炭やきは地球を救う

脱サラして10年。炭やき・木こり・木挽きを生業としています。

何が私を突き動かすのか

2009-02-27 | 環境問題 地球を救う真面目な話

最近、人に会うと「忙しそうですね」と言われるが、実はそうでもない。確かに休みは無いし(結局2月は一日も休めないようだ)、窯を焚けば24時間仕事だ。けれど、自分の段取りで動いているので、疲れることはない。

だが正直に言って、問題は山積みであり、前途多難なのはハッキリとしている。自分の思うとうりに仕事が進む訳もなく、収入に至っては、前の仕事の4分の1くらいになった。いや、最近はもっと酷いかもしれない。それでもこの仕事を続けているのは何故なのだろうと、自分でも不思議に思うことがある。よく考えてみれば、愕然とするくらいの悪い状況だ。この貧乏を打開する秘策もない。いつまで続くのかもわからない。

では、何が私を突き動かすのか?

それは、子孫のためだ。それこそが私の仕事だ。

笑われてもいい。かっこつけてると言われてもかまわない。甘いと顔を顰められてもいい。

この、母なる地球が愛しくて、父なる宇宙がたまらなく好きだからだ。私にできることは、炭をやくことくらいだ。

金持ちになるつもりはない。名を残すことに興味はない。誰かと争って、勝っただの負けただの、そんなつまらないことにエネルギーを使いたくない。できることなら、シガラミを全て捨て去って、身軽に山と向き合いたい。低レベルの自慢話と人の悪口を言うことしかできないような、そんな人間にはならない。

夢は、炭で山河を救う手助けをすること。名も無き山守・水守として、名も無き山に眠ること。

自慢は、そんな気持ちに翳りがなく、それだけはこれからも変わらないだろうということ。

この先、自分が骨を埋める場所を探して彷徨うのだろうけれど、それでいいと思う。

私の人生はこれからが本番だ。柔軟なアタマと身軽な身体が武器だ。今までの経験と、これから体験する全ての事はプラスである。

そうやって、己を信じてやっていきたい。できるだけ、他人を尊重しながら・・・・

名も無き山々に棲む神と、お天道様が私を見ていてくれる。それだけで充分だ。


理系のアタマ

2009-02-26 | 環境問題 地球を救う真面目な話

ogawaさん、コメントありがとうございます。この間の間伐材は今、窯の中です。ほとんど生の間伐材がどのような炭になるか?乞うご期待です。集材ヘリコプターですか?乗ってみたいっす。是非お願いします。

のざきさん。コメントありがとうございます。楽しんで頂けたようで、私も嬉しいです。また、いつでもおいで下さい。心からお待ちしています。

さて、今日は岐阜大学まで出かけてきた。「木質エネルギー技術高度化事業 成果発表会」が行われたからである。森のエネルギー研究所の菅野さんから誘ってもらった。

行ってみて、久しぶりに理系のアタマになった。個人的にも面白い話が多かった。ペレットとか、木質チップとかを燃料としたボイラーやストーブの先進事例たちだ。

あらためて思った。やはり、いつかは枯渇するとわかっている化石燃料を使い続けるのは良くない。私たちの7世代後の子孫たちの時代はどうなっているのだろう。本当に寒気がするくらいの現実だ。山の木は、持続可能であり、循環する。計画的に山の恵みを頂いて、山を守っていけば、無くならない資源なのだ。もう一つ、炭の特徴として、製造段階において、エネルギーを使わない。それこそ、間伐材の端材や落とした株を燃やすだけだ。ちょうど今、森林窯が炭化を始めている。上矢作の間伐材が、炭になりつつある。燃料にしたのは、同じく間伐材だ。

炭化すれば、重量は10分の1になる。生の木でも、炭化してしまえば、同じだ。生の木ほど、木酢液は大量に出るが、それはそれで使える。ペレットが悪いと言っている訳ではない。ペレットと炭は、兄弟みたいなものだ。どちらも、間伐材のエネルギー化には必要なのだ。

