今日は、高森顕徹先生から「王舎城の悲劇」について解説を聞かせて頂きました。
お釈迦様が観無量寿経を説かれた目的は、私達に諸善を教え、勧められることにあったことを、教えて頂きました。
お釈迦様は、35歳で仏の覚りを開かれてから、45年間説き続けられたことは、廃悪修善でありました。
来る日も来る日も、「善いことをやりなさい、悪いことはやめなさい」と教え続けられたのは、1回や2回聞いて、判ることではないからです。
そんなこと、言われなくても判っているよ、と思う人も多いかもしれませんが、判ったらやるはずで、やらないのは判っていないからだと言われます。
今回は、今日の解説の中でも取り上げられた、白楽天と鳥巣禅師のやりとりを、振り返りたいと思います。
昔、中国に、何時も樹上で、坐禅瞑想していた鳥巣という僧がいた。
ある日、儒者で有名な白楽天が、その樹下を通って、一つ冷やかしてやろうと思った。
「坊さんよ、そんな高い木の上で、目をつむって坐っていては、危ないではないか」
鳥巣すかさず、
「そういう貴殿こそ、危ないぞ」 と切り返した。
この坊主、相当偉いのかも知れぬ、と見てとった白楽天は、
「私は名もなき白楽天という儒者だが、貴僧の名を承りたい」
と尋ねると、
「私は鳥巣という名もなき坊主だ」
これが有名な鳥巣禅師と知った白楽天は、かねてから仏教に関心を持っていたので
「いゝ処で貴僧に遇った。一体、仏教とは、どんなことを教えているのか、一言でおきゝしたい」
と頭を下げた。 鳥巣は即座に、
「もろもろの悪を為すことなかれ、謹んで善を修めよ、と教えるのが仏教である」
と答えた。 白楽天、いさゝか呆れて、
「そんなこと位なら、三才の子供でも知っている」 と冷笑すると、鳥巣すかさず、
「三才の童子もこれを知るが、八十の翁もこれを行なうは難し」 と大喝している。
善だと知りながらも善が行なえず、悪だと知りながら悪を止められないのが、我々の悲しい現実ですね(><)