浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介

富山県射水市を中心に、勉強会や講演会を開催している、浄土真宗親鸞会一支部の、日々の活動もようを紹介しています。

弥陀の呼び声

2010年10月31日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

米心理学誌「Psychology Today」によると、歩幅や歩いているときの体重移動、足の上がり具合など、微妙な仕草や動作によって、犯罪のターゲットになりやすい場合と、そうでない場合があるそうです。

歩幅が大きく、歩いているときの動きがダイナミックな人のほうが、自信がありそうに映って、犯罪のターゲットにされにくい一方、視線をそらしたり、手足をソワソワさせていたり、動きが小さめの人は、ターゲットにされやすいそうですから、ご注意を☆

 

さて、今日は有名な『歎異抄』を解説された『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)を通して、親鸞聖人の教えを学ぶ『テレビ座談会』が勤められました。

 

親鸞学徒にとって馴染み深い、正信偈の最初のお言葉は

 

「帰命無量寿如来」

 

です。

 

この「帰命」について、親鸞聖人は

 

「帰命は本願招喚の勅命なり」

『教行信証行巻』

 

と解説されています。

 

「勅命」といったら、最高権力者の命令であり、絶対服従しなければなりません。

ここでは本師本仏の阿弥陀仏のお言葉に限ります。

 

親鸞聖人は、「帰命」とは、阿弥陀如来が「そのまままかせよ、とよびよせる命令である」と解釈されています。

 

この弥陀の招喚を、俗に呼び声と言われるのですが、どのような呼び声なのでしょう。

 

「汝、一心正念にして直ちに来たれ。我能く汝を護らん。衆て水火の難に堕することを畏れざれ」

 

「汝」とは、阿弥陀仏が私に直接呼びかけられているお言葉です。

阿弥陀仏は、「十方衆生」(全ての人)を相手に本願を建てられていますが、ここでは「汝ら」とは仰言っていません。単数です。

 

「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり」

『歎異抄』

 

(弥陀が五劫という永い間、熟慮に熟慮を重ねてお誓いなされた本願を、よくよく思い知らされれば、まったく親鸞一人を助けんがためだったのだ。)

 

これは親鸞聖人だけのことでなく、一人一人が、弥陀に救い摂られれば、「私一人のための弥陀のご本願であった」と知らされるのです☆

 


一切が滅びる中に滅びざるもの

2010年10月30日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

 

お風呂のお湯の温度を下がりにくくするのに役立つのが、ゴミ袋。

 

そのゴミ袋をお湯の表面に敷いておくだけで、温度の下がり方がかなり違ってきます。表面にビニールを敷くだけで、放熱しづらくなるのです。

 

ゴミ袋以外にも、レジャーシートやアルミシートでも試せるようですよ☆

 

さて、かつては壱万円札の肖像にもなっていた、日本人なら誰もが知っている方といえば、聖徳太子。

 

日本に仏教を伝えられた太子を、親鸞聖人は「和国の教主」(日本のお釈迦様)とまで尊敬されています。

 

その聖徳太子のお言葉に次のようなものがあります。

 

「世間虚仮 唯仏是真」

 

これを親鸞聖人は、次のように仰言っています。

 

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」                           (『歎異抄』後序)

 

(火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。ただ弥陀より賜った念仏のみが、まことである。)

 

この世の全てが無常だから、頼りになるもの、裏切らないものは何一つありません。

ひさしに火がついた家に住まいをしているような、不安の絶えない世界がこの世です。

 

しかし私たちは、裏切られて苦しむ為に生まれたのではありませんし、生きているのでもありません。

滅びないまことの幸福になる為に生きています。

 

そんな幸福があるのでしょうか?それは一体何なのでしょうか?

 

親鸞聖人は、「阿弥陀仏の本願のみがまことである」と仰言っています。

 

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」(教行信証)

 

この世の中の一切が滅びる中に、滅びざるものは、阿弥陀仏の本願しかないのです☆

 

 


欲の業力

2010年10月29日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

普段、読み慣れないフォント(文字の種類)を使うと、記憶がしやすくなるという研究結果があるそうです。

米プリンストン大学では、28人の被験者に90秒与え、3種類の異星人について、それぞれ7つの特徴が書かれたリストを記憶させました。
片方のグループは、一般的に読みやすいフォントで書かれたリストを、他方のグループには、普段読み慣れないフォントで同じ内容が書かれたリストを渡しました。15分置いて、どれだけ記憶しているかテストしたところ、読み慣れないフォントで書かれたリストを手渡されたグループのほうが、平均14%もよく覚えていたそうです。

