ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「白鳳文化」

2019年12月19日 | 旅の豆知識
 飛鳥時代の後半に花開いた文化で、大化の改新以後の7世紀後半から平城京に遷都される8世紀初頭までの文化です。その特徴は、①律令国家形成期の生気ある若々しさがあること、②国家の仏教興隆策により仏教文化を基調としていること、③遣唐使によって初唐文化の影響を受けていること、などとされてきました。仏教に関する建築、彫刻、絵画、工芸などが発達し、その代表として、薬師寺の東塔、山田寺の回廊、法隆寺東院伝法堂などの建物、薬師寺の薬師三尊像・聖観音立像、法隆寺の阿弥陀三尊像(伝・橘夫人念持仏)・観音菩薩立像(夢違観音)、興福寺仏頭などがあげられ、法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画、キトラ古墳壁画などの絵画も有名です。また、文学にも発展があり、漢詩は大津皇子・大友皇子らが代表的な詩人で、奈良時代の『懐風藻』に収録され、和歌は天智・天武・持統天皇、額田王、柿本人麻呂らが活躍し、奈良時代の『万葉集』に収録されました。

〇白鳳文化を巡る旅8題

 旅先で白鳳文化の関係地を訪れ、良かった所を8つ、北から順に紹介します。

(1) 法隆寺<奈良県生駒郡斑鳩町>

 飛鳥時代の7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設で、聖徳太子ゆかりの寺院です。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から607年(推古天皇15)とされていますが、一度焼失して白鳳期に飛鳥様式で再建された金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられ、東院伝法堂は白鳳時代の住居を寺としたものとされてきました。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群となっています。その金堂には、白鳳期の壁画が描かれていましたが、戦後の火災で焼亡(復元壁画あり)しました。また、銅造阿弥陀三尊像(伝・橘夫人念持仏)と銅造観音菩薩立像(夢違観音)は白鳳期の代表的仏像とされています。寺内には、38件の国宝と151件の国の重要文化財があり、1993年(平成5)には、「法隆寺地域の仏教建造物」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。

(2) 薬師寺<奈良県奈良市西ノ京町>

 飛鳥時代の680年(天武天皇9)に天武天皇が、皇后の病気平癒を祈念して発願し、698年(文武天皇2)に藤原京に創建されたものです。しかし、710年(和銅3)の平城京遷都に伴い、718年(養老2)に現在地(奈良県奈良市西ノ京町)に移転されました。南都七大寺の一つであり、興福寺と共に法相宗の大本山でもあります。たびたびの火災などで諸堂を失いましたが、東塔は創建当時の遺構で白鳳様式の代表建造物で、東院堂は鎌倉時代の再建、いずれも国宝に指定されています。境内にある薬師三尊像、聖観音菩薩立像、吉祥天画像、仏足石および仏足石歌碑も国宝になっていて、白鳳・天平文化を代表するものです。1976年(昭和51)に金堂、1980年(昭和55)に西塔、1984年(昭和59)に中門、2003年(平成15)に大講堂が再建され、薬師寺式伽藍配置がよみがえりました。また、1998年(平成10)に、「古都奈良の文化財」の一つとして、世界遺産(文化遺産)にも登録されています。

