ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

小豆島の旅(3)

2007年01月28日 | 旅行
朝起き出して、明るくなり始めた頃から、宿の周辺を散策してみたが、景色は良いものの、あまり巡るところもないし、寒いので、15分ほどで戻ってきてしまった。後は、朝風呂に入って、冷えた体を回復した。浴後は、すぐに食堂で、朝食を取り、出立の準備を整えた。
 丘を下ったところにある国民宿舎のバス停まで、5分ほど歩いたんだけど、往路はここまで来るバスがなかったので、30分も歩く羽目になってしまったのだ。時刻表を見ると、休日は1日6本ほどしかないが、この辺では妥当な本数なのだろう。
 8時47分発のバスはほぼ定刻通りに姿を見せ、それにに乗り込んで、土庄港のフェリーターミナルまで直行した。新岡山港行きフェリーは9時50分まで待たなければならなかったので、平和の群像の写真を撮りに行き、お土産も買った。
 その後、船に乗り込んだのだが、この季節のこととて、観光客も少なく船内は閑散としていた。まして、寒風の吹き抜ける展望デッキに立つ人などいなかったんだけど、海上からの写真が撮りたくて、がんばってみた。土庄港を離れると、左手には産業廃棄物の不法投棄で有名になった豊島が見える。しばらく進むと、右手に何本かの古びた煙突群が確認できたが、これが犬島の火力発電所・精錬所跡だと知れた。でも、民家や学校のようにな建物も見えたので、まだ生活している人がいるようだ。そんな風景をカメラに収めている内に、児島半島の先端にある米埼灯台が見えだした。2年ほど前に、この灯台へ陸路で行った時には、道らしい道もなく、海岸沿いの崖をよじ登ったりして、苦労してたどり着いたことを思い出した。海上からは、障害物もなくよく見えるので、進行にあわせて、何回もシャッターを切った。

 米埼灯台

 フェリーは児島湾の奥へと進んでいき、右手には臨海工場地帯が見え、正面に児島湾大橋が近づいてきた頃に、右に大きくカーブして、新岡山港へ到着した。ターミナル前からバスに乗り、JR岡山駅まで到ったが、すでに正午近くになっていた。
 駅のコインロッカーに荷物を入れると、カメラを携えただけで、路面電車に乗った。たった3駅だけだが、乗りながら写真を撮りたかったのだ。西日本の都市には、路面電車が残っている所が多く、都市景観に彩りを添えている。排気ガスも出さないし、地下鉄やモノレールと違って、階段を上り下りしなくていいので、お年寄りや障害者にもやさしいし、便利な乗り物だと思う。最近、世界中で見直されて来ていて、新たに路線を造るところもあるように聞く。とても良いことだと思うのだが...。
 城下の電停までは、数分で着き、歩いて岡山城天守閣の方へと向かった。腹も空いてきたので、途中の食堂に入って、名物ままかり寿司をたべたんだけど、とても美味しかった。
 食後は、本丸へと入っていったが、天守閣は太平洋戦争末期の1945年(昭和20)の 空襲時に焼けてしまい、1966年(昭和41)に鉄筋コンクリートで再建されたものだ。内部は資料館になっていて、岡山城の歴史が順を追って展示されている。まず、エレベーターで最上階へと上ったが、眺望はすばらしく、特別名勝の後楽園がきれいな姿を見せている。東西南北の窓から景色を眺め、カメラに収めてから、階段を下りつつ、各階の展示を見ていった。

 岡山城天守閣(復元)

 天守閣を出てからは、後楽園へと向かい、園内を一巡したんだけど、さすがに天下の3名園の一つと言われるだけにすばらしい。池泉回遊式の大名庭園で、後景に天守閣を配する造りがみごとだ。所々で立ち止まりながら、写真を撮りつつ、じっくりと見て回った。

