炭やきは地球を救う

脱サラして10年。炭やき・木こり・木挽きを生業としています。

自在

2019-08-05 | 日記

僕は日々、自在でありたいと強く願っている。できる限りそうしているつもりだ。
以前、組織の中で理不尽な上下関係も充分に味わった。下も上もだ。その時は、誰かに支配されていた。指示を受け、それを期間内に全うすることが役目だった。
今は独り親方。週に数回は稼ぎに出て、外貨を獲得しているから、その間は組織の中で働いているけど、少なくとも、僕は支配されてはいない。時間当たりの賃金で雇われている形態。

何を言いたいかというと、今の僕は組織から離れ、自分の好きなことを、好きなようにやっている。少ない稼ぎで何とかギリギリ生きている。大好きな仕事をしている間は、時間を忘れ、まだ見ぬ7世代先の子孫たちと約束したことを、僕なりにやっている。

ふと、客観的に自分を眺めてみる。一体誰に従い、何のために仕事をしているんだろう。もちろん、稼いで食うこと。自分で見積もりを出し、危険な作業を繰り返し、運搬、納入、請求、回収。

誰の指示だろう?
誰に忠義を尽くしているんだろう?

幸せなことに、この答えはずっと前から知っている。
照れずに言えば、僕はこの地球に忠義を尽くしたい。

こんな僕を後押ししてくれる、愛する人たちを守りたい。

還暦まで数年のこのおっさんに、エネルギーを与えるのは自分自身であり、その源は山なんだ。

いつも考えている言葉が

「母なる地球、父なる宇宙(そら)」

僕はスピリチュアル系は苦手だけど、考えてみれば、この地球そのものが神秘的で、唯一の存在。ここにいることそのものが奇跡だ。濃尾平野に生まれ、育ち、いろんな経験をして、今は縁あって、矢作川の水源地で山と向き合っている。

誰のため?と問われたら、自分のため。自分がやりたいからやる。そのために、ここにいる。と答える。

僕は特別な存在ではなくて、どこにでもいるおっさんだ。

そんなおっさんがリアルに守りたい場所は、僕がガイドをしている原生林だ。大好きな場所だからこそ、手を入れずにただただ見守るだけ。
脱サラして、Iターンで山村に入って15年。15年で学んだことは、まだたったこれだけです。知識ばかり先行して、山を守るだとか、山を造るとか言ってた、生意気な頭でっかちがこの15年、身体を使って、汗をかいて、山の空気を胸一杯吸った。眠っている間も山の空気を吸っている。暮らしそのものが山の恵みだ。

我が身を山に置いたことで、ようやく知ったこと。

それは、自分の未熟さ、愚かさでした。

そして、名も無き山にも、神は棲むということでした。

僕が積み重ねた僅かなモノ「知識」は、僕がそれをこの手で考えるようになれた時に「知恵」へと変化するだろう。

今は、そんな時期だと思う。地味な動きだけど、微生物のように地べたを這い回る生き方。

それが僕の日々を支配する目標なのです。

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然

 


分をわきまえる

2018-08-28 | 日記

今日は暑かった。
力仕事をしていて、頭痛がしてきた。ヤバイと思って、水分摂って、早めに帰ってきた。ハンモックで昼寝して復活した。
ニュースでは大雨の復興。 僕には何もできない。
夕日を眺めながら、そんなことを考えていた。
だけど、僕にはまだまだ使えるこの身体がある。
今日の頭痛は、分をわきまえろということなんだな。
五体満足な身体と、
仕事と、
道具と、
場所と、
大切な人たちと 大切にしてくれる人たちと、
母なる大地に立つ足と、
この山村の空気と、
太陽のエネルギーと、
美味い水と、
自分で作った米と、
自分で採ってきた薪を焚いたときの光とぬくもりと、
僅かな知恵と、
小さな小さな誇りと、
ヒグラシの声 を与えられている。 この身体を使い切って働こう。
小さな幸せを積み重ねてゆこう。 誰かに見せるためでなく。
自慢などできなくても、
自分を恥じないように。



木々は会話する

2017-04-09 | 日記


原生林をガイドしながら、この森は大きな生命体だと感じてた。

人工林を間伐しながら、この木々たちは母なる大地で繋がっていると思ってた。だからこそ、伐った木を大切に扱いたくて製材を始めた。

炭をやきながら、この炭素「C」は父なる太陽と、母なる地球の子孫の最も小さな、最も神秘的な、最も大切な基本の形(元素だから)だと考えていた。

映画「アバター」で僕は魂が震えるような感動を味わった。それはやっぱり真実だったんだ。ネイティブからの言い伝えを、科学的に証明してくれたこの映像記事に強い共感と感動をした。