(3) 山田寺<奈良県桜井市山田>

 蘇我倉山田石川麻呂の発願によって造られた古代寺院です。山号は大化山で、浄土寺、華厳寺とも称し、法相宗に属しました。飛鳥時代の641年(舒明天皇13)着工し、2年後には金堂が完成しましたが、649年(大化5)に石川麻呂は謀反の疑いをかけられ、金堂前で一族もろとも自害するという事件が起こり、造営は一時中断します。その後、疑いは晴れ、造営は継続されて、676年(天武天皇5)に塔が完成し、講堂建立ののち、685年(天武天皇14)に、本尊丈六像の開眼供養が挙行されました。四天王寺式の伽藍配置に近い(山田寺式とも言います)寺だったとされています。しかし、鎌倉時代初期の1187年(文治3)に興福寺僧兵の強奪により堂塔を焼亡し、このとき本尊丈六像は奪取され、興福寺東金堂の本尊に据えられたものの、1411年(応永18)火災にあい頭部だけが残ったもので、白鳳期のものとされ、国宝に指定されています。山田寺は、中世以降は衰退して、明治時代前期の廃仏毀釈の際に廃寺となりました。古代の貴重な寺院跡なので、1921年(大正10)国の史跡に指定され、1952年(昭和27)「山田寺跡」として国の特別史跡に指定されます。1976年(昭和51)には、寺跡発掘調査の際、回廊の一部が倒壊したまま出現し、注目を浴びることになり、出土した回廊は科学的保存処置を施し、一部が復原された形で「奈良文化財研究所飛鳥資料館」に展示されています。

(4) 藤原宮跡<奈良県橿原市>

 飛鳥時代の都城で、日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城を藤原京といいます。710年(和銅3)に平城京に遷都されるまでの日本の首都とされました。今でも藤原京の中心にあった藤原宮の大極殿の土壇が残っており、周辺は史跡公園になっています。藤原宮跡は、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定されており、現在では、その6割ほどが保存されて、藤原宮及び藤原京の発掘調査が続けられています。この地域から、木簡約1200点が出土していて、古代史を解明する上で重要な資料となっています。これらの出土品は、「奈良文化財研究所藤原宮跡資料室」や「飛鳥資料館」(明日香村奥山)で公開されています。

(5) 飛鳥池工房遺跡<奈良県高市郡明日香村>

 古代の工房遺跡で、ガラス製品や金・銀・銅製品などを製作していたことが判明していますし、数千点にも及ぶ木簡が出土していて、2001年(平成13)に国の史跡に指定されています。特に、その中のある工房からは、白鳳期の富本銭の未成品560点および鋳型・鋳棹など鋳銭関連の出土品が発見されたことから、和同開珎以前に鋳造貨幣があったことが確認されました。この遺跡は、「万葉文化館」の敷地内にあり、同館の特別展示室では、飛鳥池工房遺跡復原遺構(炉跡群復原展示)のほか、富本銭を始めとした出土品を紹介していて、見ることができます。

(6) 酒船石遺跡<奈良県高市郡明日香村>

 昔から知られている酒船石に加えて、2000年(平成12)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになりました。酒船石の方は、1927年(昭和2)に、国の史跡に指定されています。また、亀形石造物と小判形石造物は、白鳳期の斉明天皇の時代に最初に造られその後平安時代まで約250年間使用された形跡があり、何らかの祭祀が行われた遺構と推定されるが定かではありません。それ以外にも、飛鳥時代につくられた猿石、二面石、亀石などがあり、謎の石造物ということで、古代のロマンを掻き立ててくれます。

(7) 高松塚古墳<奈良県高市郡明日香村>

 7世紀末~8世紀初頭に造られた終末期古墳と考えられる円墳(直径約20m、高さ約5m)です。1972年(昭和47)に発掘され、石槨内部の天井および四周に星宿、日月、四神、侍奉の男女官人像の彩色壁画が発見され、また海獣葡萄鏡、乾漆棺、人骨などが出土して、一躍脚光を浴びました。衣服の制や喪葬儀礼、また朝鮮や中国との文化交流を考える上で大変貴重なものなので、1972年(昭和47)に国の史跡に、1973年(昭和48)には特別史跡に指定され、壁画は、1974年(昭和49)に国宝となっています。壁画の劣化が進んだので、文化庁は2007年(平成19)に石室を解体し壁画の修理を進め、現在は保存科学的管理のもとに密閉保存されています。出土品は「国立飛鳥資科館」で展示されていますし、周辺は、国営飛鳥歴史公園として整備され、古墳の近くに「高松塚壁画館」が造られて、壁画の検出当時の現状模写、一部復元模写、再現模造模写、墳丘の築造状態、棺を納めていた石槨の原寸模型、副葬されていた太刀飾り金具、木棺金具、海獣葡萄鏡などのレプリカが展示されるようになりました。