 後楽園

 それからは、正門前にある「県立博物館」にも立ち寄り、知見を得てから、月見橋を渡った。往路と同じように、城下の電停から路面電車に乗って、岡山駅へと戻っていき、15時5分発の「のぞみ号」東京行きで、帰途に着いた。
 今回の旅は、小豆島がメインだったけど、とても気に入った。とにかく風光明媚で、のんびりしていて、海の幸に恵まれていて...。天気もまずまずで、いい写真も撮れたので、良い旅だったかな...。

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小豆島の旅(2)

2007年01月27日 | 旅行
朝起き出して、明るくなりつつあった7時頃から、散歩に出かけた。いくら温暖な小豆島といえども、この季節は寒い。防寒をしっかりして、カメラを携えて、海岸へと出てみた。もう陽が昇った時刻だと思うんだけど、水平線には雲がかかっていて、朝日は見えなかった。しかし、しばらく砂浜沿いに歩いていると、雲の切れ間から陽が差し始めた。それがとてもきれいだったので、何回もシャッターを切りながら、感激していた。その後、案内板を頼りに、小豆島八十八ヶ所霊場第59番の「甘露庵」へ行ってみることにした。街並みをくねくねと歩き、急な階段を上ったところに小さな庵があり、そこが「甘露庵」だった。冬の早朝のこととて、人の姿も見えなかったが、鹿島海岸がよく眺望でき、その静かなたたずまいと共にえらく気に入った。
 宿に戻ってからは、朝風呂に入り、冷え切った体を回復させた。浴後すぐに、別室での朝食となり、美味しく頂いて、出発の準備を整えた。今日は、一日小豆島を巡るつもりなので、レンタカーを借りる所はないかと女将に尋ねたら、近くのガソリンスタンドがレンタカー屋も兼業しているとのことだったので、行ってみることにした。
 9時前に宿を立ち、教えてもらった「関西レンタカー」に立ち寄って、16時まで、7時間小型車を借りることにしたが、6,000円とのことだった。レンタカーに乗ってからは、まず近くにある西光寺の南郷庵跡へ立ち寄ってみることにした。ここは、俳人尾崎放哉が庵主として最後の8ヶ月を過ごした終焉の地で、墓もあり、庵の跡には「小豆島 尾崎放哉記念館」が建てられていた。1994(平成6)年4月に開館したそうで、貴重な資料が展示され、庭には句碑も建てられていた。放哉は、東京帝国大学法学部卒業のエリートでありながら、身を持ち崩し、いくつかの寺を転々として、最後にたどり着いたのがこの小豆島だったとのこと。しかし、自由律俳句の天才で、斬新な歌を詠み、病魔と闘いながらの最後には、感銘深いものを感じた。墓に手を合わせながら、42歳で逝った生涯を追想してみたが、胸にこみ上げてくるのを感じた。良く知られている句は、『咳をしても 一人』、『入れものがない両手で受ける』、『足のうら洗えば白くなる』、『春の山のうしろから 烟が出だした』などだが、妙に共感を覚えた。

