夕べ、我が家に私を含めて5人のおっさんが集まった。全員ほぼ同い年だ。昭和36~38年生まれが揃っていた。
織田さん、早川さん、山口さん、ポンちゃん。みんな、いい顔している。
それぞれが、それぞれの場所で頑張っている。それぞれが独立しているのに、確かな連帯感を感じる仲間たち。たとえば、それぞれが孤立しても、何も変わらずに頑張っているはずだ。内なる声に耳を傾け、孤高を貫いているはずだ。
早川さんが私の仕事場に炭を取りにくることになっていて、山口さんを誘って来てくれた。
それをポンちゃんに伝えたら、彼は織田さんを連れてきてくれた。
むさくるしい我が家で、順番に薪ボイラーの風呂に入り、薪ストーブを囲んでいろんな話をした。
私はとっておきの酒を出した。私の家から峠を降りた場所で作られている酒「賜冠(しかん)」だ。中垣酒造という酒蔵で、飲みやすくて上品な味だ。
美味い酒を飲みながら(珍しく私も飲んだ)、それぞれがポツリポツリと語る。
誰かがそれに気持ち良く反応する。そしてまた前向きな連鎖が目の前に拡がる。
自分の生き様、死に様を淡々と語る俺たち。みな、それなりに社会の理不尽さや怖さを体験してきている。まだ間に合うという楽天的な気持ちと、そろそろ後が無いという覚悟が入り混じる。でも、俺たちは最先端だし、最前線なんだという自負。「誰とも戦わないけれど、決して誰にも負けない」という自信。
不思議なくらい、みんなの想いが同じようなところを向いている。細かいアプローチや手法は違えど、大きく目指す場所が同じなのだ。とても不思議で、嬉しくて、神秘的な体験だ。
私はとても幸せだった。どうやら、やっと次元の違う場所にやってきたようだ。金儲けが一番大切な仕事ではない。もっと大切なことが自分の手の中に、足元にある。暖かい感触と共に。
私はもっとひたむきに自分を磨きたくなった。人からどう見られるか?ではなく、自分がどうありたいか?それが指針となる。それがこの5人に共通する部分なんだ。魂の連帯とでも言おうか。
最近の私は震災や原発のことで動揺していた。それを隠すつもりはない。今まで経験したことのない状況だ。
きっと、これで何かが変わる。
もしも私が震災に遭い、幸運にも命を取り留めていたら、今頃動き出しているはずだ。起こったこととして、事実を受け止め、自分のできることを始めているはずだ。闇の向こうへ目を向けているはずだ。
少なくとも、私たちがどうあろうと、母なる地球は動き続けていることを意識しているはずだ。
50手前のおっさんたちの想いは熱い。身体はあちこちガタガタでもまだまだ動ける。そもそも5人とも、考える前に動いてしまうタイプだ。
10年後、そんな自分たちを自分たちで笑い飛ばしていたいものだ。
次に会う約束もせず、夜中だというのに、あっさりと自分の場所へ戻っていく彼らを、とても頼もしく、愛しく思った。