いっそのこと、ペレットも炭も燃やせるボイラーを作ってみたい。

まだ詳しく書けないが、来年度はこれに取り組んでいこうと思っている。

まだ見ぬ子孫のため、困難を乗り越えてやり遂げよう。そんな気持ちだ。高揚しているのに、かなり冷静だ。

やはり、久しぶりに理系のアタマになったからだろうか。地に足を着けて、頑張ろうと思う。


充実した毎日

2009-02-23 | 環境問題 地球を救う真面目な話

湖畔窯を焚きつつ、土日でエコツアーのお客様を請けた。去年、NHKの環境講座を聴きに来てくださった野崎さんたちだ。友人を連れて来てくださった。気功の池田先生も一緒だ。

ちょうど、森林窯の焚き口がいい温度だったので、それもゆっくりと味わってもらった。窯を止めてから2週間。中にいると、少し汗ばむくらいの温度だ。自分の周り全てが熱源であり、障壁の向こうには、20立方mの炭がある。炭素の波動が伝わる。池田先生も何かを感じてくれたようだ。とても気持ちいい空間だと言われた。

野崎さんの奥様が妊娠中で、暖かい窯の中を気に入ってくれた。野崎さんたちは薪割にも夢中になっていた。

野崎さん、ご友人親子も、池田先生も、奥矢作でとても穏やかに過ごしてくれた。とても真っ直ぐな人たちだ。日々の生活に活気があり、優しさに包まれていると感じた。こちらまで幸せになるような、そんな人たちだった。天気も良く、暖かく、気持ちのいい日だった。

土曜日の夜は、窯の前で焚き火をしながら、ヒノキトーチを燃やし、炭火を熾して暖を取った。

宇宙(そら)は満点の星だった。ルーリン彗星を探し、ミードで捉えた。淡い光に包まれた核が見えた。山の懐で宇宙の神秘に包まれて、火の文化をじっくりと味わった。

私自身、とても有意義な時間を過ごせた。あらためて思った。お客様に育ててもらっているのだ。感謝。

それでも湖畔窯はひたむきに炭化を続けている。樫とコナラ・アベマキを立ててある。比重の高い木ばかりだ。こんなとき、窯は構えたようにどっしりと佇む。魂を込めて打った窯が寡黙に働いてくれている。私はその時を待つだけだ。

今日は森林窯の窯出しと炭材を入れた。窯の壁がまだ暖かい。炭の歩留まりはまあまあ。カラカラと音を立てる炭が出た。

今回の炭材は、間伐材が3分の1入っている。ogawaさんが持ってきてくれた間伐材だ。

皮付きのまま、長さもまちまちの間伐材だが、窯にさえ入れば、あとは私の仕事だ。日本一大きいこの森林窯。ここに入れた材を美しい炭にするのが私の努めだ。この窯にも、私の魂を込めてある。

矢作川上流域の木々だけがここで炭になる。焚き物も全て矢作川上流域の木だ。それだけは絶対に変わらない。私の拘りだから。

エコツアーに、本職の炭やきと山仕事。毎日充実した仕事と向き合える私は幸せ者。


たまにはテレビも

2009-02-20 | 環境問題 地球を救う真面目な話

昨夜、テレビで刀鍛冶の様子を放映していた。日本刀の職人の仕事ぶりを伝える番組だった。

刀を作るのに、20俵の炭が必要だと、以前銀治先生から聞いたことがある。炭がなければ、刀は作れないのだ。

まず、地鉄と炭を融合させて鋼を作るという。鉄に炭素を入れるために、炭が必要なのだ。刀の成形、焼き入れ、熱を加える工程は全て炭を使っていた。刃紋を付けるときにも、砂と炭の粉を混ぜたものを塗り、焼き入れするらしい。

割と軽い炭を使っていたような気がする。実際、鍛冶屋さんは松の炭を使う。鞴で吹くときには、栗の炭を使う。松炭を使う理由は、火力が強いからだ。余談になるが、カナギ(広葉樹)炭よりも、アオキ(常緑針葉樹)炭の方が瞬間的な火力(熱カロリー)は高い。これは、細孔の大きさによると思う。カナギは大体、比重が0.8くらい。アオキは0.3くらい。中がスカスカのアオキの方が燃焼時、酸素を多く供給するのだろう。

