浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介

富山県射水市を中心に、勉強会や講演会を開催している、浄土真宗親鸞会一支部の、日々の活動もようを紹介しています。

あなただけはと信じつつ...

2009年09月30日 | Weblog
 昨日は、支部のFさん宅で、高森顕徹先生の御法話をビデオで聴聞しました。
 
 今から10年前に、台湾でつとめられた『本願成就文』のご説法でした。
 
 『本願成就文』の中には、「至心回向(ししんえこう)」というお言葉があります。
 
 「至心に廻向せしめたまえり」と読み下します。
 
 「至心」の「至」には、「真」「実」「誠」という意味があり、いずれも、いつでもどこでも変わらない”まこと”ということで、「至心」とは、まことの心であると教えていただきました。
 
 これは、阿弥陀仏の心であり、阿弥陀仏が私たちに、廻向(与えて)して下される心です。
 
 逆に、私たち人間の心は、どんなに純粋に思える心でも、残念ながら続きません(><)
 
 ご説法の中では、バーブ佐竹さんの「女心の唄」の一節を、高森顕徹先生が披露されました。
 
  あなただけはと信じつつ 恋におぼれてしまったの
  こころ変わりがせつなくて つのる想いのしのび泣き

 (作詞 山北由希夫)
 
 「女心と秋の空」と言われますが、「男心」もまた、変わるものだ歌われています。
 
 男も女も、心は変わってしまうようです(><)
 
 変わることのない”仏心”を頂く以外に、本当の安心はありえませんね(^^)
 

現在は過去と未来を解く鍵

2009年09月29日 | Weblog
 昨日の続きです(^^)
 
 お釈迦様が、『因果の道理』を説かれたのは、『三世因果』を徹底する為であったと、教えていただきます。
 
『三世因果』については、親鸞会の公式HPにも、詳しく解説されていますので、こちらをご覧下さい。

 このサイトにも解説されている通り、因果の道理が徹底すれば、問題になるのは現在の自分のタネまきです。
 
 身体でどんなことをやっているのか、口でどんなことを言っているのか、特に、心で何を思っているのか。
 
 これらの行いが、未来に自分が受ける運命を、生み出すのですから。
 
「現在は、過去と未来を解く鍵である」とも言われます。

 現在を徹見すれば、過去も未来も全てわかる、ということですね(^^)

まかぬタネは生えぬ

2009年09月28日 | Weblog
 昨日の教学講義では、仏教の99%が『因果の道理』の説法であると、聞かせていただきました。
 
『因果の道理』については、親鸞会の公式HPに詳しく解説されていますので、こちらをご覧下さい。

 このサイトにも解説されている通り、『因果の道理』を一言で言えば、「まかぬタネは生えぬ」です。
 
 自分が善い行いをしなければ、自分に善い結果が返ってくることは、絶対にありません。
 
 逆に、自分が悪い行いをすれば、他の誰でもない、自分自身に悪い報いが返ってきます。
 
 これは、阿弥陀仏に救われない前はもちろん、阿弥陀仏に救われた後も、かわりません。
 
 仏様でも、この因果の道理を曲げることは出来ないと、言われます。
 
 高森顕徹先生の『光に向かって 123のこころのタネ』の中に、お釈迦様と両眼を失明した阿那律(アナリツ)尊者というお弟子の、次のようなエピソードが紹介されています。
 
 彼がある時、衣のほころびを繕おうとして、針に糸を通そうとするがかなわない。
 そこで彼は、周囲に呼びかけた。
「誰か、善を求めようと思う人は、この針に糸を通してくだされ」
 その時、
「ぜひ、私にさせてもらいたい」
と申し出られたのは、他ならぬ釈尊だった。
 阿那律は、その声に驚いて、
「世尊は、すべての善と徳を成就なされたお方ではありませんか」。
 畏れて言うと、釈尊は、
「仏の覚りを開けばとて、小善をおろそかにしてよいという道理がない。世の中で、善を求めること私にすぐる者はない」
 と答えられたという。
 
 善に励むことなく、善果に恵まれる人はいないことが、知らされますね(^^)

本願成就文は親鸞聖人の教えそのもの

2009年09月27日 | Weblog
 今日は、富山県射水市の親鸞会館にある二千畳の大講堂で毎月つとめられている、教学講義を受講しました。
 
 この教学講義では、高森顕徹先生から親鸞聖人の教えを、深く、正確に学ぶことができます。
 
 どなたでも、受講できます(^^)
 
