こんばんは、ふじたろうです(^^)
昨日の内容を、続けます。
阿弥陀仏から、『無上甚深の功徳利益』のおさまった『南無阿弥陀仏』を頂いたら、どんな幸せになれるのでしょうか?
先日の『親鸞学徒追悼法要』では、『現生十種の益』が獲られると、親鸞聖人は教えられていることを聞かせて頂きました。
『現生十種の益』とは、現生(現在、生きているとき)に獲られる十種の幸せということですが、十種というのは数量をあらわすものではないとも、教えて頂きます。
十とは満数で無量をあらわし、聖人はまた御和讃に
「この世の利益きわもなし」
と仰言っています。
『現生十種の益』とは、
「一には冥衆護持の益、二には至徳具足の益、三には転悪成善の益、四には諸仏護念の益、五には諸仏称讃の益、六には心光常護の益、七には心多歓喜の益、八には知恩報徳の益、九には常行大悲の益、十には入正定聚の益なり」
(教行信証信巻)
この中で、前九益を『別益』といわれるのに対して、最後の『入正定聚の益』を『総益』といわれます。
すなわち、総益は根本的な利益でこれから総ての利益がきわもなく展開してくるからです。
『入正定聚の益』とは、正定聚(しょうじょうじゅ)の仲間入りをするという幸せです。
正定聚とは、正しく(必ず)仏になることに定まった聚(ひと)ということです。
仏の覚りにもっとも近い、等覚という覚りを開いている弥勒菩薩と同格になるということです。
今日でも、多くの人が信仰の対象としている弥勒菩薩と肩を並べる幸せになったことを、親鸞聖人は次のように教えられています。
「真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心をきわむるがゆえに、龍華三会の暁、まさに無上覚位をきわむべし。念仏の衆生は、横超の金剛心をきわむるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」 (『教行信証』)
(本当にそうだったなぁ! あの弥勒菩薩と、今、同格になれたのだ。まったく弥陀の誓願不思議によってのほかはない。しかもだ。弥勒は五十六億七千万年後でなければ、仏のさとりが得られぬというのに、親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、仏のさとりが得られるのだ。こんな不思議な幸せが、どこにあろうか)
〔意訳は高森顕徹先生監修『なぜ生きる』より〕
この世は弥勒菩薩と同格になるだけではなく、一足先に仏のさとりをえられる身になるのですから、
「身を粉にしても報ずべし、骨を砕きても謝すべし」
の心が、生涯変わらないのも頷けますね(^^)
その弥勒菩薩の先に仏になれる
というのはなお凄いことと
知らされます。