また、同研究チームによるオハイオ州の中等学校での実験は、補助教材に通常のフォントのものと読みにくいフォントに換えたものを用意して、二つのグループのそれぞれ振り分けました。結果、読みにくいフォントの教材を使った生徒の方が、高い成績を出したそうです。

もちろん、「これらの実験結果は限定的なものなので、フォントさえ変えれば、学習効果が出るとは一概にはいえない」とする指摘もありますが、読みづらいフォントによって、ゆっくり読むようになるという面はあるそうです☆

さて、昨日の内容を続けます。

「ほどほど」が良いのは事実と判っていても、なかなかそれが実践できないのもまた、事実です。

ハエがハエ取り紙につかまってジタバタしているのを、仲間のハエも見て判っているだろうに、何匹ものハエが同じようにハエ取り紙につかまっていきます。

ハエ取り紙に引っかかるのはハエのもつ業力なのでしょう。

これ以上はダメだと判っていても、止められないことが私たちにもあります。

株式投資でも、ほどほどのところでやめておけばよいものを、「今まで上がってきたのだから、もっと値上がりするだろう」「もっと高くなったら売ろう」としているうちに、バブルがはじけて株価は暴落、紙切れ同然となってしまった株券もあります。

たとえ元本割れしなくても、「あの時売っておれば」と損をした気持ちにさえなります。

上るとしか思えない、下るとはもう思えません。

「判っちゃいるけとやめられない」これは人間のもつ欲の業力なのです(><)

人間関係がうまくいくコツ

2010年10月28日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

フライパンやお鍋を使っていると、底の部分が黒くなって汚れてきます。

ゴシゴシ磨けばその汚れも取れないわけではありませんが、実はあの汚れはあまり取らない方がいいそうです。

 

ある程度黒こげになっている方が加熱時の熱を有効的にフライパンに伝えることができる貴重なものなのだそうですよ☆

 

さて、この世のことで成功するには、何事も”ほどほど”が良いとされます。

 

信長が尾張から決起して天下を取り、京都へ乗り込んで、羽振りを利かしていた頃である。

厨房役を引き受けていた料理人は、八十六歳の老人だった。ある日信長、この老料理人を呼んで尋ねた。

「貴様は八十六歳だというに、すこぶる達者だが、何か健康法でもあるのか」

「怖れ入ります。私はただ、料理人なるが故に達者でございます」

「それはまたどういう理由だ。世間でよく、料理人は先に、いろんな美味しいものを食い荒らすから、余計に短命だと聞いているが、その方はどうじゃ」

「私は永い間、料理一筋務めまして、儀式か何かの場合に、よく鶴を使います。この鶴という鳥は、いつどの鶴を料理致しましても、その胃袋には七分しか食物が入っておりませぬ。他の鳥は、胃袋がはち切れる程食っております。鶴の長命は、これに限る。人間も食べ過ぎてはいかぬと知らされ、私は常に七・八分より食べないことにしております。これは終始手にかけた、鶴に教えられたことで、御陰で私は長寿を保っております」

と、答えたという。

オランダの名医、ベルハーフの遺言集は大冊だが、その表紙には『医術の極意』と題し、最後の頁には、こう大書してあった。

「頭寒足熱 腹八分」

七・八分が良いのは食物のことばかりでなく、人生何事にも言えよう。誰彼の見境もなく、思うままに言い過ぎて嫌われたり、相談を受けもせぬのに、あれこれ指図して失敗する。親切も、度がすぎれば迷惑となる。

貝原益軒も、こう諭している。

「おもいを少なくして心を養い、欲を少なくして精を養い、飲食を少なくして胃を養い、言を少なくして気を養うべし。これ養生四寡なり」

(1万年堂出版 高森顕徹先生『光に向かって 123のこころのタネ』)

 

人間関係も、「親しき仲にも礼儀あり」。
親しいことは良いことですが、あまりに馴れ馴れしすぎて、手でやるべきことを足でやるようになったり、足でやっていたことがやらないようになると、こんな人とは知らなかったと、嫌われてしまいます。


”ほどほど”にブレーキのきく人が、人間関係もうまくいくようですね(^^)


過去世や未来世のことを知るには

2010年10月27日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

 

冬が近づいて、だんだん洗濯物が乾きにくい季節になりました。

特に北陸は、冬の間、晴れの日はほとんどありません。

 

