浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介

富山県射水市を中心に、勉強会や講演会を開催している、浄土真宗親鸞会一支部の、日々の活動もようを紹介しています。

二河白道の譬

2009年05月24日 | Weblog
 昨日、一昨日と、私達には「まことの心」は無いことを、教えて頂きました。
 まことの心の無い者が、どうしてまことの教えを、聞き求めることができるのでしょう?

 今日、聞かせて頂いた、「二河白道の譬」のビデオ御法話で、高森顕徹先生からその答えを教えて頂きました。

 善導大師が、無上仏に救われるまでを譬で教えられたのが二河白道です。「水の河(欲)と火の河(怒り)にはさまれた細い白道(聞法心・求道心)を進んで、無上仏のじかの呼び声を聞いたときに救われた」と善導大師は語っておられます。
 善導大師は、私たちのような欲や怒りなど、ほとんどなかった方ではないか、と思いがちです。
 しかし、「善導の心中は、腹立ちと欲以外ない」と仰有っています。それが、二河譬の、火と水の河が南北に果てしなく、深さが知れない、と仰有っている所です。
 その欲、怒りの中を、聞かずにおれず、求めてゆかれた。火と水の河にはばまれ、行くことも戻ることも、じっとしていることもできない、三定死で、無上仏の呼び声を聞いた一念で救われた、と仰有います。
 善導大師の告白のように、必ず一度は通らなければならない道なのです。水の河の波にのまれ、火の河の炎に焼かれるかもしれない、という限りなき危機感を持ちながら、歩まなければならない道なのです。また必ず進ませてもらえるのです。
 向こう岸の阿弥陀仏の強力なご念力と、後ろの釈尊、善知識のお勧めがあるからです。
 だからこそ、弥陀の呼び声が聞こえる三定死まで進ませて頂けたと善導ご自身も仰有っています。
 私たちも、無上仏の強いご念力と、善知識の押し出されるご恩によって、必ず無碍の一道まで進ませて頂けるのです。

 私達の目には見えませんが、阿弥陀仏が私達を引っ張り、善知識が押し出して下さっているからなのですね(^^)


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