(8) キトラ古墳<奈良県高市郡明日香村阿部山>

 7世紀後半から8世紀にかけて築造された終末期古墳と考えられる二段築成の円墳(直径約14m、高さ約3.3m)です。1978年(昭和53)頃から存在が知られるようになり、1983年(昭和58)のファイバースコープによる石室内探査によって、11月7日に北壁から、四神の一つ玄武の壁画が発見されて注目されました。15年後の1998年(平成10)3月の上下左右に向きを変えるCCDカメラの探査で、青龍、白虎、天文図が発見され、2000年(平成12)7月31日に古墳が国の史跡に指定され、同年11月24日には特別史跡に格上げされています。翌年のデジタルカメラを用いた調査で、南壁の朱雀が確認され、獣頭人身十二支像の存在も確認され、同年12月には国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区として新たに都市計画決定されました。2003年(平成15)から、文化庁による石室内調査が開始されましたが、壁画の描かれたしっくいが崩落寸前であることが判明します。そこで、翌年6月から壁画修復のための調査が始まり、同年8月には、日本で初めての本格的な壁画の取り外しが開始されることとなりました。2010年(平成22)に壁画の取り外し作業が終わり、2013年(平成25)には石室の考古学的調査が終了したので、古墳そのものは石室と同じ石材でふさぎ、埋め戻されています。2016年(平成28)9月24日に国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区が開園、「キトラ古墳壁画体験館四神の館」が開館して、この古墳について学べるようになりました。古墳の彩色壁画としては、高松塚古墳と並んで大変貴重なので、2018年(平成30)10月31日に壁画と出土品が国の重要文化財に指定され、翌年7月23日には壁画が国宝に格上げ指定されています。

☆白鳳文化の主要な文化財一覧

<建築>

・藤原宮の内裏と朝堂院…現存せず
・大官大寺…金堂跡と塔跡の土壇などが残るのみで、建物は現存せず。寺は平城京に移転して大安寺となる。
・本薬師寺…金堂跡、東西の塔跡などが残るのみで、建物は現存せず。寺は平城京に移転して薬師寺となる。
・山田寺(浄土寺)…桜井市山田にある。蘇我倉山田石川麻呂が発願して倉山田家の氏寺として建立した寺で、発掘調査により東回廊の部材が出土している。
・法隆寺西院伽藍…飛鳥様式で白鳳時代に再建された。
・法隆寺東院伝法堂…白鳳時代の住居を寺とした。
・薬師寺東塔…白鳳様式で奈良時代初期に再建された。

<彫刻>

・薬師寺金堂銅造薬師三尊像
・薬師寺東院堂銅造聖観音立像
・深大寺銅造釈迦如来倚像
・法隆寺銅造阿弥陀三尊像(伝・橘夫人念持仏)
・法隆寺銅造観音菩薩立像(夢違観音)
・興福寺仏頭(もと山田寺講堂本尊・薬師三尊像の中尊の頭部)
・蟹満寺銅造釈迦如来坐像 

<絵画>

・法隆寺金堂壁画
・高松塚古墳壁画
・キトラ古墳壁画

<工芸>

・薬師寺金堂薬師如来台座

<古墳>

・高松塚古墳
・キトラ古墳

<文学>

・漢詩…大津皇子・大友皇子らが代表的な詩人で、奈良時代の『懐風藻』に収録されています。
・和歌…天智・天武・持統天皇、額田王、柿本人麻呂らが活躍し、奈良時代の『万葉集』に収録されています。


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1 コメント

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Unknown (omachi)
2020-03-09 17:35:55
あなたの知らない日本史をどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。

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