そこで、洗濯物を乾燥させるのに、乾燥機を使われる方もあるでしょうが、乾燥機の電気代を節約する為に、乾燥時間を短縮する簡単な方法があります。

 

乾燥させたい洗濯物と、すでに乾燥している吸湿性の高いもの(バスタオルなど)を一緒に乾燥機にかけると、断然早く乾燥するそうですよ☆

 

さて、今日は高森顕徹先生による、テレビ座談会が勤められましたが、このブログでは昨日の内容を続けます。

 

仏教を聞く目的は、『後生の一大事』の解決、これ以外にはありません。

 

参考)仏教講座|仏教を聞く目的は何か|

 

この『後生の一大事』を知らされなければ、その解決ということもありません。

 

しかし、死んだ後の後生のことが、どうして現在に判るのでしょう?

 

『因果経』というお経の中に、お釈迦様がそれを教えておられます。

 

「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。 」

 

過去世にやってきたことを知りたければ、現在世の結果を見れば判ります。

 

次から次へと不幸や災難が起きるという現在の結果。なんで自分だけがこんな目に遭うのか?それには原因があると聞いても、それはアイツのせい、コイツのせいだと他人を恨んでいる人ばかりです。

仏教では、そうではないんですよ。あなたが過去にまいたタネの結果であると、教えます。

 

喩えていえば、畑に行ってみて、大根が出ていたら、この畑に蒔いてあったタネは、大根のタネだと判ります。キュウリのタネを蒔いて、大根が出てくるはずがないからです。

 

現在世に現れている結果の原因は、過去世の行いが原因ですから、現在世の結果を見れば、過去世の行いが判ります。

 

また、未来世の結果を知りたいと思ったら、知る方法があります。

未来の自分の運命を生み出すのは、現在の自分の行いです。

現在のタネ蒔き(行い)を知れば、未来も判ります。

 

このように、現在の中に、過去も未来もみなおさまっていますから、現在を徹底的に見れば、過去も未来もみな判るのです☆


肉体は乗り捨てられ、私は残る

2010年10月26日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

急に気温が下がり、温かい飲み物が恋しい季節となりました。そんな時に飲みたくなる甘酒も、古くは夏バテ防止の栄養ドリンクだったそうです。(ちなみに、「甘酒」は夏の季語になるそうです)

ビタミンB1 、ビタミンB2、ビタミンB6、パントテン酸、すべての必須アミノ酸、そして大量のブドウ糖が含まれており、これらの栄養は病院の点滴とほぼ同じ内容で、ブドウ糖以外は製法による差異も少ないそうです。

 

栄養価の高さから「総合ビタミンサプリメント」、麹に由来する食物繊維とオリゴ糖による整腸作用から「ジャパニーズヨーグルト」なんていう別名もあるそうですよ☆

 

さて、昨日の内容を続けます。

 

仏教には、生まれない前の『過去世』、生まれてから死ぬまでの『現在世』、そして死んだ後の『未来世』の厳存を教えられています。

 

それはつまり、過去世、現在世、未来世を一貫している「私」というものがある、ということです。

 

それは勿論、この肉体でないことは明らかです。手足、内臓、脳にいたるまで、これらは「私の手足」「私の内臓」「私の脳」であり、持ち物に過ぎません。

 

この肉体は、ちょうど車のようなものです。車も長年乗り続けていると、やがてポンコツになり、廃車となる時がきます。

この車の運転手が「私」です。車が廃車になったら、別の車に乗り換えますが、車に乗る人は変わりません。それが「私」です。

 

私がした借金は、どんなに肉体が変わっても、私がなさなければなりません。

変わるのは肉体だけで、肉体の死は一つの通過点であり、終点ではありません。

 

この三世を貫く「私」と比べれば、七十年や八十年の人生は、アッという間のことでしかないのです☆


三世とは

2010年10月25日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

 

ノートパソコンを、膝の上に載せて使う方は要注意。ノートパソコンは底面が熱くなりやすく、50度近い高温になることもあります。

 

ノートパソコンを膝に載せて使った場合は、その発熱の影響で精子の数が減少するという話もありますが、体の同じ部分に長時間高温のものが触れていると、接触部位の皮膚に損傷や変色などの異変が起きる恐れがあります。

 

低温火傷は、普通の火傷と違って皮膚の表面よりも深部の傷害が大きく、実際は重症のことが多いため、ノートパソコンに限らず、カイロや床暖房でも、注意が必要です。

もし熱を受けた皮膚に違和感を感じたら、できるだけ早く医療機関を受診した方が良いそうです☆

 

