いよいよ長女が卒業を迎える。
家で休める環境もなんとか整え、学校の協力と理解も得られ、少しでも病気を理解しようと関係書を端からむさぼるように読み、少ない診察時間の中で主治医と要点を話し合うために手帳に要旨をまとめたり、まあ何かと忙しなかった。
受験生なこともあって、週末になると学校見学や個別相談会、体験授業などに連れ出して参加し、目で実際に見て行動して、モチベーションを上げることで真剣に進路を選ぶ手助けをしてきた。
行けば途中でお茶したりするものだから、娘もお出かけ気分で喜んでいたけれど、決して母任せにせず学校の雰囲気を全身で感じ取ろうとしていたのが見てとれて、自分を生きようとしているのだと、何だか安堵した。
甲斐あって、内申点ギリでダメ元でもお願いして申請した推薦入試は、「ここで学びたい」という熱意のアピールで見事合格、進学先も早々と決まった。
もう高校生活が待ちきれない様子だ。
おかげでうつの症状も幻聴がでないほどに回復し、彼女は目標もできて生きる楽しさを取り戻しつつある。
これまで「この子をどう導いてやったらいいだろうか」、それだけを考えてやってきて思ったのは、まずは「生きるとは何か」という根本的な問い(そして答えのない問いでもある)を私自身にしないと始まらないんだ、ということ。
軸が定まらなければ、方向性も定まるはずがないからだ。
家で休める環境もなんとか整え、学校の協力と理解も得られ、少しでも病気を理解しようと関係書を端からむさぼるように読み、少ない診察時間の中で主治医と要点を話し合うために手帳に要旨をまとめたり、まあ何かと忙しなかった。
受験生なこともあって、週末になると学校見学や個別相談会、体験授業などに連れ出して参加し、目で実際に見て行動して、モチベーションを上げることで真剣に進路を選ぶ手助けをしてきた。
行けば途中でお茶したりするものだから、娘もお出かけ気分で喜んでいたけれど、決して母任せにせず学校の雰囲気を全身で感じ取ろうとしていたのが見てとれて、自分を生きようとしているのだと、何だか安堵した。
甲斐あって、内申点ギリでダメ元でもお願いして申請した推薦入試は、「ここで学びたい」という熱意のアピールで見事合格、進学先も早々と決まった。
もう高校生活が待ちきれない様子だ。
おかげでうつの症状も幻聴がでないほどに回復し、彼女は目標もできて生きる楽しさを取り戻しつつある。
これまで「この子をどう導いてやったらいいだろうか」、それだけを考えてやってきて思ったのは、まずは「生きるとは何か」という根本的な問い(そして答えのない問いでもある)を私自身にしないと始まらないんだ、ということ。
軸が定まらなければ、方向性も定まるはずがないからだ。