 「小豆島 尾崎放哉記念館」と放哉の墓

 その後は、土庄町を離れて東進し、海岸沿いに地蔵崎の方へと向かっていった。途中「道の駅 小豆島ふるさと村」に立ち寄ったが、閑散としていて、「手延べ素麺館」へ行ってみても案内をしてくれる分けでもなく、実演もしていなくって、拍子抜けした。それでも、窓越しに素麺の干してある様子だけは見学した。
 次に、岬の先端の方へと向かっていったんだけど、道は細くなり、急峻な崖上を曲がりくねって走っていくので、ちょっとハンドルを切り間違えれば、転落しかねない。慎重にハンドルを回しながら、やっと地蔵埼灯台までたどり着いた。展望台があり海がきれいに見えるのだが、風が強くって、じっとしていられないような状態だった。それでも、灯台と海に向けて何枚も写真を撮った。
 それからは、岬の東側を北上し、「オリーブ園」も見学した。オリーブの木を見るのは珍しく、園内を巡りながらシャッターを切ったが、背景に内海湾を配し、風光明媚なところだ。ついでに、売店で土産物も買い求めた。
 続いて、「小豆島民俗資料館」を探したけど見つからず、聞くと廃止されて観光案内所となっていたのには驚かされた。島の民俗を知る上には貴重な施設だと思ったのだが...。
 その後は、苗羽の方へと向かうと、“醤の郷”という看板が目立つようになり、小さな醤油工場がいくつかあった。そんな中を通っていくと、大きな「マルキン醤油」の工場が見えてくる。昔ながらの工場の雰囲気を湛えていて、興味をそそられて、「マルキン醤油記念館」へ立ち寄っていくことにした。入館料は210円なんだけど、記念に小型の醤油を1本プレゼントしてくれるので、徳をした気分になる。展示で醤油の製造工程がよくわかり、圧搾工場だけは、窓越しにのぞくことも出来て、良い勉強になった。
 次に近くにあるプロレタリア作家黒島伝治文学碑を見てから、昼食に名物の素麺を食べ、堀越にある壺井繁治詩碑を訪ねてから、岬の分教場へと向かった。壺井栄著『二十四の瞳』の舞台となったところで、学生時代に一度訪れたことがある。その時は、対岸の小豆島ユースホステルに泊まって、おなご先生のように自転車で岬に向かって、走ってきた記憶が蘇ってきた。とても懐かしく思い、建物もよく保存されていて、小説の場面を彷彿とさせ、映画のシーンも思い出して、感動を新たにした。
 続いて、「二十四の瞳映画村」にも立ち寄った。ここは、2度目の映画化(1987年松竹作品・朝間義隆監督)の時に造られたオープンセットを公開したもので、「壺井栄文学館」も併設されている。中に入ると、昭和初期のレトロな雰囲気が漂っており、映画のシーンを彷彿とさせるのだ。「松竹座映画館」というのもあって、実際の映画も見ることが出来、感激した。じっくりと見ながら写真を撮っていったので、結構時間がかかってしまった。 見学後は、来た道を戻って、坂手にある壺井栄文学碑と生田春月詩碑も見てから、今度は大門鼻の先端へと向かうことにした。ここにある大門鼻灯台は、道路脇の少し下がったところにあり、あまり目立たない。しかし、周辺の海はとてもきれいだった。
 何枚か写真を撮ってから、東側の海岸線に沿って北上し、今度は寒霞渓へと向かうことにした。しかし、レンタカーを返す時間が迫っていたので、ロープーウエイの紅雲亭駅周辺の写真を撮っただけで、戻ることになってしまったのは残念だ。
 それからは、ひたすらに来た道を戻り、土庄町へと帰り、16時ぎりぎりに車を返すことが出来て、ホッとした。
 その後は、徒歩で土庄本町まで行き、30分位待って、16時50分発の坂手港行きのバスに乗った。10分ほどで池田平木のバス停までは着いたが、そこから宿までの道のりが大変だった。風が強く、雨も降ってきた上に、かなり登り坂が続き、30分近くを費やしたのだ。やっとの想いで、高台にある「国民宿舎 小豆島」へとたどり着いてホッとした。どうも、小豆島の宿は交通の便が悪くて困る、これだったらレンタカーを明日の朝まで借りれば良かったかと後悔した。まあ、小豆島霊場巡りの地だから、もともとは徒歩で回るのがほんとうなのだろうが...。
 部屋に荷物を置くと、さっそく浴室へと向かい、旅の疲れを癒したが、ここもオリーブ温泉が使われていた。浴後、18時半から食堂での夕食となったが、食卓には、シタビラメ(地元ではゲタと呼ばれる)の焼物、刺身、ワタリガニ、肉鍋、デザート(イチゴ)などが並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、美味しく頂いた。
 食後は、部屋に戻って横になり、テレビを見ていたらまどろんできたので、床に就いた。
続く

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小豆島の旅(1)