さて、一昨日のテレビ座談会の内容を続けます。

 

仏教には、『三世因果』が教えられています。

 

『三世』とは、『過去世』『現在世』『未来世』のことです。

 

ここで、『過去世』とは生まれない前のことを言います。

単に『過去』だと、昨日も先月も去年も『過去』です。

『過去世』のことを『前世』とも言われます。

 

『現在世』とは、生まれてから死ぬまでの間です。平均的には50年乃至100年の人生です。

しかし『現在』と言ったら、そんなに長いものではありません。

別の言葉で言えば『今(いま)』であり、理屈で言えば過去と未来の接点、ということになります。しかしそれを、文章で書き表すことも言葉で説明することもできません。

そういう『いま』を仏教では『一念』と言われます。

 

親鸞聖人は、

 

「一念とは、信楽開発の時尅の極促をあらわす」

(教行信証)

 

と教えられているように、何十億分の一秒よりも短い時間の極まりです。

 

ここで確認をすると、「時尅(じこく)」と「時間」は違います。

「時間」は何十億分の一秒であろうと、長さを計ることができます。

しかし「時尅」というのは、計れるものではありません。

 

そして『未来世』は、死んだ後のことで、『後生』とも言います。

単に『未来』だけならば、明日も来月も来年も、一時間後も『未来』です。

 

中には、『過去世』と聞くと父母や祖父母、そのまた父母といった自分の祖先のことと思ったり、『未来世』というのは子供や孫といった自分の子孫のことかと思う人もありますが、そうではありません。

 

『私』が、過去世、現在世、未来世を貫くのであり、私たち一人一人に、『三世』があるのです☆


都合勝手な人間の理屈

2010年10月24日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

 

スタンフォード大学の心理学者によると、精神力というのは、疲れた作業を続けると減っていくようなものではなく、精神力というものに対する考え方や、信念によって左右されるものなのだそうです。

 

スタンフォード大学の学生に、精神力について事前に知識を与えた上で、集中力が必要な、疲れる作業を行わせる実験をしました。すると「精神力には限界がある」と教えられた学生は、「精神力は自分次第で何とでもなる」と教えられた学生よりも、集中力実験の成績が悪かったそうです。

 

また、「精神力に限界がある」と思っている学生は、「自分次第で何とでもなる」と思っている学生よりも、ジャンクフードの誘惑に負けて食べてしまう人が24%多く、やるべきことを先送りしてしまう人も35%多かったそうです。

 

ところが、精神力には限界はないのだということを教わると、集中力が必要な作業でも、これまで以上の力を発揮したそうです。

 

つまり、精神力は限りあるものだと考えていると、大変な仕事をすれば、それだけ疲れやすくなりますが、精神力は簡単に目減りするようなものではないと思っていると、頑張れるようになる、ということですね(^^)/

 

さて、昨日の内容を続けます。

 

私たちが、恐ろしい悪であると自覚せずに造り続けている悪の一つに、『殺生』という罪があります。

 

これは生き物を殺すことですが、自分の手で直接命を奪うだけが、『殺生』ではありません。

間接的に、他人に命じたり依頼して生き物を殺せば、同じ『殺生罪』を犯したことになると、仏教では教えられています。

 

私たちがスーパーで買った肉を食べたり、魚を食べるということは、魚を殺させ、牛や豚をさせたということですから、これも殺生罪です。

 

秋はサンマの美味しい季節ですが、焼けたサンマを美味しい美味しいと言って食べている姿をサンマが見たら、人間というものは何と恐ろしい鬼かと、思うでしょう。

 

今年の春、宮崎県では口蹄疫に感染した牛を発端に、感染の疑いのある牛や豚が大量処分されました。

もし、自分や家族が、感染症の疑いがあるというだけで、殺されることになったら、何と理不尽なと思うでしょう。

 

魚を食べることも、家畜を殺すことも、私たちはそれが当たり前だと思っています。

しかし生きとし生けるもの全て、殺されたいとは思っていません。どんな小さな生き物でも、生きるのに必死です。

これくらい良いだろうと思っているのは人間の勝手な理屈です。

 

仏様の眼からご覧になれば、『十方衆生』は人間だけではありません。

大宇宙の生きとし生けるもの全てが『十方衆生』ですから、牛や豚、魚もみな入ります。

仏教では、「生命は同根である」とされ、私たちは過去世、牛であったり豚であったり、魚であったこともあると教えられています。

 

