ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

福島・山形・新潟3県の旅(続々)

2005年07月18日 | 旅行
 朝8時半過ぎに宿を立ち、五泉市街を通過して、信濃川沿いに堤防上を上流へと向かっていった。分水町で国道116号線に出て、途中右折して、石地海岸へと至ったのだが、3日目にようやく日本海に出て、今回の旅で初めて海を見たことになった。海水浴場はどこも混雑しているようだったが、観音岬は訪れる人もなくひっそりとしていた。そこに、椎谷鼻(しいやはな)灯台が立っていたのだ。突端からは、日本海がよく眺望でき、晴れていれば北に佐渡島が見えるそうだが、少し霞んでいて、島影を確認できなかったのが残念だ。しかし、東方向には、眼下に石地海岸を望むことが出来た。また、南方向(椎谷港)を望むと米山を見ることも出来るとのことだったが...。
 その後、柏崎市街を通り抜け、聖ヶ鼻へと至った。ここは、福浦八景の一つで、泰澄禅師がこの地で修行したことから名付けられたとのことだ。とにかく眺望が良く、北東方向には上輪海水浴場から牛ヶ首(田塚鼻)を眺望し、南西方向は米山海岸と信越本線米山駅を望み、天気が良ければ、佐渡島も見えるとのことだが、この日は霞んでいて姿を現していなかった。駐車場の所に2つの碑が立っていたが、これは近くの鉢埼で生まれた松田伝十郎(1769~1843年)の業績を頌えたものだ。伝十郎は、江戸時代後期に幕府から北蝦夷地(樺太)の探検を命ぜられ、部下の間宮林蔵らと共に樺太探検に出かけて、間宮林蔵より早く樺太海峡を発見した人とのことだ。その時の言葉、「樺太は離島なり、大日本国国境と見極めたり」が刻まれていた。ここから米山埼灯台まで遊歩道があり、登っていくと先端には、白と黒のツートンカラーに塗られた米山埼灯台が立っていた。ただ、暑くて汗が出て仕方なかったけど...。ここでは、ヤマトシジミやベニシジミが花から花へと飛びまわっていて、マクロレンズを使って追っかけたのだ。とにかく、海と灯台と蝶の写真をたくさん撮ってから戻ってきた。

ヤマトシジミ

 帰路は、米山インターから北陸自動車道に乗り、長岡ジャンクションから関越自動車道に乗り継いだのだが、いたるところで、新潟県中越地震の復旧工事をしていて、車線とスピードが制限されていた。そうした中を南下していったんだけど、群馬県から埼玉県にいたるところでかなり渋滞していたので、高崎から下道に下りたのだ。そうしたら、かなり時間がかかすってしまってへとへとになった。まあ、3連休だから仕方がないんだけど...。
 今回も800枚近い写真を撮ってきたのだ。とにかく、よく歩いて写真を撮りまくったんだけど、標高の高い、林間や湿原を写真を撮りながら歩いたので、そんなに苦にはならなかった。とくに、すばらしい景色や可憐な花々が咲いているような所では、夢中でシャッター切っていたのだ。そして、汗を流すために温泉にも6カ所で入った。まあ、健康的な旅だったんだけど、初日に雨に降られたのと帰路に渋滞にぶつかったのが残念だったかな...。