こんばんは、ふじたろうです(^^)
トイレを掃除するときにはシャンプーを使うといいそうです。
香りも良いですし、もちろん汚れも落ちますよ☆
さて、先回の内容を続けます。
「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」(歎異抄第2章)
のお言葉を、
「念仏さえ称えていれば、他に何もしなくても助かるのだ」
という誤解が多くあります。
それが誤りであることは、仏教を説かれた釈尊が、唯一の真実経『大無量寿経』の中に、
「易往而無人」
(往き易くして人無し)
と教えられていることだけでも、それは明らかです。
釈尊は出世本懐として阿弥陀仏の浄土往生を説かれてから、
「弥陀の浄土へは往き易いけれども、往っている人が無い」
と、おかしなことを仰言っておられます。
なぜおかしいかと言いますと、弥陀の浄土へ往くことが本当に易しいのならば、往
っている人が無いというのはおかしいし、浄土へ往っている人が無いというのが真実
なら、往き易い浄土だと言われるのは適当ではないことになります。
お釈迦様のこの一見矛盾とも思えるお言葉の意味について、蓮如上人が分かり易く解説されています。
「この文の意は、安心を取りて弥陀を一向にたのめば、浄土へは参り易けれども、信心をとる人稀なれば、浄土へは往き易くして人なし、と言えるは、この経文の意なり」
(御文章二帖七通)
ここで蓮如上人は、浄土へ参り易い(往き易い)のは、安心をとった人(弥陀に救われている人)であり、浄土へ往く人が少ないのは、信心をとる人が少ないからだ、と解説されています。
念仏さえ称えていれば、誰でも彼でも死んだら極楽ではないことが、判りますね☆












あくまで信心獲得した人のことであり、
誰でも彼でも死んだらお助けではない、
という迷信を破るお言葉なんですね♪
2月6日御法話で歓喜地のところで
仏のさとりの51段目も歓喜地と仰いましたが理解ができずにいます。次のブログで解説頂けると有り難いです。
ふじたろうさん。ファイト