日々の仕事にこのことを投影しつつ、深めてゆきたいと思った。大きく言えば、地球が一つの生命体であり、土中微生物や根菌類が全ての生き物の土台になる。生態系ピラミッドの生産者層そのものがこの大地、山河なんだ。

僕がこんなに貧乏なのに、毎日とても充実しているのも、この大地に包まれているからなんだ。山の懐で暮らすことがその答えだ。

「木々の会話」という部分にすごく心惹かれる。山の恵みで生かされている僕にとって、とても大切なこと。その木々の命を絶つことで僕が生かされている。 そんな想いを胸に、新たな気持ちで山に向かおうと思います。
これを伝えて下さった北山耕平さんに感謝です。

スザンヌ・シマード: 森で交わされる木々の会話


春の日に

2017-04-03 | 日記
久しぶりの一日オフ。家の掃除で過ぎてしまった。空き缶や空きビンを集めたり、台所の賞味期限切れのレトルトをまとめて捨てたり。燃えるものは薪ボイラーで燃やした。年度が変わって、必要の無い書類も燃やした。

今日はとても天気が良くて、のみんなそれぞれ外に出てて、草刈や草を燃やしたりしてた。特に用事はないんだけれど、ふと近寄って世間話。そろそろ田んぼの準備始めなきゃ。そんなことを思いながら、小さいけど、密度の高い幸せを感じたんだ。この地でこうやって暮らしてゆけることの有り難さ。そう言えば、今年度はここの町内会長をやることになってる。ちゃんとやろうと思う。

夜中になり、この時間。ちょっと肌寒くて、外に出てみたら気温は1度。凛とした空気が気持ちいい。そして、満天の星。春の星座が高く昇ってる。ふと、南東の空を見たら、さそり座だ。赤きアンタレスが稜線から現れた。もう、そんな季節。僕の住む場所ではまだ、桜は咲かないけれど、間違いなく春がやってきた。

毎年同じ日、同じ時間、同じ場所に巡ってくるあの星たち。

父なる宇宙(そら)と母なる地球の関係。とても単純なことなんだけど、森羅万象の源であり、最も神秘的なこと。
毎日木を相手に仕事をさせてもらってる。植物も動物も、宇宙と地球が育んだ存在で、僕は木が好きで、山の懐で生きたくてこんな暮らしをしていて、名も無き山の頂にはそれぞれ神が棲んでて、こんな僕を見守ってくれてる。僕がこんなに木や森のことを考えて、自分のできることを続けていても、地球は僕の存在なんてどうでも良くて、僕は宇宙に生かされているのに、宇宙は僕を必要としていない。

星を数えながら、またそんなことを考えています。

そんな想いを宇宙(そら)に馳せながら、また日々の仕事に精を出そう。誰かと自分を比べるんじゃなくて、僕は僕以上でも僕以下でもない。そんな当たり前のことを深く、ココロに刻むのです。

旧暦正月

2017-02-25 | 日記
旧暦の正月。

月の巡りを中心に暮らしたい僕にとって、今日は節目の日だ。いろいろあった一年だったけど、これからも父なる太陽と、母なる地球に生かされる日々を送りたい。

木曽で修行も始まる。もう一度、木を扱う仕事とは何かを学んでくるつもりです。週に一日か、二日しか行けないんだけど、学ぶことばかりだし、社長をはじめ、現場の先輩たちは素晴らしい人たち。嬉しいことです。

旧暦の新年になって、あらためて想うこと。それは、金儲けとか、スケールとか、スピードを求めるのは違うってこと。もちろん、それが正義だと考える人はそうすればいい。僕はそんな奴らとは関わらないようにするだけ。愚直に、自分の身の丈にあったことを小さくやってゆくだけです。

誰もが、地球の恵みをいただいて生きているのは間違いのないこと。遜る必要は無いけど、謙虚にやってゆきたいと想うのです。

今日も、借りた田んぼで作った米を食い、自分で伐り出した木で暖を取る。それだけで幸せ。もちろん、最低限の現金収入は必要だけど、足りていればいい。本気でそう思える出来事もあったりして。