鍛冶屋さんが栗炭を使う理由は、栗炭を熾してみると、多少爆ぜるものの、普段の燃焼はとても静か。鞴で吹いた時だけ、しっかりと燃える。これが鍛冶屋さんの仕事に合っている。

必要な時、必要な熱カロリーを生み出し、それ以外は静かに燃えているからだ。

ところで、私自身、鉈やチェンソーの刃を研ぐのが好きで、鉈は薄い紙が切れるくらいに研いである。だから、鍛冶屋さんの仕事にも興味がある。

昔から、集落には鍛冶屋・木地屋・炭やきと専門の職人がいて、その人たちの食べ物は、みんなで持ち寄って暮らしていたそうだ。技術のある人を大切にしていたということ。

お金という概念が無い時代の、持ちつ持たれつの関係だったのだろう。鍛冶屋がいなければ、農機具も無い。木地師がいなければ、器が無い。炭やきがいなければ、燃料が無い。

そんな暮らしに想いを馳せてみる。置き去りにされてしまった、とても大切なものがあるような気がする。偉大なるネイティブ・ジャパニーズとも言えるんじゃないか。

貯金があって、形あるものに囲まれ、数字に翻弄され、本来ならば必要のない情報に右往左往し、会ったことも無い人たちの言葉に一喜一憂する。それが豊かな暮らしということなのだろうか?

きっと、それら全てが無くなっても、しばらくすれば私たちは逞しく生きていると思う。

テレビを見て、そんな事を思った。


宇宙に浮かぶダンゴ・・・

2009-02-17 | 環境問題 地球を救う真面目な話

湖畔窯を焚いている。昨日の夕方から焚き始めた。朝から立て込み、暗くなる前に火を入れた。今回の材はすごくいい。樫とコナラとアベマキだ。職人として、気合が入る。重くて、粘りがあって、優しい燃焼をする炭にしてみせる。

夜9時ころ、無心で窯と対話していたときだ。携帯が鳴った。相手は我が師銀治先生だ。エコブランチの鶴田さんから、私に関する事で、とても嬉しい便りを受け取ったとの事。我が偉大なる師は、自分のことのように喜んで下さる。それで、わざわざ電話をくれたのだ。つくづく、この仕事を続けて良かったと思う。心の底から、やる気が漲ってくる。私は幸せ者だ。

焚き物もすべてカナギにした。樫とマキ(ナラ)を焚くときは、焚き物も同じ樹種にしたい。それが私の拘りだ。カナギの燃える時独特の甘い匂いに包まれる。ジローは私の足元ですやすや眠っている。なんて可愛いんだろう。私の大切な相棒だ。

窯は少しづつ温度を上げる。伐って間もないので、水分が多い。着くまでには時間がかかりそうだ。薪をくべ、丁寧に窯を扱う。

今、朝の4時だ。ふと見上げると、満天の星空。すっかり春の星座に変わっている。同じ時刻に同じ場所を見上げた時に見える星で、季節の移ろいを感じる。しし座がほぼ真上に来ている。

ミードを引っ張り出し、しし座の下に見えている土星を捉える。すると、今年は土星のリングが平行に見えるので、土星が串刺しのダンゴに見えるのだ。大宇宙の神秘だ。

オリオンは沈んでいった。春の大曲線がはっきりと見える。すると、東の山の稜線にさそり座のアンタレスが見えた。

確実に季節は春に近づいている。

私が父なる宇宙(そら)に想いを馳せている間、窯は黙々と仕事をしている。

熱いコーヒーを淹れ、ジローの頭を撫でながら、焚き火にも薪をくべる。

たった独り。静まり返った湖の畔で炭をやく。小さな音で流れるのは、オスカー・ピーターソンだ。薪のはぜる音と、赤い炎が揺らめく感じ。真夜中、山の懐で火と戯れる。