こんにちは、ふじたろうです(^^)
しばらく前から体調を崩しており、ブログの更新だけは何とか続けています。
先週から、コメントを寄せて下さっている方もありますが、お答えできないままで、申し訳ありませんm(_ _)m
体調が回復し、時間的にも余裕ができれば、お答えしたいと思っておりますので、ご了承下さい。
さて、病にかかった時に、どのような気持ちで仏法を求めたら良いのでしょう?
高森顕徹先生は、次のように教えて下さっています。
病も勝縁として、仏法を求めていきたいですね(^^)
しばらく前から体調を崩しており、ブログの更新だけは何とか続けています。
先週から、コメントを寄せて下さっている方もありますが、お答えできないままで、申し訳ありませんm(_ _)m
体調が回復し、時間的にも余裕ができれば、お答えしたいと思っておりますので、ご了承下さい。
さて、病にかかった時に、どのような気持ちで仏法を求めたら良いのでしょう?
高森顕徹先生は、次のように教えて下さっています。
a「持病がありますので、無理のしすぎは身体を壊してしまいます。かといってじっとしてもいられません。どんな心構えで求めてゆけばよいのでしょうか」
先生「“病は死の便り”といわれる。求道者には勝縁である。病を通して深く人生を考え、“仏説まこと”を知らされてゆく。
持病を嫌わず、仏法求めるに大事な友達として付き合ってゆく。相談して、『これ以上は無理』と言うならやめる。元気のいい人のように活動しないと、求道でないという固定観念があるようだが、無上仏のお導きは人それぞれ同じではない。
健康な人より、求道しやすいとも言える。昔は結核で多くの人が死んだ。結核療養所でも説法したが、達者な人には考えられない真剣な求め方をされる。信心喜ぶ人もいた。だからといって病気になればよいとも言えないが。
問題は、いかに病苦を勝縁とするか。その心がけが大切である。ただ生きているだけでは命は法の宝といえない」
先生「“病は死の便り”といわれる。求道者には勝縁である。病を通して深く人生を考え、“仏説まこと”を知らされてゆく。
持病を嫌わず、仏法求めるに大事な友達として付き合ってゆく。相談して、『これ以上は無理』と言うならやめる。元気のいい人のように活動しないと、求道でないという固定観念があるようだが、無上仏のお導きは人それぞれ同じではない。
健康な人より、求道しやすいとも言える。昔は結核で多くの人が死んだ。結核療養所でも説法したが、達者な人には考えられない真剣な求め方をされる。信心喜ぶ人もいた。だからといって病気になればよいとも言えないが。
問題は、いかに病苦を勝縁とするか。その心がけが大切である。ただ生きているだけでは命は法の宝といえない」
病も勝縁として、仏法を求めていきたいですね(^^)