2007年01月26日 | 旅行
金土日と3連休が取れたので、どこへ行こうかと思案したんだけど、関東周辺は天気が崩れそうなので、思い切って、気候の穏やかな瀬戸内海の小豆島へ出かけることにした。
朝5時過ぎに自宅を出立し、最寄りの駅よりJR線に乗り、東京駅まで出てきた。そこから新幹線に乗り換えたのだが、運悪く「のぞみ号」には姫路行きの良い便がないので、「ひかり号」で行くことになった。
 自由席に乗って、山側に座り、明け始めた景色を眺めていた。雪を頂いた富士山や茶畑の風景をぼんやりと見ている内に、どんどん西へ西へと走っていった。
 新大阪駅を過ぎる頃から車内が空いて来たので、海側に席を移動し、今度は瀬戸内海を見ている内に、姫路駅へと到った。
 ここから、フェリーで小豆島へ渡るつもりなんだけど、その前に姫路城を見たくなり、コインロッカーに荷物を入れ、首からカメラをぶら下げて、大手前通を歩いていった。しかし、近づいてくる姫路城の雄姿は壮大だ。日本一の城郭建築で、国宝でかつ、世界文化遺産となっているのもうなづける。
 約15分ほどで正面登閣口にたどりつき、600円で入場券を買い、パンフをもらって、それを読んで予備知識を得た。
 この城の天守閣の完成は1609年(慶長14)、優れた築城家として知られる池田輝政の時のこと。日本一の名城と評判の高い姫路城は、その外見の美しさから「白鷺城」と呼ばれ、1994年(平成5)には世界文化遺産にも登録されている。5層6階の大天守と東、乾、西の小天守を渡櫓で結ぶ、連立式天守で、近世城郭の最高技術水準を示しているそうだ。各層の逓減率があまり大きくなく、安定感あり、千鳥破風、唐破風が巧みに組み合わされ、白漆喰総塗籠となっている。
 歴史的には、今から約670年前の1333年(元弘3)、播磨の守護職、赤松円心(則村)が、ここ姫山に砦を築き、その子貞範が館を設けたのがその始まりとされているそうだ。しかし、最近では、黒田重隆と職隆が、1555年(天文24)から1561年(永禄4)の間に御着城の出城として築いたという説が有力となっているとのこと。その後、1580年(天正8)、羽柴秀吉が中国攻めの根拠地として3層の天守閣を築いた。池田氏の後は本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏めまぐるしく城主がかわって廃藩置県を迎えることとなる。天守閣群の他に、櫓26基、門15棟、石垣、土塁、堀などが残り、城郭建築の宝庫と言われているのだ。
 まず、菱の門を潜ったが、ここから三国壕越しに見る天守群がとりわけ美しい。ここだけで、何回もシャッターを切ることになった。その後、左に折れ、西の丸の百間廊下から見学し始めたが、千姫ゆかりの化粧櫓には興味を持った。

