浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介

富山県射水市を中心に、勉強会や講演会を開催している、浄土真宗親鸞会一支部の、日々の活動もようを紹介しています。

往き易い、けれども往っている人が少ない

2011年02月04日 | Weblog
こんばんは、ふじたろうです(^^)

トイレを掃除するときにはシャンプーを使うといいそうです。

香りも良いですし、もちろん汚れも落ちますよ☆

 

さて、先回の内容を続けます。

 

「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」(歎異抄第2章)

 

のお言葉を、

 

「念仏さえ称えていれば、他に何もしなくても助かるのだ」

 

という誤解が多くあります。

 

それが誤りであることは、仏教を説かれた釈尊が、唯一の真実経『大無量寿経』の中に、

「易往而無人」

(往き易くして人無し)

と教えられていることだけでも、それは明らかです。

 

釈尊は出世本懐として阿弥陀仏の浄土往生を説かれてから、

「弥陀の浄土へは往き易いけれども、往っている人が無い」

と、おかしなことを仰言っておられます。

なぜおかしいかと言いますと、弥陀の浄土へ往くことが本当に易しいのならば、往

っている人が無いというのはおかしいし、浄土へ往っている人が無いというのが真実

なら、往き易い浄土だと言われるのは適当ではないことになります。

 

お釈迦様のこの一見矛盾とも思えるお言葉の意味について、蓮如上人が分かり易く解説されています。

 

「この文の意は、安心を取りて弥陀を一向にたのめば、浄土へは参り易けれども、信心をとる人稀なれば、浄土へは往き易くして人なし、と言えるは、この経文の意なり」

(御文章二帖七通)

 

ここで蓮如上人は、浄土へ参り易い(往き易い)のは、安心をとった人(弥陀に救われている人)であり、浄土へ往く人が少ないのは、信心をとる人が少ないからだ、と解説されています。

 

念仏さえ称えていれば、誰でも彼でも死んだら極楽ではないことが、判りますね☆

 

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大無量寿経
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2 コメント

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弥陀に救われる (gami)
2011-02-04 07:07:57
極楽は往き易い、と教えられているのは
あくまで信心獲得した人のことであり、
誰でも彼でも死んだらお助けではない、
という迷信を破るお言葉なんですね♪
ファイト (☆y.k☆)
2011-02-10 09:54:13
ふじたろうさん。お体は大丈夫ですか????

2月6日御法話で歓喜地のところで
仏のさとりの51段目も歓喜地と仰いましたが理解ができずにいます。次のブログで解説頂けると有り難いです。

ふじたろうさん。ファイト

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