ああ、この道でいいんだと、穏やかに新しい歳を迎えています。

腹立たしいこと

2016-10-17 | 日記
今日、腹立たしいことがあった。僕の仕事場(製材所)に見学に来た人の中に、製材所へ来るとわかっていながら草履履いて来た奴がいた。いかにも意識高い系。先輩である僕に挨拶も無い。刃物や動力を使う仕事場に、草履履きで来るというのは、仕事をなめているし、僕のこともバカにしている。以前、岐阜から窯へ来た奴もそうだった。ユニックを使う現場だとわかっていながら、草履履き。何か考えがあって草履履きしているのかどうか、僕にはどうでもいいけど、少なくとも職人が身体張って真剣に仕事している場所へ来るのに、あの態度と草履履きは許さない。二人とも僕の関係する場所には出入り禁止。どちらにも、ハッキリ言った。ただ、理由は話していない。話す気もしない。とにかく出て行ってほしかった。口先ではキレイ事言ってるけど、何も伴っていない。残念な奴らです。今朝書いた、自意識過剰の正義の味方君たち。
同じようなことで、針葉樹を伐ってそこに広葉樹を植えるワークショップをする奴がいると聞いた。思い上がりもいい加減にしろと言いたい。また人工林を作るのか?植えたらその木が育つ間、何世代にも渡って面倒を見る覚悟があるのだろうか?山は命の源。木こりをして、炭をやく僕は誰よりも広葉樹が欲しい。だけど、絶対に植えない。大地の恵みだと知っているから。実生の天然林こそが本来の森林だって思うから。
環境のために、山に広葉樹を植える?その山の外から苗木を運んで?そんなでたらめ、無知だけでは済まない。
山に木を植えるというのは、その山に対する遺伝子操作なんだ。自分の持ち山に、スギやヒノキを植えて林業を成り立たせたいと思い、植えるのはいい。税金を払ってる所有者だから。何世代にも渡って、責任を負いながら山と付き合ってゆくのだから。
人の山で、環境のためとか言いながら、水源地に広葉樹を植えましょうって活動している奴らがいる。正義の味方面して・・・本当に愚かだ。
子孫や流域のことを考えて、森林を何とかしたいなら、人が植えた木を伐り、適度に間伐をしたら後は母なる地球に委ねるしかないんだ。無知にもほどがある。
林床には、何十年も前の埋土種子が埋まっている。光を入れたら、あとは見守るだけなんだ。僕は仕事で間伐もする。間伐の成果は、自分の目で見ることは無い。そんなこと、とっくに覚悟している。僕の仕事は、僕が死んでから何十年先にしか結果が出ないことを知ってる。
補助金を獲り、年度末までに成果や結果を出さないと次年度の補助金が減るから、すぐに結果を出したがる。
草履履きで人の仕事場へ来て、ヘラヘラしている奴らと、自分の成果を自慢したいだけの活動家とは同じだ。
補助金が悪いと言ってる訳ではない。僕だって恩恵に預かっているし、使い方を間違わなければいい。
机の上や、ネット上でカッコイイこと言って、世の中を変えるとか、世直しとか言ってる胡散臭い奴ら。仲良しクラブで生ぬるく傷口舐めあってる気持ち悪いやつら。
少なくとも、僕は地べたを這いずり回って、泥だらけになっても自分の信じることを貫きたいと思っているし、それはたった独りになっても変わらない。

自由って・・・

2016-08-02 | 日記
「あんたは自由でいいなあ」

今まで何度も言われた言葉だ。

「よほど金持ちなんだね」

とも言われる。

どちらも違う。

毎日、自分の段取りで仕事をしたり、仕事をしなかったりする姿は、「金と時間に余裕がある」と見られるのだろう。

時間はあるが、金は無い。笑っちゃうほど貧乏です。

今月の支払いを、先月の稼ぎでギリギリ何とかしてる。食べ物は質素。人からもらったもので食いつなぐことが多い。

でも、幸せなんだな。

すごく不安定な暮らしだけど、心配はしていない。この先も大丈夫だと思ってる。

反省はするが、後悔はしない。と心がけてる。

できるなら、苦労は見せずに淡々と生きてゆきたい。

「誰かからどう見られるか?」でなく、

「己がどうありたいか?」

愚直に仕事と向き合い、喰らい、眠る。

山と木に遊ばれている毎日は充実しています。

自由であること、それは望み通りのことが出来ることではない。

 出来ることをやりたいと望むことである。

木工家デビュー??