 姫路城天守閣とはの門

 はの門の前から見上げる姿も美しく、ここも撮影ポイントだ。にの門、ほの門と通過して、天守群の裏手から、備前丸へと回り込んでくると、大天守が仰ぎ見られるが、その壮大さには圧倒される。よくこれほどのものを造ったと感嘆せざるを得ない。
 大天守の中に入るとその堂々とした柱や梁に驚かされ、階段を登っていくごとに城下の眺めが良くなっていった。最上階からの展望はすばらしく、まさに一国一城の主の気分になれる。ほんとうにすばらしい場所だ。
 小天守を巡りながら下りてきて、腹切丸、お菊の井戸と巡ったが、いろいろな伝説に彩られているのも、大城郭に所以たるものであろう。二の丸を通って、菱の門へと戻り、売店で絵葉書やガイドブックを買い求めてから城郭を後にした。
 その後、駅の方へと歩いていったが、昼を過ぎていたので、駅前の「すし宗」という店に入って、穴子寿司を食べた。
 食後は、コインロッカーから荷物を引き出し、バスに乗って、姫路港へと向かった。13時35分発の小豆島急行フェリーに乗船し、瀬戸内海を行ったが、海風が冷たかった。それでも、時々デッキに出て、写真を撮っていた。
 ほぼ定刻通り、15時15分頃には小豆島福田港に到着し、そこからは土庄行きの小豆島バスに乗った。北回りの方が時間が短いとのことで、右手に海を見ながら揺られていった。運転手は、珍しくも若い女性で、地元の小学生と訛り言葉で語らっていたのが印象に残った。
 土庄本町へ着いてからは、宿まで歩くことになったが、途中雨も落ちてきて、明日の天気が心配になった。それでも、15分少々で鹿島海岸にある「小豆島シーサイドホテル松風」までたどり着いた。
 通された部屋からは、海がとてもよく見え、風光明媚で気に入った。さっそく、浴室へと出向いて、旅の汗を流したが、ここの湯はオリーブ温泉が使われている。
 しばらく、部屋でくつろいでいたら、18時くらいに別室での夕食となった。フグ鍋、タコたたき、刺身(ホタテ、イカ、タイ)、海老塩焼、メバル煮物、牛ステーキ、天ぷらなどの海の幸が並べられ、1泊2食付1万円(込込)で泊まった割には、充分な内容だった。お酒も冷やで2本頼み、美味しく飲みかつ食べた。
 後は、部屋に戻って、明日のコースを考えたり、テレビを見たりしていたら、眠くなってきたので、早めに床に就いた。
続く

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房総半島一周の旅(3)

2007年01月08日 | 旅行
朝起き出して、明るくなり始めた7時前から宿周辺の散策に出かけた。カメラを携え、マフラーをして、コートに身を包み、防寒をしっかりして、外に出た。晴れていて、昨日より風は収まってきているものの、寒さは相変わらずだ。それでも、がんまんして海の方へと歩いていった。この辺は、“香”と書いて「こうやつ」と変わった読みをする海縁の集落で、小さな漁港があった。折しも岩壁に一艘の漁船が着き、魚の荷揚げの真っ最中、そのおこぼれをねらってか、周辺には海鳥が飛び交っていた。遠景に沖ノ島や館山の街並みを入れて、シャッターを切った。館山湾はとてものどかで、波もそんなに高くはなく、渚に沿って歩きながら、カメラに収めつつ、小一時間で戻ってきた。

 朝の香漁港

 宿では、さっそく朝風呂に浸かって、体を温めてから、部屋での朝食となった。その後、出立の準備を整え、9時前には玄関を出て、館山市街へと向かった。
 まず、城山公園の駐車場に車を駐めて、「館山市立博物館」に立ち寄った。以前にも何度か来たことがあるが、里見氏に関する展示が充実していて、滝沢馬琴著『南総里見八犬伝』の舞台を知る上では、とても良いのだ。また、民俗展示も面白く、安房地方の暮らしぶりを知る上でも役に立つ。館内を一周し、『南総里見八犬伝』についてのビデオを見てから、城山に登り、「館山城」(博物館分館)も見学した。この城は、1982年(昭和57)に建てられた鉄筋コンクリート造りで、史実に基づいたものではない。しかし、館山市街から館山湾が一望の下に見渡せて、すばらしく、何回かシャッターを切った。

 館山城とその眺望

城内には、『南総里見八犬伝』についての多くの資料が展示してあって、とても興味深く、特に、昔NHKで放映した人形劇「新八犬伝」のビデオコーナーが気に入り、30分以上釘付けになっていた。城山を下る途中、八犬伝のモデルになったと言われる8人の忠臣の墓も見学し、駐車場へと戻ってきた。
その後は、国道127号線に出て北上し、南房総市(旧富山町)にある岩婦温泉へ立ち寄っていくことにした。、以前来たことがあるが、細い農道のような道を走った岩婦湖のほとりにある。ほんとうに忘れ去られたような鄙びた風情があり、印象に残る場所なのだ。今回は、「岩婦館」で入浴させてもらうことにして、1時間以内の入浴料700円を払った。浴室は男女別に分かれ、内湯のみで、浴槽も2~3人が入れる程度なんだけど、その強い硫黄臭に魅了された。温泉分析書で確認すると、泉水1kg中に遊離硫化水素1.838mg、水流化イオン16.24mgを含む、堂々とした単純硫黄泉なのだ。これだけの硫黄含有量は珍しい。源泉温度が16℃と低いので、加熱循環させているが、カランからは新鮮な源泉が惜しげもなく出てきた。湯は黒っぽく、pH8.0あって、感触も悪くない。とても気に入って、その泉質の良さを堪能した。