 今月は、今回で29回目となる『本願成就文』の解説でした。
 
 『本願成就文』については、昨日の記事に、詳しい解説を載せたサイトを紹介しています。
 
 29回目というと、もう2年半、同じテーマで解説をされているわけですが、『本願成就文』は、親鸞聖人の教えそのものであると聞かせていただきます。
 
 親鸞聖人が、90年の生涯をかけて教えられたことが、この『本願成就文』におさまるのですから、2年や3年で終わるような内容では、決してあるはずがありません。
 
 今日の講義を聞かせて頂いた後の信心の沙汰の内容など、明日から紹介したいと思います(^^)
 

本願成就文について

2009年09月26日 | Weblog
 昨日は、支部のAさんのお宅で、高森顕徹先生の座談会を、ビデオで聴聞しました。
 
 この時の座談会では、阿弥陀仏の本願成就文(ほんがんじょうじゅもん)について、詳しく解説を聞かせていただきました。
 
『本願成就文』については、親鸞会の公式HPにも詳しく解説されておりますので、こちらをご覧下さい。


 ビデオ座談会の後は、聞かせていただいた内容を通して、信心の沙汰に花が咲きました(^^)
 
 現在、二千畳で毎月開催されている教学講義でも、この『本願成就文』について、高森顕徹先生から直接、解説を聞かせていただいています。
 
 全人類の灯炬といわれる『本願成就文』の教えを、正しく理解できるように、聴聞と信心の沙汰に、励みたいですね(^^)
 

弥陀の本願は全人類を救う

2009年09月25日 | Weblog
 昨日は、支部の学徒のSさん宅で、高森顕徹先生の御法話を、ビデオで聴聞しました。
 
 演題は、正信偈の「顕大聖興世正意 明如来本誓応機」でした。
 
 先日のアニメ解説でも聞かせていただいた、『王舎城の悲劇』を通して、阿弥陀仏の救いは、決して特別な人だけが相手ではないことを、教えていただきました。
 
(『王舎城の悲劇』をご存知ない方は、こちらをご覧下さい)

 我が子欲しさの為に修行者を殺害し、自分に都合の悪い存在になると知るや、我が子さえも殺そうと企む、恐ろしい韋提希の姿こそ、全ての人間の本性であり、全人類の代表であると、教えていただきます。
 
 韋提希夫人を救い摂った阿弥陀仏の本願は、まさに全人類を救う教えであると、知らされますね(^^)
 

阿弥陀仏の本願

2009年09月24日 | Weblog
 昨日は、大山地域市民センターでの勉強会に、参加しました。
 
 一昨日の親睦会にも参加された方々と共に、『阿弥陀仏の本願』について、詳しく学びました。
 
『阿弥陀仏の本願』については、親鸞会公式HPに解説がありますので、こちらをご覧下さい。

 昼食には、国産の食材(野菜も無農薬か減農薬の有機栽培)、添加物も使わないという安心・安全が売りの「あんしん弁当」をみんなで頂きました(^^)
 
 これからも元気一杯で、弥陀の本願を聞かせていただきたいですね(^^)

☆10月の大山地域市民センターでの勉強会のご案内☆

 10月 1日(木) 16日(金) 21日(水)

 いずれも、
 朝 10:00~12:00
 昼  1:30~3:30
 
 どなたでも参加できます。

昨日は親睦会でした(^^)

2009年09月23日 | Weblog
 昨日は、支部の皆さんと共に、神通峡岩稲温泉「楽今日館」で親睦会を行いました(^^)
 
 この親睦会は、支部の学徒だけでなく、この温泉から少し離れたところにある、大山町での勉強会に来られている方々も参加され、普段の勉強会とは一味違う、仏法讃嘆の場となりました。
 
 午前中はゆったりと温泉につかり、昼食を一緒に取り、午後からは、参加された方の中から、仏縁を結んだきっかけを、発表していただきました。
 
 このブログや、顕正新聞(親鸞会発行の定期刊行物)などには、とても載せられないような(?)驚きの発表も飛び出て、和気あいあいと、とても楽しい一時を過ごしました。
 
 温泉と美味しい食事で、互いの心の距離がぐっと近づいたところで、信心の沙汰を通して聞法の目的を確認する、親鸞学徒の集まりならではの、素晴らしい親睦会でした(^^)


