法上の要請はなく,むしろ,都道府県を選挙区の単位として固定する結果,その間の人口較差に起因して投票価値の大きな不平等状態が長期にわたって継続していると認められる状況の下では,上記の仕組み自体を見直すことが必要になるものといわなければならない。

としている。

また、憲法43条も

1.両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2.両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

と定めるだけで、地域割りを前提にはしていない。


だとしたら、選挙区割を年齢別にしたらどうだろう。

憲法上は世代の代表でも問題はないはずだし、特に年金・医療保険問題などは世代間で利害が大きく異なる。
それに年齢であれば、長期予測が可能なので、区割りをいちいち変更する必要もない。
また、複数の年齢をまとめて1選挙区とすれば毎年一定数が入れ替わるので完全な利害の固定化も防げる。

仮に現在の参議院議員定数242を5歳きざみで割り振ると次のようになる。(参照

 

いくつかの年齢層がまとまれば、今の野党よりも大きな勢力を形成することができる。

また、定数を100程度に削減して、男女別に分けたとしても、各層で3~4人の代表を国政に送り込むことができる。


いかがであろう。

 

<関連エントリ>
「年齢別選挙区」つづき

 

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