 岩婦温泉「岩婦館」の玄関と浴槽

 上がってきてから、国道127号線に復し、海岸沿いに北上していった。もう、昼を過ぎ腹も減ってきたので、食事の出来るところ探したが、「道の駅 きょなん」に立ち寄ることにした。食事処「ふく丸」ていうのがあり、ここで昼食を取ることにしたが、混んでいて少々待たされた。マグロ丼を注文したんだけど、漁港の近くにあって、魚は新鮮だし、マグロも中トロといった感じで、10数切れのっていて、ご飯がまったく見えないくらいで、舌の上でとろけるんだ。それで、1,100円は安いと思って、とても満足した。
 食後は、隣接する「菱川師宣記念館」(入館料500円)に入り、浮世絵を見たが、ちょうど「浮世絵名品展」というのをやっていた。菱川師宣のみならず、安藤広重の「東海道五十三次」、葛飾北斎の「富岳三十六景」なども展示されていて、良い勉強になった。

 菱川師宣記念館

 見学後は、帰途に着くことにし、国道を北上していったが、富津館山道路の出口の所で渋滞しているようだったので、脇道に入り、細い道をくねくねとぬって、館山自動車道の君津インターまで出た。その後は、高速道路を北上し、東関東自動車道から首都高速へ入って、戻ってきた。
 今回の旅は、初日が豪雨で、2日目が強風と天候には恵まれなかったけど、美味しいものをいろいろと食べられたし、いい写真も撮れ、温泉に入って、リフレッシュは出来たかな...。特に、3日目に食べた食事処「ふく丸」のマグロ丼は、舌の上でとろけるような絶品だったし、「小堀屋本店」の真っ黒い蕎麦も美味しかった。それに、九十九里浜のハマシギ、野島崎の暴風(25m/s位)の中で撮った波の写真や洲崎の夕陽など印象的な写真も撮れたので、差し引きでプラスになったかな?

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房総半島一周の旅(2)