真実を求める者は、なお幸いなり

2009年09月22日 | Weblog
 昨日の続きです(^^)
 
 阿弥陀仏に救われれば、身を粉にしても、骨を砕いてもその御恩に報わずにおれないという、熱火のごとき報恩の心が起きると、親鸞聖人は『恩徳讃(おんどくさん)』に教えておられます。
 
  如来大悲の恩徳は 
  身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も 
  骨を砕きても謝すべし   

「弥陀と師教(仏教の先生)の大恩は、身を粉に、骨砕きても足りませぬ。微塵の報謝もならぬ懈怠(けたい)なわが身に、寝ても覚めても泣かされる」
 
 しかしそれは、阿弥陀仏に救われた人に限るものではありません。
 
 親鸞聖人の教えを聞かせていただいて、人生の本当の目的を知り、正しい方角に向かって生きることができるようになった人もまた、そのような恩徳讃の気持ちが起きて当然であると、聞かせていただきました。
 
「真実を知る者は幸いなり。
 真実を求める者はなお幸いなり。
 真実を獲得する者は最も幸いなり。」

 とも、教えていただきます。

 人生の目的を知らされ、求められるということが、いかに幸せなことなのか、信心の沙汰を通して、みんなで確認をしました(^^)
 

親鸞学徒の団結とエネルギー

2009年09月21日 | Weblog
 今日は、射水市、富山市、そして婦中や八尾町近辺の親鸞学徒の集いが、親鸞会館の『浄信』という会議室で勤められました。
 
 高森顕徹先生の御法話を、ビデオで聴聞したり、親鸞会結成50周年の際に上映されたビデオや、親鸞会で発行されている定期刊行物を共に拝読して、親鸞聖人のみ教えを、学び深めました。
 
 今回の集いで、親鸞学徒の団結やエネルギーは、信心の沙汰で、親鸞聖人の教えが深く理解されたところから、生まれることを学びました。
 
 高森顕徹先生の『光に向かって 123のこころのタネ』にも次のように教えられています。
 
 明応五年、蓮如上人が真実開顕の法城として建立されたのが、かの有名な摂津(今の大阪府)石山の本願寺である。
 それより真実を求める人は全国より群参、石山は大発展し戦国諸大名も無視できない一大勢力となった。
 中でも石山の軍事的、政治的要害の地であることにいち早く着眼した織田信長は、幾度も譲渡の相談を持ちかけてきた。
 蓮如上人以来、血と涙で守ってきた法城を仏敵に渡すことはできない。本願寺が拒絶したのは当然である。
 姦雄、信長は遂に元亀元年、石山攻略の大兵を起こしたが、予期せぬ敗北に大いに士気を喪失した。
 反織田の諸将の挙兵もあって、さすが強気の信長も一時撤退を余儀なくされる。
 むろん彼は目的を放棄したのではない。
 果たせるかな天正四年。陸海からの猛攻は三度におよんだが、民兵とはいえ真心から守る城は堅かった。
 千軍万馬の信長勢も、またまた大敗し捲土重来を期せねばならなかったのである。
 野望あくなき信長の攻撃は、その後も四度、五度と敢行されたが、護法の鬼となった人々の魂で築かれた『南無六字の城』は、がむしゃらな兵馬の蹂躪を許さなかった。
 永禄三年。桶狭間の奇襲より、戦えば勝ち攻めれば落ち、朝に一城、夕に一国と領土を広げ、群雄草のごとくなびき、五畿内の猛将を馬前の塵に蹴った信長も、石山攻略だけは断念せざるを得なかったのだ。
 この恐るべき力は何処からあらわれたのか。
 人は城 人は石垣 人は堀
     情けは味方 仇は大敵
と戦国武将はいう。
 外敵を防ぐには、幾千万を投じた鉄壁よりも人の団結が凄い力を発揮する。
 地の理や毛利の援助があったとはいえ、何ものよりも大きな力は弥陀の本願真実から湧き出ずる信仰の団結が、法城を磐石の泰きにおいたのである。
 諺にいう。
 ペンは、剣よりも強しと。
 信はまた、剣の力に勝るのだ。
 
 信長軍を撃退するほどの、当時の親鸞学徒のエネルギーや団結力を、私たちも見習いたいですね(^^)