『木くばり屋』

身の回りの自然と付き合って生きるのが、山に生きる人の暮らしだと思います。のんびり実践しながら、報告してゆきます。

祖父に

2012年01月04日 | ある日のできごと
12月28日21時26分
祖父が88歳で他界した。
あと約2週間で89歳だった。

29日に枕経と通夜。
通夜といっても式があるわけではない。
組の人が葬儀について相談に集まってくださり、
縁ある人がお悔やみに来てくださった。

30日に出棺、火葬、告別式。
10年前脳梗塞で倒れ身体は不自由だったが
薬もほとんど飲んでいなかった。
骨はしっかりと残っていた。

見上げると抜けるような青空。
祖母の葬儀の日と同じ。
なぜかそうあるべきなのだという気がしてしまう。
秋に熱を出し入院して以来、
熱が下がっても食べることを拒否してきた祖父。
祖父はこの日を選んだのだと私は勝手にそう思った。

身体の動く限り働き通してきた祖父。
穏やかで決して怒ることはなかったが、
物を粗末にすることを静かにたしなめた祖父。
原付の荷台に私を乗せアケビをとりに連れて行ってくれた祖父。
いつも静かに感謝を示していた祖父。

老衰で眠るように亡くなった。
近くにいながら私は最期に立ち会えなかった。
深夜、実家で何年かぶりに自宅に帰った祖父を迎えた。
身体はまだ温かい祖父に会えて少しほっとした。

4年前、93歳で祖母が亡くなった時、
私が祖父に伝えに行った。
祖父は声をあげ涙を流した。
「おばあさんが、逝ってしまったか・・・」
とても仲のいい夫婦だった。
また二人の時間が始まったと思う。
身の周りのあるだけのものでこれ以上ないほど、
始末に暮らしている夫婦だった。
ありとあるものをすべて「有難い」と
受け容れている夫婦だった。

小学校4年生の夏の朝、
4時半には起き、5時には畑に出る祖父母を知った。
私は祖父のような人になりたい、
祖母のような人になりたいと思った。

記憶が遠くなってきても、
ずっと呼び続けていた私と妹の名前。
いつしか忘れられてしまったけれど、
なぜか曾孫にあたる息子の名前だけは覚えていてくれた。
何より何より嬉しかった。

今でも私は祖父のような人になりたい。
祖母のような人になりたい。
私の原風景をつくってくれた人たち。
私たちをずっと大切に守ってきてくれた祖父母のように、
丁寧に暮らしを重ね紡いでいける自分になりたいと願う。
次の世代、また次の世代に恩返しをしていけるように、
少しずつしぶとく優しくなっていきたいと願う。

おじいちゃん、
ありがとう。
おばあちゃん、
ありがとう。

頑張るよ。
頑張るよ。

古道具の力(唐箕)

2011年11月08日 | 木づかい生活
今日は、
大きいおばあちゃんと一緒に、
大豆の脱穀をした。

今年はあまりできが良くない。
ムシロの上で乾かして、叩いたり踏んだり。
でも虫が入ってしまった豆が多いから、
中々さやから出てきてくれない。

出てきた豆と豆殻を選り分ける。
箕に入れて、扇風機の前で振り落とすと、
重たい豆は即下に落ち、
軽い殻やクズは少し遠くまで飛んで落ちる。

一つ一つ手で分けていたら、
とんでもなく大変だけれど、
風の力を利用して手間がぐっと減る。

昔はもっとたくさんの豆をつくっていて、
作業はずっと大変だったと言っていた。
でも、
その頃は唐箕を使っていたから、
ずいぶん作業が助かったものだと言っていた。

扇風機なんか使わなくても、
ずっと前から風の力を利用して脱穀作業をスムーズにしてた。

百姓仕事の道具には、
知恵の結晶がたくさんたくさん存在する。

尊敬する人

2011年11月06日 | ある日のできごと
息子には、大きいおじいちゃんが2人、大きいおばあちゃんが2人いる。
今、その2人の大きいおじいちゃんが、そろって入院してしまっている。
どちらも、10年くらい前に脳梗塞で倒れており、今は自力で起き上がることもできない。

0歳児子育て中の私が主になれるわけじゃないから無茶は言えないけど、
できることなら、私が介護と育児で外で働けなくなっても、家に帰ってきてほしい。


迷うことなく、私にとって尊敬する人はじいちゃんばあちゃんたちだと言える。
あと何年(できれば十何年)一緒にいられるか分からない。
じいちゃんばあちゃんたちと一緒に過ごせる時間は、今しかない。

おじいちゃんに教えてほしいことがいっぱいある。
おばあちゃんにも教えてほしいことがいっぱいある。


私は少しずつ仕事と稼ぎを整理して、家事・育児・介護に集中する。
それが今の私に与えられた人生への大切な贈り物だとすごく感じている。

蜂の子

2011年10月13日 | 木づかい生活
おとつい、蜂の子を食べた。

囲炉裏を囲んで肉やキノコを焼いて食べてるとき、
「元気が出るぞ~(笑)」と言って、
地元のおじちゃんたちが皿に入れてくれた(苦笑)。

オオスズメバチの幼虫とサナギ。
白くてふわふわして、
噛むとプチっとして、
中がとろ~っと濃厚で結構おいしい。
3匹食べた。


その夜・・・
足りないかも、って悩んでた母乳が、
余るほど出るように!

蜂の子パワー、おそるべし。

スタンス

2011年10月12日 | 木の駅
&は、自分の立ち位置をよく振り返る。
本当に、これでいいのか?
このことに、どんな意味があるのか?


「木の駅」で関わる地元地域にとって、
私たちは少し近いところにいるヨソモノ。


自分の稼ぎもままならないのに、
NPO法人なんていうものに関わり、
よその地域にお節介かもしれない世話をやく。


風の人たちは、想い火をつけて、また別の地へ。
土の人たちは、その土地にじっくり根を張って。


では私たちはというと、
市内の別地域、地域にとってはヨソモノ。
でもその地域の成果は私たちの希望。

中途半端な関わりで離れたりできない、したくない。
でも、その地域の人たちが自分たちで作り上げていくことを、
何より大切にしたくて、その邪魔になりたくない。


仕組みを持ち込んだNPOに関わった以上、
仕組みが安定し、地域で自律するまで放っておけない。
この動きが、息子の未来を明るくする。
だから、いいカタチで続き、広まっていってほしい。

かといって、地元の人たちで出来ることを奪って、
自律の足かせになってしまっては申し訳ない。


本当に、これでいいのか?
このことに、どんな意味があるのか?


悩んでいるばかりでは始まらない。
やってみなけりゃ分からない。変わらない。

とはいえ、

地域を土足で踏みにじって去っていくようなこと
絶対したくないから、できないから、
いつも迷い、悩む。

その土地の人と同じくらい思いを込めたいけれど、
めいっぱい活動したいけれど、
隣人のヨソモノのはがゆさで、
あえて自分にストップをかける。

でもそれは、きっと自分の地域でも同じことで、


いつもいつも

本当に、これでいいのか?
このことに、どんな意味があるのか?

スタンスやあるべき姿を問い続けることで、
修正を重ねながら歩んでいけるのだろう。
踏み切るときのエネルギーを迷いなく発揮できるのだろう。