都合勝手に人間の命だけを貴しとするのは、人間の罪なのです(><)

 


臨終で初めて知らされること

2010年10月23日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

テレビを観ながら食事をするといったような「ながら食べ」は、食べ過ぎになる傾向があるそうです。

とある実験によると、被験者の半数にはレギュラーサイズを、残りの人々には大盛りサイズを、それぞれ本人にわからないように食べさせたところ、いずれのサイズでも、満腹感はほとんど違いが見られなかったそうです。

一方、同様の料理を、明かりのある状態で与えてみると、より早く満腹になり、食べる量も少なかったそうです。

 

この結果から、「ヒトは目の前にある量をベースに、満腹感を測ることができる」と考察され、食べることに集中することが食べ過ぎを防ぐことになるとのことでした☆

 

さて、今日は富山県射水市内の親鸞会館にある大講堂で、高森顕徹先生の座談会を聴聞しました。

 

私たちの行いは、どんな些細なものでも、必ず結果を引き起こします。

 

こんな小さな悪因だから、悪果はないだろう、と思っていても、そんな行いは千に一つ、万に一つもありません。

 

結果が起きない罪悪は、何一つ無いのです。

 

ところが私たちは平生、「これくらい許されるだろう」「誰もがやっていることじゃないか」と思って悪を悪とも思わずに、生きています。

 

それが臨終になると、恐ろしい罪悪を山のようにやっていたことがハッキリと知らされ、怖れおののくのだと、お釈迦様は説かれています。

 

「大命、将に終らんとして悔懼(けく)こもごも至る」

『大無量寿経』

 

(臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる)

 

普通は、肉体の臨終で初めて知らされるこの一大事を、仏縁ある人は仏教を聞いて、平生に知ることができます。

 

そして平生に、この一大事を解決できるのが『平生業成』の親鸞聖人の教えなのです☆

 


真実の自己が知らされた時…

2010年10月22日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

 

昔から、塩水でうがいをすると良いと言われますが、何がどのように良いのか、次のような研究結果があるそうです。

 

食塩水は、喉の中で炎症を起こしている組織から、余分な水分を取り出すことで、喉の痛みをやわらげます。

 

また、うがいは多量の粘液を緩め、アレルゲンやバクテリア、菌類などの刺激物をのどから取り除く効果があります。

 

風邪の季節に400人を無作為に選んで研究した結果、風邪を感じるかどうかに関わらず、1日3回食塩水でうがいをすると、呼吸器感染の率を40%まで減少させられることが分かったそうですよ☆

 

さて、昨日の内容を続けます。

 

因果の道理がよく知らされ、三世因果もよく判った。それで『後生の一大事』に驚きがたつかというと、そうではありません。

 

私は、地獄に堕ちるような悪いことはしていない、他人と比べたら自分は良い方だ。善いことをしているのだから、善因善果じゃないか、と思えば、『後生の一大事』は私にはありません、となります。

 

そこでお釈迦様は、私たちは善人か悪人か?毎日、どのようなタネまきをしているのか?自分のことは自分がよく判っていると言われるが、本当はどうか?と『真実の自己』を明らかにされます。

 

お釈迦様が、私たちの真実の姿を教えられたお言葉の一つに、

 

「心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善」
(大無量寿経)

(心は常に悪を念い 口は常に悪を言い 身は常に悪を行い 曽て一つの善も無し)

 

 

私たちは毎日、魚を食べ肉を食べ、どれだけ罪を造っているか判りません。これは身体のことです。

食べるといっても、喋るといっても、心がそれを命じています。

心が元になっているので、もし口や身体が悪いことをやったとすれば、その責任は心にあります。

また、川の上流からインクを垂らせば下流はそのインクの色に染まってしまうように、心が悪いことを考えていれば、口や身体も悪に汚染されてしまいます。

 

お釈迦様は、人間は欲や怒り、愚痴の心で汚れ、悪しか造ることはできない。だから後生は地獄であると説かれています。

 

親鸞聖人も、三世因果を知らされて、本当の自分の姿を知らされたときに、次のように仰言っています。

 

「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」

(歎異抄)

 

地獄しか行き場のない悪しか造ることのできない身だから、死ねば地獄しか行き場がないと、地獄行きの姿を知らされました。

 

現在の自己を知れば、未来の自分も知らされます。

 

死んでからのことは死んでみなければ判らない、と言う人がいますが、死んでから判っても手遅れです。

 

後生の一大事は、今知らされる一大事なのです☆