2016-05-24 | 日記
お知らせです。6月4日・5日。木工家ウイークNAGOYAが開催されます。

http://woodworkers.jp/

その中の、「ウッドワークライブ」に「タチキカラ」で出展します。「天使のコシカケ」をつくろう! のコーナー。名古屋長者町吉田商事(株)特設ギャラリー です。僕は4日・5日そこにいます。
料金は、材料代・ワークショップ代込みで5000円となります。

他にも出展があります。是非、おいで下さい。

また、数日のうちに「タチキカラ」FBページでも告知します。

ショックなこと

2016-04-05 | 日記
本当に、本当にショックなことから一週間。ようやく少し前を向けるようになった。最愛のジローが失明してしまったんだ。
だんだんと視力が落ちているのはわかっていて、今年に入ってからすごく痩せてきて、もう病院へ連れて行って、血液検査をしようと思っていた。それでもやることだらけで、なかなか行けなかった。いや、僕の勝手で行かなかったんだ。月曜日までは普通にしていた。でも火曜日、窯へ連れて行ったんだけど、いつものようにリードを外して自由にしてやった。置いてある炭の原木に鼻先をぶつけて「キャン」と鳴いた。それからはもう、何も見えていないのがわかった。翌日、一番近い動物病院へ連れて行った。先生は慣れた感じで、「糖尿病からくる白内障です」と。血液検査をしてそれも確定。インシュリンを毎日打つことと、食事と適度な運動で血糖値をコントロールすれば、ジローの寿命は全うできると聞いた。
時間やお金がかかる。それはその瞬間に覚悟した。それはそれで仕方ない。でも、でもジローの目が見えなくなってる事実を、僕は受け入れられなくて、狼狽したんだ。
呼ぶと、あちこちぶつかりながら健気に僕を探すジローの姿に、涙が止まらなかった。僕のせいで、こんな風になってしまったんだ。親しい人たちにはメールで伝え、その誰もが「自分を責めるな」と返信してくれて、すぐに来てくれた人もいた。もう一週間。いい加減に受け止めて、ちゃんとしなきゃいけない気持ちと、食欲もあまりないし、眠りも浅い。無理して仕事したら怪我をするという気持ち。とにかくジローの傍らに寄り添っていたいという気持ちで、今日も動けない。少しずつ、仕事の段取りも進めているけど、自分がこれほどまでに弱く、ヘナチョコだとは思わなかった。
昨日家に来てくれた友達が、もう長い間ジローと僕を見ていてくれる友人で、「ジローは今までよりもお前に大切にされて、今までよりも隣にいる時間が増えて、手のぬくもりを感じる時間が増えたのだから喜んでいるんじゃないか?」って言われて、そのときは目が見えないジローの未来を考えたら、そんなこと言えないって思った。でも、やりとりしたたくさんの暖かいメールの中に、「ジローはなんと思ってるんだろう。結構聞いてみると面白い答えだったりして」って書いてくれた人がいて、そうかもしれないと思うようになった。
まだまだ、ぜんぜん受け止めきれず、毎日悲しみに打ちひしがれる。
だけど、ジローはまだ生きている。結果的に血糖値以外は異常ないのも判明した。これからは僕がジローの目になる。今までよりももっと愛してあげようと思う。それはむしろ、僕が望むこと。犬は人間よりも優れたところがあって、いちいち落ち込まないし、今自分の持っている能力で生きようとしてる。それは僕自身にも言えることだし、気づかせてもらえた。
治療を始めて1週間。体重は数百グラム戻ってきた。食欲も旺盛だし、散歩のときもぐんぐん歩く。ちょうど今年から借りた田んぼまでの往復がいい距離で、毎日田んぼの様子を見つつ、ジローとの時間を持とう。
今までとは少し、仕事の形態も変えなきゃいけない。街場での講演、長い時間の会議など、ジローを連れて行けない場所や、ジローの負担になるような仕事は請けないことにします。
ありがたいことに、山も製材も炭窯も、ジローと一緒に行けて、ジローの顔を見ながら仕事できる。
これは約束されていたこと。僕の一生にとって、必要なことなんだ。もちろん、ジローにとってもそうで、僕と一緒に暮らしてゆくことが一番幸せなんだと、そう思います。
まだまだ気持ちが前に向かず、いろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、僕たちをお見守り下さい。よろしくお願いいたします。

同志千葉ちゃん。

2015-12-06 | 日記
同志千葉ちゃん。千葉篤志。

彼との出会いから、今まで、数えてみれば何十回も会ったわけでもないのに。彼とは目指す場所、見ている風景が同じなんだ。インタープリターとして、ちゃんとやってる。思わぬところで彼の名を聞く。彼の元を訪れた人たちは、自然の素晴らしさ、大きさ、厳しさを学んでゆく。大人も子供も。千葉ちゃん、いい仕事します。


そんな彼が、新たにブログを書くことにして、記念すべき第一回に僕が登場している。彼のような男に、こんな風に書いてもらって光栄だし、誇りに思う。是非、第一回から読んでみてください。僕としては、とてもこっ恥ずかしいけれど、とても嬉しい。千葉ちゃん、ありがとう。


http://dokyospace.exblog.jp/23933478/