ちょいとブログをお休み中なのですが、思うところあって少々出てきました。愚痴みたいなものですので、「めんどくせえよ!」という方はするっと流してやってください。
一人頭の中で考える時はそこには制約もなにもありはしませんが、人とコミュニケーションするとなったら、自分のとろうとしている行動が相手に何を与えるのか、それを考えるのは当たり前のことですな。私も反省することしばしばなのですが。「ごめんあそばせ!」じゃあすまないこともあります。他者の不躾な干渉が私自身に対するものならばある程度はだまっていますが、私が大事にしているものに対してならば、許せたもんじゃない。憤懣やるかたない、を久々に感じました。
一人頭の中で考える時はそこには制約もなにもありはしませんが、人とコミュニケーションするとなったら、自分のとろうとしている行動が相手に何を与えるのか、それを考えるのは当たり前のことですな。私も反省することしばしばなのですが。「ごめんあそばせ!」じゃあすまないこともあります。他者の不躾な干渉が私自身に対するものならばある程度はだまっていますが、私が大事にしているものに対してならば、許せたもんじゃない。憤懣やるかたない、を久々に感じました。
(麻箒ここは読まないで下さい。)
ふざけが過ぎて不快な思いをさせたことをお詫びします。
その日どんな状況にあるか分からず、もしかしたら聞けるかもしれないという気持ちと、ふざけた気持ちで中途半端に扱える問題ではないので「心配している」などと安易に口走ることは避けたい思いがあり、余り良い表現が思いつきませんでした。
しかしもう少し言葉の選びようもあった筈だと、反省しています。
後から思い返せば、それ自体がふざけて扱っているように思われても仕方ないと感じました。
わけのわからない罪悪感を抱くことも多いですが、今回は明確に私に非があります。
事態に気付いたときから、死にたい気分になっていました。
この感情がもっと強烈に襲ってきたらと思うと恐怖を感じ、そこで初めて、自分はまだまだ病気というものを軽く見ていたのだと思い知りました。
自分が悩み過ぎないようにと考えるあまり、病気のことを軽く考えたり、誰かを傷つけることがあってはなりません。
自らの自己嫌悪を言い訳にしてしまう自分を恥じます。
いい加減な気持ちで考えようとは思っておりません。
しかし、そのように思わせてしまった事については、どれだけ恨まれても仕方ないと思っています。
麻箒ここには随分とお世話になってきた筈なのに、何の恩返しもできない上に、こんな形で裏切ってしまいました。
これからも寛解することを祈りたいと思っていますが、今はそれすら許されないのかもしれません。
寛解へ向けてのご家族の思いの強さには、遠く及ばないことが分かりましたから。
本当に、ごめんなさい。
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