日々の吐露を綴って。。

私が生きてここにいる現実と向き合う、日々のつぶやきのブログです。
時折お気に入りの曲も紹介しています。

個性の表現

2015年07月26日 21時50分17秒 | 日記
ひとは誰でも皆「個性」がある。


-こせい [個性]
個人または個物を他から区別する固有の性質。
パーソナリティー。

明鏡モバイル国語辞典から-




敢えて個性というものを主張しなくても、体型や顔のつくりや身なり、外見だけでなく体調や体質、好み、捉え方や考え方、行動など、世界中で全く同じ人間を見つけるほうが難しいほど、既に人間という生き物は個性を持っている。


なのに、あるがままに、個性を出して、と主張する背景には、日本独特の文化である「波風立てず」「空気乱さず」といった暗黙の了解が深く根付いているためで、大方の人はどこかで、自分は皆とここが違う、何か違ってはいまいか、それ自体が不安材料に感じているから、皆と同じという安心感を求めて、誕生日や出身地や嗜好その他「他の人との共通項」を見出だそうとするんだろうし、違いが目立たないように、大衆的に振る舞おうと苦心している。


なのに、みんな違ってみんないい、みんな違うから素晴らしい、それをいい言葉と頭では捉えている。


心から信じられているか?


信じられないその根拠、信じているその根拠を、しっかり自分に問うてみる。


本当にいいと思うなら、自分の考えを「根拠」が支えているから、意見の違いなど恐れることはないし、出る杭は打たれることに戦々恐々とはしないだろう。


間違いかもしれないと思いながらの主張など、自分自身が肯定していないのだから出来はしない。


自分の思うことや意見「~である」に、「なぜならば~」という「根拠」を意識的に見出だす癖をつけると、それがよりしっかりとした土台を持ち、肯定感が増す。


だから相手が安心してその発せられた意見や思いを受け取れるのだ。


人間は一人ひとり違う、だからこそすばらしい、という意識は、実はまだまだ染み込んでいないということがわかってくる。


人間は一人ひとり違う、そして、自分も皆と違いがある、それを、それでいい、と肯定できてこそ、すばらしいと理解できるのだと私は考える。


マイノリティー側であっても、アウェイ感が強くても、そのあやふやさのままでいていい、とOKできること。


もちろん少しずつ経験により耐性が培われていくのであって、いきなり負荷の大きいものに挑めば能力オーバーになりかねない、それは養老先生も、自分の胃袋の大きさを知るべしと著書で述べている。

エンジェルナンバー

2015年07月24日 22時02分42秒 | エンジェルナンバー

よく目にする数字のゾロ目は、なぜか4。


これは6~7年前からで、大きな落ち込みがくる頃、やさぐれ気分のときに突然見せられる。


普段は現実主義だけど、時々こういった非現実なものにも目を向ける。


今回も4桁の4のゾロ目。
レシートなので撮影しお披露目します。