今日は「蔵出し・山里のおいしい話」シンポジウムが中野方で行われている。
もちろん、私も行く予定だった。山里文化研究所の清藤さんにも申し込んでおいたのだが・・・・
どうしても、レクセンターに居なければならず、泣く泣くあきらめた。本当に残念だ。
山里のおいしい話というのは「聞き書き」の事で、先輩たちが持っている知恵を次の世代へ伝えるという、とても大切な作業である。
前に、「知識は過去からやってきて、知恵は未来からやってくる」と書いたら、共感してくれた人が随分いた。
先人たちの素晴らしい工夫や、今の言葉で言えば、膨大なデータベースを記録したところで、それは単なる知識に過ぎない。
その知識を、自分の腹に落とし、実践し、失敗し、訓練し、長い時間をかけて自分のモノにしたとき、それは知恵に変わると思う。未来に向かって自分のモノにする訳だ。
私の場合、炭やきと山仕事に関することだ。他にも興味は尽きないが、あれこれと欲張ってもいけない。特に炭やきに関して、私はもっと掘り下げて研究し、実験し、自分の知恵に換え、そして一番大切なのが、次に伝える事だ。
注意しなければいけないのは、技術論ばかりに拘らない事か。元々理系で前職がSEだった私は、ついつい技術的な事ばかりに目が行ってしまう。自己完結してしまうパターンだ。
それでは小さくまとまって終わってしまう。技術論だけでなく、もっと大きな精神とか信念みたいなモノを先輩から聞き書きで学びたいと思う。
実際、今の私の焚き方は私独特の方法だと思う。基本は足助の梶さんから教えて頂いた技術だが、毎回、工夫と実験の連続で未だ、「これだ」と思う方法に行き着いていない。私なりの「聞き書き」を続けながら、もがき苦しんで、ようやく辿り着くモノだと思う。数年で身に着くような簡単な仕事をしている訳ではないのだ。一生修行だと、本気で思っている。
「聞き書き」で得られるモノは大きくて深い。
ネイティブの世界にも、「聞き伝え」がある。遠回りのようで、実は最も着実な方法なのだろう。私もいつかは、「言う」側にならなければいけない。いつまでも修行の名の元に自分を甘やかしていてはいけない。
今日は行けなかったが、そんな事を考えさせてもらえた。
やはり、自分に起こる全ての事に感謝しなければいけないんだなあ・・・