2007年01月07日 | 旅行
朝早く起き出し、明るくなり始めた7時頃から矢指ヶ浦海岸まで、散歩に行くことにした。首からはカメラをぶら下げ、防寒具に身を包んで出かけたが、それでもまだ寒い。晴れてはいるものの、風も吹きすさんでいて、冷たさを増している。しかし、この時期の九十九里浜にはハマシギというかわいい鳥がいて、渚で戯れている。それが、撮りたくて無理をして出かけたのだ。しばらく、波打ち際を探していたら、数十羽の群れを発見した。でも、近づくといっせいに飛んでいってしまうので、追いかけっこが始まった。波の動きに合わせて、ちょこちょこと走り回る様が、とても愛らしい。ただ、波が高かったので、いつもより波と戯れている感じが少なかったようにも思った。小一時間の撮影を終え、宿に戻り、温泉に入って、冷え切った体を回復させた。それから朝食を取り、荷物をまとめて、9時前には宿を立った。
 まず、どこへ行こうかと思案したが、伊藤左千夫の出生地成東へ向かうことにした。左千夫は明治から大正期にかけて活躍した、歌人・小説家で、小説「野菊の墓」で世に知られている。歌人としてもすぐれた短歌や歌論を発表し、正岡子規の実質的な後継者と言われていて、私の好きな歌人の一人だ。以前訪れたときは、生家に隣接する「成東町歴史民俗資料館」にいろいろな資料が展示されていたが、今は「山武市…」に名称が変わっていた。聞くと、2006年3月に成東町・山武町・蓮沼村・松尾町の4町村が合併して誕生したそうだ。入館料130円也を払って、見学したが、左千夫のすぐれた業績がよくわかり、特に「牛飼いが 歌よむ時に 世のなかの 新しき歌 大いにおこる 」の歌にいたく感銘した。牛乳搾取業を経営していたそうで、生家のかやぶき屋根の静かなたたずまいと共に印象に残った。
 見学後は、少々寒かったが、“野菊路”と名付けられた小径を通って、「伊藤左千夫記念公園」まで歩いてみた。ここには、“政夫と民子の像“、斎藤茂吉やアララギ派8歌人の歌碑などがあって、カメラに収めた。
 その後は、九十九里浜沿いまで戻り、海岸線を南下していった。白子町、長生村、一宮町、いすみ市と通過して、御宿町まで入ってきたところで、ここにある歴史民俗資料館へ立ち寄っていくことにした。昔からの漁業に関わる民具、資料が展示してあり、特に海女の写真が印象に残った。
 そこを出てからは、もう昼を過ぎていたので、国道沿いに食事場所を探したが、適当なところが見つからず、勝浦の街を過ぎたところで、やっと小さな食堂に入った。海鮮丼を注文したんだけど、とても新鮮で美味しく頂いた。
 食後も、国道128号線で南へ向かって走っていったが、とても風が強く、ハンドルをとられそうになるくらいだ。こんな天気では、海中公園も仁右衛門島へも行けないとあきらめて、ひたすらに先端を目指していった。
 野島崎に着く頃は、風はますます強くなり、海も大しけになっていた。こんな日は、灯台に上ることも出来ないとは思ったが、波の写真を撮りたかったので、駐車場に車を入れて、暴風の中を歩いていった。案の定、野島埼灯台は見学中止となっていたものの、遊歩道を巡ってみることにした。ものすごい風の中で、岩礁に砕け散った白波が、十数mもの高さとなって、飛び散る様はすさまじい。暴風に吹き飛ばされないように足を踏ん張って、シャッターを切り続けた。こんなすごい風の中でも、岩によじ登ってみようとするカップルがいて、心配しながら見つめていた。いくつか場所を変え、出来るだけ岩陰で風を避けるようにして、写真を撮っていたが、ものすごい波の様子に、数百回もシャッターを押したことか...。
 野島崎を一周して、車に戻り、今度は西に向かって、洲崎を目指した。ちょうど、日が落ちかけていたので、岬の先端から夕陽を撮りたくて、急いで、洲埼灯台下の有料駐車場へ車を駐め、海岸線へ向かって、かけていった。まさに水平線へ陽が沈もうとしているところに間に合い、しばらくの間連写していた。海の向こうには、富士山や伊豆大島、伊豆半島も姿を見せ、すばらしい光景だったのだ。陽が完全に沈んでしまってからは、光を放ち始めた灯台をカメラに収めつつ、車へと戻っていった。
 その後は、今日の宿石塚温泉「古原屋香館」へと向かったんだけど、暗くなって、看板を見落とし、通り過ぎてしまったので、あわてて引き返してきて、宿へ入った。
 以前にも泊まったことがあるが、漁港に近い温泉民宿で、感じの良い宿だ。部屋に荷物を置くと、すぐに浴室へと向かい、温泉に浸かって、旅の疲れを癒した。沸かし湯ではあるが、さっぱりとした湯で、冷えた体を回復させてくれた。
 浴後は、ほどなくして部屋での夕食となったが、1泊2食付き7,500円という低料金にもかかわらず、寄せ鍋、殻付きホタテ、刺身(コダイ、スズキ)、ナスのグラタン、カマスの揚げ物など海の幸がいっぱい並べられ、食べきれないくらいだった。これが、とても新鮮で美味しく、お酒も冷やで頼んで、大いに飲みかつ食べた。
 その後は、横になって、テレビを見ていたんだけど、強風が窓をはげしくたたくのが気になった。天気予報では、明日は晴れて風も収まってくるとのことなんだけど...。そうこうしているうちに、睡魔に襲われてきたので、床に就いた。
続く

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房総半島一周の旅(1)

2007年01月06日 | 旅行
 今日からせっかくの3連休なので、房総半島一周2泊3日の旅に出かけることにした。でも、昼くらいから大雨なんだよね。夕方からは回復してきて、日月は晴れるみたいだけど、風が強そうだ。この雨と風をどうやってやり過ごすか、思案中なんだけど...。
とりあえず、9時過ぎに自宅を出発したんだけど、雨が降り続いている。外環の下を通って、途中から県道に逸れ、江戸川を流山橋で渡って、千葉県へと入っていった。その後、柏市で国道6号線に合し、さらに国道356号線へと乗り換えて、利根川沿いに走っていった。しかし、雨足は段々強くなってきていて、屋外の散策や写真撮影は無理な状況だ。
 仕方がないので、まず佐原市へと向かうことにした。12時頃には、「伊能忠敬記念館」の駐車場に車を入れ、まず腹を満たすことにした。この辺は、重要伝統的建造物群保存地区に指定され、小野川沿いに昔ながらの町並みが残されている。そんなレトロな建物の一つ「小堀屋本店」に入ったんだけど、1782年(天明2)から続いている老舗の蕎麦屋で、築100年の町屋建築で県の有形文化財に指定されているとのこと。そこで、黒切蕎麦の天ざるを注文したのだが、真っ黒な蕎麦が出てきてビックリ!なんでも、昆布を加工して黒い色を出しているらしい。
 美味しくいただいて、食後は雨中の散策を始めた。しかし、この天気では、あまり歩く気にもなれず、結局伊能忠敬の旧宅を見ただけで、「伊能忠敬記念館」へと入ることになった。しかし、齢50歳から学問に志し、日本全国を測量して、日本地図を作った。その向学心と熱意には驚かされる。たいしたものだと、いたく感心した。
 見学後は、香取神宮へと向かったんだけど、雨は激しさを増してきていて、濡れそぼりながらの参拝となった。参道の屋台も閉まっているところがほとんどで、なんともさえない。それでも、がまんして本殿まで歩き、手を合わせた。その後、宝物館を見学したのだが、国宝「海獣葡萄鏡」はじめ重要文化財が目白押しで、この神社の古来からの役割の大きさを実感させられた。
 車に戻ってからは、この雨では銚子へ行くことをあきらめ、大原幽学遺跡の方へ向かうことにした。県道を曲がりくねりながら、到着したが、周辺は史跡公園として整備されているようだ。しかし、雨足は衰えないので、長靴を履いて歩いていった。ここには、大原幽学の旧宅、ゆかりの旧林家住宅、記念館などがあるが、まず記念館へ入ることにした。この雨では、訪れる人もなく、閑散としていたが、展示は充実していて、大原幽学の業績を知ることが出来た。江戸時代後期に農業協同組合の原点とも言える理念を持って、農村の振興に尽力した姿にはいたく感銘した。しかし、志し半ばで、時の幕府の弾圧を受け、失意の内に自刃したのが痛ましい。激しい雨の中ではあったけど、良い勉強が出来たと、満足して車へ戻っていった。
 見学後は、今日の宿矢指ヶ浦温泉へ向かったが、30分もしないで、到着することが出来た。ここは、九十九里浜の北端にあたり、以前に2度泊まったことがあり、小さな一軒宿だが、心休まる感じなのだ。部屋に荷物を置くと、浴室へと向かい、濡れて冷えた体を温めた。わずかに硫黄臭のする心地よい湯で、リフレッシュして、上がってきた。
 程なくして、部屋での夕食となったが、天ぷら、刺身、茶碗蒸しなど美味しくいただき、酒も冷やで2合ほど飲んで、酔い心地となった。後は、横になってテレビを見ていたら、まどろんできたので、眠りに就いた。
続く

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